2004/3/7
0・ゼロに還る
16・3・7
今朝のメッセージは、場面が三通り有った。
最初の場面は、湿った布団の湿り程度を調べながら、全部の布団を、湿気が無くなる迄乾かす場面だった。
二番目の映像は、人の血筋の様な、縦の配置図が出て来て、何も無い一番上から、一本の線が引かれ、其の下に横線が一本長く引かれており、その横線の下に数本の縦線と文字が有り、更にその下に横線が有って、其の下には多くの文字が縦に書かれていた。
其の意味する処は、真理は一つであり、多くに別れた考えや、宗教や、哲学や、イデオロギー等を、最初の原点にまで遡って、乱れを無くすとの事である。
三番目は、ピストルを振り回したり、立ち小便をして居た男性が、酒屋に来て自分が朝から酒を一滴も飲んでいないで、素面である事に気付き、自分の意識が正常を取り戻した事を、喜んで帰って行く場面であった。
今朝のメッセージの、三通りの場面から考えられる事は、自分を、何も無い状態に一度戻すとの事であるようだ。
インドの釈迦や、中国の老子は、自分の意識を絶えず、原点に還すことを説いている。
人間は、子供の時から、知識や情報を集めて成長を続けて行く、処が成長しても、其れを死ぬまで止めないで、一生を、他人の知識や情報に汚染されたままで過ごし、あの世にまで、迷ったまま帰ってしまうのである。
つまり、湿ったまま乾く隙がないのだ。
ピストルを振り回す暴力は、年取ったら出来なく成るし、アルコール中毒はお金が無くなったリ、病気に成れば止められるが、宗教やイデオロギーに填まり込んでいる人は、死ぬ迄抜け出る事は出来ない。
そして、彼の世に行ってからも、自分の考えを他人に押し付け様としている。
其の様なパターンは、自分が正しいと信じているので、0・ゼロに返り様が無いのである。
だから、釈迦や、老子は、其の事を止める様に説いているのだが、釈迦の教えは仏教として、老子の教えは道教として歪められ、現在でも、人間の意識を湿らせ続けているのである。
今朝のメッセージは、人間が落ち込んだこの罠から、どうしたら抜け出せるかを、私に考えろとの事だろう。
現在では、どんな家庭にもテレビが有り、昼夜を問わず、知識や情報が流れ込んでいるので、これを変える事は、容易なことではない。
これ等の理は、株式相場や、為替の上下に一喜一憂している人々には、何の事だか解らないだろう。
株式や、為替が上がろうが下がろうが、人間の魂には、何の関係も無いのである。其れ等の情報に染まって、自分の大事な人生を湿らせてしまうのは、折角この世に肉体を授かって生まれて来て、勿体無い限りである。
人類は、神の恵みに因り、自分の肉体の他にも、多くの物質を与えられている。いまでは、その与えられた大事な物質(エネルギー)を、無駄にしている部分が多い。
もう此れ以上、物は必要ないであろう。
私達は、ここらで、もう0・ゼロに返る事を意識しなくてはならないだろう。
人間が、自分で気付いてバランスを取り戻さなければ、神が直接手を下す事になる。
人間のエイズや、狂牛病、鳥インフルエンザ等は、神から人間への「改めよ」との忠告ではないかと想うのは、私一人ではないだろう。
どの様にして、人々に、真理はひとつ(一本線)である理を、説く事が出来るだろうか、今日は、私に新たな課題が生じて来た。
平成16年3月7日
礒邉自適
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