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2004/12/9
「グレート・ソーイング」
霊界の働き
グレート・ソーイング
15・12・9
昨日は、20年振りに、屋久島の「太忠岳(1497m)」に登った。
20年前に登った時は、時間に余裕が有ったので、峰伝いに隣の「花折岳」まで足を伸ばし、頂上の岩の上で暫く瞑想をして帰った。
そして、其の日の夜中に、突然「石塚の 四方の山にたずねても 答へかえらじ 我が身に聴けよ」と、告げられた事が有った。
其れから長年、石塚山の神社に参拝したいと想って居たので、今回は「石塚岳(1589m)」にまで足を伸ばし、岩座・いわくらに祭られている「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」「伊邪那美命・いざなみのみこと」の二神を祭る、祠に参拝する事が出来た。
私は、石塚山の岩座を初めて見て、驚きを覚えた。
私は、18年間全国を旅をして、各地の岩座を見て来たが、大きさと云い、造形と云い、是以上の岩座を見た事が無い。
大きさを競うだけなら、他にも其れ以上の磐座が在るだろうし、高さだけなら太忠岳の天柱石の方が高い。
石塚の岩座は、何者かの意思が働いて、造られた様な感じを受ける程の、不思議さが在る。
縦横十数メートルの大きな岩が、真二つに割れ、中心に1メートルくらいの隙間が開いて、上部には屋根が残され、祠を祭っている奥には、丈夫な壁までもが備わっているのである。
何故、何百トンもの大岩が真二つに割れ、隙間が開いたのかは分からないが、大きな地震が起きて、割れ目の出来ていた岩が、1メートルもずれたのだろう。
もう少し揺れが激しければ、屋根に乗っている石は落ちるし、岩座自体も土台の大岩から外れて、谷底へ転がり落ちて行ったであろう。
其れは、絶妙なタイミングと、力で出来た事が解かる。
我々は、其の不思議さも加わって、神の存在を確かなものとして、感じる事が出来るのであろう。
今回、石塚岳が、何故屋久島で一番力の有る神山とされて来たのかが、よく理解出来た。
石塚岳の山頂から、宮之浦岳を眺めると、太忠岳は自分の真後ろに位置する事に成り、永田岳は宮之浦岳の後方に成るので、見る事が出来ない。
方角としては、戌(いぬ)の方位で300度の方向に当る。
石塚岳より、屋久島の山岳の峰々を見渡すと、峰の高さが平均なので、屋久島が花崗岩の隆起で出来た事が良く理解出来る。
花崗岩の隆起は、瘤状に起きるので、最初は島の頭部は丸くて、1400万年掛かって、軟らかい部分が風化し、浸食が進んで現在の峰々の姿に成ったのだ。
だから、屋久島の山々の峰には、皆大きな花崗岩の岩の塊が残っている。
太忠岳の天柱石も、石塚岳の岩座も、高盤岳の食パン岩も、皆同じ結果で生じた物なのだ。
私が、20年前に瞑想をした花折岳は、太忠岳と石塚岳の丁度中間に位置し、太忠岳や石塚山よりは、少し高い様に見受けられる。
20年前、何故「答は 自分の身にある」と告げられたのかが、近頃ようやく理解が出来て来た様に感じている。
神は、人間自身の内に宿っており、其の人間が、山に登る事で、人間世界の情報が禊がれて、人間の本来の働きが蘇って来るのである。
言葉が伝えられて来るのは、其の人間に憑いている、昔の霊魂達が、助言を与えてくれる現象なのである。
人間は肉体を有しているので、難儀な想いをして、山に登らなければならないが、霊は肉体が無いので、食事もしなくてよいし、山に上がるのも鳥の様に自由である。
霊魂には、寿命も関係が無いので、永遠に、静かな岩座に休んで居る事も出来る。
私達人間が、古代から、祷りの為に山岳に参詣するのは、自分の頭脳が空に成り、古の優れた人達の智慧を、授かる事が出来るからだろう。
私が、現在の自分を振り返って、よく観察していると、子供の時から、よく山に登り、岩の上で昼寝をして居たので、昔の霊魂が依り憑いて、私を動かして来ていた事が理解される。
私は、自分だけの力で育ったのではなく、多くの霊魂の宿屋と成って来たのだ。私の人生で、蓄えて来た知識や智慧は、其の者達の収穫物なのである。
「人・ひと」とは、「霊留まる」の意味で、「ヒト・霊止」なのだと謂われる其の言葉が、確かなものとして、自分の内に納まって来ている。
昨日も、山に登るに先立って、未明にメッセージが有った。
霊夢に、広い畑が映って来て、土地がトラクターで柔らかく耕されている。
そして、其の畑の一面に条畝が立てられ、麦の種蒔きが始まった。
何十畝を、一遍に種蒔き出来る機械が来て、私が、其の機械の左端を持ってコントロールする事に成った。
他の人が、右端と中間にも付いて、回転しながら進む機械が播種を続け、畑の端まで辿り着いた。
すると、年輩の男性が現れて、私の所に遣って来た。
そして、種子が撒かれた畝を見て、「途中で 貴方が曲がったので、全部が同じ様に曲がって 種子が撒かれてしまった」と云う。
私は、そう云われて、後を見ると、確かに、全体が私の曲がった所で、曲がってしまい、条畝から外れてしまっている。
其の事で、私は、自分が曲がって進むと、全体もまた曲がってしまう理を知らされた。そして、私の役目の位置は、一番左側である事も知った。
左側を進むとは、左大臣と同じ役目だから、精神的な役割を意味している。
昨日のメッセージは、映像の後に「グレート・ソーイング」と言葉が有って、「ソーイング」のスペルである「Sewing」が映って来た。
朝出発の前に、辞典で「ソーイング」を調べると、「縫うこと。裁縫。」と載っている。
「グレート」は、「great」で、「大きいさま。偉大なさま。」の意味なので、「グレート・ソーイング」とは、「偉大な裁縫」との意味であり、其の意味なら、条畝を一遍に何十条も回転しながら、種蒔きした映像は、合致している事にも成る。
昨日のメッセージは、私の役割が、偉大な裁縫のコントロールを左端でする事であることを、告げて来ていると想われる。
石塚岳に参詣する朝、何故、この様なメッセージが有ったのだろうか。
石塚に祭られている、神の動きが関係有るのだろうか。
「ソーイング」が縫う事であるなら、日本の惟神の道の「むすび」と、佛教の教えの「縁」の概念と同じ様な気もして来る。
山に登ると言う事は、どう言う意味があるのか。
西洋の登山は、山を征服するとの価値観があるが、日本の其れは、神に参詣する事が目的である。
山に登る前に、海で禊ぎをして、海水と海の真砂を、お供えとして持って上がるのである。其の様な、心の準備があってこそ、神霊の助けを頂けるのである。
「グレート・ソーイング」の語も、私の考えではなく、何者かが、其れを意図して、私に見せているに過ぎない。
私に出来る事は、何時も石塚の岩座にお参りする様な、精神状態を失わないで居る事だろう。
私もまた、偉大な裁縫の糸の一部にしか過ぎないのだ。
「むすび」が「結び」として動き出し、岩戸に掛けられた注連縄の働きが、世に出ようとしているのだろう。
単なる偶然だと思うが、石塚神社の岩座は、左側に1mずれて出来ている。
私も、左側を定位置と決め、是からも、進んで行かなければ成らないのだ。
平成15年12月9日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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