芸能界で成功すればいずれ本か何かにして売れると思って某新聞社の編集部の人が書いててくれたんだけどね。
普通の生活になっちゃったからね〜。原稿くれた・・・。自叙伝風にして小出しにしてます。
(注意)現在の話じゃないですよ。
今は普通?の人間してます。(爆)
196?年東京都品川区に生まれた。10月19日//東京オリンピックの真っ只中・・2〜3年して国分寺市に住んでたらしい。
5歳になる頃、弟が生まれ、親の実家が、ある山口県に行った(帰郷?)近所となかなか、馴染めなかった。
「言葉が変」とか言われた記憶がある。
こっちは、標準語なんだけど。郷に入れば郷に従えってやつかな。
まあ、一年もすれば、慣れてきて、幼稚園にも行きだした。
幼稚園は、カトリックの教会のある幼稚園で、後にここで、結婚式した。(他にもいるのかな〜?卒園して、ここで、挙式したひと)
この頃は、まだ、普通のおりこうさんだった。我慢強い?子でもあった。お遊戯会のとき、ストーブが、たくさんあって、ほとんどヤカンが、上にのせてあるのに、一つだけ何も乗ってないストーブが、あった。
何を思ったかその上に上がろうとして手を着いた・・それも、両手。
くっついて、離れなくなったのを無理に引っ張って両手ポケットに突っ込んで歩いてその場を立ち去った。
言うと怒られると思った。
お遊戯も手を後ろに回して隠しながらこなした。
家に帰って庭の隅の雪に手を突っ込んでるところをバアちゃんに見つかり怒られた。なんで黙ってたんだって言う意味で怒ったんだろうけど、自分はやっぱり、ストーブ触って手が、こんなになって怒られたっておもってた。送迎バスのドアに手を挟んだときも黙ってた。そのときは、今だから言うけど先生が閉めた。言うと先生が、他の先生に怒られると思って黙ってた。痛かった。そのせいか、右の親指に長時間力入れてると痛くなる。ギター弾きには致命傷だな。
でも、楽しかった。(ホローになってない。)
このころから、口笛が吹けるようになった。


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2005/3/8
歩いて30分くらいの学校入学。親父もここ卒業。
田舎では、大人に対する挨拶が、賢いか馬鹿か決める基準になる。
同じクラスの近所のK帽子を取ってお辞儀する、
「この辺じゃ一番賢いね〜」っていわれてた。
「いや、あいつは馬鹿だよ」っていうと、「あんなにあいさつするのに馬鹿な訳無いクラスで一番できるだろ」とそこまで、いう始末。
同じクラスの俺としては、クラスで一番ヒドイ成績だってこと
知ってるんだけど言えるはずも無かった。
この頃の、賢いか馬鹿かは、やっぱり勉強のことだろうね。
常識的な事わかる年でもないし、まして世渡りのうまさも関係
ないころだからね。ずる賢くて、賢いとかおりこうとか言われるわけもないし・・。
俺は、そろそろ音楽に目覚める頃を迎えていた。
1年2年と同じ先生なんだけど、その先生が、徹君は「歌が上手い」と
いつも褒めてくれた。
お調子者の俺はすっかりその気になり、音楽の時間が好きになった。
先生のおかげかな。合唱コンクールのソロの部分ステージ前に
男女一人ずつ出るんだけど、2年連続出た。
女のほうもいつも、同じ子だった結構達人だな〜と
幼いながらに思ってた。
でも、コンクール当日熱出して出れなかった俺は、
NO.1の座を歌姫にとられた。歌王は、NO.2になった。
それから、しばらくはそれがショックで下校のとき、幼いなりの
虚しさからか「口笛吹きと小犬」を、ピューピューと口笛で奏でながら帰る姿は、人がみたら、きっと笑えただろう。
しかし、何日か経って、職員室に呼ばれて先生全員の前で口笛を吹く事に・・。通学路の途中にある郵便局の人が、「小さいのにすごく口笛がうまい子がいる」とわざわざ学校に報告したらしい。
それが、徹ちゃんだってことで、披露することにあいなった。
独演会は、成功。担任の先生は、なみだを流して感動してくれた。
これが、また俺が音楽好きへの拍車をかけることになった
・・・・・・・悪戯(いたずら?)・・・・・・・・
3年生くらいから、少し暗い時期を迎える。
近所の悪がき軍団と行動するようになり、隣町のデパートに遊びに行き黙って物を持って帰るというおふざけをした。
早速バレテ職員室・・親を呼ばれた
(母親だったからよかったけど親父だったら重症を負ってしばらく登校できなかっただろう)
