2005/12/7
珪素の真空管
17・12・7
今朝のメッセージは、相当意味深い。
嘗て、この領域まで入り込んだ、人間が居るのだろうか。居れば、古文書の端々にでも出て来そうだが、其れらしき形跡は無い。
初めに、女性の姿が、光りのぼやけた感じで現われ、その直ぐ隣に、女性より高さがある金属光沢をもった、二本の真空管の様な物が立っていた。
そして、平仮名の「い」の様な文字が一字現われた。
次に、二本の真空管を真上から見た形の、○○の形が現われた。
其れは、立ての「い」の文字に対する、平面の「の」の文字を表すイメージである。
(是等は、意識の立ち現われ方を意味している様だ。)
次に、私は、何処かの建物の中に居て、棚に置いて在るティッシュ箱から、中の紙を取り出そうとすると、其の紙の半分が、窓のカーテンの布糸と、溶け込む様に絡んでいて、どうしても離れない。
(是は、紙と布が、本来は同じ物であった事を知らせて来ている。)
そうして居る間に、誰かが玄関に入って来て、静かな声で、呼び掛けるので、玄関に出て見ると、40歳ぐらいの細身の女性が一人来て居て、「今日は、子供が一日中外で遊んでいて 早く寝そうだから。」と、私に云う。
(其れは、子供の事を言って居るのではなく、自分の夜の都合を暗に知らせているのである。)
今朝のメッセージをトータルして考えると、人間の意識と、文化の成り立ちを順番に知らせて来ているものだ。
紙が出来る迄は、文字や絵をパピルスや竹、木の板、其れに大事な事は、動物皮や布に書いていたのである。
女性が、動物と違って、発情期から自由に成って、交尾回数が無制限に成った為に、男性に24時間言葉が必要に成って、今日の様に、言葉が発達して来たのだろう。
自然界の動物の場合は、餌等の都合により、雌が発情する期間は、一時期に絞られていて、他の時期は、交尾に必要なコミュニケーションは無い。
其の点において、人間は言葉無しでは、社会が成り立たない様に成っている。現在はパソコン等が有るが、其れまでは、紙がなければ、社会は動きが止まってしまう程であったのだ。
手紙の遣り取りや、書類や本がなければ、文化の発展は、是れ程までには成らなかったであろう。
其れも、始めに言葉があり、文字が生まれた結果である。
では、言葉や文字が、どうして出来上がったのか。
其処に、今朝のメッセージの意味がある。
金属光沢の二本の真空管は、動物の意識のセンサーと成っている、シリコン・珪素の働きを意味しており、其れが、女性の傍に立っていたのは、メスの生命システムが、其のセンサーの基に成っているとの理・ことではないだろうか。
其れと、意識には縦(い・ll)の認識と、横・平面(の・OO)の認識があり、其れも二対に成っているとの事である。
其の二対の縦横の認識が、全ての思考の基に、成っているとの事である。
其の思考が、雄雌の働きを分離する事に繋がったのだ。
そう考えると、シリコンの働きは、植物の雌雄の関係にまで、遡ることに成る。そうであれば、今朝のメッセージの世界は、生物のいのちの原点にまで、遡る事になる。
私は、ここ数年、「いのち」と言う言葉が、本来何を意味していたものか、真剣に探って来た。
其の想いの結果が、今朝の潜在意識からのメッセージだろう。
出雲で一番古く、国宝に成っている「神魂神社」の名が、何故「かもす神社」と呼ぶのか、其の名の由来も分からない。
境内には、二本の棒が立っており、横に一本棒が渡されている。
おそらく古代は、其れだけが、神の世界の入り口とされていたのであろう。
「神の魂が かもされる所」其れが、二本の棒に関するものであるなら、私は今朝、神の魂にまで行き着いた事になる。
其の原因を探って行くと、今の私の食事に行き当たる。
私は6ヶ月間、殆ど収入が無いし、パソコンにへばり着いて居たので、食べ物には無頓着であった。
なので、今食べているのは、カビで黒く成った胚芽米と、カビが一杯生えた味噌の味噌汁と、近所の農家に貰った大根葉である。
何故、カビが生えても食べているかと言うと、添加物や防腐剤が入っていないから、カビが生えるのであって、安心出来る物だからであるし、人に戴いた物なので、棄てるわけにも行かず食べているのである。
だから、怪我の功名と言うか、醸す(かもす)世界に、侵入出来たのである。カビや麹の世界は、生物の原点であり「いのち」のシステムの一番単純化された世界でもある。
私は、カビの力を借りて、シリコンの真空管にまで、辿り着いたのである。
何故、知り合いに電話一本掛ければ、何でも贈って戴けるのに、無意識が嫌がって、電話を掛ける事をしなかったのかが、理解されて来た。
此処まで書いたら、何だか楽に成った。
明日にでも、武富さんに電話して、松井選手や、一郎選手が食べているのと同じ、お米を送って貰う事にしょう。
私の新嘗祭は、数日後に行われそうである。
カビが食べて、真っ黒に成った胚芽と、来年の情報を蓄えた新米との切り換えが、どう言う結果を生むか楽しみである。
平成17年12月7日
礒邉自適
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