『朝鮮総督府官吏の最後の証言』  書籍関係

[書籍紹介]

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日本は1910年から1945年まで
35年間、朝鮮を統治した。
その時代のことを韓国人は「日帝植民地時代」と呼ぶが、
実際は「併合」であり、
それは、ロシアの植民地になることを避けるために
朝鮮側から求めてきたのが事実である。

そして、韓国人では「日帝植民地時代」は次のように教えられる。

○日本は朝鮮人から搾取し、
 奴隷のように扱い、非道の限りを尽くした。
○創氏改名で、朝鮮人から名字を奪った。
○何十万もの女子を拉致し、従軍慰安婦にし、最後は殺害した。
○徴用工として日本に送り込み、奴隷労働をさせた。
○日本語を押しつけ、朝鮮語を奪った。

本書は、朝鮮総督府官吏だった西川清氏↓による
朝鮮の日本統治時代の実態に関する証言の書。

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西川氏は、日韓併合時の朝鮮において、
朝鮮人の知事が統括する地方行政で内務課長を勤めていた。
上記のような、韓国人による日本統治の決めつけが、
いかに間違いであるかを実例を挙げて証言する。
西川氏は、朝鮮を第二の故郷と呼んでおり、
だからこそ西川氏は、
数々の虚偽で日本の尊厳が汚される現状に
義憤を覚えている。
平成26年の出版当時99歳であった前川氏の証言は、
実際に行政を行った側からののものとしては、
最後になる、貴重なものである。

目次は、

第1章 朝鮮総督府官吏の仕事
第2章 朝鮮人の仲間達
第3章 朝鮮総督府の組織解説
第4章 終戦時の朝鮮
第5章 日本統治と日韓の未来

で、実際の日韓併合による統治がどのようなものであったかを
詳細につづる。

まとめると、大体、次の様なものだ。

○朝鮮総督府の方針は「内鮮一体」で、
 日本人と朝鮮人の間に差別はなかった。
 その証拠に、日本人の上に朝鮮人の上司がいた。
 給与も日本人と朝鮮人の間に差別はなかった。
○「内鮮一体」ということは
 過去には差別があったということでもある。
 それを否定するつもりはない。
 しかし、差別を日本人は無くそう、
 朝鮮人も同じ権利にしようと努力していた。
 この努力を日本人は懸命にしていた事実を知ってほしい。
○職場で日本人と朝鮮人は大変仲が良かった。
○たとえば国有林の払い下げについても、
 日本人に有利になるような措置はせず、
 縁故林といって、その土地に縁がある人に払い下げるようにした。
 つまり、朝鮮人を優先して払い下げた。
○徴用は面長(村長)等にきちんと説明し、
 本人にも納得してもらって集めた。
 だから、私(前川)は割り当てを充足することが出来、
 割り当てを集められない人から見本にされた。
 日本に行って、日本人と同じ仕事をして、
 賃金もきちんともらえる、と説明した。
○慰安婦連行を行政機関が命令して行ったということは
 絶対にない。
 そんなことを公的機関がしていたら、
 必ず文書で残っているはず。
 組織は文書で命令が下りて来るのだから。
 統制の取れた戦前の厳しい組織で、
 しかも官吏や警察に多くの朝鮮人がいる中で、
 強制的に連れて行こうと思っても不可能。
 女衒(ぜげん)は朝鮮人がやっていた。
 どこに娘がいて、どこに売るかとなれば、
 朝鮮人でなければできない。
 日本人がいきなり行って、
 言葉も土地もよく知らぬままではできない。
○皇民化政策というが、
 当時は日本にいる日本人全員が皇民化政策の対象で、
 朝鮮人のみに押しつけたということはない。
○総督府は朝鮮人に自由を認めていた。
 創氏改名もしても、しなくてもいい。
 戦場に行かなくてもいい。
 志願してもいい。
 (実際、朝鮮に徴兵制が敷かれたのは、
  終戦間際で、徴兵された朝鮮人は戦場には行っていない)
○日本の統治が始まると、
 教育に力を入れ、
 就学率を上げた。
 学校では朝鮮語も教えた。
 ハングル文字を奪ったことはない。
○役所の中では、基本的に日本語で話していたが、
 朝鮮人同士は日本語か朝鮮語。
 自然なことだから、誰かが何か言うこともなかった。
 「朝鮮語を使うな」なんて言うこともなかった。
○朝鮮では「姓」と「氏」は異なるもので、
 「姓」は父系の血統を表し、
 「氏」は家族を表す。
 「創氏改名」とは、
 朝鮮になかった「氏」という家族名を新たに創り、
 従来の「姓」も戸籍に残す制度で、
 届け出をしなければ、
 朝鮮名の「姓」がそのまま「氏」になった。
 「創氏改名」は本人が日本名を希望すれば改名できるもので、
 任意だった。
 強制だったら、朝鮮人の官吏が真っ先に改名するはずだが、
 実際は改名する人もおり、しない人もいるという現状だった。
 つまり、
 「内鮮一体」を目標としてかかげている朝鮮総督府としては、
 朝鮮人に日本人と同じ権利を与える、 
 つまり日本名を名乗る権利を与える、という性質のものだった。
 南次郎総督は、「創氏改名は強制と誤解するな」
 という注意をうながしており、
 当時の新聞でも報じられている。