そのころ、同じ組になったSと(後に女子高の教師になったらしい)
お互い自分の家からお金を持ち出して遊びに行こうといういけない
遊びを始めた。当時1万円というと使い切れないくらいの大金だった。
残ったお金は、玄関の植え木鉢に隠して、
数日後、友達を連れてホットケーキを振舞うという
お金持ち気分を味わった。
帰りのタクシーに乗ったとき万札で、払った・・・・
車の中でいろいろ話しをしてた。
次ぎの日・・職員室に呼ばれた。
小学生が友達同士でタクシーであそびにいって万札で、払った・・
これは、おかしいと、話の内容から学校名個人名を探り出したのか・・
その運転手が、学校に通報したらしい・・。
親が、呼ばれた(母親だった)しかし小学校への母親の呼び出しはこれで最後だった。
数ヶ月して母親は、急に居なくなった。家出した。
なんとなく、予測できてた。よくお金のことで、喧嘩してた。
で、おふくろの姉のやってるスナックに働きに行くようになった。
お金が必要で、そうしたんだろうけど、親父は、気に入らなかったらしい
・・・・・・いじめ・・・・・・・・・
当時は、イジメって言葉は、きかなかった。
でも、俺が日々過ごしてたのは、たぶん、イジメに、たえてたんじゃないかな〜?ってなわけで、母親がいなくなった事を人に知られたくなかった。最近じゃ珍しくないけど昔は、夫婦は死ぬまで一緒って感覚・・特に田舎は・・。ある奴がそれをかぎつけた、
べつに人に言うぞって脅されたわけじゃないけど、勝手にバラされたくないって思い込んだんだだろうな。そいつの言いなりの日々が始まった。
自殺したいって思った事ないからたいしたことなかったのかもしれないけど・・何か機嫌損ねると取り巻き連中みんなに無視される。
それだけならいいけど、ある事ない事ふれ回る。
今考えれば親の離婚なんてすでに、忘れてたのかも・・
いいなりになってたのも全く無駄・・?
まあ、あんまりたいしたことなかったのかな。
中学になってもまた、そういうことあったな〜
今度は、取り巻きの一人になってたなあ〜取り巻き同士で足の引っ張り合い・・ボスが、退屈すると仲間同士喧嘩させたり、たいそうなことしてくれてたよな〜っといっても、後にこの男俺の子分になったんだけど・・・ (゜O゜;)小中高どこでもうまくやってた半面、
いじめられた気がするが、ほとんど後に逆転してるぞ・・。
とりあえず、そんなとこで。

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2005/3/8
まず、1年
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小学からそのまま近くの中学校・・二つの小学校が一緒になる。
俺はミニバスケで、もう一つの学校も顔出してたから何人か知ってた。
それが、悪かったここで、知ってた中の一人がボスとなる。
ザ・ベストテンを見なきゃその週は相手にしてもらえないというなんともアホなボスとその仲間達・・そのころ俺は父子家庭。
ばあちゃんが、いたが幼年期のころから弟だけ可愛がってたから
俺には親父に告げ口するスパイとしか思えなかった。
親父は「勉強しろ勉強しろ」とうるさかった。
すぐ、手が出た。本人は手加減してるつもりかもしれないが、空手をやってた手である、それはそれは、痛いの何の・・だから勉強してるフリをした。机に座ってどうやったら勉強しないでしてるように見えるか日々考えた。考える暇があったら勉強しとくんだった。
そんな感じだからベストテンなんか見れるわけがない。
まず、野球部に入った小学校5,6年とリトルリーグはいってた流れ。
近所の兄ちゃんから、スパイクをもらったので、いきなり履いていったら、目付けられた(当たり前・・)なんか、先輩達の俺に対する目が尋常でないので、やめた。卓球部に入った。
トレーニングと題したシゴキがきつかったけどそのおかげで、一年生大会ベスト8中6人うちの学校だった。あんまり、面白くない話しにすすんできてしまった。実はここに、ボスがあとから入ってきた。
後から入ったくせに、この男 素質が在ったようで、次の大会2位で、
その次には優勝してしまった。もう、天狗である・
気を良くしたこいつは、普段遊びに行くのも卓球場に集合かけた。
Tシャツから、ソックスまでお揃い買わされた。
そんなとき、母親が3つ隣の駅の近くに越してきた。
