2004/12/12
三つの世界
16・12・12
今朝のメッセージは、場面も多く、其の意味付けも長く掛かった。
最初の場面は、人手が入っていない聖なる森の中で、私の他にも、数名の人々が集まりつつあった。
集まって来る人達は、純粋な魂しいを持つ人々で、知恵の集結を求めている様である。
私は、その場に水を引く為に、パイプを探しに、別の場所へと出掛けて行った。
すると、リサイクルセンターみたいな所に行き着いた。
其処には、様々な物が、所狭ましと積まれて有る。その品物の中に、若い女性が一人居て、私を見ている。
私は、近くに有った古い楽器を手に取って、音を出し始めた。
すると、小さな子供達が数名現れて、一緒に音楽を始めた。音が賑やかになると、最初に居た女性も、後から現れた若者達も一緒に成って、まるでコンサートの様な雰囲気と成って、楽しい時間と成った。
其れから、場面は変って、私を二人の男性が迎えに来た。
一人は運転手の様だが、一人は責任ある立場の人の様で、私に「紫の服が 用意されている」と云って、何処かに連れて行った。
車を降りて歩いて行くと、其処は、何百年も昔の宮の跡らしく、草や木に蔽われてはいるが、大きな建物が幾つも建っていた跡と、広い道路が続いていた。
私は、何の建物の跡かと想うと、縦書きの平仮名で、「まつりことの てんかん」との文字が現れた。
そして「鳩」の漢字が映った。
朝起きて「鳩」の漢字の意味を調べると、鳥のハトの他に「あつめる」又は「あつまる」の意味と「やすんずる」の意味がある事が分かった。
「鳩」を使用する語に、「鳩合」あつめる・あつまる。同士を鳩合する。「鳩首」首を集める・額を集めて相談する。等が有る。
今朝のメッセージは、人が「鳩合」する事の場面が、三通り映って来た事に成る様だ。
「まつりごとのてんかん」を図るには、三通りの場が必要との理だろう。
@ 聖なる森で男性の知恵を研く。
女性が その場に居ると 男性の気が散って 魂の浄化がはかれない。
@
まつりごと
て ん か ん
A B
A女と子供達が、楽しく遊べる場を準備する。
女性は、子育ての為に食料や衣、建物物品を必要とする。
女・子供が集まらない処には、人が集まらない。社会現象が付いてこない。
B 新しい政治の場。昔の伝統を復活する。
三通りの場面が、何を意味しているかと言うと、其れは、私の是からの活動の指針として、必要だとの事なのだろう。
聖なる森は、人々の魂しいを純粋な源へと誘ってくれる。
人間社会は、人間自身が創出したものであり、世間とは、宇宙の理から外れていると言って良い。
世界は、宇宙の真理と共に存在する現象で、人間の我儘だけで存在出来るものではない。
本来の、人間や生命の理・ことわりを知ろうと意えば、人間が造り出した社会から、一度離れてみる必要がある。それが、聖なる森の意味する処であろう。
紫色の衣は、宗教の世界で高い位の人か、天皇だけが身に着ける事が出来る色で、天皇・皇帝が住む建物を「紫宸殿」とも呼ぶので、最高の位を意味している。
むろん、私がその様な位を必要としているのではなく、その様な働きを意味しており、正しい政治が行われる様に、力を注げとの事だろう。
政治が行われる場や、建物が出来、知恵を持った人々が集合しても、女性や子供が楽しく生活する場がなくては、其れ等のモノは、無意味なモノと成ってしまう。
女性や、子供が暮らせる事が一番大事であり、その為に、政治や男性の学びが必要とされるのだ。
今朝のメッセージは、其れ等の理を伝えて来ている。
平成16年12月12日
礒邉自適
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