時々、「秀ちゃん! 編曲って何?」と聞かれることがある。
おそらく一般の方には「変曲」としての意味で吹聴されてきたのだと思う。
作曲の先生が曲を作って、それに作詞家の先生が詩を書いて、それを手直しするものが「編曲」とお考えになっているのだと思うが、ちと違う。
歌や音楽は、作詞家、作曲家、編曲家、そして演奏家という4つの大きな柱で大概の物は成り立っている。
編曲とは、一本の大黒柱(メロディー)に肉付けをしていき、やがては一軒の家(楽曲)にしてゆく(カーペンター)のようなものだ。
その作業は中でも特に骨の折れる作業。
まずは、全ての楽器の特徴や音楽に関する理論などを熟知していないと出来ない事。
どのような楽器(材料)を使うかによってによって、曲自体が全然雰囲気が変わってしまう事。
その苦労の割には中々評価の場が少ないと思う。
極端な例だが、たいした曲でもないがアレンジによって妙に良い音楽に聞こえたりする。
これが先輩方々が仰る「形ばかりで中身が伴っていない!」に相当する。
今、心に沁みる音楽が少ない。音楽も使い捨ての時代になってしまった。
それはアレンジ(パッケージ)ばかりが先行している結果なのかもしれない。
ニュースでは、「欠陥住宅」の話題が矢継ぎ早に報道されている。
住民の皆様には非常にお気の毒で申し訳ないが、これが今の日本の象徴であるかのように感じて仕方が無い。
体裁だけを考え、煌く装飾品に惑わさる。
僕は昔からそういった傾向に抵抗を感じていた。
何事も「大黒柱無くして、成長なし!」なのだろう。
h,London