2005/12/8
天界の一年
17・12・8
本日12月8日は、一応「釈迦」が悟った日とされていて、太平洋戦争が始まりの日でもある。
今朝のメッセージは、不思議なものであった。
映像の内容が、確かに三段階に成っている。
其れを、ハッキリ感じたのは、今朝が始めてである。
初めの映像は、私の信頼している男性が、私を訪ねて来たので、自宅から事務所に向かった。
事務所に着いて、私は、自分の机に座り、彼は応接ソファーに座った。
処が、彼は静かに座ったまま、何も話さない。
私は、窓の外の車の音や、人通りのざわめきが気に成るので、立って行き、窓のサッシを全部閉めて、机に帰った。
すると、私の妻が、子供の手を引いて、裏口から入って来た。
そして「振り込んで来たよ。」と言う。私が、何の事かと思うと、彼の口座に500万円振り込んで来たとの事らしい。
其れは、私の知らない処で、彼が私の妻に、直接借金を申し込んだらしいのだ。
其の事で、私の自我意識が理由を探し始め、夢の場面から、顕在意識へと移行した。
この映像は、私は、金も持っていないし妻子もいない。
其れに、彼は、私にお金を借りに来る様な人ではないので、現実に関する事柄ではない。
なので、是は、他に何かの意味があるのだとの考えに到り、其の理由を想い始めた。すると、お金の貸し借りは、言葉が出来てから、発生した世界であるとの理解が生まれて来た。
物を貸したり、借りたりするのは、人間だけである。他の動物には、与え合いはあるが、物の貸し借りは無い。
其れは、人間だけに、時間の概念と、言葉の世界が有るから、出来る事である。時間の概念がなければ、カレンダーが無いので、期限が決められない。また「借りた」「貸した」の言葉がなければ、其の行為自体が、発生しないのである。
この事から、人間だけに、言葉や時間の概念があり、其れに拠って、文化や文明を築きあげて来ている事が理解出来る。
だから、新しい未来社会を創造する為には、時間の概念と、言葉がどう言う意味や働きを持っているかの、認識から始める必要があるのだ。
其の事が、今朝の最初のメッセージである。
私は、其の事が理解されたので、意識を休めた。
すると、今度は、暗い場面に粉雪が振り始め、「昨年は 奇跡的だったね。」との言葉があり、次々に、私の以前の事に関する人々や、其れに関する出来事が映し出されて来た。
其れは、子供の頃からのものではなく、私が結婚して子供が生まれ、実家を出て安房の町に出てからの物事である。
其れは、私が28歳の時だから、其れから丁度30年が経過している。
其の事から考えると、神界の一年は、地球時間の30年に当たる事に成る。
神の世界は「三」で動くとの話もあり、老子は「三から 全てが生まれる」とも謂っている。
イエスは、三日後に蘇ったとあり、釈迦は悟ってから、立って三歩あるいて立ち止まり「天上天下唯我独尊」と云ったとある。
其れに「三顧の礼」とか、「三宝」「三位一体」「三本の矢」「三人寄れば」等、挙げて行けば三が使われている言葉は、沢山出てくる。
宇宙のシステムは、三が基本数で出来ているかの様である。
私の、波乱万丈な人生の30年間は、神の世界では、たった一年間のプログラムに過ぎなかったのだろうか。
次の場面は、横に長い四角な枠の中で、数個の光りの球が、外に飛び出そうとして跳ね回っていた。
そして、次に、パソコンの画面が現われ、お気に入りのコーナーの登録名が光っており、点滅を繰り返しながら、次々に入れ替わって行った。
そして次に、RやN等のアルファベットの頭文字が、幾つか並んでおり、其の文字の右肩上に、皆二個のアルファベットのダッシュが付いていた。
此の一連の場面の意味は、言葉や文字が、新しい世界に、凄い勢いで、飛び出し始めるとの事ではないだろうか。
最後の場面には、また私の姿が用いられた。
私は、机に座り、文字を書きながら、何かの説明をしていた。
そして、筆で文字を書いていると、隣で「私の時間は いつまで有るの。」と、尋ねる声が聞こえたので、左側を見ると、私が未だ会った事の無い、30歳位の女性が座っている。
私の意識は、彼女と目が合い、お互いが気に入ったらしく、静かに向き合って居た。そして私は、左手に着いていた墨を、紙で拭き取り「永遠だよ」と云って、彼女を優しく抱きしめてやった。
そして、今朝の長い映像の場面は、終わったのである。
今朝は「振り込んで来たよ。」の言葉に始まり「永遠だよ。」との言葉で終わっている。
是は、文字や言葉の学習が、終わりの無い永遠の世界である事を、認識させるものの様である。
今日は、釈迦が悟った日とされているので、釈迦が、私の意識の舞台に登場するのには、都合が一番良い日である。
釈迦の訓えの神髄も、言葉がどう人間のカルマ・業に関わっているかである。
イエスも「私の言葉は 神のものである」と云っているし、老子も言葉の在り様を一番重要に考えている。
今朝は、其の言葉が、新しいエネルギーを持って、この三次元に噴き出そうとしている事を、告げて来ている。
旧約聖書の、アベルとカイン(自我意識と所有心)の事が、新しい言葉に拠って説かれる日は近いだろう。
其れに、日本の神社には、神の世界の入り口である鳥居の前に、何故「阿・あ、吽・ん」の言葉の、始まりと、終わりを意味する像が、置かれているのかが、ハッキリと自覚される様にも成るだろう。
(私が30年前に、買って引越した家が、安房で唯一軒の、神様事をする家だったのは因縁か。)
是からまた、私の新たな宇宙時間の一年が、30年掛けて始まるのであれば、未だ88歳まで生きなければ成らない。
そんなに、長生きをする自信も無いし、長生きしたいとも考えてはいない。
しかし、後30年生かされるのであれば、雪の降る暗い冬景色ではなく、桜の花が満開と成っている、春爛漫の景色の中で、「奇跡的な一年だったね」と、今朝と同じ言葉を聞いてから、今回の人生を締め括りたいものである。
そして其の結果が、素晴らしいものであれば、釈迦牟尼佛やイエスキリストと、女神の関係性も、明らかに成るのではないだろうか。
平成17年12月8日
礒邉自適
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