2005/2/21
契約書
17・2・21
本日21日は、弘法大師空海の月命日である。
今朝のメッセージは、自分の子供を他人に預けたり、自分所有の建物の管理を他人に頼んだりと、様々な事に対して、気軽に契約が出来る様に、社会システムが出来上がっているのが映って来た。
現代社会は、インターネット社会なので、どんな契約書もインターネットから取り出せる様に出来る。
今までの様に、契約を交す者同士が、代書屋の処に出掛けて料金を支払うのでは無く、インターネット情報集の中から、自分達の問題に合った契約書を見つけ出して、お互いが其れにサインをするだけで済む様にする。
其の様に成れば、料金も掛からないし、時間も交通費も節約出来る。
そんな社会が、身近に迫っている。
いまは未だ、現実的には、どんな契約書も検索すれば出て来るサイトが、準備されてはいないかも知れないが、誰かが、低料金で契約書が引き出せるシステムを作り上げれば、簡単な事である。
当事者が、自分の目で契約事項を読む事が出来れば、その決まりの意味もよく理解出来るので、問題が発生しても、解決が早く出来るものと想われる。
人間の脳は、忘れる様に出来ている。
そうでなければ、問題をいつまでも覚えていると、ストレスの蓄積となって、健康上悪いからである。その為に、大事な件でも忘れてしまうので、契約書という物が、考え出されて来た。
契約書で古い物は、エジプトからモーゼが、ユダヤの民と荒野の旅をしている時に、神に授かった石版の契約が在る。
其れは、人間が守らなければならない基礎的な決まりが、10ケ条として石板に刻まれた物である。
3400年前も前から、人間は、律法が在る方が、秩序が保たれて、生活し易いと考えて来たのである。
現代社会は、法律は澤山整備されているが、其れは警察署か裁判所かに、在る物と考えられており、生活の場である身近な処には、感じられなくなっている。
昔の方が、規律は、身近な所に有って、人々を律していたのではないだろうか。
今朝のメッセージは、法律が、人間の暮らしの身近な処に帰って来た事を、示して来たものであろう。
身近な処に、帰って来たと言うより、その様な社会を、神が願っている事を、告げて来たのかも知れない。
今日のメッセージは、書の大天才である「弘法大師空海」からの、伝言ではないだろうか。
平成17年2月21日
礒邉自適
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