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2006/7/28
「子育てと老後 」
神様からの伝言板
子育てと老後
18・7・28
昨日、「屋久島自適塾」のHPがリニューアルされて、整理された所為か、今朝は具体的な行動が示されて来た。
其れは、子供達の教育の根幹と、老後の生活の指針に付いてである。
始めに、小学校の子供達を連れて、河口の水辺に向かった。
そして、水中を覗くと、上げ潮になって水位が増しているので、海老が餌を獲る為に這い出て来て、間隔を保って列を成している。
其れは、砂地だけではなく、船を括っているロープにも、同じ様に並んで居るのである。
其の映像の意味は、自然の生き物は皆、自分の力で餌を採って、生活している理・ことを示している。
自然環境は、一時も安定はしていない。
潮の満ち干もあるし、嵐や大雨の日もある。其れ等の自然情報を、自分の判断で管理しながら、生きて行かなくては成らないのだ。
其れが、家畜と成った動物や、自然環境から離れてしまった人間は、環境情報から遮断されてしまって、其の感覚を失ってしまっているのである。
田舎で生まれ育って、都会に出て暮らしている者は未だしも、大都会で生まれ育った者は、全く、其の情報が途絶えてしまっている。
其の人達が、有名大学を出て、社会の要職に着いているのである。
だから、田舎の自然環境の事を知らない人達が、政治経済を組み立てている事に成るのである。
其の事の弊害が、現在・いま日本全体を被い尽くしてしまっているのだ。
やがて、其の為に、「いのち」の理・ことわりが解らない人達が増え、社会が崩壊する日が来るであろう。
其れ等の誤りを正す為に、「子供達の教育を 立て直せ」と、神が示して来たのだろう。
屋久島には昨年、前田氏が、高等学校を設立し、現在全国に1600名の生徒が通信教育で学んでいる。
子供達は、スクーリングで屋久島を訪れ、僅か5泊6日の日程ではあるが「生命」との言葉が、何を意味しているのか感じて、島を後にしている。
其れは、自然がどんな「力・エナジー・風・氣」を有しているのかを、自分の皮膚感覚で捉えられるからである。
此の事が、全国に伝えられる事が、求められているのだ。
其れは、人間の言葉とは、身体と一体に成ったモノでなければ、成らないからである。
言葉が、身体を離れてしまった時、言葉は、中味の無い上滑りのモノと成って、口先だけのモノと成り、どんな嘘でもつける様に成ってしまうからである。
言葉とは、人間にとって、掛替えの無い財宝でもあるし、また武器以上の害毒にも成るものである。
現代社会の言葉は、無意識の処で、子供達の生命・いのちを害しているのである。早急に、此の事を、皆で解決しなければ成らないだろう。
今朝は、次に、場面が全く変わって、私は「中山博氏」と、東京の料亭らしき建物に居た。
其処には、中山博氏が案内して来た友人が同席していた。
その場面では、料理が運ばれて来る前に、私の下腹の所でカチッ・カチッと音がし始めて、私が何だろうと意い、丹田の所に手を遣ると、車のハンドルの様な物が手に触れた。
どうやら、其のハンドルが回転して音を立てていたらしい。
私が、其のハンドルみたいな物を取り出すと、中心の軸の所に、丸い箱の様な物が付いている。
私が、其の機械の部品の様な物を、中山博氏に渡すと、中山博氏は庭に其れを持って降り、庭に有る地下水を汲み上げる手押しポンプに取り付けてしまった。
すると、ドンドン清水が湧き出して、其の丸い箱の様な物から溢れ出した。
そして、其の水で、中山博氏と連れの人は、手や顔を洗い禊ぎを始めた。
其の映像の意味は、私の丹田の処に、新しきトキ(時空の扉)があり、新しき時間を刻んでいて、其のトキを回すハンドルを、中山博氏に渡せば、皆の禊ぎが出来る様に成るとの事ではないだろうか。
(私は22年前 屋久島の花崗岩の山のエネルギーを使い 新しい時間軸を形成し 自分の丹田に収めた。)