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○日本は朝鮮人から搾取などしていない。
 大体、搾取するような資源も農産物もなかった。
 逆に日本は国家予算を使って学校を立て、
 鉄道を作り、ダムを作り、道路を作り、
 植林をし、田畑を警備した。


西川氏は、このように述べる。

12年間朝鮮で働いていて今思うことは、
朝鮮統治に関して
日本人としては模範的な立派な統治をしたと思います。
誰かに後ろ指を差されるところは
どこにもないと思っています。
殖産、工業、教育、衛生、
日本人は「朝鮮人と共に全力を挙げて、
朝鮮の為に力を注ぎました。
そして、日本人は差別なく取り組みました。
差別を無くすことは総督府の大方針でした。
アメリカにおけるように、
黒人を差別するようなことはなかったのです。
こんな立派な施政をした国はないと思います。

日本が朝鮮や台湾で統治した実績は、
世界でも珍しい事例だと思います。
皆、(植民地にした国から)搾取して、
そこの住民は苦しんだというのに、
日本は朝鮮でも、台湾でも、
同じ日本人だとしました。
一緒に懸命になって幸せになろうと努力しました。
日本が搾取しようとしたわけではないのです。
こんな事例は、世界で日本以外にありますかと問いたいです。

インフラ整備も
朝鮮の為にやったことばかりです。
むしろ、日本にとっては財政的に大きな負担でした。
“搾取”の為にしたインフラ整備などとは
到底いえない莫大な金額と労力の投資でした。
興南の窒素工場や水豊ダムは巨大なもので、
世界でも有数の施設です。

日本は台湾と朝鮮で善政をしいた。
台湾のそれは、「内地延長主義」といい、
台湾を日本と同じ豊かな国にしようと、
教育をほどこし、インフラを整備した。
だから台湾の人は、
今も当時のインフラ整備などに感謝している。
台湾総督府がそうであれば、
朝鮮総督府が正反対のことをやったなどとは、
まず事実に反する。
なのに、なぜ韓国ではなぜ、
日本の統治時代が暗黒時代のようにいうのか。

アジアを植民地とした西欧列強が去った後も、
インドもインドネシアもベトナムも、
いつまでも植民地時代の列強の悪を言い募ったりはしない。
それより、未来を指向する。
その方が賢いからだ。

