日本人は特に劣等感が強く、そこから生み出される自己顕示欲も同様に強い民族だと、どこぞの本で読んだことがある。
個人の能力と人脈がモノを言うフリーランスの世界では、それらの感情が渦巻き過ぎていて、時折異常に気分が悪くなる。
それらが強すぎて、押し付けがましくて、鬱陶しい人間が目立つからだ。
さて、僕と同年代の元フリー編集者がいた。
ヘミングウェイが好きと言う渋い人なので、仮に名前をサンチャゴとしておこう。
サンチャゴはもともと大阪の情報誌で活動していたのだが、今は東京の少し名の知れた編プロで仕事をしている。
気弱な感じで、余り饒舌ではない人だったが、静かに野望を抱いているタイプだった。
サンチャゴから面白い話が飛び出すことはなかったが、僕は彼に興味をもっており、何度か一緒にご飯を食べに行った。
この間、東京へ行ったときのこと。
仲間内の飲み会でサンチャゴに会った。
サンチャゴが東京の編プロへ行ってから1年ちょっと。
ずいぶん印象が変わっていた。
久々ということもあって、僕たちは色々な話をした。
さすがに荒波をくぐり抜けてきたのか、かなり饒舌な男になっていた。
そんな飲み会には、まだあまり実績を持っていないライターやイラストレーターも来ていた。
楽しく飲んでいるなか、酔いがまわったのか、サンチャゴが突然彼らに対してキレ出した。
「俺が来てやってんだから、お前らもっと『俺に』売り込めよ!」
と。
皆さんはサンチャゴのこの言葉をどう捉えるだろうか?
僕はこの段階では、「それはそうかもしれんけど、自分で言うことじゃなくね?」程度に思っていた。
売り込みたい相手は、売り込もうとする人が決めることだし。
言ってしまえば、サンチャゴ自身に魅力がなかったということではないか、と。
そこからはサンチャゴの説教時間の始まりである。
もちろんサンチャゴよりも格上のクリエイターさんたちが集っているなかで、だ。
僕がいくら大爆笑をとっていた空気(?)だって、かなり重苦しいものになった。
実を言うと、僕が籍を置く作劇塾でも、これと同じ空気になることが多々ある。
最近は特に多いくらいだ。
そしてその空気を作り出す爆撃機を操縦しているのは、僕だったりする。
これについては本当に反省だ。
※断っておきますが、別に僕に売り込めと言って空気を悪くしているわけではありません。むしろ売り込まれても、何もできないし。
空気を悪くしているのはそういうことではなく、もっと単純で軽薄短小なつまらん理由です。
閑話休題。
僕はサンチャゴが新人のライターやイラストレーターたちに対して説教している状況を、ひどく客観的に眺めていた。
やがて飲み会の空気がつまらなくなったからか、時間が来たからなのか、ひとり、またひとりと帰路に着く者が現われ始めた。
サンチャゴは言った。
「なあ菅野。アイツらってもう無いよな。結局、誰も俺に売り込みにこーへんし、俺より先に帰るってアウトやわ。俺がどんだけ忙しいか、ツイッター見ればわかるやろ」
この言葉を聞いたとき、僕は一気に興味をなくした。
帰った新人ライターやイラストレーターたちに対してではない。
サンチャゴに対してである。
サンチャゴは大阪時代に比べて、とてもつまらない男に変貌してしまった。
もう僕は彼と親密な話をすることはないだろう。
信頼とは一瞬にして瓦解するものである。
それだけサンチャゴは、どうしようもない勘違い野郎になってしまったのだ。
基本的に、「売り込みに行かないとアウト」は言ってもいいが、「売り込みに来ないとアウト」は言ってはいけないと思う。
さらに言えば、叩き上げで登り詰めてきた先人クリエイターさんが、若手に対して、「どこどこに売り込みに行ってこい!」は言うべきである。
それは教育だ。
しかし編集者さんが「俺のところに売り込みに来ないとアウト」なんて言っているのは、今まで聞いたことがない。
サンチャゴを除いて。
フリーで生きている人間はバカじゃない。
