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2006/8/27
「魂魄・こんぱく」
現象界へ現れ
魂魄・こんぱく
18・8・27
昨日ようやく、22年前に神に告げられた二つの仕組みが、表に現せた様な気に成って居たら、今朝の映像では、自分意識も「魂魄・コンパク」の二つの世界に分離されて、現れて来た。
魂魄とは、「魂・コン」が霊魂の魂で「魂(たましい)・精神」を意味し、「魄・パク」は肉体のたましいだから、肉体の「DNA・遺伝子」の情報を意味している。
だから、先祖の霊や、釈迦牟尼佛の弟子である仏教伝承者達の流れは、霊魂の繋がりだから「魂・コン」の世界であり、親から子に伝わる血筋の流れや、其れに伴うDNAの情報の流れは「魄・パク」の世界と言う事に成る。
「魂・コン」の漢字は、「云+鬼」の組み合わせで、「鬼」は死者のたましいの意味。音符の「云・ウン・コン」はめぐるの意味。休まずにめぐるたましいの意味を表す。
【字義】@たましい。たま。ア人の精神をつかさどるもの。肉体をつかさどる「魄・はく」に対していう。生きている時は、この二つが宿っているが、死ねば離れるという。イ霊魂。⇔肉体。Aこころ。思い。
「魄・ハク・パク」は「白+鬼」の組み合わせで、「鬼」はたましいの意味。音符の「白」は、空白で何もないの意味。それがなくなると肉体のかたちだけになってしまい、精神活動の空白をもたらすたましいの意味を表し、また、中身を落とした輪郭・かたちの意味も表す。
【字義】一たましい。@肉体をつかさどるもの。⇔魂(精神をつかさどる)Aこころ。思い。Bからだ。かたち。Cすきま。D月。月の光。また、月の輪郭の光の無い部分。「死魄」E明らか。二@かす。粕。A旁魄・ぼうはくは、満ちふさがっているさま。B落魄は、おちぶれたさま。C魄然は、音声などの意味。
簡単な例を挙げると、精神病の患者にも二通りある。
一つは、親から子に伝わる遺伝的な精神障害と、もう一つは霊魂に憑依されて変しく成る症状である。
霊魂の憑依に因る精神障害は、お祓いや祈祷をして貰うと、治る事も有るが、遺伝的な障害はお祓いを受けたりしても無意味である。
神社や寺院に出かけるのは、位の高い霊魂に憑依して貰いたいとの願いからである。
因みに、私は、神社や寺院には、祷りに行かないのに、4311体の霊魂の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起き、4311もの霊魂の願いを、聞いて来た事に成るのだ。
私の場合は、原因がハッキリしていたので、精神科の医者に診て貰った事は一度も無いし、神社に行ってお祓いをして貰っても、神主・神官よりも私の方の霊格が高いので、全然効き目が無かったのである。
そんな私だが、今朝は、確かに、自分自身の魂魄が分離している映像を見た。
其の映像は、私から抜け出した霊が、自分の左目に目薬を注しているのである。其の顔を見ると、写真で見る私自身の顔ではなく、似ては居るが、知らない人の顔である。
しかし、目薬を実際に使っているのは、私自身の肉体だから、関係が深いのである。
其れは、眼を悪くしているのは私の肉体(魄)だが、眼を治そうとして、眼薬を買って来て眼に注しているのは、私の意識(魂)である事に成るのだ。
今朝は、私の肉体から「魂・意識」が分離している瞬間を、見せられた事に成るのだ。
何故、そんな現象を視る事に成ったのだろうか。
其れは、昨日HPを一新し、左右に働きを分離したからであろう。
一つは「みいつの君」のHP「四次元プログラム(魂の創造)」で、もう一つは「森の木」のHP「水素原子管理公社(物の管理)」である。
是で、魂・たましいの世界を「管理(創造とメンテナンス)」する事と、此の世のあらゆる物(地球環境や人口・生物)を管理する土台を、HP上に現象化出来た事に成る。
其れは、22年前に、私が初めて、神の世界に入った時(1984年6月4日)に、最初に神に告げられた事である。
ようやく初めに告げられた事が、現実世界に表現出来たのだ。其の事で、私の意識が或る程度の、区切りを向えたのではないだろうか。
今朝は、朝方、全く其れとは違う世界に旅をしていた。
久し振りに、野草社の石垣雅設氏が現れて、二人で山の中の温泉に行き、大きな岩山の見える葦原に遊びに出かけた。
其処は、昔、何かの合戦が行なわれた場所で、今は沼の様に成っている湿地で、中まで入って行く事は出来なかった。
私は石垣雅設氏と離れ、丸い石が二個置かれている場所を抜けて、岡の方に登って行くと、眼下に、とても美しく深い、碧色に輝く入り江が見える場所に出た。
其の海の景色に見入って居ると、50歳位の女性が数人登って来て、私に話し掛けて来た。少し話しをすると、「とても 好い所が上に在るので 行こう。」と誘うので、私は其の人達に付いて行った。
岡の上には、白い寺院の様な建物が有り、祭壇の在る広間では、数人の人が祀りの衣装を来て、祷りの歌を歌いながら、舞いらしきものをして居た。
