2009/6/30
☆思いつきで、潜入したら☆ こんなとこ行きました
梅雨から夏にかけて、湿気と汗で私の真下に向かって生えているまつ毛にとっては受難の季節
いくらビューラーで時間をかけてぐいぐい上げても、マスカラどっさりつけても、雨の降る日は一歩外にでるとどどーんと下がってしまいます
えーい、こうなったらまた「まつ毛パーマあてたる〜」
(あ、関西ではパーマは「かける」じゃなく「あてる」って言うんです
まつ毛パーマは子供が小さい時、帰省した折に兄のお嫁さんの友達が、兄の家に来てあててくれたのが初体験。
母と、一緒に並んであててもらいました
2回目は去年の夏。
帰省した時、まだ元気やった母が、
「一緒にまつ毛パーマあてに行こ〜」って誘ってくれて、デパートの化粧品売り場の片隅であててもらいました
あの時は、2人でできばえを見比べて、お互い「代り映えせんなぁ〜」って笑ったっけ・・・
一人で行くのは初めてなんで、ホットペッパーでお店を調べ、前から気になってるお店に予約してその日の夕方、仕事帰りに寄りました。
お店の写真や、説明文からてっきり女性の方がしてくれるんやと思ってたら、なんと男性
私が行った時、お客さん一人いてはったけど、すぐに終わって帰ってしまい、小ぢんまりした店内にその人と二人・・・
しかもずーっと目、つむってるんですけど〜
しかも何の説明もなく、ずーっと無言・・・
ゆったりと流れるBGM・・・という宣伝文句もどこへやら、嫌〜な汗をかきながら、緊張しまくりの45分間でした
でも2500円で、しかも1500円相当のマスカラまでいただきました〜
プレゼントのマスカラが、ボリュームタイプとロングタイプがあり、どちらがいいですか?と聞かれたので、どちらが人気あるか尋ねたら、ボリュームタイプです。でもお客さんの場合は・・・と言葉を濁されました。
そうそう、私は極端にまつ毛短いですよ〜、えーえー、ありがたくロングタイプのマスカラいただいて帰りますよ〜
こんな短いまつ毛、パーマあてるの大変やったんやろなーとちょっと同情
明日からは朝のメイク時間が短縮されるかな〜

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2009/6/30
☆かじりたくなる・・・☆ 気になる物
6月も最後の1日・・・
今月はしゃんとできるかなーと思いましたが、風邪をひいた事もあり、なかなか思い通りに身体が動かない日々が続きました
明日からは7月
気持ちを切り替えて頑張ります
・・・と、話しは変わりますが、またまたおまけ好きの血が騒いで、今回もリプトンリモーネのスウィーツコレクションのおまけをもらいました〜

ほんまにチョコの香りするんちゃうかと思う位のリアルさ
うちのにーちゃんの通学バッグに冗談で、つけたろか〜って言ったら、「ええよ〜
さすが甘党の長男です。
昨日コンビニ覗いたら、売り切れてました
マカロンも、ビスケットも美味しそうやったのになぁ〜
0
2009/6/28
☆キャンプで初・班長☆ 心が、ぽっ♪
中2の次男が、25日から27日まで学校からキャンプに行ってきました
絶対雨やで〜と思っていたら、3日間とも奇跡的に絶好のキャンプ日和
お母ちゃん、ありがとう〜
今回のキャンプで、次男は「初・班長」
いつもにーちゃんの後ろで、なんとなーく楽し〜くやってればええかって感じの次男なんで、ほんまにちゃんと務まるんやろかと内心ハラハラしてました
家庭訪問の時にも担任の先生に、
「次男クンの班は、とても問題の多い班でして・・・ちゃんとまとめられるか不安なんですが、私もフォローしますので・・・」
なんて言われてたから、またまた不安・・・
キャンプの前日、次男がポロっと
「バンガローで泊まる時・・・どうしよう・・・」
と、ぽろっと言うので、母はドッキーン!!
「え?どないしたん?何が心配なん??」
と聞き返すと
「ボクだけO型で、他の子違う血液型やったら、ボクだけ蚊に刺されるやん・・・」
え〜!キャンプの前日に、一番心配なんが「蚊」の事なん???
でも、こののんびりした性格で、なんとか3日間楽しく過ごしてこれそうな予感がしました
そして、27日。
一回り大人になって、次男は元気に帰ってきました
何事もなく、無事に帰ってきてくれてよかったです〜
ま、無事班長の責務をまっとうできたって事で、ロールケーキと手巻き寿司でお祝いしました