では、なぜ韓国だけが、
いつまでも過去のことを問題にするのか。
つまり、相手が特殊だったのだ。
韓国を「恨」の国というが、
自分たちより下と思っていた日本に
統治されたことがくやしくてくやしくてたまらない。
だから、過去を暗く塗り込め、
そこから恨みだけを抽出したのである。
それで歴史を捏造し、
慰安婦も徴用工も
被害者として創作したのである。
韓国は「歴史を直視せよ」とことあるごとに言うが、
それは、「韓国が言う歴史に同調せよ」ということだ。
歴史を直視すれば、
日本統治時代の真実が見えるはずなのに、そうはしない。
日本の統治時代は良いことをした、などと言おうものなら、
激しい糾弾と社会的抹殺が待っている。
「日本の時代の方がよかった」
と言った老人を若者が撲殺した、
という事件さえ起こっている。

本書における西川氏の証言は、
実体験に基づいて、その真実を語っている。
しかし、その経験者は次第にいなくなっている。
その意味で、この証言は貴重で、
大事に語り継がれるべきだろう。
 
前書きに相当する「取材記」には次のような一文がある。

従軍慰安婦問題などは
記憶が鮮明なはずの終戦直後には話題にすらならなかった。
何故なら当時は実態を知っていた人が日韓で数多くおり、
強制連行などが嘘であことがすぐに分かってしまうからである。
初代大統領の李承晩や
日韓国交正常化時の朴正煕・元大統領も問題にしていない。
この事実が何より真実を雄弁に語っている。

日韓併合の実態を行政側から解説できる
朝鮮総督府官吏としての証言はおそらく西川氏が最後であろう。
他に朝鮮で生活した方がいたとしても終戦時は幼少であったり、
当時を知る家族から伝え聞いた話が殆どになる筈である。
それは一つの貴重な体験ではあるが、
「朝鮮総督府の施政がどういうものであったか」
という視点で語ることは難しい。
だからこそ、
この元官吏である西川氏の証言及びその写真、資料は
日韓併合時の実態を知る上で貴重な記録である。
ここに証言されている内容は、
戦後教育を受けた人にとっては、驚きであるに違いない。
取材に於いて西川氏は、朝鮮のごく平穏な生活と日常に触れ、
そこで語られるのは幸せな朝鮮人と日本人の姿であった。
また、貴重な写真からも朝鮮人と日本人とが
普通に仲が良かったことが分かる。
朝鮮人が日本人の上司になることも普通であり、
職場の仲間と日朝合同の野球チームを作り他のチームと戦ったり、
時に桜の下で酒を酌み交わした楽しい想い出も多く、
朝鮮人と日本人は共に
朝鮮の発展を願い職務に精励していたという。
まるで現代社会と変わらないような錯覚を覚えるが、
正にこれが歴史の真実である。

その歴史の真実を変え、捏造する韓国。
真心を踏みにじって恥じない国。
まさに、相手が悪かったというしかない。


映画『羊の木』  映画関係

[映画紹介]

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昔は栄えたが、今はさびれている港町・魚深市
市の職員の月末一(つきすえはじめ)は、
上司から、市に移住してくる人たちの出迎えを命じられる。
駅や空港で引き継いだ男女は
何か事情がある匂いをぷんぷん漂わせていた。
そのうちの一人の出迎え先は刑務所。
さすがに月末は上司を詰問し、
魚深市に委託された「国家プロジェクト」の内容を知る。

移住してきた6人(原作では11人)は
いずれも殺人で刑に服していた人たちだった。
町が身元引受人になり、
住居と職場を準備する代わりに、
魚深市には10年間在住する、という約束で迎え入れたのだ。
刑期の短縮で国家財政の削減を狙い、
同時に過疎対策にもなるという、
その秘密更生実験プロジェクト
国家の将来がかかっているという。
しかも、その計画は市長と上司と月末の3人しか知らない
つまり、市民には殺人犯であったことを知らされていないのだ。

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こうして、6名は、
ある者は理髪店で、
ある者はクリーニング店で、
ある者は釣り船業者になり、
ある者は宅配業者に、
ある者は介護施設で働き、
ある者は清掃員として、
市民の生活の中に入り込んでいくのだが・・・