学校とは反対方向だったけど朝練習があるって嘘ついて毎朝4時半にチャリンコで家を出て20分かけて母親のとこ行って朝飯食って1時間かけて学校に行ってた。けなげだった。
転校1回目
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通信教育をやってたけど、元々の勉強嫌いだから、期限間にあわないで、引き出しにたくさん貯めてた。
ある日おやじが、「通信教育の点数どうだ?」って聞いてきた。
送ってないのに点数があるわけがない。
全然添削戻ってこないって嘘ついた・・・4日後家に帰宅途中、
弟が待っていて「親父が引き出しのテキスト発見した、きっと半殺しの目に会う」と、忠告。
そのまま母親のとこに家出・・じいちゃん仲裁に立てて無事母親と住む事になった。この頃スナックの雇われママをやってた母親は、その店を買い取ってじぶんで経営することになった。店から近いとこへ引っ越すことになった。
ラッキー!ボスから、離れられると思い大賛成1年終わりに転校。
2年から新学校になった。
まあ、生活環境が、180度変わったわけだ。ここから、いろいろ、始める・・・・。
この性格だから、友達はすぐ出来た。夜一人のかぎっ子なので、自由だったが、良い環境とは、言えなかった。友達の家に遊びに行けば、遅くまで帰んなかった。さぞ、家族は迷惑だったろう。
従姉から、ビートルズのシングルレコードと、ベイシティーローラーズのシングルレコードたくさんもらった。することないからいつも聞いてた。意味もわからないまま、丸暗記した。そして足りない曲は、買い足した。このころは、どっちかっていうとBCRのほうにはまってた。
自分でカセットに歌吹き込んでものまねしてた(笑)2台使って重ね録りしたり・・。

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2005/3/8
入学
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入学してまず、卓球部入部。せっかく今までやってたことだから、
続けるかなっと思っただけ。
しかしこの学校かなり、卓球に力を入れている。
顧問のK村先生も教師内では権力者。後に、助けられる事もある。
男ばっかりの学校(女も両手指に足りないぐらい居たけど)で、
いきなりあちこちで、闘争、あちこちで、グループができていった。
俺はとりあえず、普通にしてたけど悪い子グループとも真面目君グループとも仲良かった。近所の幼馴染NNがいっこ上にいてけっこう幅利かせてた。そのおかげで、目を付けられていいがかりつけられることはなかった。
ひじょうに住み心地よかった。そのうち悪い子グループの中に入ってた。
まあ悪い子グループというよりツッパリ君グループって感じかな。
おとなしく卓球ばっかりやってればいいんだろうけどそうもいかない。
家のそばにあった喫茶店でいりびたってた。
そこに、中学校の文化祭のときの女シンガーM子が働きに来始めた。
音楽好き同士で付きあうようになった。問題はこのM子、暴走族だった。
友達もみんなそのたぐい。まだ、そのころは普通に近かった学生の俺はその環境は大変だった。もちろん、親父にばれないように遊びに行かなきゃいけなかったし・・・。
万○き
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ある日5人くらいで電車に乗って隣町までいってレコード屋さんに行き、ザ・ぼんちの恋のぼんちシートをBGMに紙袋にレコードを詰め込んだ。
そして、LP2枚の代金払って店を出た。
きわめつけなドジはその帰り・・ほかのやつの中学校の時の友達とかいう女の家によって頂いたレコードを見せた。
この女レコード屋の娘と仲良しだったらしく筒抜け。
次の日学校に行ったらいきなり呼び出し。
「明日親と一緒に登校しろ」と言われた。
俺の脳裏には、親父に殴られて血だらけになってる自分の姿が浮かんできた。その日の夕方から家出した。小学校からの友達の家に潜んだ。
二,三日したら、母親が迎えに来た。
そこにいることは、想像がついてたらしい。
しかし、親父のすごい怒り様をみて居場所は黙ってたらしい。
どうも、親父は、それをどうしても許せないらしい。
その日から再び母親の家にやっかいになることになった。
学校からかなり遠くなった。
女子80%男子20%のC高校のまん前のマンションで、
駅まで歩いて10分電車で40分くらいだったかな〜。
溜まり場?