サンチャゴが本気で新人ライターやイラストレーターを心配して「俺のところに売り込みに来い」と言っているわけじゃないことは、誰でもわかる。
そうだとしたら「俺様に売り込まないとアウトだぜ」なんて言うはずもない。
結論を言えば、サンチャゴは新人たちを前にして、デカいツラをしたいだけの非常につまらない男だった。
残念ながら、サンチャゴに売り込まずとも、売り込み先はたくさんある。
さらに言えば、売り込むのはサンチャゴにではなく、サンチャゴの勤める編プロに、である。
実績があるのはそこであって、サンチャゴ自身の実績はない。
(強いて言えば、大阪時代いくつかのフリーペーパーを作ったくらいか。まあ、その編プロに入れたのはすごいけど)
確かにサンチャゴは大阪時代、色んなライターさんたちに虐げられてきた。
その劣等感のがあるからこそ、少し地位をもった今、新人たちを前にして多少、大きな顔をしたいという気持ちだってわかる。
ただ、そのくだらん自己顕示欲をしつこくぶつけるな、と言いたい。
実は先ほど、サンチャゴに説教されたイラストレーターの子から電話があったのだ。
ものすごく凹んだ声で、
「私、サンチャゴさんにアウトの烙印を押されたみたいなんで、もう仕事できないかもしれない。ごめんなさいメールを送っても返信ないし、電話も出ないし・・・どうしたらいいんでしょうか? ぐすん」
なんて言うものだから、大爆笑してしまった。
お前ら付き合ってんのか、と。
だけど、そのイラストレーターの気持ちもわかる。
まだ実績を作れていない新人の子たちは、自分に仕事をくれる人を神のように崇める傾向にある。
そして神の機嫌を損ねると、自分の夢が潰えるとも考えている。
かくいう僕もそうだった。
もちろんそんなことはないのだが、サンチャゴのように「俺に売り込まない奴はセンスないぜぇ?」と威圧的に来られると、不安と焦りばかりが募ってくる。
だからサンチャゴに嫌われないようにすることが第一優先になる。
「今日はサンチャゴさんのお陰で目が覚めました!」
みたいな嘘メールを送ったり。
この『作業』がとてつもなくダルい。
もちろん心の底から「ありがとうございました!」と思える相手も、たくさんいる。
というか、この世界はそっちの人のほうが多い。
しかし稀にサンチャゴみたいなタイプがいるのも事実。
そういう奴に限って、お礼の連絡のことをやたらと気にする。
実際、その翌日にもサンチャゴは僕に、こんなメールを送ってきた。
「聞いてくれ菅野。あのあと俺にメール送ってきた奴は、こいつとこいつだけやで。他の奴らってホンマにクソやな。それからなんであいつは俺に挨拶なしなん? 俺と仕事する気ないんかな?」
僕は「よくわかってるじゃないか。貴様のような輩と仕事がしたいと言う人は、かなり希少だろう」と返信しようとしたが、やめた。
もう彼に興味を失った以上、わざわざ連絡する必要はない。
サンチャゴは、新人が自分を神のように崇めるので、さも自分がデカくなった気持ちになっているのだ。
しかしそれは大きな勘違いである。
サンチャゴの勤めている編プロがデカいから、自分も強いと勘違いしているだけなのだ。
先ほど電話をしてきたイラストレーターの子には、そんな話をした。
たくさんの人と出会って行けば、サンチャゴがいかに矮小な男かに気付くはずだ、と。
サンチャゴもそろそろ30歳。
一緒に仕事をする相手には、例えどんな相手だろうと敬意を払わなければならない、という最低限のことすら知らないなんて悲しい奴だ。
きっとサンチャゴは、自分を慕ってくれる若い人たちが欲しいだけなのだ。
しかしその方法がわからない。
だから「俺に売り込め」ということを色んな場所で吹きまくっているらしい。
まあ、もう会うこともないけどね。
そんなつまらん奴に興味もなければ未練もない。
さよならサンチャゴ。
お前は僕の人生ベスト3に食い込むくらい、つまらん男になったよ。

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