映画『菊とギロチン』  映画関係

娘は、今朝、オーストラリアから帰って来ました。

エアーズロックは、

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思ったより険しい登山道で、

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まるでロッククライミングのよう。

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よじ登るように登って、

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頂上で、このようなポーズを。

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「晴れ女」の娘には、今度も天気が味方。
長年の念願を果たして帰国しました。


[映画紹介]

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大正末期。
世界恐慌や関東大震災が起こり、
大杉栄が殺され、
飢餓と貧困が世間を覆っていた不穏な時代。
その時代を切り取るような二つのグループを映画は描く。

一つはアナキスト(無政府主義者)結社のギロチン社の若者たち。
もう一つは女相撲の一座・玉岩興行の女力士たち。
どちらも時代が生み出した、はみ出し者集団だ。

ギロチン社のアナキストたちが
理想を口にするものの、
資本家を脅かして得た金を酒と女に注ぎ込み、
していることと言えば、強がりの議論と蛮勇と
無意味な個人テロに終始しているのに対し、
女相撲の力士たちは、
女というだけで様々な困難な生き方が強いられ、
夫の暴力から逃げて来た者や家出娘や遊女など、
様々な事情を抱えた
駆け込み寺の様相を呈し、
本気で「強くなりたい」という願望により
女として自由になりたいという夢を託した者たちだ。

その二人のグループが
ある漁村で出会う。
その時・・・

まず、女相撲とアナキスト集団の二つを遭遇させるという
着眼点に瞠目した。
風紀紊乱の疑いから常時官憲の監視対象にされているのは、
アナキストの「主義者」と同じ。
大正末期の一時代の雰囲気、
時代の中での閉塞感がよく捉えられている。

女相撲は江戸時代から始まり、
1960年代まで日本に存在した。
私の祖父が隣町の芝居小屋にかかっていた女相撲の力士の中に
早死にした娘に似た子をみつけて贔屓にした、
という話を母親から聞いたことがある。

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その女相撲の描写がなかなかいい。

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ショーアップされたものではなく、全くのガチ相撲。
(日本大学の相撲部の指導を受けたという)

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その迫力ある描写が物語に真実味を加える。

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興行元との関係や土俵作り、
宣伝のために漁村の道を練り歩く姿と
流れる「相撲甚句」。
砂浜で躍り狂う女力士たち。
初めて観る光景に映画の長さを忘れた。

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物語は、力士の花菊と十勝川という二人と、
ギロチン社の中濱鐵と古田大次郎の二人に話がしぼられていく。
特に、朝鮮人の十勝花に対する
在郷軍人の対応が悲惨。
関東大震災の時の朝鮮人虐殺も関係してくる。

背景には、次第に力を増してくる軍部の力と
思想弾圧、貧困の問題が横たわる。
女相撲とギロチン社は
格差のない平等な社会を目指すことで繋がっているように見えて、
アナキストたちは弾圧にあっけなく瓦解していく根無し草だが、
女相撲の方は戦後まで生き抜く。
やはり、女の方が強い。

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題名は、
中濱鐵の
「菊一輪ギロチンの上に微笑みし 黒き香りを遥かに偲ぶ」
という短歌から取られたものだそうだが、
花菊の「菊」と政治結社名の「ギロチン」の関わりのようにも見え、
ルース・ベネディクトの「菊と刀」を想起させる。
発表当初「女相撲とアナキスト」という副題がついていたが、
やがて「菊とギロチン」だけが題名となった。

中濱鐵を演ずるのは東出昌大

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古田大次郎は佐藤浩市の息子で映画初出演の寛一郎

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花菊を演ずるのは、
オーディションで選ばれた木竜麻生(きりゅう・まい)。

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十勝川は韓英恵が演ずる。

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「64─ロクヨン─』2部作を手がけた瀬々敬久監督による
自主制作映画。
クラウドファンディングの方式で資金集めをした。
30年来暖めた題材を映画にした瀬々監督の熱量が半端でない。
画面の向こうからエネルギーがほとばしる。
3時間を越える作品と聞いておじけづいたが、
退屈なく観終えることが出来た。
監督の演出力のたまものだろう。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/8UX6CFXgwKk

テアトル新宿で上映中。
長い映画のためか、料金割り増しなので、注意。


この時代のことを今の物差しで計ることは出来ないが、
背景に貧困が大きく横たわっていることは明白だ。
平等を叫び、自由を叫ぶ若者の意気は当然で、
戦後も革命を叫ぶ集団はあったが、
経済が発展し、富が広く行き渡る中で消滅した。

結局は経済を良くすることが世の中を良くすることで、
ストライキや労働争議が頻発する諸外国に比べ、
日本ではもう何十年もストの声を聞かない。
経済を豊かにすることの方が
革命を叫び、テロで世直しを図ることよりも
はるかに大きな解決策だったのだ。

そういう意味では、
賢人・曽野綾子さんが言うとおり、
日本は国家運営を成功したのだ。
異論はあろうが、
それは、世界を知らないからで、
世界の貧しい地域から比べれば、
日本は天国だ。
世界の不幸な人々の願望を日本人は
生まれながらにして持っている。

戦争のない平和な住環境、
電気もガスも上下水道も交通網も整備され、
食料は豊富、義務教育があり、
医療は世界に冠たる国民皆保険がある。
貧困者は生活保護を受け、
それを目当てに外国から移住してくるくらいだ。
身分制度はなく、移動の自由も言論の自由もあり、
どんなに政府を攻撃しても、
法律に違反しない限り逮捕されることはない。
国会ではどんな理不尽な政府攻撃をしても弾圧されはしない。
戦前とはわけが違う。

親を選べないように、
生まれた国は選べない。
日本人は、日本に生まれたことを感謝すべきなのだ。

ただ不幸なのは、
そのような幸運に恵まれたことを
国民が感じていないことだ。
外に出てみれば分かることなのに。

タグ: 映画



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