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学校終わって親父の家の近くのいつもの喫茶店に寄って帰る
というパターンが続いた。
そこで、友達やM子と、喋ってから家に帰る。
小遣いが欲しいので母親のスナックの厨房で皿洗いした。
客にできるだけ見つからないように、考えて見れば邪魔だっただろうな〜息子がそばにいりゃ接客業やりにくいの当たり前だよなぁ((((((^_^;)
ある日同じクラスのF男がマンションに遊びに来た。
いつかNNに頼まれて買っておいたゴムのりをタンスから発見して袋に入れて吸い始めた。「気持ちいいからやってみ」って言う。ちょっと吸ってみたら吐き気がしたからやめた。このときは、まだ「なんだこんなものマズイじゃないか」と思ってた。そのうち、家に退学になったSと自主退した、YとMが、いりびたりになった。それに、M子とその友達Fも加わり当然のことながら、母親に追い出された。空港近くのもっと遠いアパートに引っ越した。
6人の共同生活が始まったといってもみんな無職。でかけるのは、俺だけ学校へ・・・・・やってられない。学校から遠くなったから早起きしなきゃいけないし、同居人たちは、高いびき・・
親に金借りる・・返せるわけもないけど。
夜な夜なマージャンばっかりやってて苦情もらって追い出しあたりまえだっちゅうの。
親はホッとしただろうみんな、バラバラになった。
Yだけ俺と一緒に9000円のアパートに入った。トイレ共同。壁も薄い。隣の若い兄ちゃんが若い姉ちゃんよく連れ込んでた。
昼夜問わず悩ましい声が聞こえてた。手に取るように・・・。
ちゃんと部屋の中に流しだけはあった。そこで、身体も頭もあそこも洗った。収入ないとキツイからしばらくご無沙汰だった親の店(スナック)の厨房で皿洗いした。

学校には漢字コンクール、英単語コンクールのある日と、実習のない日だけ行った。漢字コンクール1回目と2回目100点取ってしまった。英単語も・・そうなると、このお調子物の俺はがぜんやる気・・当日は早く行って覚えなきゃいけない単語や漢字を丸暗記した。ヤマをはろうにも多すぎるので丸暗記するしかない20問くらいだったかな〜。150くらいの中から20だけでる。150全部覚えた。終わった途端3分の1は記憶からなくなる。
後にバンドのリードギターのTKと、お調子ぶり発揮、結局俺がやめるまで二人ともずっと100点通した。
俺がいなくなったあとTKは100点採るのやめたらしい。
実習は、なんたって先公が(懐かしい響き)嫌い、あ〜思い出すのもやだ。。
2年夏休み(高校終わり)
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休みに入ってYが以前残ってたゴムのリ吸ってた。
あいかわらず、「そんなまずいもの」と思ってた俺も夏の暑さと、
暇な時間が多いってのが災いして2.3日後にはYとゴムのリ買いにでかけてた。これには、はまった。
ゴムのリは、量が少ない。始めはそれで充分だったけどだんだん足りなくなってきた。そして、そういうたぐいを持っているもの同士が何処からともなく聞き付けて集まる。暴走族から、893見習いみたいなの、
いろんな学校の不良君たち。地域も年齢も越えてみんな仲良くなるのである。Yは、自らトルエン含有物を手に入れたくペンキやに就職。
動機は不純だが、この男が職に着いてくれてホッとした。
気がつけば俺の頭も当時流行ったカーリーヘアーで赤い金タワシになってた。そのうち、俺もペンキ屋の手伝いに行きだして一生懸命さが見込まれて社員になってた。外の仕事が多いとこだったので、雨の日は休み。
そんな日はYとラリってた。(今もラリってたっていうのかな?)
