2002/2/20
法則
14・2・20
今朝の霊夢には、水の流れと、「法の則」との縦書きの文字が、映し出されて来た。
夢に映った、「法」の漢字は「去」の上に「学」の旧字体の「學」に付いている、両手の形が付いており、「氵(水)+(両手)+去(裁判に用いた神獣の意味)」の組み合わせで夢に現れた。
・「則」は「刂(刀)+貝」の組み合わせで「貝」は「鼎」(かなえ)の象形で、昔かなえに 刀で重要な法律を刻んだことから「のり」の意味を表す。(漢語林)
・「法」も「則」も日本では「のり」と読み、「おきて・きまり」の事である。
漢字の意味からすると、「法」は、裁判の様子を意味し、儀式の意味と受け取ることが出来る。
其れに「則」は、決まった法律を記す、文書と受け取ることが出来る。
現在では、日本には「憲法」と「法律」の二通りが有る。
「律」も、「のり・おきて・さだめ」の意味に使うが、「律」は「彳(行)+聿」で、「聿」は「手」に卜辞を刻み付ける為の、道具を持っている形で、人の行く道路に、道標を刻み付ける意味に成り、人間の生き方の指針の事だと思われる。
今朝のメッセージは「清い水に 両手を浸し 裁判の儀式を整え 文書にする」との意味だと思われる。
マホメットの教えでも、神への祈りの時は、両手を清め、顔を洗ってから始めるし、日本の古い言葉にも「足を洗う」とか、「顔を 洗って 出直す」とかが有る。
今朝のメッセージは、原点に還って、「のり・おきて・きまり」を創り直せと言う事だろう。
出雲の島根半島には、「十六島」と書いて「ウップルイ」と読む地名が有る。
其の意味は、アイヌ語では「我が水の道」であり、日本語では「宇振い」となり、水が「自分(みずから)」と「宇宙」の関係性を、繋ぐものとの考え方が、伝えられている。
イエスキリストも、釈迦仏陀も、水で我が身を清める事から、宇宙のシステム・大自然の「おきて・きまり・のり」と、繋がっている。
私も、屋久島の安房川に身を浸して、禊ぎ祓いを行った時から、この世界に目覚める事に成ったのである。
今朝の夢は、その原点に、立ち返れとの事なのかも知れない。
原点に立ち返ったとき、21世紀に、どのような法則が必要なのかが、見えて来るのだろう。
平成14年2月20日
礒邉自適
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