「妬み」や「差別」や「偏見」と言った物が、もっと露骨だった時代。「弱い子を、日常から切り離して楽にしてあげるのが大人のつとめだ」等と叫ぶ人間が皆無だった時代にも、「イジメ」と言う物は存在していました。
私は、そんな時代に、「変な声」といつも笑われていた女の子が、後にとても有名な歌手や声優に成った例を知っています。
また、顔立ちが「日本人離れしている」事でいじめられていた子が、後に「絶世の美女」、「絶世の美男子」と呼ばれる銀幕のスターに成ったり、体の弱かった子が、武道家となって、大先生と呼ばれていたりする例を知っています。
皆、籠の鳥の様に隔離などされずに、「日常」の中で生きて、夢中に成れる物を見つけたからこそ、大成したのです(子供の頃に虐められたり、苦労した偉人は世界中に大勢います)。
「いじめられている様な弱い人間は、逃げるしか無い」などと言うのは、明らかに詭弁でしょう。どんなに強く立派な人間であったとしても、一つや二つの何かしらの悩みを抱えているものであり、いじめというのは、その誰にでも有る「弱い部分」を攻撃する物なのです(立場や境遇、容姿や特徴、昔も今もそれがいじめの大きな要因で、誰もがいじめられる側になり得る)。
いじめに「立ち向かう」と言う事は、何も報復すると言う事だけではなく、ほんの少しの勇気を出して、辛い日常の中でも「腐らずに生きて行く」と言う事だと思います。黙っている事で生きるのが難しく成るなら、声を上げるのも立ち向かう事の一つでしょう。
生きるのに必死な動物が、外敵に襲われた時に走るのを止めるでしょうか?生きるのに必死で心が前向きならば、「他人に変と言われた声」も「他人に外人と言われた容姿」も、武器に変えて生きて行けるのです。
どんなに豊かに成っても、人の世は決して楽園には成りません。この世が楽園じゃないからといって死を選ぶのは、少し弱過ぎるのではないでしょうか。
今の世の中は、すぐに安易な道を選ぶ、心の弱い人間であっても生きて行ける様に出来ていますし、弱い心の人間を隔離し庇護して、それで飯を食っている人間も大勢います。
競争や摩擦の無い、閉ざされた狭い世界を作っている人々が大勢いて、その地上の楽園は日々増え続けています。
しかし、それが健全な世の中でしょうか?楽園では無い、人の世で生きるという事は、立ち向かう事だと思います。嫌な事から逃げ続ける事で、生きて行く事は出来ません。