昭和38(1963)年「川柳平安」5.6月号
5月号
眠り――運河に沈みゆく無数の手 掘豊次
現実に確保した時間浮遊する性具
マネキン運ばれてゆき無臭の街
ひとりで降りるほかなし井戸の深さ
新撰苑上位入選作
尾骶骨と穴の深さを降りてゆく 石川重尾
世相がボクを剥いでく汚れた貌
煙霧ひろがり死者を搏つ鞭の所在
道路凹凸美語を吐きつづける車 山本祥三
聴衆ではないすさまじき嘘を堪える試練
満面笑みの仮面を捨てる刻を賭け
踏み耐えた脚で遠い太陽を見ていた 中西一調
もう過ぎたことだというに弦の短音
負けている退屈な指たちが並んで 服部たかほ
男の卑屈へネクタイの自嘲が乗って来る
ペタンペタンと死に神が押す判コ 定金冬二
死に神のくれたケシゴムを使う
静脈にいっぱいあすへ流れる血だ 中村土竜庵
輪廻の一こま静脈に満ち来るもの
猫目石の瞳にかえて夜のマダム 長藤泰敏
黒曜石の瞳がハートを盗みに来
ベルクのヴァイオリン協奏曲
音列線ゆるやかに飛翔して死の賛歌 山本ひよこ
霊魂の変容を告げコーダは清澄
音楽を言葉とする山本ひよこの投句がつづき、堀豊次は音楽辞典を買ったという。
面白いことは、「死に神」「静脈」「猫目石、黒曜石」などの、題詠のような書き方が新撰苑に投句されていることと、これを掘豊次が入選にしていることである。川柳の伝統を継ぐ位置からの視線が働いたのかもしれないが、豊次には、当時の革新派が句会から離れることで創作にストイックな姿勢を持とうとしたことへの批判があった。革新派から見れば豊次の姿勢や社会性の意識や詩性、庶民的なリアリズムなどは川柳の革新を求める同志のものであった。
しかし豊次は、句界に対する革新派の自己硬直を見ていた。
「鷹」(昭和40年8月号)のアンケートに「現在あなたが一番好きな川柳作品を一句(自句以外)挙げてください。」に
鞭の先だんだん細くいやがらせ 川上日車
を挙げている。好きな句ではあったらしいが、挙げたわけを聞くと「革新(派)は(「鷹」も革新派の柳誌であり)句会というだけで軽蔑するので、日車はんの句会吟を出したんや」といたずらっぽい笑顔が返された。新撰苑の選に同様の意識が働いたかは不明。題詠についての革新派の認識は不明だが、連作を書いていた革新系のひとはかなりあった。
掘豊次は句会を肯定的に捉えていた。大きな結社ほど員数獲得に懸命であることはいまも変わっていないが、当時の大きな結社の句会では、時代離れしたダンナ芸の競い合いや社会的な保守主義から書かれる浮薄な句が飛び交う雰囲気があって、革新系柳人が句会を目のかたきのようにしていた時代だった。豊次も大きな結社の観察については概ね否定的に話していたのだが、一方、豊次は、川柳が庶民生活のなかの文芸であることを尊重する方向から句会を肯定していた。遊蕩の感を否定しつつ、庶民が、より情愛を濃くして、それが知的になることを望んでいた。新撰苑がその活動の場であると認識していたはずである。豊次が、川柳界に対して二段にも三段にも構えていたことを知る人は少ない。例えば、話し相手の文学的なレベルに合わせる当意即妙な対応は、横から聞いている人には豊次が矛盾したことを平気で喋ると見えていたはずである。そして「誤解はなんぼでも受けたらええ(いい)、こっちの望んでる方向に足しになるこっちゃったら(ことであれば)」と言っていたこともあり、川柳の革新についての活動家的な意識は掘豊次への不信感を増幅して行った。笑顔でかわす、黙っている、矛盾の感を説明する、川柳全体の把握からの見解であることを言うなどの当意即妙は、相手の感情への配慮としてのみの対応であった。
ちなみに、上記アンケートに豊次は
・ 川柳の手ほどきを受けた最初の先輩名
なし
・ その后、あなたの川柳が最も影響を受けた作家は?
斎藤松窓
・ 古今を通じて全文芸ジャンルの中から、尊敬する人は?
芥川竜之介
・ 最近感銘を受けた書籍は?
