歌と言うものは不思議な魅力を秘めている。
その当時の風景や感情がマザマザを呼び起こしてくれるのだ!
僕が例え名曲「赤いランプの終列車!」を名曲だ!と寸評できる立場では無いにせよ、許可を得て評価したとしても、物心付いた時には、機関車ではなく、電車に変わっていたし、終列車と言っても街灯も点っている時代なので、切なさは半減する。
当時やはり集団就職の時代を体験された方々には涙なくしては語れない名曲。
やはり、就職列車を体験していない僕らの世代は、「ああ、上野駅!」などは妄想上でしか表現できない。
そこが歌手は役者であるとの見解に行き着く。
「感情」は同じだ! 就職であろうが、転勤であろうが、あの重たい別れの辛さは誰もが感じたことがあるはずだ!
感情を込め、「別れの一本杉」など僕は唄えない。
涙が出て歌にならないからだ!
だからそっけなく、唄わせていただいている。
ああ、現代の若者にわかって欲しい・・・
三番の「嫁にも行かずにこの俺の、帰り只管待っている」時代ではない・・・のが正直な所・・・・
こんな嫁入り舟が現代いらっしゃるのであれば、即効惚れるであろう。
本気か否かは本人にしか裏づけ出来ない。
好きになるとはやはり刹那的なものではなく、継続なのだろう。
僕は在るときマムシの秀司と言われ、しつこさには定評?があった。
これだと決めたら曲げない、よく言えば「粘り?」悪く言えば「頑固者」
こればかりは天性の性分なのでどうしようもない。
別れの一本杉で山のカケスが・・・とあるが、僕はカケスと言う鳥を見たことが無い。
と言うより、「烏」の別称だと思っていた・・・(爆)
現代の若者に「赤いランプの終列車!」は当然「何のこと〜〜!」「ドンだけ〜!」
様々な煽りの批評しかないだろう。
アレンジは時代とともに変えていくのが時代の発想なのだが、言葉を現代風にアレンジしていく事も許容範囲にして頂ければそれ程温度差は「演歌」においても感じなくなるのではないでしょうか?
例えば最近オリジナルの「それでも今は君を見たくて・・」と言う仲代オリジナルで「電話のベルが鳴る・・・」というフレーズがあるのだが、現代はダサい?ので・・「携帯・・ベルが鳴る・・・」と変えた!
流石に「ベル」も死語に近いのだが・・・
でも10数年ほどしか前の作品なのにねえ・・
言葉も機材とともに進化せねば・・・
時代の流れには個人では到底勝ち目は無い・・・