1
2009/6/28
☆久々のデート☆ こんなとこ行きました
愛人(笑)のメイリンさんが、「明日仕事で、viviさんの近くに行く」とメールをもらったので、金曜はちょこっと早退させてもらい、以前働いていた駅前でデートしました
母が亡くなってから初めてメイリンさんに会うので、ちょっと緊張・・・
でも、メイリンさんの明るい(強烈な?)パワーで、泣かずに楽しくおしゃべりできました
前にメイリンさんから誘ってもらったけど行けなかった絵画展、メイリンさんの先輩の画家、「平田恵子」さんのカラフルで元気になれそうな絵ハガキと、バリの石鹸もいただきました

そしてこれまた元気になりそうな、ベネチアンガラスの星のペンダント

ブログもすっかり更新が途絶え、ぼんやりしていた私にカツ!を入れてもらいました
そのお陰でしょうか、昨夜初めて母の夢を見ました
私はうれしくて、母の腕にまとわりつくようにしながら、神戸の元町商店街を2人で買い物している夢でした
母のにおいも、手の感触もとってもリアルな夢でした
母は今頃、急にやってきたマイケル・ジャクソン氏に驚いている事でしょう。
King of Pop マイケルのご冥福をお祈りします。
0
2009/6/21
☆お見舞い〜♪☆ おいしい物
12日の夜から喉が痛くなり、熱は出ないものの、ずーっと喉の痛み、身体のだるさが続き15日には咳がひどくなり、病院に行き、前にもらったぜんそくの薬を出してもらい、それでもなんとか毎日会社に行って・・・という1週間が過ぎ、やっと咳もおさまりなんとか普通の生活ができるようになりました
やっぱり見えないところで身体が悲鳴あげてたんやなー
年甲斐もなく、ちょっと無理しすぎました・・・反省
ぐったりしてた先週、ダンナがお見舞いにクラブハリエのバームクーヘン買ってきてくれました

前から気になってたんで、うれしかったです
バームクーヘンというより、超しっとりのスポンジケーキの様でした
甘いもんよばれて、元気出さんと
今日、父の日にケーキでも・・・と思いましたが、雨なんで出かけるのやめちゃいました〜
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2009/6/14
☆癒されたくて、リカちゃん☆ 気になる物
久々に風邪をひいてしまいました
薬を飲むたびに強烈に眠くて、土曜日はほとんど1日布団で過ごしました
風邪をひいて寝込んでいても、洗濯や食事の支度は私の仕事・・・
洗濯かごに洗濯もんほりこんどけば、次の日には洗濯できてるとでも思っているんでしょうか?
流しにコップおいとけば、勝手に洗われてるとでも思ってるんでしょうか?
夕方になると、自然にテーブルに夕食が並ぶとでも思ってるんでしょうか?
牛乳は勝手に冷蔵庫に補充されてるもんやとでも思ってるんでしょうか?
お風呂は時間になれば、勝手に浴槽が磨かれて、お湯がはってるもんやと思ってるんでしょうか?
主婦の仕事って、やってて当たり前。
できてなければ非難されるだけ。
いちいち感謝もされない、損な仕事やなと時々思います。
こんな時、何をおいても一番に私の事を思ってくれていた母がこの世にいない事に絶望感を抱きます
「風邪ひいてる時は、水仕事したら身体に毒よ」
と、帰省した時にそっと洗い物をかわってくれた母を思い出しまた涙・・・
そんな気持ちを癒されたくて、ミスタードーナツのポイントdeスクラッチに挑戦
ミスドと私の大好きなリカちゃんのコラボストラップが当たりました〜


以外と大きくて、携帯につけるのをまだためらっている私です
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2009/6/10
☆募る思い☆ おいしい物
先日、メイリンさんのお家で、うちと同じサボテンが花を咲かせたそうです
メイリンさんは、「お母さんがうちに来てくれたみたいでうれしい」と言ってくださいました
メイリンさんにそっくりな(失礼かしら)うちの姉に話すと、
「お母ちゃんは皆さんに慕われて、幸せ者やね」と喜んでいました。
毎日、毎日、母を慕う気持ちが募るばかりで、気持ちの持っていきようがいまだにわかりません・・・
そんな中、OL時代の友達(・・・と言っても中学から同じ学校ですが)あだ名が「まめこ」さんが、ブログ読んだよ、大変やったねと電話をくれました。
親を亡くした友達の家って電話しづらかっただろうに、さすが「マメなまめこ」
昔と変わらず、優しく電話してくれました。
まめこが知ってる母は病気をする前で、めっちゃ元気やったなぁなんて思うと、また泣けてきました。
でも、そんな友達の優しさに、少しずつ生きていく勇気をもらっています。
母の葬儀には、何年も会っていない親戚と再会できました。
そして皆に珍しいお菓子をもらって、不謹慎〜と思いつつ、美味しくいただきました
和歌山の叔母からは、皇族の方も召し上がったという、鈴屋のデラックスケーキ。

