小説『クリスマスの4人』  書籍関係

[書籍紹介]

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1970年12月25日、
ビートルズが死んだ年の聖夜、
20歳の4人の男女学生(潤次、百合子、絹枝、塚本)が
車内でマリファナをやった上、
無免許の百合子に運転をさせ、
人を轢き殺してしまう。
人里離れた田舎道であったことから
迷いに迷ったあげく、
4人は事故の隠蔽をもくろみ、
死体を林の中に放置する。
身元が分からないように、全裸にして。

似た趣向の映画に「ラストサマー」 (1997) というのがあった。
原題は「I KNOW WHAT YOU DID LAST SUMMER 」、
つまり「去年の夏、君タチがしたことを知っているぞ」というわけで、
主人公の男女4人(男女2人ずつという構成も同じ)が
殺人鬼に追いかけられる。

それとは違って、
物語は10年ごとに区切って語られる。

1980年、再会した4人の前に
あの日、はねられた男が姿を現す。
そして、4人に対して、
「懐かしい、と言うべきなのか・・・言葉がみつからない」
と語りかけ、
「俺が誰か分かるか?」
「こういう現実を受け入れるときが、そのうちやってくる」
という謎の言葉を残す。
4人にとって衝撃だったのは、
男がはねられた時のままの服装であったこと、
そして、全く10年の歳月を感じられない姿だったことだった。
ここで話はサスペンスからホラーに色合いを変える。

さらに10年後の1990年、
小説家になった潤次が事件を小説にして映画化され、
その試写会の時に4人は集まる。
舞台に現れた監督が、あのはねられた男と同じ服装で、
しかも、試写会の後、
トイレで死亡する。
全裸で。
トイレの前には人がいて、
誰も中に入った様子はない。
謎はまたふくらむ。

そして、更に10年後の2000年・・・

というわけで、
10年ごとに4つの章で構成し、
そのたびに語り手が変わる。
1970年は潤次、
1980年は百合子、
1990年は絹枝、
2000年は塚本。

背景に色濃くビートルズが存在するから、
4人というのは、
ビートルズになぞらえているのかもしれない。

展開がスピーディーで、
謎が謎を呼ぶ。
一体、最後にどんなおとしまえをつけるやら・・・
これに合理的に納得できる結末が用意されたとすれば、
井上夢人、本当に天才中の天才だぞ、

と期待したが・・・

最後の章2000年で、話自体が大きく変調する。

映画でも、時々、途中から
違う種類の映画になってしまうことがあるが、
これもそのたぐいだ。

なにしろ、アレとアレを持ち出すのだから、
あとは何でもアリ、になってしまう。
その上、辻褄も合わず、
頭は混乱するばかり。

10年ごとに刻んだ世界に、
当時の時代の風物が織り込まれているのはいいが、
ただ、それだけ。

やはり、この結末は、井上夢人といえども、
禁じ手だと思われる。


映画『ニュートン・ナイト』  映画関係

[映画紹介]

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1863年、南北戦争に
南軍衛生兵として従軍していたニュートン・ナイトは、
戦死した甥の遺体を家族に届けるため、
軍から脱走する。
追われる身となった彼は、
身を隠した湿原で、逃走した黒人奴隷たちと出会い、
心を通わせる。
やがて、貧しい白人の脱走兵と農民たち、
逃亡した黒人奴隷約500人で結成された
黒人と白人が一つになった前代未聞の反乱軍を率いて、
南軍100万人に立ち向かう。

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そして、1864年、
ミシシッピ州ジョーンズ郡に、
肌の色、貧富の差、宗教や思想に関係なく、
誰もが平等な〈自由州〉の設立を宣言する。

原題は「Free State of Jones 」、
つまり「ジョーンズ自由州」。

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ニュートン・ナイトという人物の存在も、
ジョーンズ自由州についても全く知らなかった。

ミシシッピィ州↓

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ジョーンズ郡↓。

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「南北戦争秘話」というおもむきで、
歴史の中に埋没した話を、
「シービスケット」のゲイリー・ロス監督が、
10年の歳月をかけてリサーチし、映画にした。

なにしろ、リンカーン大統領より前に
局地的とはいえ、奴隷解放をなしとげた人物である。
映画の中でも、
それを宣言する場面が出て来る。
「ここジョーンズ州では、
貧富の差を禁止する。
誰も人に命令することは出来ない。
作った作物は自分のものとなり、搾取されることはない。
そして、人間は皆平等である」

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南北戦争と奴隷解放の内実も初めて知ることが沢山あった。
たとえば、
20人以上奴隷を所有している農場の息子は
兵役を免除される、という法律。
裕福な農場主の家族は優遇されていた。
まさに映画の中に出て来るように、
「金持ちのために貧乏人が戦わされている」のだ。

そして、北軍が勝利し、奴隷解放がなされたと見えながら、
次のジョンソン大統領により撤回、
(黒人奴隷の処遇は南部諸州の判断に委ねると共に、
奴隷制廃止を唱える議会と対立。
拒否権を29回行使)
「年季奉公」という形で、実質的な奴隷制度が続いていた。
選挙権が黒人に与えられながらも、
いざ投票日になると、
妨害を恐れて黒人たちは投票所に現れない。
ニュートンたちが投票所に行くと、
共和党への投票用紙が秘匿されている。
(共和党と民主党で投票用紙が違っていたようで、
これでは、どちらに投票したかが明らかになってしまう)
今と違って、共和党の方がリベラルで、
民主党の方が保守的だった。
選挙人名簿を作成して回っていた
ニュートンの盟友モーゼスは白人たちによって縛り首にされる。

あまりに何代も続き、
染みついた奴隷制度から抜け出すのには、
本当に血のにじむような苦労が必要だったのだと分かる。

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ニュートンは黒人奴隷の一人と結婚するのだが、
それを巡って後日談が並行して描かれる。
ニュートンから80年ほど後。
ニュートンの曾孫が白人女性と結婚する。
しかし、「8分の1」黒人の血が混じっているのは黒人とみなされ、
結婚が認められないのだ。

(更に、フロリダ州法では、
白人と黒人の結婚は禁止されており、
4世代前までに黒人の血が一人でも含まれれば(16分の1)、
黒人として扱われていた)