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冒頭の月末が次々とわけありの人間を受け入れ、
その奇妙な態度を不審に思うところから、
上司や同僚によって、
次第に一人一人の背景が明らかになって来るあたり、
着想の見事さに瞠目した。
市民の中に放り込まれた元受刑者、
しかも市民は誰一人知らない。
いつそれが発覚するのか、
一体何が起こるのか、
次の展開に目が離せない、
まさに設定は素晴らしいのひと言。

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しかし、肝心の後半から終幕までは、
せっかくのシチュエーションがうまく機能せず、
一人一人の人生が重なり合い、
よじりあって物語を展開するわけでもなく、
平凡な終わり方をしてしまった。

唯一、6人の軌跡が交差する場面の「のろろ祭り」の部分も、
結局酒乱騒ぎで終ってしまうだけで残念。
他には釣り船業者と宅配便業者のわずかな接触だけ。
やはり、元受刑者同士が
知る知らないにかかわらず、
次第に接触し、連帯していくという中で生み出す
不気味さが必要だろう。

異形の巨大像・ののろ様が町を見下ろす、
という、せっかくの設定なのだから、
のろろ様に罪と贖罪の意味をもたせて、
そのまつりの中で物語が昇華するようにすればいいのに、
残念ながら知恵が足りなかったようだ。

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終ってみれば、国家プロジェクトの行方も判然とせず、
移住者の6人に北村一輝、優香、市川実日子、水澤紳吾、田中泯、松田龍平という
芸達者な顔触れを配し
「何が起こるんだろう」と緊迫感を漂わせたのに、
それが生かされていない。
期待させたわりには、平凡な描き方だ。
おさななじみで出戻りの木村文乃も、
話の大筋にはからまず、
せっかくの配役が生かせない。

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日本俳優界の曲者役者の無駄使い。
お人良しな市役所職員月末を錦戸亮が演じ、サマになっている。

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題名の「羊の木」は、
移住者の一人がゴミの中から拾った缶に描かれたもので、
木の上に実のように羊がなっている。

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西洋に伝わる伝説の木で、
「タタール旅行記」に書かれているという。
原作によると、コロンブスの時代、
ヨーロッパの人々は、
綿は羊のなる木からとれると思っていたそうだ。

原作は山上たつひこいがらしみきおによるコミック。

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監督は「桐島、部活やめるってよ」の吉田大八

せっかくのアイデアを生かせず、
平凡な出来にしてしまった脚色者と監督の責任は重い。

5段階評価の「3.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/NBcBtl6rLmo

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日本人に人気の海外観光スポットランキング  旅行関係

日本の城ランキング、神社仏閣ランキング、日本の橋ランキング、
日本の人気観光スポットランキングに続き、
今度は海外に目を転じて、
日本人に人気の海外人気観光スポットランキングです。

2015年10月〜2016年6月までの1年間に、
トリップアドバイザーに投稿された
日本人旅行者の口コミ評価をもとにして
集計されたものです。


第1位 アンコール遺跡群(カンボジア)

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第2位 アンテロープキャニオン(アメリカ)

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第3位 サグラダ・ファミリア教会(スペイン)

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第4位 グランドキャニオン(アメリカ)

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第5位 シェイク・ザイード・グランドモスク(アラブ首長国連邦)

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第6位 アルハンブラ宮殿(スペイン)

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第7位 ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー(アメリカ)

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第8位 マッターホルン(スイス)

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第9位 マチュ ピチュ(ペルー)

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第10位 美術史美術館(オーストリア)

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第11位 カリフォルニア科学センター(アメリカ)

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第12位 秦始皇兵馬俑博物館(中国)

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第13位 モン・サン・ミッシェル(フランス)

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第14位 オランジュリー美術館(フランス)

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第15位 ラニカイビーチ(アメリカ・ハワイ)