「現代の文学」43 大江健三郎集
などと答えている。
この号から「郷土川柳誌」というシリーズが始まっており、「はりこ」誌を所ゆきらが書いている。終刊号が昭和10年の1月とあり、
「(前略)終刊前後になると
弱い男のデザインになっている 迷兆
正月の坂のぼるのは郵便屋 陽歩
母からもらう金をかぞえる 白史
輓く犬の耳いがんだ路地の唄 ゆきら
取残されたのは人間という粕ばかり 冠岐
死の部屋のカーテンにある風の色 悲虎
大臣の頭と金の頭陀袋 克美
虫ないても朗らかな男とおる 正八郎
と思われていてもいいのはママちゃん 昌一
寝ころべば死におくれたる蚊が一つ 一風
蒲萄棚洩るる陽が描く授乳の図 曉声
働かず春暮るるさびしさや もとみ
枯れた榊さげる水へっている 六祥
三度目の馬の背なかは秋をのせ 柳歩
木枯しの吹くを除隊の風と言い よし春
などがある。いま思うことは「自己を見失っていないか」という、すべての芸術に通じる平凡なことなのである。
「はりこ」が終刊となったのは印刷屋が亡くなったからで、同人が兵隊になってしまったこともあるが、選挙権を持った同人も三人ぐらいだった。みんな若かったのである。」と結ばれている。時代の相がこれらの句にあるとともに「みんな若かったのである。」の若さが、とびきりの若さであったところに、川柳という庶民の文芸の社会的な位相が感じられる。
同文の中におもしろい一句がある
雨――春よ「りどをこやみ」のアスハルト
6月号
娼区よむ句あり民話をただよわせ 掘豊次
灰色のドアーを四囲に負の世界
二十年前の部隊集合
祖国反転ころがり出された百姓の顔
将校下士兵咀嚼に残るかすかな枷
傾かぬビルうけいれて生きんとす 坂根寛哉
目をあけてみても市電に乗っている
おもわざるさいわい両の手にあます
教会の屋根が正しく立っている
ある救い衆愚にひとつだけのこり
川におう夜がありきょうの苦をつづけ
関東平野TVアンテナはどこまでも低い 所ゆきら
カラーフィルムの観音像へ文学の消滅
俯瞰図の中央に針金細工のコケシかな
すし・あめ・おこし「東京」を風呂敷にする
旅情戦場ヶ原まひるの銀雨にガスる
新撰苑上位入選作
空を見ていると地下足袋がはしゃぐんだ 服部たかほ
グラフ―臨時工を引きずって行く
生きへの執着オブラートの会話
昼の霧搾取の貌に味方する 定金冬二
昼の霧はれる誘拐魔が歩く
かびという力となりて抵抗す 桝井碧水
素顔の頬のほころびを買う
木管は火を持たずさまよいつづける 山本ひよこ
ストローの中を流れるアルト・ラプソディー
どこまで欺瞞霊柩車の金ピカ 乾ふたよ
都会の騒音金摑む手の交差
星は緑のうぶ毛に笑うて砂漠の底辺 荒木繁夫
死が垂れる真空のフラスコの生殖
別れの語を飾って僕を見失う 谷川酔仙
別れ告げる虚勢視界に海をおく
密室にペテン師の仮面がいっぱい 佐藤伊知坊
ペテン師の不覚飽くなき自己過信
床屋われ白衣の私語に包まれる 村上秋善
床屋われ日銭の中の刃物研ぐ
郷土の川柳誌
「川柳ビル(1)」を掘豊次が書いている。3ページに及ぶ文章で、昭和10年から16年までの71冊から抽出して紹介している。
「(前略)創刊当時の「川柳ビル」は妻帯者が一人もいなかったのである。七十一冊の「川柳ビル」は一つの若い流れである。純粋なものはあるが、人生の深さはあまり見られない(後略)」
昭和10年12月号(九号)の石森清太追悼号を抽出。
「(前略)編集後記の中には『美しいが寂しい川柳をつくる友だち清太が自殺しました。11月11日午後3時片山津で河内小町という少女と美しく死んでいったのです。僕たちはこの知らせを受けると薄幸な友だちのために、取りあえずまずしくとも第9号の全ページを挙げてその追悼号とすることに決心しました』とある。」(後略)
写していても涙がでるが、昭和16年の柳誌統合の波を被るまでに、同人の出征や死を受けとめねばならなかった若い柳人のグループがあったことを豊次は書いている。豊次のセンチメンタルが懐旧の感とともに溢れた文であり、辛さを感じつつ読んだ記憶がある。
石森清太は療養中の身であったが、本人から、心中するとの手紙を受け取ったのは豊次であったと聞いている。辛いことで多くは話してもらえなかったが、その驚愕を話す表情に話を促すことができなかった。
文章に確定的に清太の句であると書かれていないが「九号は石森清太追悼号で清太作品や遍路行の三ページがある。」として次の句が紹介されている。
同行二人と書いた傘ちちがよんでいる
だまって耐えてゆくわくら葉の路です
だれもとおらない山みちで泪がみみへながれる
金おくるさかえと書きし母の手跡よ
なむだいしへんじょうこんごうとうまい私です
かたずける鈴をならして母と子と
また、同19号に木村半文銭の、
天王寺塔無く銭銭銭銭銭銭銭銭銭かえます
が載ったことを紹介。ただ豊次の川柳観から見れば、このような作品に対しては「(前略)当時も現在も、活字形式の作品には真から関心が持てない。(後略)」と書いている。
のちに、これらの作品について豊次さんと新潟から東京までの夜行列車で徹夜でやりあったことがあり、「関心が持てない」というよりもっと否定的な見解が感じられたことを忘れない。いかにも掘豊次、と感じさせる川柳観だったが、当方は年齢もキャリアも、そして社会的な流行やアバンギャルドに無抵抗にまみれていた完璧なチンピラだったので、「一句のなかで活字の大小、色のいろいろが出てきても当然のこと」「今後、そんな句が出て来ると思います」などと反論。いまでいえばゼネレーションギャップをさんざんぶつけた一夜だった。
〈私の印象句〉という1ページに9人が書いている。その一人、時実新子さん
草原を駆けて来た馬駆けてゆき 藻介
爽快な風物詩。しかし私がこの句に惹かれるのはそれ以上に作者の立っている位置にある。駆けて来た馬が駆けていった――作者の位置はもとのまま。ここに川柳がある。あおい無に私は心惹かれる。
(姫路・時実 新子)