何百年も前の話ではない。
わずか150年前、
日本の明治維新(明治元年=1868年)の時代に
まだアメリカはこんなことで争っていたのだ。
そして、曾孫の時代にも、まだ
黒人との結婚は州によっては認められなかった。

2009年に至っても、
ルイジアナ州の治安判事が
黒人男性と白人女性の結婚は道徳的に正しくないとの理由で、
結婚許可証の発行を拒否したという報道がなされている。

というわけで、
奴隷解放について、
リンカーンより早くなし遂げた人物がいたという
歴史の秘話を学び、
勉強になった。

ニュートン・ナイトを「ダラス・バイヤーズクラブ」(2013)で
アカデミー賞主演男優賞を受賞した
マシュー・マコノヒーが演じ、

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エンドクレジットで流れる主題歌の「I'm Crying」を
グラミー賞に3度輝いたルシンダ・ウィリアムスが作曲している。

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5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/XM3sNvYsAjY

タグ: 映画

『帝国の慰安婦』のその後  政治関係

昨日紹介した
朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授の著書『帝国の慰安婦』だが、
その反応、評価はどのようなものだったか。

東京大学名誉教授の田中明彦
2015年11月の
『帝国の慰安婦』の毎日新聞アジア太平洋賞受賞に際しての選評で、
同書を
「慰安婦問題についての、
全面的、実証的、理性的、かつ倫理的な分析である」
とし、
「本書ほど、この問題のすべての側面を
理性的に検討した本はない。
歴史的な慰安婦発生の構造とその実態の解明から、
『慰安婦問題』の発生、
これに対する韓国と日本における政治過程や、
それぞれにおける『記憶』の生産と再生産の分析、
さらには、今後の問題解決に向けての提言まで」
「傾聴に値する文章でつづられて」
おり、
「『性奴隷』か『売春婦』かという認識に対しても、
そして『強制性』の問題についても、
安易な単純化を許さない
多面的な側面を明らかにしている。
女性を『手段化』『モノ化』『道具化』する構造への
強い批判とともに、
その中で人間として生きている人々への共感を示す。
これが本書の叙述の中核である」

と評価している。

法学者の前田朗は、
「『慰安婦』強制の直接実行者が主に民間業者であったことは、
当たり前の認識であり正しい。
ならば民間業者の責任を問う必要があるが、
著者はそうしない。
民間業者を持ち出すのはひとえに
日本政府の責任を解除するためだからである」、
「植民地支配の責任を問うべきであるが、
著者はそうしない。
植民地に協力した<愛国的>努力を勧奨するからである」
と評している。

法政大学社会学部教授奥武則
書評で次のように述べている。
「著者は、『慰安婦問題』をこうした
『政治』と『運動』の中での
語りから解き放つことを試みる。
その出発は
《「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声に
ひたすら耳を澄ませること》(日本語版への序文)だった。
その結果、本書は『慰安婦問題』について
『韓国の常識』『世界の常識』に異議申し立てをするものになった。
中国をはじめアジア各地に膨大な数の兵隊を送り、
『慰安婦』を必要とした日本軍が
その募集や移動に関与したことは今日明らかである。
しかし、著者は『日本軍に強制的に連行され、
性奴隷とされた20万人の少女たち』という、
韓国でそして世界で語られる『慰安婦問題』の理解が、
『政治』や『運動』の中で形作られた
〈公的な記憶〉であることを繰り返し指摘する」

作家で明治学院大学教授の高橋源一郎
朝日新聞掲載の「論壇時評」(2014.12.25)で
「記憶の主人となるために」と題して、
著書について次のように述べている。
「感銘を受けた、と書くのもためらわれるほど、
峻厳さに満ちたこの本は、
これから書かれる、
すべての『慰安婦』に関することばにとって、
共感するにせよ反発するにせよ、
不動の恒星のように、
揺れることのない基軸となるであろう、
と思われた。
そして、同時に、わたしは、
これほどまでに孤独な本を読んだことがない、と感じた。
いや、これほどまでに孤独な本を
書かざるを得なかった著者の心中を思い、
言葉を失うほかなかった」

政治学者の岩田温氏は、
「岩田温の備忘録」2015年2月23日で、
次のように書いている。

『帝国の慰安婦』を執筆した朴裕河教授は、
韓国を貶め、日本を過剰に賛美するような人物ではない。
「慰安婦」の存在が、日韓であまりにもかけ離れて
偶像化されていることを批判しているのだ。
韓国では悲劇的な「性奴隷」とされ、
日本の右派からは単なる「売春婦」とされた
「慰安婦」の実情とは、
どのような存在だったのかを探り、
そうした慰安婦が存在した構造を探ろうという試みこそが
『帝国の慰安婦』の執筆の意図だろう。

日韓で引き裂かれ、
偶像化された「慰安婦像」の
それぞれについて、
それらは虚像であると主張しているのだから、
決して単純な「親日派」というわけではない。
むしろ、日本の保守派が読めば
怒りだすであろうような記述も少なくない。

例えば、朴教授は指摘している。

「数百万人の軍人の性欲を満足させられる数の
『軍専用慰安婦』を発想したこと自体に、
軍の問題はあった。
慰安婦問題での日本軍の責任は、
強制連行があったか否か以前に、
そのような〈黙認〉にある」

彼女は決して日本軍、そして大日本帝国が
無謬であったと主張しているのではない。 
だが、韓国側の主張も極端だとして、
韓国人が触れたくない事実も指摘している。 
例えば、次の指摘だ。

「朝鮮の貧しい女性たちを戦場へ連れていったのは、
主に朝鮮人や日本人の業者だった」

「挺身隊や慰安婦の動員に
朝鮮人が深く介入したことは長い間看過されてきた」

要するに、『帝国の慰安婦』は、
日韓の極端な「慰安婦像」を問い直し、
本来、「慰安婦」とはいかなる存在であり、
そうした慰安婦を生み出した構造を問うという内容の本なのだが、
こうした研究が韓国では禁忌とされたようだ。