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第16位 古都シギリヤ(スリランカ)

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第17位 イパオ ビーチ(グアム)

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第18位 メトロポリタン美術館(アメリカ)

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第19位 バチカン美術館(システィーナ礼拝堂) (バチカン市国)

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第20位 オルセー美術館(フランス)

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第21位 シュエダゴン・パゴダ(ミャンマー)

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第22位 ミラノの大聖堂 (イタリア)

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第23位 サン・ピエトロ大聖堂(バチカン市国)

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第24位 ウルル(エアーズロック)(オーストラリア)

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第25位 壁画 最後の晩餐(イタリア)

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第26位 ホースシューベンド(アメリカ)

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第27位 ケルン大聖堂(ドイツ)

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第28位 ナショナル・ギャラリー(イギリス)

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第29位 カタルーニャ音楽堂(スペイン)

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第30位 ウフィツィ美術館(イタリア)

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第31位 カイルア ビーチ パーク(アメリカ・ハワイ)

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第32位 ラニカイ ピルボックス トレイル(アメリカ・ハワイ)

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第33位 キューケンホフ公園(オランダ)

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第34位 ナイアガラの滝(カナダ側)(カナダ)

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第35位 フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(イタリア)

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第36位 マウナ ケア山(アメリカ・ハワイ)

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第37位 バガンの寺院(ミャンマー)

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第38位 大英博物館(イギリス)

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第39位 プリトヴィチェ湖群(クロアチア)

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第40位 ルーブル美術館(フランス)

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第41位 タリン旧市街(エストニア)

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第42位 ビクトリア&アルバート博物館(イギリス)

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第43位 エルミタージュ美術館と冬宮殿(ロシア)

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第44位 アウシュビッツ・ビルケナウ博物館(ポーランド)

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第45位 コルドバのメスキータ(スペイン)

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第46位 ディズニーランド・パーク(アメリカ)

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第47位 ガルニエ宮 パリ国立オペラ(フランス)

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第48位 アムステルダム国立美術館(オランダ)

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第49位 サント・シャペル(フランス)

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第50位 プラハ旧市街(チェコ)

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以上のうち、
私がまだ行っていないのは、

シェイク・ザイード・グランドモスク
マッターホルン
カリフォルニア科学センター
オランジュリー美術館
イパオ ビーチ
ウルル(エアーズロック)
ケルン大聖堂
ラニカイ ピルボックス トレイル
サント・シャペル

の9つ。
もう行くのは、無理かなあ。


小説『西郷の首』  書籍関係

[書籍紹介]

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幕末維新の歴史の嵐に翻弄される
加賀藩の若者二人を描く
伊東潤による歴史小説。
「小説野生時代」に2016年3月号から2017年1月号まで連載。

若者二人とは、足軽の島田一郎千田文次郎
共に実在の人物である。

千田文次郎は、西南の役で、
切腹した西郷隆盛の隠匿された首を発見した人。
島田一郎は紀尾井坂の変の主犯。

西南の役・・・
1877年(明治10年)に
現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において
西郷隆盛を盟主にして起こった
士族による武力反乱。
明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、
日本国内で最後の内戦である。
官軍死者は6403人、
西郷軍死者は6765人に及んだ。
西郷隆盛は、最後の城山籠城戦で命を落とした。
西南戦争ともいう。

紀尾井坂の変・・・
1878年(明治11年)5月14日、
内務卿大久保利通が麹町紀尾井町清水谷で、
不平士族6名によって暗殺された事件。
犯人の6人は自首し、2カ月後に斬首刑に処された。
「紀尾井坂事件」「大久保利通暗殺事件」ともいう。
    
混沌とした幕末。
開国を迫る諸外国に幕府の対応は揺れ動き、
攘夷の議論が国挙げての激論となっていた頃。
加賀藩を舞台に、
幼なじみの文次郎と一郎も
その奔流に飲み込まれようとしていた。
加賀藩は「百万石」という誇りと重圧から
その方針が定まらず、
朝敵の批判を避けるために、
藩内の尊皇攘夷派の粛清に走る。