次の映像は、中山博氏が連れて来た方の、奥さんから「主人が変なので 直ぐ来て下さい。」との電話が掛かり、私は中山博氏と二人で、其の方の自宅に伺った。
すると、其の60歳代の男性は、転がり回って居て苦しんでいる。
其の理由は、急激に襲って来た不安からの物らしい。其の不安の要因は、
1 年金制度が崩壊して お金が貰えなく成る事。
2 都会に立派な自宅を持って居るのに 其処では生活が営まれない事。
(捨てなければ成らない。)
3 今までに自分が築いて来た、社会的地位や功績が 何も役に立たないと気付いた事。
其れ等の事に気付いた為に、自分のアイデンティティが崩れ去り、自我崩壊を起してしまったのだ。
其の結果、其の男性は夜も眠れず、食べ物も咽を通らないで、苦しみながら息が途絶えてしまったのである。
此の映像の意味は、只のブラック・ジョークとして、受け取る分けには行かないだろう。
現に、私は22年前、全ての業(人生の背景)を断ち切る為に、精神的苦難を受けたのである。
私は当時37歳だったので、新しき人生を立ち上げるだけの、基盤もエネルギーも持ち合わせて居た。
だから、此処まで立ち直る事が出来たのである。
其れが、60歳を過ぎて仕事が無く成ってから、年金は貰えなく成り、貯金は閉鎖され、家も捨てて田舎に行かなければ、水も食料も無いと成れば、八方塞がりである。
とても私の様に、悠長になど構えて居られないのである。
此のメッセージの意味は、都会の人々に、早く真実に目覚めて、対策を取りなさいとの、神の救いなのであろう。
其の鍵が、中山博氏に有るとの事ではないだろうか。
更に映像は続いて、中山博氏が関わっている修行道場に、私は連れて行かれた。すると、私が其処に居る事を知った人達が、次々に、私を訪ねて来始めた。
其の人達は、以前に会った事がある人や、初めて会う人も居る。
私は、中山博氏に「奥に 泊まれる部屋が 在るのですか。」と尋ねていた。
其れは、私が長期で、中山博氏に関係の有る道場に、関わる事に成るとの意味なのではないだろうか。
愈々、神の働きが具体的に動き出しそうである。
幸いにして、私は18年間、全国で同じ様な事をして居たので、諺に「昔し取った 杵柄」とある様に、何事も無いかの如くに熟せるだろう。
私は、自分の為に守るべき物は何も無い。
だから、何が起きても、他人事で済まされるのである。
自分に損得が何も無いので、自分の都合で、判断する事は無いだろう。
其れが、22年間の修行で残された、私の財産と言えば財産である。
其れを、守れなければ、豸(裁判の神)に刺し殺されるだけである。
其れさえも、私に取っては、如何でも良い事なのではあるが・・・。
今朝のメッセージは、子育てと、老後の事であるから、大事な人生の真ん中が抜けていて無い。
其処の処は、自分自身で、解決して行かなければ成らないのである。其れが出来ない人は、人間失格で、人間社会に飼い慣らされた家畜と同じである。
鶏舎で卵を産んで居る鶏は、目の前に餌が流れて来なければ、食べない。
鶏舎の外に出して、2m先に餌を置くと、食べに歩いて行かないで、其のまま死んでしまうのである。
その、鶏と同じ行動しか出来ない人間が、現代社会には、既に何割か存在するだろう。
そんな人達に、かまってくれる人間は、居ない時代がやがて来るのだ。其れは、自業自得としか云えないのである。
そんな事を云いながら、何処にも遊びに出掛けずに、不健康に、こうして毎日不慣れなパソコンに向かっているのは、私自身が、七人の子供の父親だからである。
私し自身が、未だ人の親なのである。
どうにかして、子供達の未来を、守らなければと言う本能までは、未だ捨て切れないで居るのだ。
其の、親心が、私の最後のエネルギーの素と、成っているのだろう。
平成18年7月28日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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