大昔、六大学野球で優勝投手やった(大昔のハンカチ王子?)叔父からは、羽田空港で朝一しか手に入らないという、東京コマツナバウム。


兄からは、「これ、関西しか手に入らへんねんぞー」と言われ、確かに昔おやつによく食べてたなーと懐かしくなった、伊藤ハムのポールウインナー。

またお友達が北海道の貴重なお菓子を送ってくれたりしました。


美味しい物を美味しくいただける幸せ・・・
毎日を大事に生きたいとあらためて思いました
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2009/6/3
☆若木・・・☆ なんだかなぁ〜な話
6月になりました
実は、5月の連休明けに次男がバスケ部の部活中に手を床について転倒し、それからずっと手首が痛い痛いと言っていたんですが、「ちょっとひねっただけなんちゃうの?」なんて言いながらずっとほったらかしてました。
14日からは私が母の病院へ行ってしまいそのまま忘れてたんですが、母のお通夜にダンナと一緒に関西に来た次男が「帰ったら病院に行きたいんやけど・・・」と何やら深刻な表情
19日に自宅に戻ったので、20日に整形外科に連れていきました。
レントゲンの結果・・・
「若木骨折してましたね」と先生に言われました
しかも転倒してから2週間経っているので、すでに骨はくっつき始めていました。
若木骨折って言うのは、枯れた枝やと曲げたらポキンと折れるけど、青々した若い木はしなりがあって簡単に折れないように、しなった骨の表面がさくっとめくれるように折れてしまう状態をいうそうです
先生のお話だと、若木骨折をするのは通常「小学校3、4年生まで」だそうで
おつむの具合も骨もまだまだおこちゃまだったのが、今回は運が良かった・・・みたいです。
でも早く骨をくっつける為と、リハビリをする為にと、毎日整形外科に自転車で通ってます。
忙しい方が悲しみも薄れますが・・・
でもこんな事お母ちゃんが知ったら、「何でちゃんとすぐに病院に連れていってやらへんの!かわいそうに!!」って怒られそうです
明日はいよいよ2度目のレントゲン
これで骨が無事ひっついてたら、整形外科からやっと卒業できます

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2009/5/31
☆さぼてんの花☆ 心が、ぽっ♪
母が亡くなって、2週間が過ぎました。
今日でもう5月も終わりですね
この2週間、なんだか霧の中で過ごしているような感じでした。
心の一部が「あの日」で止まってしまったような・・・
それでいて、毎日美味しいものは美味しいと感じ、楽しい事は楽しいと感じ、面白い事には大声で笑ったりする、今までと何も変わらない自分がいて罪悪感を感じたりもしています。
冗談の好きな母やったんで、
「びっくりした?あれは冗談、冗談!ほんまは生きてるよ〜」
って電話がかかってきそうな気もします。
職場の先輩方も、前と変わらない接し方をしてくださったり、友達からは優しいメールをもらったり、姪からは子供達の可愛い写真をメールしてくれたり、私の周りの方は皆なんてあたたかいんだろうと改めて人の優しさが身にしみています。
母の病気を知ってから、近い将来いつかはこの日が来るだろうと、自分なりに覚悟はしていたつもりでした。
でも私の想像をはるかに超えた、喪失感にまだ戸惑っています。
そんな中、驚く事がありました。
結婚してすぐ、15年位前に叔父の家でもらったさぼてんが初めて花を咲かせました。

しかも、本来のサボテンの鉢から、風にのってか自然に隣の空っぽの鉢に自分で移動して、元気に成長し花を咲かせました

びっくりさせる事の大好きやった母の、サプライズでしょうか
生命の神秘を感じます。
明日からは6月。
また新たな気持ちで一歩を踏み出したいと思います。
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今日でもう5月も終わりですね
この2週間、なんだか霧の中で過ごしているような感じでした。
心の一部が「あの日」で止まってしまったような・・・
それでいて、毎日美味しいものは美味しいと感じ、楽しい事は楽しいと感じ、面白い事には大声で笑ったりする、今までと何も変わらない自分がいて罪悪感を感じたりもしています。
冗談の好きな母やったんで、
「びっくりした?あれは冗談、冗談!ほんまは生きてるよ〜」
って電話がかかってきそうな気もします。
職場の先輩方も、前と変わらない接し方をしてくださったり、友達からは優しいメールをもらったり、姪からは子供達の可愛い写真をメールしてくれたり、私の周りの方は皆なんてあたたかいんだろうと改めて人の優しさが身にしみています。
母の病気を知ってから、近い将来いつかはこの日が来るだろうと、自分なりに覚悟はしていたつもりでした。
でも私の想像をはるかに超えた、喪失感にまだ戸惑っています。
そんな中、驚く事がありました。
結婚してすぐ、15年位前に叔父の家でもらったさぼてんが初めて花を咲かせました。

