2005/3/8
歩いて30分くらいの学校入学。親父もここ卒業。
田舎では、大人に対する挨拶が、賢いか馬鹿か決める基準になる。
同じクラスの近所のK帽子を取ってお辞儀する、
「この辺じゃ一番賢いね〜」っていわれてた。
「いや、あいつは馬鹿だよ」っていうと、「あんなにあいさつするのに馬鹿な訳無いクラスで一番できるだろ」とそこまで、いう始末。
同じクラスの俺としては、クラスで一番ヒドイ成績だってこと
知ってるんだけど言えるはずも無かった。
この頃の、賢いか馬鹿かは、やっぱり勉強のことだろうね。
常識的な事わかる年でもないし、まして世渡りのうまさも関係
ないころだからね。ずる賢くて、賢いとかおりこうとか言われるわけもないし・・。
俺は、そろそろ音楽に目覚める頃を迎えていた。
1年2年と同じ先生なんだけど、その先生が、徹君は「歌が上手い」と
いつも褒めてくれた。
お調子者の俺はすっかりその気になり、音楽の時間が好きになった。
先生のおかげかな。合唱コンクールのソロの部分ステージ前に
男女一人ずつ出るんだけど、2年連続出た。
女のほうもいつも、同じ子だった結構達人だな〜と
幼いながらに思ってた。
でも、コンクール当日熱出して出れなかった俺は、
NO.1の座を歌姫にとられた。歌王は、NO.2になった。
それから、しばらくはそれがショックで下校のとき、幼いなりの
虚しさからか「口笛吹きと小犬」を、ピューピューと口笛で奏でながら帰る姿は、人がみたら、きっと笑えただろう。
しかし、何日か経って、職員室に呼ばれて先生全員の前で口笛を吹く事に・・。通学路の途中にある郵便局の人が、「小さいのにすごく口笛がうまい子がいる」とわざわざ学校に報告したらしい。
それが、徹ちゃんだってことで、披露することにあいなった。
独演会は、成功。担任の先生は、なみだを流して感動してくれた。
これが、また俺が音楽好きへの拍車をかけることになった
・・・・・・・悪戯(いたずら?)・・・・・・・・
3年生くらいから、少し暗い時期を迎える。
近所の悪がき軍団と行動するようになり、隣町のデパートに遊びに行き黙って物を持って帰るというおふざけをした。
早速バレテ職員室・・親を呼ばれた
(母親だったからよかったけど親父だったら重症を負ってしばらく登校できなかっただろう)
そのころ、同じ組になったSと(後に女子高の教師になったらしい)
お互い自分の家からお金を持ち出して遊びに行こうといういけない
遊びを始めた。当時1万円というと使い切れないくらいの大金だった。
残ったお金は、玄関の植え木鉢に隠して、
数日後、友達を連れてホットケーキを振舞うという
お金持ち気分を味わった。
帰りのタクシーに乗ったとき万札で、払った・・・・
車の中でいろいろ話しをしてた。
次ぎの日・・職員室に呼ばれた。
小学生が友達同士でタクシーであそびにいって万札で、払った・・
これは、おかしいと、話の内容から学校名個人名を探り出したのか・・
その運転手が、学校に通報したらしい・・。
親が、呼ばれた(母親だった)しかし小学校への母親の呼び出しはこれで最後だった。
数ヶ月して母親は、急に居なくなった。家出した。
なんとなく、予測できてた。よくお金のことで、喧嘩してた。
で、おふくろの姉のやってるスナックに働きに行くようになった。
お金が必要で、そうしたんだろうけど、親父は、気に入らなかったらしい
・・・・・・いじめ・・・・・・・・・
当時は、イジメって言葉は、きかなかった。
でも、俺が日々過ごしてたのは、たぶん、イジメに、たえてたんじゃないかな〜?ってなわけで、母親がいなくなった事を人に知られたくなかった。最近じゃ珍しくないけど昔は、夫婦は死ぬまで一緒って感覚・・特に田舎は・・。ある奴がそれをかぎつけた、
べつに人に言うぞって脅されたわけじゃないけど、勝手にバラされたくないって思い込んだんだだろうな。そいつの言いなりの日々が始まった。
自殺したいって思った事ないからたいしたことなかったのかもしれないけど・・何か機嫌損ねると取り巻き連中みんなに無視される。
それだけならいいけど、ある事ない事ふれ回る。
今考えれば親の離婚なんてすでに、忘れてたのかも・・
いいなりになってたのも全く無駄・・?
まあ、あんまりたいしたことなかったのかな。
中学になってもまた、そういうことあったな〜
今度は、取り巻きの一人になってたなあ〜取り巻き同士で足の引っ張り合い・・ボスが、退屈すると仲間同士喧嘩させたり、たいそうなことしてくれてたよな〜っといっても、後にこの男俺の子分になったんだけど・・・ (゜O゜;)小中高どこでもうまくやってた半面、
いじめられた気がするが、ほとんど後に逆転してるぞ・・。
とりあえず、そんなとこで。

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