Yはバイクに乗ってるので(兄貴のXJ400を借りっぱなし)行動範囲はひろかった。夏休みも終わろうとしてた・・・。
夏休みが終わっても、仕事ばっかり行って学校いかなかった。
担任のAが連絡くれっていってるらしい。電話した。
A「なんか学校来れない事情があるのか?」
俺「ちょっとヘアースタイルが変わったからおこるよきっと・・」
A「まーどんな頭かわかんないけど、多分怒らないから一回見せてみろ」
俺「そうだね、先生は結構理解あるから行ってみるか」
A「じゃー待ってるよ」
俺「うん」
2.3日後に学校行った。
教室に辿り着くまでに何人かの先生に会ってしまった。
Aが教室に入ってきた「お〜すごい頭だな〜あとで、職員室に来い」その場はそれで、終わるかなとおもったら、ガラガラっと戸が開いて
「A先生ちょっといいですか?」っと朝一番最初に会った先生がAを連れ出した。
しばらくして「おい、ちょっと来い」と俺も連れ出された。
すると、そこに朝、顔合わせた先生勢揃い。
みんなで来たわけじゃなくこの教室の前で偶然集合してしまったらしい。
Aが目で俺に合図をした。何か解かんなかったけど何か、したいんだなってことは、わかった。その瞬間「なんだ、この頭は〜〜」とさけんで、
バシッとビンタ・・それも思い切り。
当時は体罰なんて問題にされてなかったからこのような事はよくあった。
他の先生達はその光景をみたら、散って行った。
当時まだ、新米だったAは、立場上、他の先生の前で俺に制裁を加えないと、その場が治まりがつかないだけではなく、A自身も攻撃の的になり兼ねないのである。そこでのビンタの一幕はちょっと痛かったけど、その後Aにいろいろ世話になるプロローグだったのかもしれない。
申し訳なさそうに「悪かったな約束破って」と言ったから、「一つ貸しだ」と言って、家に帰った。その後いろんな指導関係の先公達にあーだこうだ言われるのは解かってるから、ウザイことは避けて家に帰った。
それからは、ペンキ屋の仕事に精を出した。ちょこちょこと、例の物を小ビンにいれて帰った。Yといつも、ラリってた。そのたぐいの友達もよく遊びに来た。まだそのころは、ちょこっと吸うだけで、充分トリップした。
すぐに、覚めて夜はスナックにバイトいってた。
先生Aがときどき、学校へのお誘いに来たが、対応しなかった。
Aは、約束破った事を俺が怒ってると思ってたのだろう。実はそんなことこれっぽっちも気にしてなかった。金を稼ぎだして、その上嫌いな勉強しなくていいなら、これほどいい事はないと思い、間もなく学校をやめる決意をした。不思議なもので、そう決めると学校が楽しくて、一ヶ月くらい休まず通った。嫌いな授業は受けず、好きな授業だけ、出た。同級生Fの家が近くにあって、Fがいなくても、兄貴とか誰かしらいたから、そこで嫌いな授業の間、時間を潰した。
相変わらず赤い金タワシの頭だったが、上級生も何も言ってこなかった。もうやめるぞっていう奴には関わらないようにしてるんだろう。だいたい高校途中でやめる、赤タワシなんか絶対やばいからね。
そのまま893に就職する奴もいるだろうし、大抵悪い事して退学宣告前に自主退と言うパターンがお決まりである。
そんなのに文句ふっかけてくるのもいない。
だから、非常に軽快な一ヶ月だった。
逆にいえば、もう辞めるしかないのである。
本当は、気が変わってまだ残ろうかなと思っても、辞めるという事前提での平穏無事な毎日で、これが急にやっぱりやめないってことになると、あの野郎とむしゃくしゃしてるのに黙ってた連中にそう攻撃仕掛けられるに違いない。だから、しょうが無しに辞めて行ったやつも多いはず。