しかも、本来のサボテンの鉢から、風にのってか自然に隣の空っぽの鉢に自分で移動して、元気に成長し花を咲かせました

びっくりさせる事の大好きやった母の、サプライズでしょうか
生命の神秘を感じます。
明日からは6月。
また新たな気持ちで一歩を踏み出したいと思います。
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2009/5/24
☆天国へ☆ 日記
平成21年5月16日 17時26分 母が永眠しました。
享年73歳でした。
15年間のC型肝炎との戦いの末、最後は予想外の出血性胃潰瘍を発症し、緊急入院後、わずか6日で帰らぬ人になってしまいました。
この15年、食道静脈瘤からの出血を抑える手術や、腹水、足のむくみなど、何度も入退院を繰り返していたので、今回もまたすぐ退院できるだろうと家族全員でそう信じていました。
入院してすぐは話もできていて、姉からも大丈夫すぐ良くなるから来なくていいと電話があり、不安に思いながらも、明日はケロっとしてメールが来るのではと思っていました。
でも14日の朝、姉から「自律呼吸ができなくなってきたので、人工呼吸器をつけていいかと病院から電話がかかってきた」と泣きながら電話が入り、私もすぐ兵庫県の病院に飛んでいきました。
ICUにいる母は、私の知っている母ではありませんでした。
あちこち機械を取り付けられ、点滴をいっぱい刺され、そして薬で眠らされて人工呼吸器で苦しそうに息をする母・・・
あまりの痛々しさに涙が止まりませんでした。
母はずっと「私にもしもの事があったら、絶対延命治療はせんといて。」と何度も言っていました。
ここで眠っている母は、「何で余計な事するの!いらんことせんといてって言うてたでしょ!」と怒っているのではないか、と姉と2人で悩み続けました。
担当医の話では、肺の半分以上に水がある状態なので、その水が出てから次の治療ができるという段階です。今はこれ以上の治療は不可能です。と。
家族全員で、肺の水が早く外に出るように祈りましたが、段々心拍数が200を超え、血圧も上が30というギリギリの状態に陥り、最期は静かに息を引き取りました。
姉と2人、ベッドの両側からずっと手を握っていましたが、一度も目を開ける事もなく、一度も声を聞けず、握った手も握り返してくれる事はありませんでした。
亡くなる直前、父が家に薬を取りに行きたいと、兄の車で出かけた途端に亡くなった母。
もしかしたら、父と兄にはその瞬間に立ち会ってもらいたくなかったのでは、と最後の母の気遣いだったのかもしれません。
あんなに苦しそうだったのに、人工呼吸器をはずしてもらった母は、まるで10代の少女のような穏やかな微笑みで、菩薩様のようでした。
こうして文章にしてみても、まだ現実だと受け入れられない自分がいます。
また帰省したら、私と同じ細い目で、満面の笑みをこぼしながら、息子達に
「あら〜また大きくなったねぇ!もう抱っこできへんねぇ!」
と言ってくれるような気がします。
お通夜とお葬式の後、久し振りに帰宅した我が家は、何一つ変わる事のない日常がありました。
でも家中のそこここに、母からもらったもの、母と一緒に買いに行ったものなどの、母との思い出があふれていて胸が苦しくなります。
悲しいと一言では言いづらい位の暗い闇の様な感情に引きずられそうな自分と、子供のお弁当や学校の事、自分の仕事や日常の家事を普段通りにこなす自分がいて、気持ちを抑えながら毎日をなんとか過ごしています。
まだどこかで現実を知りたくないという思いを残しながら。
母は20歳で8歳年上の父と和歌山から神戸へ嫁ぎました。
父の家は舅、姑、姑の母、父の弟が4人。
毎日泣いて過ごしたと聞いています。
姉、兄、私を産んでくれて、孫が7人。ひ孫が3人いました。
皆母を愛していました。
母はひ孫達のアイドルでした。
病気の事もあり、決して幸せばかりではなかった母。
もっとあの時こうしていれば、あの時こう言っていれば・・・と今は後悔の連続です。
苦労した分、母にはもっともっと楽しい事を体験してもらいたかった。
もっともっと笑顔でいてほしかったと、悔しい気持ちがぬぐえません。
「お母ちゃん、ほんまにありがとう。最後に苦しい思いさせてほんまにごめん。子供ら立派に育てる事しか恩返しできへんから、これから頑張るね。お母ちゃん。」
長文にも関わらず、最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました。
