2005/12/5
見なし法人・ハイライト
17・12・5
今日で、私が此の神の世界に入って、21年半が経つ。
漠然として思えば、言葉通り「夢の中」の21年半だった。
しかし、何が有ったかを思い起こせば、莫大な情報を取り込んでいる事が判かる。そして今朝は、また新たな世界に、飛び込んでいる事が解った。
昨日は、多くのモノが中に引き込まれたと書いたが、今朝は、其の一部が顔を出し、何時間も、新しい世界を認識させられて、漸くベッドから起き出したのは8時に成ってからである。
とても、今朝の映像を全部思い出して、書き込む事は出来ない。
大事と想われる場面だけを、思い起こして書き出して見ようと意う。
始めに、昨日の真由美の姿は、私の中に在る「いのちの本質」が、表層に浮き出たモノと考えられる。
言葉を離れ、人間の世界を通り越したので、生命の原質である雌の立場に里帰りをしたのだ。
老子や、釈迦が、老齢に成って雄の機能が減退したトキに見た、命の本質を、私も観たのだ。其れは、現代生物学では明らかに成っている。
日本の巻貝や、アメリカの五大湖の鰐等が、環境ホルモンの影響で、雄ペニスが皆縮んでしまい、雌化して子孫が出来なく成っている。
人間の女性が、老齢化すると生理が止まり、髭が濃く成ったりする現象の雄版である。
雄の精気が衰えて来ると、雄が、雌から分離された以前の、遺伝子情報にカムバックしてしまうのだ。
それは、雄の業が消えて、役目から開放され、自由に成った精神状態なのだ。
イエスは若死にしたので、其の次元までは、到達する事が出来なかった。
私の記憶は、是からは、「いのちの原質」の立場から、染み出して来るものと考えられる。
「亀の甲より 年の功」の諺が、適用出来る年代に、差し掛かったと考えても良いだろう。
老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く。」が、ようやく自分の事として、考えられる年令に達したのだろう。
其の様に考えると、「壽」の漢字が嬉しく成って来る。
今朝其れらの認識が済んだら、パソコン画面が現われ、私の自適塾のHPに、新しいページがドンドン増えて行くのが、映されて来た。
そして「見なし法人」と「ハイライト」の言葉が来た。
其のページは、切り替わりの無いページで、幾らでも、人の情報と、遣っている事の情報が、下方から繰り上がって来るのである。
其れは、何百・何千との数に上るのだろう。
其れは、世界中に存在する、人間の未来社会にとって、必要な事を遣っている人達の情報である。
見なし法人とは、大企業の事ではない。そして、ハイライトとは、其の人間や遣っている事に対して、部分的に光りが当てられる事を意味している。
神界が、愈々物事を選択し始めた様である。
私は、それらの人々を探し出し、パソコンに、入力して行かなければ成らない様だ。
其の事を認識すると、今度は、神々の世界を、自由に遊んで廻った。
其処では、人間の言葉は一切使用されず、総べてが、テレパシーの様に、想った事が瞬時に相手にも伝わるらしい。
神霊界は、意識が共通であり、何人でも、音に拠る言語が必要ないのである。考えて見れば、意っただけで相手に伝わるのであれば、言葉は必要無いし、嘘をつく事が出来ないので、真実しか無い世界である。
重力や、引力が働かない世界だから、水の流れを、反対に進む事が出来るし、空中から虹の橋を渡る様に、地表に帰る事も出来る。
何の束縛も無く、自由な世界である。姿は在っても、食べ物を食べたりする必要が無いので、内蔵はいらないし排泄も無い。
水も、食べ物も要らないので、働く必要がないのである。
勿論、天国は、雲の上だから、雨が降らないので傘も要らない。しかし、面白いのは、天国にも、地表と同じく水が流れているのである。
旧約聖書にも「神は 水を 天と地に分けた。」とあるが、其れは、本当の様である。水は、水素が基で出来ており、宇宙の総べての物質は、水素原子から始まっていて、全てが水素原子を土台としているので、宇宙の情報は水無くしては、組み込めないのであろう。
今朝不思議なのは、天界を流れる川が、綺麗な土色をしていた事である。
私達は、水は水色だと想っているが、其れは、空の青さを写しているだけで、水色でも青色でもないのである。
今朝の天界の川は、粘土を溶かした色の、水が流れていた。
其れで、私が思うのは、旧約聖書に載っている「神は始めに 自分に似せて 粘土でアダムを創った。」の文句である。
粘土は、ケイ素とアルミの化合物である。
現在の太陽電池パネルは、シリコン(珪素)の薄い板に、アルミを塗り込んだ物である。其の板に、太陽光線が当たると電子が生まれるのである。
其れは、珪素とアルミが溶け込んだ水に、太陽光線が当たると、電子が発生する事にも繋がる。
水の神である「サラスバティ(弁財天)」は、湖の中の小島や、池の中心の島に祭られる。
其れは、水面に発生した電子が、中の小島に引き寄せられて、集まる事を示唆している。
神の漢字は「示+申」の組み合わせで、「示」は祭壇の形で「申」は電気である。神の祭壇の前で、申して来るのは、神の電気信号に因る命である。
何故、人間の額の中心にある、シリコンの松傘状の結晶が、光りのセンサーとして、自律神経をコントロールしているのか。
人間が太陽の光りを受けて、身体の70%の水が反応を起こし、電気を生み出しているのであれば、松果体が、光りのコントロールに関わりを持っているのは、当然の事と言える。
人間の瞼に映る夢幻しは、松果体がICチップの役目を果たしていると云っても、過言ではないだろう。
昔から、太陽を神の対象として考えたり、鏡を御身体としたり、水を信仰の対象とするのも、どうやら根拠が明確に成って来た様である。
今朝、情報の一部が顔を出し、其の中の一部を、打ち出して見たが、底は遥かに深い。
理解出来る事は、神の世界には、言葉が無いと言う事である。
言葉が無い世界に、神の名が有る訳がない。
天照も、エホバも、アミダ佛も、大日如来もいないのである。
其れは、人間が、宇宙の働きを認識する為に、便宜上、仮に名付けただけの世界である。
神の名を唱える事は、永遠に神に会えない仕草である。
神仏の名を頭から祓う事が、惟神の道であるのだ。其の理は、2600年も前に、老子や釈迦がハッキリ示している。
「タオ・道」や「ダルマ・法」の言葉さえ、天国への門を塞いでいるのである。
今朝解った事は、老子や釈迦、其れに一休さんも、子宮を持った事が無いので、陣痛に付いては一言も述べていない。
私も、自分の行動パターンは、男性の生殖器の働きが、土台に成っている事は理解しているが、果たして「フロイトさん」は、陣痛に付いてはどう認識していたのだろうか。
この答えが出せなければ、過去に女性だった人間が、男性に生まれ変わって来ると言う考えは、否定される事に成るのだがどうだろうか。
其れに、天国には、俗に言う男らしい男が見え無いのは、どうした事だろうか。
戦いが、好きな御仁は、ガキの魂しいのまま、成長していないと言う事だろうか。
クリシュナムルティが、何故、救世主の座を降りたのか。
全ての思考の本は、母親体験者に尋ねるしか無い様である。
其処に在る「嫗・媼・オウナ」が、全てを知って居るのだろう。
言葉を発しない、其の静けさの中に、答えは秘められているのだ。
ハイライトは オウナの場からだろうか ?
其の為に、サラスバティが・・・・
平成17年12月5日
礒邉自適
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