文次郎と一郎の尊敬する福岡惣助もその一人で、
生胴という過酷な刑罰が下される。
切腹や斬死ではなく、
武士の名誉を剥奪した胴切りの刑だ。
福岡の頼みで、
文次郎が胴斬りを、
一郎が斬首を担当させられる。

水戸藩の天狗党が加賀藩を通行する時、
加賀藩は天狗党を預かるが、
幕府の決定は全員死罪で、
加賀藩はその決定に従う。
文次郎と一郎は武田耕雲斎と藤田小四郎に付き、
その人格と潔さに感銘を受ける。

その後も東北戊辰戦争で莫大な軍事費を負担した加賀藩は、
深刻な財政危機に陥る。
更に版籍奉還で家禄を大幅に削減され、困窮のどん底に陥る。
それでも文次郎や一郎らは、
藩を信じ、一足軽としての立場を守っていく。

そして、明治維新が成り、
廃藩置県が発布され、
従来の価値が百八十度変わってしまう。
武士の立場も喪失し、
士分の者たちの不満が鬱積する。

そういう中、文次郎は軍人の道を選び、
一郎は政治結社に進み、
おさななじみの道は大きく別れ離れになっていくが・・・

明治維新という、
日本の歴史における大変換点
加賀藩の足軽二人の軌跡の中で描こうとするこの作品、
大変面白かった。
加賀藩が百万石という大藩だっただけに、
時代の変化に対応できない姿が興味深い。

明治幕府が出来てからも、
その中枢に入れなかった加賀藩の者たちが、
「なぜ、わが藩の出身者がおらぬ!」
と悲憤慷慨する姿に、
幕藩体制から抜け出せない姿勢が伺える。

文次郎と一郎の会話。

「先ほどの話、おぬしはどう思う」
「先ほどの話とは、家柄や門閥で生涯が決まるという話か」
「そうではない。福岡さんの話だ」
「思うも何も,われらは世子様や同行する家老衆のご指示に従うだけだ」
「それは分かっている。だが、われらも自覚を持たねばならん」
「何の自覚だ」
「加賀百万石の藩士という自覚だ」
「われらは足軽だぞ」
「そんなことは分かっている。
ただな、身分などというものが
意味を成さなくなる世が来る、
と福岡さんも言っていた」

他の会話。

「よいか、一郎。
そなたは何かといえば志ばかり持ち出すが、
志で飯は食えぬ。
先祖から託されたお勤めを滞りなくこなすことで、
われらは藩主様から禄をいただいているのではないか」
「そんな当たり前の講釈は聞きたくない。
今、時代は大きく動こうとしている。
そんな時に、われらだけのんびりとしていられるか」


一郎と藤田小四郎との会話。

「で、何が聞きたい」
「志士としての心構えです」
それを聞いた藤田が、腹を抱えて笑う。
「そんなものはないよ」
「えっ、そんな・・・」
「『志士とはこういうものだ』なんて
講釈を垂れる御仁に、
真の志士はいないよ」


続いて、こうも言う。

「島田君、世の中というものはな、
草芥の屍(しかばね)が重なりに重なり、
どうにもならなくなる時まで
動かないもんさ。
そういう意味では、われわれの死は無駄ではない」

「島田君、われわれの屍を越えていけ」
「もちろん君も力尽きるかもしれない。
それでも、君の屍を乗り越えていく者が出てくれば、
君の死は無駄ではなかったことになる」
「それが志士の心構えというものだ。
つまり、屍になる覚悟のある者だけが志士と呼ばれる」