朴教授を元慰安婦の女性たちが名誉棄損で訴え、
ソウル東部地裁は1月13日
9千万ウォンの支払いを命じる判決を言い渡した。
そして2月には、給与の差し押さえが認められたという。

慰安婦とはいかなる存在であったのかを
虚心坦懐に研究しようという
試みそのものが名誉棄損とされてしまうという野蛮。 
慰安婦問題の真の解決を妨げているのは、
日韓のいずれの国家なのか。
それは火を見るより明らかではないだろうか。 
韓国の言論空間が成熟しない限り、
この問題が解決することはない。


しかし、韓国では『帝国の慰安婦』は
嫌悪をもって受け止められており、
元慰安婦側からは、次のような反発が起こっている。

2014年6月16日、
ナヌムの家で共同生活する李玉善ら元従軍慰安婦9人の名前で、
「帝国の慰安婦」が自分たちへの名誉棄損だとして、
同書の出版を差し止め、
1人3千万ウォン計2億7千万ウォンの
損害賠償を求める訴えがなされた。

2016年1月13日、ソウル東部地裁は、
名誉毀損と人格権の侵害を認め、
9千万ウォンの賠償を命じた。
朴氏は控訴。

原告らは、ソウル東部地裁の判決後、
ソウル西部地裁に世宗大学校の
朴氏の給料の一部を差し押さえるよう申し立て、
同地裁は申し立てを認めた。
朴氏は執行停止を申請、
供託金を預けることを条件に受け入れられ、
4月から中止された。

2015年2月17日、
ソウル東部地裁は、
「『朝鮮人慰安婦』の苦痛が
日本人売春婦の苦痛と基本的には変わらない」
「『慰安婦』たちを『誘拐』し、
『強制連行』したのは、
少なくとも朝鮮の地では、
また公的には日本軍ではなかった」
など34カ所の削除を求める仮処分を決定した。

2015年4月から10月までの
原告と被告との刑事調停が不成立となった結果を受けて、
1015年11月18日、
ソウル東部地検は
『帝国の慰安婦』の内容が「虚偽」だと判断し、
著者の朴裕河を名誉毀損罪で在宅起訴した。
起訴内容は主に三点。
@朝鮮半島では公的に強制連行されていない、
A協力者の枠組みにいた、
B売春の枠組みの中にいた、
の三つの指摘は全て虚偽
仮処分の34項目に検事が一カ所追加した35項が、
この三つのカテゴリーに分けられて起訴理由となった。

2015年11月26日、
村山富市、アンドルー・ゴードン、河野洋平、大江健三郎、
小此木政夫、上野千鶴子、若宮啓文、山田孝男ら54人が、
韓国検察が朴裕河を起訴した事に対して
抗議する声明を発表した。
声明では、韓国検察の判断を
「予断と誤解に基づいて下された」と指摘し、
「公権力が特定の歴史観をもとに
学問や言論の自由を封圧する挙に出た」
と批判した。

2017年1月16・17日、
2名のアメリカ人教授(ノーム・チョムスキーとブルース・カミングス)は、
日本識者の起訴への抗議声明に賛同し、
裁判の停止と無罪判決を求める声明を出した。

「帝国の慰安婦」は、
特定の人間を挙げて書いているわけではない。
なのに「慰安婦の名誉を棄損」した、というのである。
つまり、「慰安婦」の全体的イメージを損なったということなのだ。

いうまでもなく、
「帝国の慰安婦」は、
朴教授が研究の成果として発表した、学術論文である。
「言論には、言論で」反論するのが当然なのに、
「日本軍によって強制連行されて
性奴隷にされた少女たち」
のイメージに固執し、
反論するわけでもなく、
「虚偽」と断定し、
名誉が棄損されたというのである。

さいわい刑事裁判では、
無罪の判決が出た。
そのことを産経新聞は次のように書く。

異論許さぬ不文律変わらず

「帝国の慰安婦」をめぐる刑事裁判では
無罪判決が下されたが、
原告の全面勝訴となった1年前の民事裁判に続き、
慰安婦問題ではどんな些細なことでも、
異論をはさむことは許されない
韓国での“不文律”が終始つきまとう。

朴裕河世宗大教授の著書は、
判決理由にみられるように
「公的な事案を盛り込んだ内容」が多く、
歴史認識をめぐって日本をも十分に批判している。
それでも韓国社会は放っておかなかった。
続々と建立される「慰安婦像」に見られるように
元慰安婦は絶対視、神聖化され、
何も意見できない風潮だ。

慰安婦問題をめぐる2015年12月の日韓合意に基づき、
韓国政府は元慰安婦のための「和解・癒やし財団」を
昨年夏に設立した。
さらに、財団からは日本政府が合意に従い拠出した10億円が
元慰安婦や遺族らに支給されている。
すでに約74%の対象者が受け取っているか、
受け入れの意思を示している。

生存する元慰安婦が40人を下ったなか、
日韓合意を受け入れた元慰安婦が多いにもかかわらず、
反比例するかのように、
韓国では依然として慰安婦問題で日本に反発する世論は強い。
今回、朴氏に無罪判決が出たものの、
生存する元慰安婦が1人もいない状態になっても、
慰安婦問題が忘れられることはなさそうだ。

無罪判決を元慰安婦の支援者は
「裁判所が(朴氏の)弁護士の役割を果たした」と
強く非難した。
無罪判決が出たからといって、
韓国社会が元慰安婦の声に耳を傾けなくなったわけではない。
支援団体やその活動に賛同する世論は依然幅を利かせ、
彼らの信条や活動に反論するには
相当の勇気が必要な状況に変わりはない。

公判中、法廷では終始、
韓国メディアよりも日本の記者の姿が圧倒的に多かった。
表現の自由に対する関心が高い日本に比べ、
韓国での関心度は低かった。

韓国のこうした現実の中で、
1人の韓国人学者の資料や証言に基づく研究結果に
罪がないことが言い渡された。
ただ、一方で“慰安婦の絶対化”は
無罪判決に関係なく進められている。

また、次のようにも書く。

「帝国の慰安婦」訴訟 
「見せしめ」色濃く 
裁判過程で社会的制裁

在宅起訴から1年以上を経て無罪判決に至った、
韓国の朴裕河世宗大教授の著書
「帝国の慰安婦」をめぐる刑事裁判で注目されたのは、
起訴の理由となった「名誉毀損(きそん)」以前に、
韓国に学術・研究・表現の自由があるのかという点と、
名誉毀損の概念のとらえ方だ。