私達は、控えの間の様な所に座り、10名程で其の様子を見て居た。
すると、私を案内した女性が、横の廊下から一人の女性を、私の所に連れて来た。其の女性も50歳ぐらいで、とても美しく、力の有る表情をしている。
其の女性は、私の顔を見て静かに微笑んでから、何も云わずに、私の右手を手に取った。
すると、手を握られた途端、私の意識は恍惚感に満たされ、倒れそうに成った。
私が、其の状態に成ったのを確かめると、其の女神の様な女性は、もと来た方に返って行った。
私は、其の侭、恍惚状態でいると、案内してくれた女性が「ね そうでしょう」と、私に確かめる様に云う。そうすると、部屋に居た人達が皆で「そうなのよ 此処は そんな所なのよ。」と、念を押すように、私に向かって云うのである。
其の場面の後に「ゲド戦記」との言葉が出て来て、左の上空から、黄土色のベルトコンベアの様な物が、流れる様に降りて来た。
其のベルトの様な物は、長いHPの画面の様なもので、何列かに、様々なHPのアクセスマークが並んでいた。
其の映像の意味は、既に、神界が沢山の人々と、其の人達のHPを準備しているとの事であろう。私は、そのHPと人物を把握して行けば良いのだ。
私は23年前(1983・3・18)に無庵師匠に捜し出された時に、「貴方は 想った通りに 世の中が成るでしょう。」と云われ、修行が済んだら「あの人は良い人だから あの人の事は 想って遣りなさい。」と、現存する人間で、世の中の役に立ちそうな人を、陰から想って支えるように謂うのである。
どうやら、其の意味が、理解出来た様な気がする。
此の世界は、総合無意識で出来上がっているので、誰かが、全体的に調和する思念を発し続けていれば、世界は安定し、永遠に存続できるのである。
其の、思念を持つ者がブッダなのでる。
今朝は、其の思念の奥には、女神が存在している理を告げて来たのだろう。
此の世界は、命が存続する事で、意識が繋がっているのである。
其の命を繋いでいるのが母性なのである。
今朝は、其の母性が姿を現し、私の霊魂を癒してくれたのである。
私達の存在は、其の、中心に存在する母性の中から、生み出されているホログラフイなのである。
其れを、仏教では「色即是空・空即是色」の言葉で、表現しようとしているのだろう。
今朝、私が体験した恍惚感こそ、老子の謂う「恍なり惚なり 惚なり恍なり」の世界なのである。
其れは、自分の意識が、母なる意識の中に在り、光りと混ざり合っている状態を、謂っている。其れこそが、阿弥陀仏の世界なのである。私は今朝、阿弥陀仏の状態に陥ったのだ。
何が、どうなったのかは良く解らないが、何とか、一応の決着が出来たのではないだろうか。
此処のところのメッセージは、現実世界に関わる事が多いので、差し障りが有るだろうから、文章には出来ないでいる。
取り敢えずは、現在進めているHPの拡充を、進めて行く事が先決問題であろう。何故なら、告げられて来るHPが出来たら、次のメッセージが下りてくるからである。
今朝告げられた、「ゲド戦記」が何を意味しているのかは解らないが、下りて来た長いコンベアーの様な物は、龍の身体で、私が22年間遣って来た事こそが、「魔術師・龍使い」のゲドの悪戦苦闘の記録なのかも知れない。
結局は、自分の内側に存在するモノとの、戦いでしかなかったのだ。
其れを、古代の人々は、自らの存在理由を知りたいとして、「自分(自らの分け)」との文字を創り出したのである。
今朝気付いた事は、日本語の「しゃべる」の意味は、治めるの「治」で、人々の心を耕す「ム」のカルチと同じ意味であり、英語の「シャベル」と語源が同じ処に有る。
其れは「しゃべる」とは本来、世の中を良くする為に、話す事を意味しているのである。其れが、日本の「しろしめす・治ろ示す」の概念なのである。
私のHPの役割は、言葉をシャベル(掘る)代りに打っているのである。
私が打った文章で、人々の心が耕されるかどうかは、読む人の裁量で、私の責任ではない。
何故なら、直接のしゃべりは、其の相手が引き出すもので、分けの解らない人に、自分からシャベリ出す事は無いからである。
先日の、柄だけで、鉾の付いていないシャベルと、カナヘビのメッセージも、今日のメッセージに繋がっているようである。
私の、ゲド戦記は是で終わったのではないだろうか。
後は、此の世界を楽しみ、新しい認識を読み込んで行くだけである。
明日は、一湊の白川山の山彦館で、詩人「山尾三省氏」の五周忌が営まれるので「石垣雅設氏」も静岡から参加するだろう。
明日は、一日中を白川山で過ごす事に成ると想う。
明日もまた、メッセージの書き込みは、無いと意うのであしからず。
平成18年8月27日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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