                                        
文次郎は、次の境地に至る。

──もはや、藩などという枠組みは要らないのだ。
目の前にいるのは、
藩の壁が取り払われ、
志だけで一つになった男たちだった。


東京で学んで帰国した長小次郎と一郎の会話。

「これからの時代は、
広く会議を起こし、
万機公論に決せねばありません。
つまり、われわれ一人ひとりが
正しい見識と意見を持ち、
政府に対して物申すことが大切なのです」
「それは、どういうことだ」
「欧米社会では、政府が民意にかしずくのです。
ルソーというフランス人は、
デモクラシーという言葉で、
人民に主権があると唱えています」
「デモクラシーとは何だ」
「簡単に言えば、
思想、言論、表現、結社などが自由となり、
選挙によって代表が選ばれ、
議会で政策が決定されることです」
「そんなことをすれば、国は乱れる」
「ところが、そうではないのです。
民衆は政治への参画意識によって、
国民である自覚ができ、
国家のために尽くすようになるのです」
「つまり、それが西洋の国家だと言いたいのだな」
「その通りです」
「大したものだ」


それにしても、
廃藩置県とはすさまじいことを明治政府はしたものだ。
それによって、藩主という地位も藩士という概念もなくなってしまう。
それまでは、藩のために、
とお家大事でやってきたのが、
その基盤を失ってしまうのだ。
それは、家柄によって藩の職が決まるという、
不動の体制までも瓦解させてしまう。
藩にいる限り、家が続く限り、
禄をいただいていた武士たちが
一斉に職を失い、収入の道を閉ざされてしまうのだから、
武士にとっては、驚天動地の出来事だっただろう。

「本を正せば、
御一新は武士によって成りました。
そのため敵味方多くの武士が死にました。
その戦費も、諸大名が自腹を切りました。
ところが蓋を開けてみたら、
殿様は領地を取り上げられ、
家臣たちは失業し、
何らよいことはありませんでした」
「石川県に限らず、
各地の士族はすべての特権を取り上げられ、
路頭に迷ったり、
娘を女衒の売ったりする者まで出ている始末です」


やがて明治政府は廃刀令を発布。
武士の魂とも言える帯刀を禁じることで、
士族たちの誇りを著しく傷つけた。
士族の不満がすさまじく、
明治政府は、それへの対応に迫られ、
大部分は軍隊で鎮圧した。

軍人となった文次郎は、
西郷隆盛の閲兵に参列し、
西郷から言葉を賜る。
その魅力に打たれた文次郎は、
この人のために死にたい、とまで思う。

しかし、運命の不条理で、
文次郎は西南の役に従軍し、
城山で西郷軍と対峙することになる。
そして、西郷の死体を発見し、
隠匿された西郷の首を発見することになる。
もし首が発見されなければ、
「西郷は生きている」
という神話が生まれ、後を引くことになるが、
それを遮断したのだ。

──一つの時代が終ったのだ。
西郷の死と共に、何かが終った気がした。
──もう武士の時代には戻れぬ。
西郷の首を見つけたことで、
文次郎は、己が
武士の時代の死に水を取る役割を果たしたことに気づいた。


これがこの本の題名の意味である。

──わしが西郷大将の首を見つけてしまったことで、
士族たちの夢は潰えた。
もし、わしが首を見つけられなかったら、
皆、『西郷大将はどこかで活きている』と信じ、
これほど絶望しなかったかもしれない。
武士の世にとどめを刺してしまったわしは、
その責めを負わねばならぬ。


一方、大久保利通の暗殺という道を選んだ一郎の
暗殺の描写は非常にリアリティがある。
そして、処刑の場面も。
その親友との別れの場面は涙なくしては読めない。

──われらは、幕末から維新を経て、
かけがえのない大切なものを失ってきた。
文次郎は、失われたものの大きさを思い出していた。
それは、西郷の首のように
重く大きなものだった。
──だが、もう後戻りはできないのだ。
生きている者は、
どんなに辛くとも前に進まねばならぬ。


明治維新という歴史の激流の中で揺れ動く
武士階級の悲哀を描く、
奥行きの深い本だった。


映画『祈りの幕が下りる時』  映画関係

[映画紹介]

