2001/1/17
旁
13・1・17
今朝、微睡んで居ると、平仮名の文章の中に、漢字が一つ有る映像が浮かんで来た。その漢字は「旁」と言う字である。
朝起きてから、漢語林で其の文字を調べて見た。
「旁・ボウ」は、あまねく広がる、左右に広がるという意味。
「旁」は「凡+方」で成り立ち、「凡」は広がる、散るの意味。「方」は音も表し、左右に広がるという意味を表す。したがって「旁」は左右に広がった部分、かたわら、あまねし、ひろい、あまねく、広くの意味を表す。と 載っている。
最初に、此の字を考えた人の意識に立てば、物事をあまねく広げるには、自分のかたわらである右手側と左手側に置く人間が、重要であると言う考えが見えてくる。
此処から、「まつりごと(政治)」を行う者が、左右に置く人物、左大臣、右大臣の成立が見える。
統治者が、「さて(左手)どうしようか」と、左側の人物に相談し、うて(右手)の人物に「手を打て」と命じる。と言う場面が思い浮かぶ。
古代中国では、戦争と葬儀の時だけ、右大臣が上手・上座であり、平和な時は、左大臣が上手に座したらしい。
右大臣が、陣頭に立つ時は人の生命が失われ、物が壊れ、田畑が荒れる時であり、左大臣が立つ時は、人民は豊かに暮らし、音楽や芸術が盛んになり、精神文化が築かれる時なのである。
たとえば、問題を起こしたオウム真理教の教主は、左手に左翼の早川を、右手に右翼の木部を据えた為に、テロ集団と化してしまったのである。
旁に配した人間が、テロリストだったので、テロを散じる結果となったのである。これは、自分の旁に、どのような人を配置するかで、方向性が決まると言う例である。
今回の世界維新は、地球環境と生命がテーマであるので、其れ等の問題に関わっている人達が中心となる。
其の一人が、愛媛大学農学部森林教育研究所の「鶴見武道助教授」である。鶴見助教授は、奥様と共に、青少年が体験学習をする現場としての村造りを考え、すでに「千年の森をつくる会」を10年にわたって運営している。
愛媛大学では、青少年と共に、人と森林の関わり方について研究しながら、大学の演習林で現場教育にも力を注いでいる。
「人と森との関わり方」は、日本では、既に3000年の長きに亘りノウハウが蓄積され、日本の伝統として根付いている。その技術や、考え方が、地球の未来を救う手がかりと成ると言う点で、鶴見武道助教授の研究は21世紀の社会造りには欠かせないのである。
私は、鶴見武道助教授とは平成11年12月23日に、千葉県のご自宅で初めてお会いした。鶴見武道助教授は、私が一番求めていた人材であるので、私も全面的な応援をお約束し、今日までお付き合い頂いている。
本日私は、其の鶴見武道助教授に会う事に成っており、朝の夢に出て来た「旁・ボウ」は、私が鶴見助教授の片腕に成り、また、鶴見武道助教授が私の提案する21世紀社会造りの片腕になるという、言ってみれば相互協力するという示しだろうか。
そして、私の16年の旅の中で知り合った人々が、大きな役割を持って、世界の表舞台に現れる事に成るだろう。
私は、是まで、シックハウス問題に取り組む、建築家の「相根昭典氏」、自然農法の「川口由一氏」「赤峰勝人氏」、祭りの「小川亮一氏」「柳瀬宏秀氏」、実にさまざまな人々に出会って来た。
その人達を、結ぶ役割が私なのであろう。
祭りとは、本来「まつり合わせる」と言う意味であり、大和の和の精神を表している。和とは、「和御魂・にぎみたま」の「和・にぎ」で、にぎわう、にぎやかの「にぎ」である。
21世紀を創るのは、神ではなく、我々人間が、自分自身の行動に因って創るのである。楽しく、にぎやかに、自然と共に暮らす人々が増えれば、未来は明るいものとなるのだ。其の様に、暮らす人々の姿を、神は喜ぶのである。
心のエネルギーも、金や物も、神が人間に与えたものである。
其れ等を、神の顕現の為に使う事で、私達人類の顔も、輝きを取り戻す事が出来るのだ。
平成13年1月17日
礒邉自適
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