日本など他の民主主義国家で、
この手の問題が提訴され民事裁判になることはあっても、
起訴を経て刑事裁判にまで至ることはまず考えられない。
だが、韓国でそれは現実に起こった。

「裁判に勝つのは奇跡のようなことだと思っていた」。
判決公判を終え、朴氏はそう語った。
それほど、無罪を勝ち取るまで困難が続いた。

著書には、資料や元慰安婦ら関係者の発言の引用が
数多く盛り込まれている。
検察側が名誉毀損と指摘した“問題表現”の多くに
これらの引用部分も含まれている。
ただ、引用であろうが、
韓国の歴史認識の“常識”にそぐわない内容は
批判や非難の対象とされる。

「慰安婦=絶対的な被害者」という
韓国内で形成された歴史認識、
国民情緒に少しでも反することがあれば、
真摯な研究論文であれ、
社会的な制裁を受け得るということだ。

朴氏は、無罪判決までの1年数カ月の間、
完全に“見せしめ”にされた。
支援する知識人や研究者が声明を発表したものの、
法廷では元慰安婦から罵られ、
韓国メディアの多くも否定的に伝えるなどした。

昨年12月の求刑公判で朴氏が
「もう魔女狩りのようなことは終わりにしてほしい」
と涙声で語っていたのが印象的だった。
韓国では判決以前に、世論の怒りの矛先を
公衆の面前で見せしめにするような
「懲らしめ」は珍しくない。
だが、最終的には無罪判決が出た。

無罪判決を受け、朴氏は
「新たな韓国社会を築く転換点になると思う。
その認識を共有できる方が多くなればいい」
と語った。
ただ、表現の自由の前に立ちはだかった
国民情緒という韓国社会特有の“法”が、
今回の判決を機に変わっていく保証はない。

こういう話を聞くと、
韓国では元慰安婦の「聖人化」が進んでいるように見える。
そして、異論をはさむ者は、
否応なく、「不敬罪」が適用されているのである。


一方、新たな歴史捏造の動きも伝えられている。
軍艦島を舞台にした映画である。

以下は、その記事。

「軍艦島は地獄島…」
韓国映画・絵本が
強制徴用の少年炭鉱員を捏造 
憤る元島民たち「嘘を暴く」

「1945年、日帝占領期、
 われわれはそこを地獄島と呼んだ」

こんな宣伝文句がつけられた韓国映画のポスターが
1月下旬に公開された。

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映画の題名は「軍艦島」(監督・柳昇完)。
「強制徴用」された朝鮮人たちが
「生命を賭して脱出を試みる」という映画だ。

あわせて公表された映画の予告編では、
海底炭鉱で腰すら伸ばせないような場所で
体を縮ませたまま採掘作業をする朝鮮人少年たち、
ガス爆発の危険にさらされながら作業する人たちの姿が映り、
そして「ここの出来事を記憶する朝鮮人たちは
一人たりとも残してはいけない」
という日本語のせりふが流れる。
今夏公開予定という。

映画だけではない。
昨年韓国では児童用絵本
「軍艦島−恥ずかしい世界文化遺産」(尹ムニョン作、ウリ教育)も刊行された。

「戦争を引き起こし狂気の沙汰であった日本は、
朝鮮半島から幼い少年たちまで強制的に日本に連行したのです。(中略)
目的地も告げられずセドリ(主人公の少年の名前)が
連れて行かれた場所は、
まさに地獄の島『軍艦島』でした」

映画同様、ここでも「地獄島」という言葉が使われている。
絵本では
「幼い少年たちが地下1000メートルにまで降りて、
日本が戦争の資源として使う石炭を掘らなければならなかったのです」
と記している。

少年たちが鉄格子の檻に収容されている様子も描かれている。
「少年たちはまさに死の恐怖の中で
日々を耐えなければなりませんでした」
鉄格子の檻の外壁にはハングルで
「お母さん、会いたいよー」
「おなかがすいたよ ふるさとに帰りたいよー」
と書かれている。

首都大学東京名誉教授、鄭大均は
シンクタンク「日本戦略研究フォーラム」の時事論考で
「戦時期の日本の炭鉱にあどけない
『朝鮮人少年坑夫』など存在しなかったことは
関係者なら誰でも知っている」と批判した。

鄭は絵本になぜ朝鮮人少年が登場するかを次のように分析する。
「絵本が出た2016年に関係している。
朝鮮人慰安婦が『少女像』として脚光を浴びていた時代であり
『朝鮮人少年坑夫』はその『少年版』なのだろう」

戦後、長らく忘れられた存在だった
「軍艦島」として知られる端島(はしま)に世界の注目が集まったのは、
端島炭坑(長崎市)など「明治日本の産業革命遺産」が
15年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
世界文化遺産として登録されることが決まったからだ。

韓国は官民を挙げて阻止に動いた。
映画や絵本はその運動の一環だ。
こうした「事実と違うことには反論しなければならない」
と立ち上がったのが元島民たちだった。

1月7日朝。長崎港から約19キロの沖合にある端島に
8人の元島民が上陸した。
一時雨との予報も出ていたが、
空は晴れ上がり、波もほとんどなく、
“里帰り”を歓迎しているかのようだった。

宮崎県在住の元坑内員で
朝鮮半島出身者や中国人とも働いた松本栄(88)は
冗談を言いながら、
娘たちに脇を抱えられながらゆっくり下船すると、
眼前に広がる風景に目を細めた。

軍艦島は面積約6万3000平方メートル。
南北に約480メートル、東西に約160メートル、
周囲約1200メートルという
東京ドームの約1.3個分ほどの大きさの島だ。
最初の竪坑建設に着手した1869(明治2)年から、
1974(昭和49)年に閉山するまで多くの人が生活した。

最盛期の人口は約5300人。
小さい島の限られた空間を埋めるように
日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建設された。
当時の東京の人口密度の9倍だったという。