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東野圭吾による「加賀恭一郎シリーズ」第10作目の映画化。
このシリーズは「新参者」としてテレビドラマ化され、
映画化作品には、「麒麟の翼」がある。
    
初めに、仙台のスナックに勤めていた女性が心臓発作で亡くなり、
加賀恭一郎に連絡が来る。
亡くなった女性は失踪していた母だった。
恭一郎は、母の住んでいたアパートを訪ね、
遺品を引き取って帰る。
母と恋愛関係にあった男性は姿を消していた。

その数年後、
小菅のアパートで女性の腐乱死体が発見された。
絞殺されて数日経っており、
アパートの住人・越川睦夫は消息を絶っていた。

同じ時期に、現場に近い河川敷で
ホームレスの焼死死体が発見され、
同様に絞殺されてから火をつけられていることから、
加賀の従弟である捜査一課の松宮は関連性を感じていたが、
アパートに残されていた越川とのDNA鑑定は一致しなかった。

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やがて、被害女性は滋賀県在住の押谷道子と判明し、
滋賀県での捜査で、道子が中学の同級生で
今は演出家として成功した
浅居博美を訪ねに上京したことを突き止める。
博美は加賀と接点があり、
以前、出演者の中学生の剣道指導を依頼されたことがあった。

加賀は、従弟である松宮から
越川のアパートにあったカレンダーに
日本橋界隈にある橋の名前が
月ごとに書きこまれていたことを聞き、衝撃を受ける。
母の部屋にも、同じ橋の名前が書き込まれていたのだ。

一方、滋賀県の捜査で、
博美の過去が次第に分かって来る。
逃げた女房の借金の返済を迫られて
博美の父は博美を連れて失踪し、
その後、市内のビルの屋上から投身自殺を図っていたというのだ。

こうして、小菅のアパートでの殺人事件と、
ホームレスの焼死事件と、
はるか昔の滋賀県での失踪事件が
次第に一つにつながって来る・・・

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以前、原作本について、このブログ↓で触れたが、

原作本「祈りの幕が下りる時」

次々と呈示される謎が、
一つにまとまって来る過程が良好な、
上等なミステリーになっていた。
加賀の父と母の問題もからみ、
親子の情愛が背後にあり、
読物としてもなかなかのものだった。

そのブログで、
「この作品も映像化されると思うが、
よほどうまく脚色し、
巧みに演出しないと
無残な結果になってしまうような気がしてならない。
傑作とのすれすれのところに行きそうだ」
と書いた。

結果は、なかなか優れた映画化といえよう。

まず、原作に忠実に素直にストーリーが展開するのがいい。
余計な曲解や新解釈など加えずに、
織りなされる幾筋かのストーリーが
よく縒り合わされた縄のように、
混乱なくまとまっている。

そして、加賀を演ずる阿部寛

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浅居博美を演ずる松嶋菜々子

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博美の子ども時代を演ずる桜田ひより

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など、俳優陣もなかなかいい。
加賀の父を演ずる山崎努は言うまでもない。

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ただ、捜査会議を牛耳る春風亭昇太と上杉祥三なんだか変だ。

松本清張原作による映画「砂の器」(1974)との関連も指摘されているが、
あれは、犯人が作曲・指揮する「宿命」の音楽に乗って
親子の逃避行が描かれるからよかったのであって、
ピアノ協奏曲の演奏が
犯人の過去の記憶と重なるという高等戦術を使い、
その上、寒村や海や山という自然描写が効いており、
そうしたことが相乗効果で映画的興奮を呼んだ。

今作でも、博美演出による「異聞曽根崎心中」の描写が
物語の本質に関わって来たら、
すごい傑作が生まれただろうと思われる。
やはり少し知恵が足りない
それだけが残念。

監督は、テレビドラマ「半沢直樹」などの演出を務めた福澤克雄

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/EBA2vHuiLoU

タグ: 映画




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