2005/2/16
セクション1(ワン)
17・2・16
今朝の霊夢は、私の意識の中に存在する者の、立場が映り、其の足元から、黒い物体が、足枷が外れる様に、次々と取り外されて行った。
そして、言葉で「14日前」と出て来た。
今日から14日前は、2月2日で節分の前日である。
節分の前の日に、自分の一生分か、12ヶ月分なのか判らないが、罪や汚れが次々に外れて行き、全部が外れた処で、私の業(カルマ)が無くなり、気分が自由に成った気がした。
そして、「セクション・ワン」との言葉が出て来た。
朝起きて、セクションを辞典で調べると、「section」@節。 A区画。 B部門。とあり、@の節は、節分の節と、何か関係が有りそうである。
今朝のメッセージは、節分の日に、私の業が無に成り、新しいポジションに着くとの意味を、告げて来た現象なのだろうか。
そして「セクション・ワン」とは、私の立場が、元の原点に返ったのか、それとも、ゼロ点から新たに始まるとの事を、意味しているのだろうか。
どちらの意味であっても、私の立場が、変化した事には間違い無い様である。
私は37歳迄、普通の仕事を様々して来た。
そして、37歳の時に仕事を全部止め、家族と離別して、神の世界に修行に入った。そして、神の命じるままに20年間働いて来た。
37歳迄の、生活や価値観とは、全く異なる世界で生きて来た事になる。
37歳迄行っていた事は、山を削り、谷を埋めて、土地を造成して売る様な不動産業や、化粧品屋に、マージャン屋等の、本来、人間の生活には関係の無い事に、身を投じていたのである。
農業や、漁業も行っていたが、其れ等も、自然破壊に繋がる事である。
それらの事を全部止めて、自然保護や、正しい生活の仕方に切り替えて、20年が経過した。
私の、38歳からの20年間は、昔の罪業からの反省であり、自然や神に対して、借りを返す為の期間であったのかもしれない。
私は、20年間で、ようやく神に対する借りが、済んだのだろうか。そして、無垢な人間に、立ち戻る事が出来たのだろうか。
「カルマ(業・ゴウ)」を辞典・言泉で調べると、次の様に載っている。
@ 仏語:意志による心身の活動、行為。一般に身・口・意の三業に分け、その行為の善悪によって何らかの果報を未来にもたらすとする。
A 前世の善悪の行為に因って、現世に於いて受ける応報。特に悪い因縁による報い。悪業・罪業をいう。
是からすると、私の58年間の人生にも、応報があるが、私の先祖から繋がっている応報もあったであろう。
先祖の想念や、父親の想いも、私の意識に影響を与えていた筈である。
特に、49歳の若さで死んだ父親は、遣り残した事も多く、私に直接影響を及ぼしていたと想われる。
其れ等の念いも、2月2日に外れたのではないだろうか。
人の想念が、強く残されれば、残念と成って、鬼と化して来る。
その鬼を追い出すのが、時節の節目に行われる「節分」の行事であろう。
私の心身に、憑依していた諸々の鬼が、全部、取り祓われたのではないだろうか。
そうであれば、私の心に邪悪な気持ちはもう現れないのかもしれない。
それなら、此れからの私の人生は、安心立命と成るのだが、それはどうであろうか。
来年の節分迄、鬼が又取り憑いて来ない様に、気を付けて生きて行かなければ成らない様である。
平成17年2月16日
礒邉自適
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