閉山から43年。
建物の多くは朽ち、崩壊していた。
松本は「この辺には何があったかな」と、
時折つぶやきながらゆっくりと島内を歩いた。
松本が他の元島民らとともに立ち止まった場所があった。
かつて中国人労働者が生活していた建物が
あったという場所の前だ。
今は空き地になっている。
「中国人は100人ぐらいしかいなかった」
「ここに200人の中国人が入る家屋があったというが、
そんなに多くの人は入らないよ」
「1部屋に入るのはせいぜい10人ぐらいだった」
中国人労働者を閉じ込めるために
有刺鉄線が敷かれていたという話もあるが、
松本は「有刺鉄線はなかった」と話す。
朝鮮半島出身者の子供は
日本人の子供と同じように学校に通い、
机を並べて勉強した。
アパート内には朝鮮半島から来た家族も多く入居していたという。

そのうち、元島民の一人が島の上にある真っ白な灯台を指さした。
「戦前、端島は不夜城のように明るかったから灯台なんて必要なかった」
だが、韓国で出版された児童用絵本「軍艦島−恥ずかしい世界文化遺産」には、
灯台から3本の光を発している絵が描かれている。
「絵本は明らかに事実と違う」と元島民たちは口々に反論した。

端島を訪問した元島民たちは
長崎市内のホテルでほかの元島民らと合流し会合を開いた。
出席者からは故郷である端島が
国内外にゆがめて伝えられていることへの憤りの声が相次いだ。
「端島について書かれた本を読むと
端島が(ナチス・ドイツによる)アウシュビッツ収容所と
同一だと書いてあり、頭にきた。
本に書いてある嘘を暴いて、
これが真実であると国内外に言わなければいけない」

「朝鮮人労働者が虐待されたという話ばかり。
欺瞞と虚偽と誇張に塗り込まれた記事が
横行していることに憤りを感じる」
「日本は事実を明確にして反論しなければいけない。
慰安婦問題もそうだが、
日本は事なかれ主義できたが、
もう少し毅然と事実を明らかにして
言うべきことは言うという姿勢で臨んでいきたい」
「韓国では端島を『監獄島』『地獄島』と言っているそうだが、
われわれはそんなところに住んだ覚えはない。
日本で重い罪を犯して無期懲役を受けた者が
軍艦島に来ていると書かれているが、私たちは違う」

真実を伝えるには、
端島で生まれ育った自分たちが口を開くしかない。
こうした思いに突き動かされた元島民たちは
「真実の歴史を追求する端島島民の会」を
1月23日に設立した。

当時のことを記憶する元島民たちの証言を
動画で記録するなどして、
後世に「正しい端島の歴史」を伝える考えだ。

炭鉱労働者たちの証言記録を集めている
内閣官房参与の加藤康子は会合で
「皆さんの一次証言や一次資料が何よりも一番重要な真実を語る。
それをそのままの形で残していきたい」
と述べ、元島民や家族に協力を求めた。

慰安婦を「少女」を襲った悲劇、
というイメージで定着することに成功したのに
味をしめたのか、
軍艦島の被害者が、少年、とされている。

しかし、軍艦島で朝鮮人少年が労働させられた事実は、
全くない。
ないにもかかわらず、
そういうを描いた映画を作るのだ。
「日本に対しては何をしても許される」で、
嘘も捏造も何でもあり、
では、韓国人の品性が疑われるだろう。
しかし、何も知らずに映画を観た人
(他の国の観客)は、
「日本人は本当にひどいことをした」
と思ってしまうのだ。


評論『帝国の慰安婦』  書籍関係

[書籍紹介]

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朴裕河(パク・ユハ)韓国・世宗大学校日本文学科教授による著作。

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朴裕河氏は、ソウルで生まれ、
高校卒業後訪日。
慶應義塾大学文学部国文科を卒業後、
早稲田大学文学研究科で学んだ。
2003年、早稲田大学博士号を取得。
韓国に日本近現代の文学・思想を紹介しており、
夏目漱石や大江健三郎、柄谷行人などの著作の
韓国語への翻訳を手がけている。

本書「帝国の慰安婦」は、2013年8月、韓国で出版。
2014年11月30日、日本語書き下ろし版
朝日新聞出版で出版。
朝日新聞が吉田証言の記事を取り消したのが
2014年8月5日だから、
この時期、既に出版の準備が進められていたことになる。

第27回アジア・太平洋賞特別賞、
第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞


どんなことが書かれているか、
おそるおそる読んでみたが、
感想としては、
大変学術的客観的かつ冷静
慰安婦問題を研究した内容だと感じた。
日本軍の責任もちゃんと批判しているし、
韓国での慰安婦問題の進め方についても
納得のいく批判をしている。

論述されている主な事項は、次のとおり。

○日本軍は、兵士たちを「慰安」するという目的で
 「慰安婦」という存在を発想し、制度化した。
 他国に軍隊を駐屯させ、
 長い間戦争することで
 巨大な需要を作り出した
 という点で、日本はこの問題に責任がある。
 慰安婦問題問題で最も責任が重いのは、
 戦争を始めた「国家」である。

「国家」「戦争」が根本原因であげられているが、
だとすれば、戦争は一国では成し得ないのだから、
戦争を起こした相手国にも責任があることになる。
また、軍が慰安所を作ったのは、
現地人を強姦することを防ぐ面があったのであり、
自前で慰安所を作った日本人らしい律儀さが
かえってあだになったとは言えないだろうか。

○「慰安婦」を必要としたのは、
 間違いなく日本という国家だった。
 しかし、そのような需要に応えて
 女たちを誘拐や甘言などの手段を使って
 「連れていった」のは、
 ほとんどの場合、中間業者だった。
 として、日本軍の「強制連行」に対しては否定している。
 そして、需要を生み出した日本という国家の行為は、
 批判は出来ても「法的責任」を問うのは難しい、とする。
 更に、「業者」の大部分は朝鮮人自身であり、
 監禁同様に自由を奪い、売春を強制したのも、
 それらの人々であると推測する。

「慰安婦」という制度を生み出した
日本という国は批判されるべきだが、
法的責任を問うのは難しい、
というのは、軍による「強制連行」がない限り、
妥当な結論である。
「業者」の大部分が朝鮮人であったことを考慮すると、
この指摘は、同胞の罪を指弾することであり、
大変勇気ある指摘である。