そんなこんなで、辞めた・・。

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2005/3/8
中退
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先生Aが「好きな学科もあるんだから、俺のうちに来て一緒に勉強しよう」っていってくれた。試しにいってみた。
時効だから言うけど酒も飲ませてもらったし、煙草も吸った。
「よそで、やると補導されるから、家に来た時だけにしろ」っていわれた。いい人だ・・。ばれたら、クビだろうに・・。
しかし、ペンキ屋とスナックに毎日行ってそれも無理な話である。

でも、Aの家でだけってことにしといた。
Aの家での勉強とは、本人、現国の教師だが、
英語、数学が好きなようで、少し前に衝撃的にこの世を去った
ジョンレノンのラストアルバム・スターティングオーバーを
、曲を繰り返して聞き、辞書一つで意味を理解していこうという試みだった、面白かった。これが後に自分で歌う英語の歌は必ず意味と
歌詞が重なるように理解してから歌うという、俺の重要とする
癖につながったと思う。
数学は、だめ・・・・公式みただけで頭痛い。
これでも、計算部に所属してた・・(笑)
あとは、漢字。なぜか、漢字は好きだった。
人が読めない難しい字が読めたとき、ささやかな優越感にひたるため、
あんまり、見かけない漢字から覚えた。
かしこい不良ってカッコいいかなと思ってた。
いつの間にかA宅に通うのも辞めてたけど随分何回も行ったな〜。
生活
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毎晩スナックに行ってた。ところが、バイトじゃない・・
うちの店と同じ階の2軒隣の店、ツケでいつも飲んでた。
そこにいた24歳のお姉さんRに会いたくて。
終わり近くに行って店終わってからいつも、お茶漬け屋さんに、
行くのだが、そのメンバーに金持ちおやじに紛れて加わってた。
そこの、ママにしてもこの小僧とは思ったかもしれないけど、
毎日来るいい客には違いない。飲み代は2件となりのうちの店に毎月集金に来れば間違いなく支払うのだから・・けっこうなどら息子ぶりである。実際毎月どれくらい払ってたのか知らないし、飲んだあと今日はいくら?って聞く事もしてなかった。
リヤカーばばあ
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再びアパートを追い出される時が来た。
たくさん人が出入りするし、例の物の匂いも近所に漂ってたらしい。
そんな時Yが昔働いてた事のある、某国際観光ホテルの
レストラン中華部で住み込みで働かせてもらうという話になり、
Yのバイクで出発した。
当時のYの彼女が隣のO市のR山(わかる人には解るんだが・・一応ふせとく)のふもとに住んでた。しばらく会えないから挨拶に行きたいらしい。俺は後ろに乗ってるだけだから別に反対する事もなく、夜十二時くらいに隣町に向かった。冷たい冬の雨だった。途中ゲームセンターでカップラーメン食って一時近くにR山に着いた。しかし彼女の家は反対側。
まず山の左廻りで進んでいくと・・・
こんな夜中だというのに野菜をたくさん積んだリヤカーを引いたばあさんが、道を塞いでた。
今考えると道は広いのにそれを塞ぐんだからでっかいばあさんだってことだなあ・・。というよりでっかく見えたんだろう。
別に急ぐわけでもないので道を変えて走ってると・・ また、
ばあさんがリヤカーで道を塞いでる。
どうやってここまでバイクより先に来たんだろう?違うばあさんかな?
