昭和38(1963)年「川柳平安」9月号
わが家の戸一人のわれとなり開く 掘豊次
蝉を聞く少年の耳となる税吏
暗き海に向かい胎児の列進む
炎天を蒸発しつつ夫婦ゆく
私が降りて来る階段次次生まれ
旅をする娘に靴下とヘクタリンと天気予報 所ゆきら
軽井沢はお高くてイヤな感じのランチタイム
カラーヒルムにスライドした赤い上着を脱ぐ
「胎児の列進む」の句は、掘豊次の詩性が出た句。豊次の厭戦感情が「暗き海に向かい」の表現になったと思われるが、豊次は主に輜重兵として軍馬とともに中国大陸を行軍したとのことで、「胎児の列」が「暗き海に向か」ってゆくイメージは、厭戦感情から出た暗喩だと思われる。馬についての知識が身に付いたのは当然だが、豊次さんに世話された馬は軍馬の中で相当しあわせな時間を得たはずである。馬の鼻ズラや顎、首を撫でる豊次さんのすがたを思うと、優しい接し方が眼に浮かんできれいな絵になる。
ゆきらの句は、当時のカタカナ言葉へのからかいの感があるようだ。浮薄なモダニズムを冷ややかに見るところから書かれたようで、「スライドした赤い上着」など巧いものだ。
新撰苑上位
僕の時間へあぐらをかいてしまった灰皿 服部たかほ
夕焼の踊りにみとれている長い貨車
歪んだ眼球ばかりで風も走れない
猟銃は拒めず重きものをのむ 定金冬二
猟銃自責血はひろがって怒涛となる
猟銃のやすらぎにして夜深し
執拗に否定を繰りかえしチェロうねる 山本ひよこ
スケルツォへ無気力なクラリネットの呟き
頂点へ駆けあがってトランペットの不安
少年と海積乱雲を得て驕る 中村土竜庵
潮騒に佇てる少年一個の像
少年の稚き瞳海満ちる
昭和38(1963)年「川柳平安」10月号
掘豊次の創作なし
たたずめば悔い多き身に風も秋 大島無冠王
掌の中の丁か半かを当ててみよ
ぜにかねで売る役人となりにけり
西日して老人臭き翳創る
秋の夜を青き灯となり炎ゆるかな
鞭石廊に反りブュフェの絵がある 上田枯粒
火星のキャベツ音剥製の秘語
青い地球のさびしさ樹々豊かに眠る
マヌカン置き税吏の沈黙はじく
ブランコの先周る微笑の体温
神経を伝って挑む朱の眩暈 溝口晏子
波涛の飛沫試練に耐える瞳に吸わる
重き日日黒い彫刻とて未完
酸化した想いを溶接して安堵
秋の思慕砂の傾斜の崩れぬに
花売りの母系の谷の崖仏 所ゆきら
これよりあふみの国の崖仏
遠流さる親鸞の頭上ありし崖
すでに消えなんと今は昔の崖仏
崖仏見る妻のポーカーフェース
秋ここに友ありもえる羅漢の目 北川絢一朗
執念というべしひとり住むことの
孤独の矢尿の重さとなって覚む
足の爪小人悪に似てのびる
目には目でこたえるそれをあたためる
特集・川柳における抒情について
執筆者が豪華、内容も当時の編集部を満足させたものだと感じられる。
河野春三 「川柳の抒情性」
石原青龍刀 「批判精神は抒情を棄てて生きる」
今井鴨平 「硬質な抒情を」
山村祐 「近代川柳の抒情」
山本芳伸 「川柳作品にあらわれている抒情について」
深野吾水 「抒情礼賛」
扉のページに京都弁の句がある
いけずいけずほんまにすかん待ちぼうけ 遠藤全子
また一人かんにんどっせ来てすわり 下村百日亭
しんきくさい人やと言うてほれている 掘豊次
新撰苑上位
土工らが夕焼をかついでいったよ 服部たかほ
河口――きょうのグラフへ寝る
孤独――童話は風に乗ったまま
のしかけた紙ばからしき夜となる 定金冬二
紙の重さをふせぎきれなく夜となる
けさの活字も壁を鈍く這いまわる 山本祥三
随走する活字にすがる靴が汚れ
所ゆきらが「本誌9月号を読んで」という半ページの小文を書いており、選について触れている部分がある。
「(前略)T氏に言わせると、佳句はだれが選をしてもそう落ちるはずがないので、抜けるか抜けないかの線上になる句に、ときどき駄句が仲間入りする。その駄句の多いときが、拙い選になると言う。K氏の選を見ていると、佳句らしいもの一句見つけるまで速い選をやっているが、それからはその佳句一句を中心に、それ以上、それ以下とわけていく。うまいやりかたである。選句する方法をだれも教えてくれないのだから、経験するより仕方がないのである。」
句会での選についての言葉らしい。
おもしろいのは、「佳句はだれが選をしてもそう落ちるはずがないので」の下りである。当時は川柳の幅が今と違って狭かったので、レベル差の認識がある程度一致する感にあったのだろう。同じような川柳観が「そう落ちる落ちるはずがない」の言葉の背後にあったのだ。ただし、句会の選句にこの見識が通用したのだろうが、一方の誌上の投句欄では、共通項にひびが入っていたはずである。川柳の幅が広がって行く真っ最中であり、それが、本格と革新という概念に入り混じって、部分的には折れ合うところが無い時代であったのだ。
T氏は豊次さんだと思われる。後年、豊次さんや、その実弟の宮田あきらさん、ゆきらさんらの小集の折に、雑談で選についての同じような話しを聞いたことがある。そのときは「川柳ジャーナル」の作品の賞の選考のことで、創作十句とか一年間の発表句を対象にする賞についてであったが、入選のラインについては豊次さんの見方と同じで、選で外される何割かのところに、選者の川柳への志向の違いが現われるとの見方であった。
引用の文章は、句会で誰かの選を面白そうに見ているゆきらさんの視線と姿が想像できる。いやみのない、なんとも微笑ましい光景だが、それにしても、選者は見られていることを感知しているだろうから、K氏、堂々たる選句であったのだろう。
いま、句会や大会や年度賞、募集による何々賞など、おおいに流行っているのだが、選は、40年も前と変わらないのか、隔世の感があるのか。選で外れる何割かに選者の志向が現われる以前に、催しの傾向の違いが一目瞭然、その分、選者の見識を云々する以前に、結果がわれている感が多い。川柳の幅の広がりはもとより、折合を考える必要のないところにまで、質の違いに大きな落差がある。

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