あたたかくも平凡な、それでいてたくさんの人を愛し、愛された母がいたことを皆さまの心の片隅に少しだけ残していただけたら幸甚です。
8
享年73歳でした。
15年間のC型肝炎との戦いの末、最後は予想外の出血性胃潰瘍を発症し、緊急入院後、わずか6日で帰らぬ人になってしまいました。
この15年、食道静脈瘤からの出血を抑える手術や、腹水、足のむくみなど、何度も入退院を繰り返していたので、今回もまたすぐ退院できるだろうと家族全員でそう信じていました。
入院してすぐは話もできていて、姉からも大丈夫すぐ良くなるから来なくていいと電話があり、不安に思いながらも、明日はケロっとしてメールが来るのではと思っていました。
でも14日の朝、姉から「自律呼吸ができなくなってきたので、人工呼吸器をつけていいかと病院から電話がかかってきた」と泣きながら電話が入り、私もすぐ兵庫県の病院に飛んでいきました。
ICUにいる母は、私の知っている母ではありませんでした。
あちこち機械を取り付けられ、点滴をいっぱい刺され、そして薬で眠らされて人工呼吸器で苦しそうに息をする母・・・
あまりの痛々しさに涙が止まりませんでした。
母はずっと「私にもしもの事があったら、絶対延命治療はせんといて。」と何度も言っていました。
ここで眠っている母は、「何で余計な事するの!いらんことせんといてって言うてたでしょ!」と怒っているのではないか、と姉と2人で悩み続けました。
担当医の話では、肺の半分以上に水がある状態なので、その水が出てから次の治療ができるという段階です。今はこれ以上の治療は不可能です。と。
家族全員で、肺の水が早く外に出るように祈りましたが、段々心拍数が200を超え、血圧も上が30というギリギリの状態に陥り、最期は静かに息を引き取りました。
姉と2人、ベッドの両側からずっと手を握っていましたが、一度も目を開ける事もなく、一度も声を聞けず、握った手も握り返してくれる事はありませんでした。
亡くなる直前、父が家に薬を取りに行きたいと、兄の車で出かけた途端に亡くなった母。
もしかしたら、父と兄にはその瞬間に立ち会ってもらいたくなかったのでは、と最後の母の気遣いだったのかもしれません。
あんなに苦しそうだったのに、人工呼吸器をはずしてもらった母は、まるで10代の少女のような穏やかな微笑みで、菩薩様のようでした。
こうして文章にしてみても、まだ現実だと受け入れられない自分がいます。
また帰省したら、私と同じ細い目で、満面の笑みをこぼしながら、息子達に
「あら〜また大きくなったねぇ!もう抱っこできへんねぇ!」
と言ってくれるような気がします。
お通夜とお葬式の後、久し振りに帰宅した我が家は、何一つ変わる事のない日常がありました。
でも家中のそこここに、母からもらったもの、母と一緒に買いに行ったものなどの、母との思い出があふれていて胸が苦しくなります。
悲しいと一言では言いづらい位の暗い闇の様な感情に引きずられそうな自分と、子供のお弁当や学校の事、自分の仕事や日常の家事を普段通りにこなす自分がいて、気持ちを抑えながら毎日をなんとか過ごしています。
まだどこかで現実を知りたくないという思いを残しながら。
母は20歳で8歳年上の父と和歌山から神戸へ嫁ぎました。
父の家は舅、姑、姑の母、父の弟が4人。
毎日泣いて過ごしたと聞いています。
姉、兄、私を産んでくれて、孫が7人。ひ孫が3人いました。
皆母を愛していました。
母はひ孫達のアイドルでした。
病気の事もあり、決して幸せばかりではなかった母。
もっとあの時こうしていれば、あの時こう言っていれば・・・と今は後悔の連続です。
苦労した分、母にはもっともっと楽しい事を体験してもらいたかった。
もっともっと笑顔でいてほしかったと、悔しい気持ちがぬぐえません。
「お母ちゃん、ほんまにありがとう。最後に苦しい思いさせてほんまにごめん。子供ら立派に育てる事しか恩返しできへんから、これから頑張るね。お母ちゃん。」
長文にも関わらず、最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました。
あたたかくも平凡な、それでいてたくさんの人を愛し、愛された母がいたことを皆さまの心の片隅に少しだけ残していただけたら幸甚です。

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