2002/8/1
利用できるもの
14・8・1
今朝のメッセージには、「利用できるもの」との言葉が伝えられて来た。
私は、是まで、単に「利用」は「利にもちいる事」の意味と思っていたが、漢語林で調べて見ると、もっと深い意味が有りそうだ。
「利」は「禾(稲)+ 刀」の組み合わせで出来ている。
甲骨文で見てみると、稲株に両手が上方から付いており、根本にスキの形の刃物が描かれている。
漢語林の説明には、「刀+禾+又+土」で、いねに手をかけ、鋭いすきで土をおこすさまを表す。引いて、するどいの意味や、農耕に役立つの意味を表す。
と 載っている。
「用」の漢字は、「甬鐘・ようしょう」という鐘の象形。金庸・ようの源字。この柄を持ってもちあげるの意味から転じて、とりあげる、もちいるの意味を表す。とある。
「利用」は、
@ 利益になるように用いること。役立つように用いること。
A方便に用いること。と 載っている。
単語としては「利用厚生」が載っており、「用いるのに便利にし、人の生活を豊かにすること。」とあるので、本来は善い意味に使われるべき言葉だが、Aの、方便に用いて利口に立ちまわり、利益だけに使うと、「利口」も「利巧」も、「悪がしこい」の意味にとられてしまう事になる。
今朝の言葉、「利用できるもの」の「もの」は、「者」なのか「物」なのか、明確ではなかった。
しかし、そのお陰で、「利用厚生」の言葉が存在する事を知ったので、良かったと思う。
「利用厚生」の意味で捉えていくと、「者」も「物」も、両方区別無く考えて行く事が出来る。利用とは「用いるのに便利で 人の生活を 豊かにすること」との意味であるようだ。
人の生活を、豊かにするのに物は大事だが、其れだけでは、豊かな生活とは言えない。
物を、澤山持っているだけなら、只の物持ちの人であり、便利な生活をしているだけに過ぎない。
この時期に至って、私に、「利用できるもの」と告げて来ると言う事は、重要な意味を含んでいる筈である。
18年間、精神的な修行をさせて、17年以上、日本国中を遍歴させてからの、利用できる「もの」である。
それが「物」であれば、屋久島も地球もそうであり、太陽や、月も、そうであるし、車も飛行機も、コンピュータも、お金もそうである。
其れ等を、有効に使う事を、改めて考えると言う事も、含まれているのだろう。
そして「者」であれば、18年間の新しい人生の旅の中で、知り合った人々が、全国に何百人も居る。
私が、屋久島に住んでいた37年間の人脈よりは、遥かに数は多い。其れ等の人達を、人材と考えれば、豊富な財産を抱えている事にもなる。
屋久島に帰って、丁度一ヶ月が過ぎ、今日8月1日で、二ヶ月目に入った。
一ヶ月の間に、何10人かの屋久島の知り合いに再会して、新しい関係が生じている。
私が、是から、何を神にさせられるのか、未だ、明確には成っていないが、何かが、徐々に動き出している事は間違いない。
今日のメッセージで、私が、考え始めなければならない事は、何を、何時、何処で始めるかと言う事。
つまり、場所、建物、人材と時期と目的、其れに方法などを意識して、企画(イメージ、デザイン)して行く事だろう。
是からの、私の毎日は、屋久島の自然のど真中で生活しながら、屋久島の全体を自分の意識の中に捉えて、自分との関係を調和させながら、日本の未来、地球の未来を考えて行く作業が、続くのであろう。
私は、是から、地元の人達と、島外の人達、そして新しく屋久島に住み始めた、新しい島人達の間に、位置して、多くの「むすび」を起して行きたいと、想える様に成って来ている。
一ヶ月間で、新しい「礒邉自適」の意識は、物語を組み始めている。
是が、地球での神の最終的なプログラムであれば、この「私」も、「礒邉自適」という肉体も、楽に成る事であろう。
この「私」とは、どの「私」と言う物ではなく、18年の旅で、皆の力に因って組み上がった「私」である。「時・トキ」其のモノが、「私」なのだ。
「トキ」は育っているのである。一日も、休む事なく・・・。
平成14年8月1日
礒邉自適
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