2001/4/11
経営(經營)
13・4・11
4月9日の朝を迎えたのは、神戸市の「兜山・かぶとやま」が見える、山の上に有る「佐藤亮掌氏」の自宅であった。
神戸には「頭・こうべ」の名のごとく、兜の形をした「兜山」が有る。
其の兜山は、御神体山であり、山の神の「戸(あたま)」からメッセージが発せられる。
この日の朝は、幾つものメッセージを受け取った。
最初に、出て来たのが「経営」と言う文字だった。
「經・ケイ」は縦糸を表し、すじみち、道理、おさめるなどを意味している。
「營・エイ」は、部屋が澤山有る屋敷の周囲に、篝火を巡らすと言う事を表しており、いとなみという意味である。
「經營・ケイエイ」と言う言葉は、営み、経済をつなぐという意味である。
文字の次に、受け取った映像は、二人の光の人型が、箱を運んでいる所だった。
箱の中身は、袋を結んだ形の生き物であった。そして、其の生き物の名前は「キティちゃん」の様な言音であった。
其の箱には、担ぎ棒が付いているのだが、それは箱の上に着いていた。
「御輿・みこし」が、担ぎ棒の上に、箱が乗った形であるのに対して、其の箱は、担ぎ棒の下にぶら下がる様にしてあるのだ。
其れは、其の生き物が、神の反対に位置する物であると言う事である。
其れは、「人間」は「神」を持ち上げ、「神」は人間の「財」を下げて、運んでいる事になる。
どうやら、人間が創っている金銀などの宝は、神が運ぶ荷物であるようだ。
其れは、人間は、神の荷物を、生産するのが役目である理・ことを示している。
そして、其の為なら、神が人間に、必要な物を、全部与えると言う理・ことなのだろう。
其れ等の事を考えると、お金とは、人の為に有るのではなく、神の為に存在する物で、神はそのお金を通して、人間を使っている事になる。
どうやら、お金は、人間を神が使う為の、道具であるようである。
神は、人間の動きの能率を上げる為に、人間の目には見えない神の働きを、お金と言う形で、人間の目に見える様にしたらしい。
どおりで、人間はお金の為なら、どんな事でも必死でやり遂げるのだ。
「府・フ」と言う漢字は略字であり、本当は「府+貝」の組み合わせである。
家の中である「广 」に、「付」と「貝」が、澤山有ると言う様子を表している。
「付」は、経典・巻物の事で、「貝」は財の事である。
「府+貝」とは、建物の中に、経典や巻物などの書類と、金銀玉の財が澤山有って、それを管理して、出し入れする役所を表しているのである。
「政府」とは、其の公の機関を言うのである。
この意味からすれば、釈迦や、老子や、孔子は「付」を創り出し、王様は「貝」を集める事を役目とし、「政(役所)」は、其の管理をする場所であると理解できる。
今朝の夢は、新しい「経営」を起こし、継続させる事を意味している。
神は、人間に、新しい経済システムを与えようとしているのである。
経済を支える物は、貝、金、石炭、石油、電気製品、ITと移り変わって来た。
21世紀の産業は、何が主流に成って来るのか予想も付かない。
金は、紙幣に代わり、現在ではコンピュータの中の数字が、あちこち移動しているだけである。
其れは、全世界が停電にでも成れば、瞬時に消えてしまう様な、儚い物なのである。
神が、人間に創らせようとしている、経済価値とは何なのか。
今日の処は「キティちゃん」のような物であったとしか、言えない状態である。
平成13年4月11日
礒邉自適
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