○慰安婦=少女というイメージは、
 挺身隊と混同したことから生じた。
 1939年から布かれた国民徴用令は、
 1944年になって朝鮮半島に施行され、
 満15歳から25歳までの女子が
 女子勤労挺身隊として勤労に参加することになった。
 その時に、「挺身隊に行く」と偽って
 「慰安婦」にするための嘘が横行し、
 その嘘は「民族の嘘」として植民地支配の産物だという。
 挺身隊に動員された女性は
 日本本土と朝鮮半島合わせて20万人。
 日本で動員された挺身隊が1944年2月の時点で16万人、
 朝鮮半島からの動員は4万人。
 しかも、その全てが慰安婦になったわけでもないのに、
 「朝鮮人慰安婦20万人」がいつの間にか定着してしまった。

もっとも、朴氏は「数自体はさほど重要ではない」として、
その数が20万人でなく2万人、もしくは2千人だとしても、
朝鮮人女性が「日本軍慰安婦」になったことが
植民地に対して帝国権力がもたらした結果である以上、
彼女たちの苦痛の責任が
「大日本帝国」にあるのは明らかだ」と続ける。
しかし、世界に驚愕を与えたのが
「20万人の朝鮮人少女の連行」と
数字を伴っている以上、
「数自体はさほど重要でない」と果たして言えるのかどうか。

○慰安婦の平均年齢は25歳だったという資料を提供し、
 幼い少女が慰安婦になった例も紹介しつつも、
 それは例外的だとしている。
 
 にもかかわらず、韓国での慰安婦のイメージが
 「少女」に定着したのは、
 挺身隊と慰安婦を混同したせいでもあるだろうが、
 先の「20万人説」と同様、
 そのことが韓国の被害者意識を育て
 維持するのに効果的だったための、
 無意識の産物だったと考えられる。

 と指摘する。

これは、韓国が世界戦略を進めるのに有効になった。
「2千人の韓国女性(成人)が慰安婦にされた」よりも
「20万人の少女(処女)が強制連行によって慰安婦にされた」
との主張に世界は驚愕し、
日本軍の「非人道的行為」に怒ったのである。

朴氏は、幼い年齢の少女が慰安婦になった例はあるが、
それも
幼い少女たちが「慰安婦」になったのは、
ほとんどの場合、
周りの人がだまして連れていった場合か、
彼女が所属した共同体が
彼女を保護するような空間ではなかったケースである。

とする。
そして、
<強制的に連れていかれた20万人の少女>との認識は、
挺身隊と慰安婦の混同、
業者や周りの加担者たちの忘却、
例外的事例を一般的なケースとしてしまった
理解が作り出したものである。


ここまで書かれたら、
挺身隊対策協議会(挺対協)が訴訟に踏み切るのは当然だろう。
裏を返せば、挺対協の一番痛いところを付かれたのだ。
しかし、
このように冷静に客観的に分析する朴氏のような議論を
韓国の人々も耳を傾けて、
「もしかしたら、そうなのかもしれない」と
疑問を持ってもらいたいものだ。
しかし、そうはならない。
「強制的に連れていかれた20万人の少女」は、
日本を非難するのに有効だからである。

朴氏は、こうも書く。
「慰安婦問題」が多くの人に衝撃的だったのは、
慰安婦たちの多くが「少女」だったという認識による。
しかし、資料や証言を見る限り、
少女の数はむしろ少数で例外的だったように見える。
しかも幼い少女たちまで集めたのは、
軍の意志よりも業者の意志の結果だと考えられる。


集められてきた少女たちに性労働を強制していたのが、
軍人以前に業者だったことを見ることは重要だ。


しかし、韓国国民はその事実を認めようとしない。
なぜなら、そうすることは、
朝鮮人自身の罪を認めることになるからだ。
だから、あくまでも「少女」たちを「強制連行」したのは、
日本軍でなければならないのだ。

慰安婦たちの身体に残る傷は、
単に軍人によるものだけではない。
監禁、強制労働、暴行による心身の傷を作ったのは
業者たちでもあった。

そのことを見ないようにしてきたのは、
それを見ることが、
<日本の責任>を免罪することになると考えられたからだろう。
軍の加害性を強調するほうが、
日本の責任を明確にすることになり、
慰安婦問題の解決につながるとの
考え方が中心的だった結果でもあろう。


○朴氏の著作では、慰安婦の内面にまで踏み込む。
 慰安婦の存在は、性的欲求の処理だけでなく、
 「部隊の一員」であり、「女房」のように扱われていたという。
 そして、「こんな体の私が兵隊さんのために働ける、
 お国のために尽くせる」というのが「誇り」になっていたのだという。
 
 植民地となった朝鮮と台湾の「慰安婦」たちは、
 あくまで「準日本人」としての「大日本帝国」の一員であった。
 もちろん実際には決して「日本人」でありえず、
 差別は存在した。
 それでも彼女たちが
 軍人の戦争遂行を助ける存在だったのは確かである。

 従って、慰安婦たちと兵隊たちとの人格的交流は存在した。
 
しかし、彼女たちには大切だったはずのその記憶は、
 彼女たち自身によって「全部捨て」られるようになる。
 その理由は、
 (それを)「持っていると問題になるかもしれないから」である。
 その記憶を隠蔽しようとしたのは、
 まずは当事者たち─彼女たち自身だった。
 そして韓国もまた、
 解放以後、ずっと彼女たちと同じように、
 そのような記憶を消去しながら生きてきた。


それは朝鮮半島の「植民地支配」についても言えるようだ。
日本は朝鮮を日本と同じように豊かにしようとし、
インフラを整備し、学校を増やし、産業を興した。
日本の植民地時代に平均寿命も延ばした。
今でも「日本の統治時代の方が良かった」と
思っている人はいるが、
そんなことを言っただけで、
世間から「親日」と指弾される。
中には、それを口にして殴り殺された老人もいる。
だから、日本の植民地時代のことは、
ただ「ひどい抑圧を受けた」とだけ「記憶」しているのである。
朴氏は書く。
そのような記憶も、
韓国社会では忘れられたままである。
記憶しなおされ、
再生産されるのは、
ただ <凶暴なけだものとしての日本軍>のみである。
それは、そのようなイメージを必要とする
現実の力が作動するためでもある。


