2005/10/26
氵石
17・10・26
今朝のメッセージには、「氵・三水」に「石」の組み合わせの漢字が、一字だけ示されて来た。
辞典には「氵+石」の組み合わせの文字は無い。
水と石は、自然界では仲良く存在する物だが、漢字の組み合わせには無いのである。何故、今朝は、辞典には無い文字が知らされて来たのだろうか。
それは、神事にとって大事な物なのだからであろう。
水は、神事に欠かせない物であるし、石もあらゆる意味で、神事には必要な物として取り扱われて来た。
水は、意識の伝達物質であるし、ミネラルは岩石が水に溶け出した物である。水が無ければ、生物の体液は循環しないし、体内にミネラルが運ばれる事も無い。水と、岩石が存在してこそ、生命の存在が在るのだ。
神の存在が人間に認識されたり、人間の意識が生まれるのも、水とミネラルが在ればこその出来事である。だから、水とミネラルが存在しなければ、生命も無いし、神の存在も無い事になる。
其の理が、古代から認識されて、あらゆる宗教に、水や岩石が使用されて来たのだろう。
屋久島は、1400万年前に、花崗岩が隆起して出来た島である。
そして2000mの高さの山には、周囲の海から立ち昇る水蒸気が冷やされて雲に成り、雨量が多く、島を一周すると、水が流れている川が100程も在る。
正に、水と岩石の島と言える。
私は、そんな屋久島に生まれ、37歳まで年月を過ごしたので、「氵石」の文字は私の意識の根本であり、生命の源となっているのかも知れない。
水田で採れる稲は、山のミネラルや栄養が、水に溶けて運ばれ、其れを吸収して育つ作物である。
日本が、瑞穂の国と考えられて来たのも、其の稲作が根幹に在っての事である。
私たちの意識は、水と、山から溶け出して運ばれて来るミネラルに拠って、出来上がっていると考えても良いだろう。
漢字も、中国の稲作文化を基本として、出来上がっている様である。
今や、乳製品や肉が中心である食習慣の国の文化が、世界を被い尽くし、争い事が絶えない世の中と成って来ている。
争い事は、戦争だけではなく、経済面でも起きて、日夜激しいバトルが行なわれている。現在・いまの社会構造では、人間の心安らかな暮らしなど、考えられない。
今一度、美しく流れる川の水に、自分の姿を映し、水の中に含まれる石の有り様に、意識を向ける必要があるのではないだろうか。
其の行為自体に、既に、安らぎが伴っているのである。
其の点では、日本列島は大変恵まれた環境にある。
日本の宗教が、自然を対象として伝えられて来たのも、其の環境が基と成っているからである。
日本の、伝統的な生活習慣や価値観は、此の美しい国土で育まれて来たものである。
最早、平和な思考を生み出せるのは、日本しか無いのではないだろうか。
今朝のメッセージは、その事を伝えて来た様な気がする。
平成17年10月26日
礒邉自適
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