いろいろな考えが、頭をかけめぐった。
なぜか、二人とも涙がボロボロこぼれてきた。恐い・・・青白い顔で少し上向きかげんのばあさんが・・・。慌ててターン最後の右廻りの道に行ったもうすぐ、彼女の家の近くってとこで、再び・・・ばあさん・・。
もう進路は別方向。彼女の家どこじゃない。
雨の中凍えながら国際ホテルに向い、着いたのが朝4時くらいだった。
ずっと前から働いてるというYの友達の部屋に入り暖をとった。
しばらくすると朝刊がきた。地方欄を見て絶句。
今日1時頃O市R町で、バイクの二人乗りが、ダンプと衝突・・・・・
彼女の家に入る枝道の入り口・・・・・・・・・
ばあさんに助けてもらった。
それから、霊は、恐いものだと思わなくなった。
何年も、こう語ってきたから、こう思い込んでるけど、少しはフィクションもはいってるかもな〜!?
どうしようもないね〜
何週間もしないうちに、いじめの激しいチーフに逆襲!!
当然クビ (。・_・。)ノ
二人揃って地元に逆戻り。今度は一人でアパート借りた。
またもとのペンキ屋に出戻り。
仕事は真面目にこなすものの、**は中毒の域に突入しつつあった。
そんな頃俺は、らりったまま教習所通って二輪の免許取った。
当時惚れこんでたRZ350(YAMAHA)のライダーとなった。
池沢さとし氏のマンガ「街道レーサーGO」の主人公が白いツナギの背中に青い流れ星のマークがはいってた。そこで俺は星は入ってなかったが赤いツナギをトレードマークにした。(のちにステージ衣装にも使われる)
**でラリってるため恐怖感を感じないせいか走りがとてつもなく速かった。白バイおまわりマンとランデブ〜してたのもこの頃。
以前、一度書いたけどもう一度載せとこう。
十代後半愛車RZ350で秋吉台(山口県)によくいってた。
そこに、けっこうカッコいい白バイさんがいて、
毎週日曜日は、競走してた。
観光バスとかゆっくりだから、つい抜くでしょ?普通。
そこが、黄色い線だから見て見ないふりは、できないのが、白バイさん。ナンバーじゃなく名前を呼びながら追ってくる、
追いつかれなきゃ無罪放免、追いつかれたら違反切符を
おとなしく頂戴する。暗黙のルールの中で毎週楽しかった。
人間味があったよな〜田舎だし・・今は、そんなこともないだろうな〜。

○○中毒
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住んでる所はu市なのにとなりのo市をホームグランドにしてた。
高校がo市だったからその流れで友達もたくさんいた。
学校の近くだったF男の家によく行ってた。
Fのスグ上の兄貴はまだそんなに仲良くなかったがその上の兄貴Kちん
と仲良かった。セリカのLBにほれ込んでて大事に乗ってた。
俺もその車が一番カッコいいと思ってた。
よく一緒に遊んでたから3こ上の人たちと仲良くなった。
これまたXX吸いが多かった。
の家によく泊まってた。その日も何人かこたつやそこら中に寝てた。
夜中Kちんの友達の俺と同じ名前のS市の族の幹部やってる男が袋下げてやってきてXX仲間を募りに来た。誰も相手にしなかったら、いつのまにやら族に入らないかという勧誘に変わってた。みんなひたすら寝たふり決め込んでると、ついにキレテ片っ端から寝てる人間殴ったり蹴ったり始めた。さすがにKちんが怒って追い出した。XX吸っておかしくなる奴このとき初めて見た。まだ自分が未経験だったからね〜(後にはたくさんみるけど・・)
夏には車2台バイク1台で男女合わせて十二人で日本海側の青海島まで
キャンプに行った。
テント2つ張って星を見ながらキレイな空気の中でラリってた
(なにがきれいな空気だか・・)
最初はいくつかあったまわりのテントがみんな離れてた。
当たり前か(・_*)\ペチ
男女混ざっててXXなんか吸ってるといかがわしい行為に発展と思うだろうがこのグループみんな家族のようにしててそのようなことは全くない。
とはいっても女性軍みんな男いたからね。
車1台はKちんでもう一台はKちんの彼女(現在夫婦)だったし、
俺の彼女もいたし・・。義理人情でつながってる連中だからいけないことはしない。ってXX吸ってる事自体いけないことだけどね。

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