○敗戦直後に慰安婦たちが
 「日本軍に置き去りにされたか、虐殺された」
 というのが、韓国の常識である。
 しかし、朴氏は、元慰安婦の証言から、
 それらの常識に疑問を呈する。
 敗戦が決まった時、日本軍の指導者たちは、
 慰安婦たちが帰還できるように取り計らった。
 慰安婦が敗戦時亡くなったのは、
 敵の攻撃や逃亡時の飢えや病気などだという。

「虐殺された」という証言の信憑性が薄いのは、
証言者自身が生き延びていることからも分かる。
日本人の感覚からすると、
慰安婦たちの帰還に手を貸した、とするのが素直に見える。
もちろん韓国人は認めないだろうが。

朴氏の議論には、しばしば「記憶」という言葉が出て来る。
慰安婦たちの記憶である。
副題に「記憶の闘い」とあるのは、そのためである。
それについて朴氏は、こう書く。

多様な状況を見ないで
ひとつだけの記憶にこだわることは、
往々にして別の記憶を抑圧してしまう。
そしてその別の記憶との乖離を埋められないまま、
解決の主体となるべき日本との間で、
慰安婦問題における共通理解を作れなかったことこそ
問題はあるのである。


この20年間、韓国は初期の認識を中心に
慰安婦をめぐる<公的記憶>を作り続け、
それに亀裂を入れる話は受け付けなかった。
不協和音は、日本の右翼か親日派とみなして、
排除することにやっきになっていた。
その結果、韓国に残っているのは、
あらゆるノイズ─不純物を取り出して
純粋培養された、
片方だけの「慰安婦物語」でしかない。


○朴氏は問題解決の一つの方策であった
 「アジア女性基金」を評価する。
 民間の募金のよるものだとしても、
 不足分は政府が負担するとし、
 実際の運営費は政府が出した。
 しかし、挺対協はこれを拒否した。
 理由は国が出していないということだ。
 しかし、日韓の補償問題は1965年の日韓基本条約で
 解決済みというのが日本の立場であるし、変えられない。
 あの条約では、
 日本も韓国に残した日本人資産を放棄しているし、
 「賠償」という言葉は 使わないものの、
 国家予算の3倍になる経済援助もしている。
 「完全に解決」とうたった条文を変えるわけにはいかないし、
 まして、個人補償については、
 その分を韓国政府が受け取って、自分たちでやる、
 ということになっていたのだ。
 「アジア女性基金」は、元慰安婦に対して、
 200万円+300万円の「償い金」を渡し、
 時の首相名で謝罪の手紙を添えた。
 しかし、挺対協は、これを認めない。
 あくまで国会決議と国家予算による支払いを求める。
 最終的に61名の慰安婦がお金を受け取ったが、
 挺対協からは「受け取るな」という圧力がかかった。

この本が書かれたのは、2015年12月の「日韓合意」以前だが、
あの「合意」では、日本政府が出した資金を
慰安婦たちに渡している。
既に7割の慰安婦が受け取っている。
しかし、合意を破棄せよという動きは韓国では大きい。

何をしても駄目なのだ。
なぜか。
慰安婦問題を
日本を追い詰める有効なツールとしてとっておきたいからである。
だから、慰安婦の7割が受諾した「合意」も
当事者を置き去りにした合意だから認めない、となる。

○朴氏は日韓併合条約についても言及する。 
 1990年代の日本の謝罪について考えるためには
 1965年の基本条約を、
 1965年の条約について考えるためには
 1910年の併合条約を考える必要が生じる。
 そして当時、植民地支配が法的に禁止されていなかった以上、
 植民地によって被った精神的・身体的被害に対して
 「賠償」を要求する根拠が存在しない、
 という問題が生じるのである。
                         

つまり、基本条約において議論されたのは、
徴用に対する補償であって、
植民地支配に全体に対する賠償要求ではなかったのだ。
そして、お互いに放棄し、
賠償とはいわないまでも、
経済援助をしたのである。
そして、個人補償を日本側がすると言ったのに対して、
それは韓国自らする、と言明したのだ。
こういう経過を知れば、
慰安婦問題での個人補償が不可能であることは分かる。
しかし、「道義的責任」として、お金を出すことにしたのである。

訴訟者の被害者団体の賠償要求の根拠は
「強制労働」と「人身売買」であり、
それが当時の国際法に違反するものだということにあった。
しかしそのことを<直接に>犯した主体が「業者」だった以上、
日本国には、需要を作った責任
(時に黙認した責任)しか問えなくなる。
そういう意味でも、
法的責任を前提とする賠償要求は無理だと言うしかない。


だから挺対協は、
日本軍による「強制連行」を変えるわけにはいかない。

○朴氏は、慰安所が韓国においても
 米軍基地の周辺で行われたこと、
 そのことで裁判も行われていることもちゃんと理解し、
 記述している。
 大変公平な立場というしかない。
 2007年以降、欧米の各国が
 慰安婦問題を巡って
 日本は謝罪すべきだとする国会決議を次々と出してきた。
 それに対して、2007年6月、
 ワシントン・ポストに日本の国会議員たちが出した
 「THE FACT」という広告を問題視する。
 その広告は、慰安婦は売春婦、
 植民地支配は悪くない、
 との見解を露にしたものだった。
 朴氏は、こう書く。
 
 あのとき、日本の一部の人々が
 世界に対して「THE FACT」をつきつけた目的は、
 日本人の誇りを取り戻すことにあったのだろう。
 しかし、本当の誇りは責任を認め、
 残された問題に向き合うことにあるはずだ。
 そのほうが、韓国のみならず
 世界の心を動かせただろう。
 過去において国家や帝国が人間にもたらした不幸に対して
 現在どう思っているのかを、
 いまの日本国家に聞きたいものだ。
 その内容が、
 世界が共有すべき
 新たな<価値>となれば、
 すばらしいだろう。


