6月5日が畠山みどりのデビュー記念日のため、
今月のブログはおさらいの意味もこめて
畠山みどり48年の軌跡をたどっています。
伊東サンハトヤホテル創業35周年記念
6月1ヵ月間の畠山みどりディナーショーも
いよいよきょう29日(月)が千秋楽です。
(30日は全館休業日のためご注意ください。)
デビュー前後の思い出を、
ブログキラキラ道場『"出世街道"演歌旅』から
抜粋してご紹介します。
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畠山みどりブログ「キラキラ道場」からもご覧いただくことができます。
畠山みどり
■"出世街道"演歌旅6-1 C 2008/07/30(水)
恩師の作曲家市川昭介先生との出会いは
昭和35年、新橋のコロムビアレコードの本社の廊下でした。
私がコロムビアの坂田哲郎常務とお話しているところを
小柄な若い男性が通りかかったら、
坂田さんが、突然、「しょうちゃん、この娘頼むよ」と。
この男性が市川先生でした。
そうしたら、いきなり「月謝は3000円ですから」ですもの。
笑ってしまいますよね。
市川先生は当時、26,7歳。
前の年に島倉千代子さんの「恋しているんだもん」を手がけてはいても、
まだ無名時代です。
福島県から上京されて、歌手の鶴田六郎さんのカバン持ちをしていました。
こうして、市川先生の池之端(台東区)の自宅、
といっても一室のアパートへレッスンに通うようになりました。
交通機関は都電で、当時、運賃が13円、往復割引が25円でした。
ほかの作曲家の先生方にしかられそうですが、
市川先生の教え方はピカイチでした。
ご自分で一小節ずつ歌いながらの指導ですよ。
歌手を目指しただけあって歌はうまいし、
つぼをしっかり押させた感じで、理解しやすいのです。
引き続いて
畠山みどり
■"出世街道"演歌旅6-2 D 2008/07/31(木)
前座歌手をしながら、しばらくレッスンが続いたあと、
私の前に神様が現れます。
馬渕玄三先生です。

写真は恩師・馬渕玄三先生です。
後年、五木寛之さんが前進座の舞台のために書いた
「旅の終わりに」(のちに小説「海峡物語」)
の主人公「演歌の竜」こと高円寺竜三のモデルになる
コロムビアの異色の大物ディレクターです。
美空ひばりさん、小林旭さん、島倉千代子さん、こまどり姉妹さんらに
ヒット曲を次々に提供した方です。
一般の方は歌謡曲は作詞・作曲の先生がつくると思っているでしょうね。
それもたくさんありますが、
多くの曲の企画やアイデアの出どころはディレクターなのです。
昔、レコード会社の力が絶大な時代はなおさらです。
特に馬渕先生のような大物ディレクターとほかの関係者の力関係は
天と地ほどの違いでした。

写真は梶 光夫さんと。
馬渕先生は、唱歌「浦島太郎」の「むかし、むかし浦島は・・」と、
当時封切られた大川橋蔵さん主演の東映映画「恋や恋なすな恋」の
表現をうまく使って詩を書くように作詞の星野哲郎先生に命じたのです。
こうしてできあがった詩に市川先生が曲を付けたのが
「恋をしましょう 恋をして 浮いた」で始まる
私の大切なデビュー曲「恋は神代の昔から」です。
つづく

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