「あのとき」以降は、まことに理想的なことだと思う。
しかし、韓国が「日本軍に強制連行された少女たちが
慰安婦にされて性奴隷を強いられ、敗戦時、虐殺された」
という「嘘」を撤回しない限り、
日本人の心を溶かせることは出来ないだろう。
なにより日本人は「嘘」が嫌いなのだ。

それと、「河野談話」や「アジア女性基金」などを通じて、
真摯な謝罪と賠償をしているにもかかわらず、
それを拒絶したのは韓国側だということ。
そうした状況に、
日本人が「うんざり」していることも思ってもらいたい。

何かというと、韓国は「日本は謝罪していない」という。
総理大臣が変わるたびに謝罪しているのに、そう言うのである。
「償い金」を送る時は、
総理大臣による「お詫びの手紙」さえ添えている。
それでも、「心からの謝罪をしたことがない」と言うのだ。
謝罪の内面まで疑われたら、
永遠に謝罪するのは不可能ということになる。

「つぐなう(償う)」という言葉は、
漢字が示すように、
「補償」の意味でありながら、
「贖罪」の意味を持つ。
むしろ「償う」とは
「補償」よりも「贖罪」の意味が強いとも言えるだろう。
植民地体験をしている朝鮮人慰安婦たちが、
日本政府の補償金を、
「責任」を認めない「見舞金」と考えて
警戒的に反応するのはありうることだったろう。

○朴氏は、今の挺対協の運動が
 慰安婦=当事者たちを人質に取った、と指摘する。
 慰安婦に必要だった「謝罪と補償」は、
 アジア女性基金は何とか越えていたにもかかわらず、
 「日本の改革」を目指した運動によって、拒絶された。
 正義自体が目的化したために、
 慰安婦が当事者ではなくなっていた、と指摘する。

これについては、挺対協の幹部が
日本人関係者に述べた次の言葉を思い出す。
「慰安婦のおばあさんたちのことなど、どうでもいいんだ。
目的は反日だ。反日の方が重要なんだ」

目的が反日、では、慰安婦問題の解決はないだろう。
つまり、解決を望んでいない、ということなのだ。

挺対協の活動の中に、
日韓を離反させて喜ぶ、
暗いメンタリティを感じてならない。

○では、慰安婦問題の解決には、どうしたらいいか。
 これについては、朴氏は明確な指針が出せたわけではない。
 慰安婦の中にも「違う声」を持った人がいる。
 その多様な声に耳を傾ける必要がある、などと指摘するだけだ。
 そして、これまで声をあげてこなかった人たちの声が
 論理的で合理的な「第三の声」となることを望む、と言うのみだ。

むしろ、百害あって一利なしの挺対協の解散等、
踏み込んでもらいたかった。

しかし、慰安婦問題に新たな光を当てる本書は貴重な書物だ。
あくまでも学術的に、論証的に、客観的に書き、
韓国にとっての「不都合な真実」も隠さず書いているのは、
賞賛に値する。
韓国ではこの本は訴訟の対象になっている。
それこそ、「多様な意見」を認めない
韓国社会の病弊と言えようが、
一人でも多くの韓国人が読んで、
「なるほど、そういう見方もあるのか」
と思ってもらいたいものだ。

ただ、今のように、
「日本軍に強制連行されて性奴隷にされた少女が
敗戦時虐殺された」
という固定観念にこだわる限り、
問題の解決はありえないだろう。
そして、元慰安婦のおばあさんたちが
全員死に絶えても、この問題は未解決のままに続き、
やがて戦後100年を迎えても
まだ蒸し返されているようでは、
日韓の未来はない。

慰安婦の一人は、
「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」
と言ったそうだが、
恨みの深さは分かっても、
そんなことをいつまで言っていても解決はしない。

そう思う時、
オバマ大統領が広島を訪問し、
安倍首相が真珠湾を訪問して、
お互いを許し合ったことを思い出す。

あの時、安倍首相は、
「私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした、
“The Power of reconciliation “、
「和解の力」です。
私がここパールハーバーで、
オバマ大統領とともに、
世界の人々に対して訴えたいもの。
それは、この和解の力です」

と述べたが、
広島と真珠湾という場所を通じて
世界の平和を呼びかけた
崇高な精神が
慰安婦問題を通じていつまでたっても終わらない亀裂の修復に
役立てられないだろうか、と思わざるを得ない。



バレンタインデー  耳より情報

昨夜、12時を回ると、娘が
「パパ、ちょっと来て」と言うので、
リビングに行くと、
↓をくれました。

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バレンタイン・チョコレート
ここ数年は、ウィスキーボンボンです。
アンソンバーグ・リカー・アソード
デンマークのメーカーの製品。
結構有名なようです。

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15種類の世界の銘酒があり、
ひとつひとつ、ビンの形をしています。

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「1日、1本」の制限指定付き。


さて、今日はバレンタインデー

バレンタインデーは、正しくはセント(聖)バレンタインデーで、
269年に、ローマ皇帝の迫害下で殉教した
聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日。

当時、ローマでは、2月14日は
家庭と結婚の女神・ユノの祝日だった。
翌2月15日は、豊年を祈願するルペルカリア祭の始まる日で、
祭りの前日、
娘たちは紙に自分の名前を書いた札を桶の中に入れ、
翌日、男たちは桶から札を1枚ひき、
ひいた男と札の名の娘は、
祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。
そして多くのパートナーたちは、
そのまま恋に落ち、結婚した。

ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、
愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、
兵士たちの婚姻を禁止した。
キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、
婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、
彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、
やがてその噂が皇帝の耳に入り、
怒った皇帝は二度とそのような行為をしないよう
ウァレンティヌスに命令した。
しかし、ウァレンティヌスは毅然として
皇帝の命令に屈しなかったため、
最終的に彼は処刑されることになった。

彼の処刑の日は、ユノの祭日であり、
ルペルカリア祭の前日である2月14日が選ばれ、
ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。
このためキリスト教徒にとっても、
この日は祭日となり、恋人たちの日となったという次第。

初期のローマ教会は、
当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力しており、
ルペルカリア祭は排除すべきだが、
ただ禁止しても反発を招くだけであったため、
教会にはこの祭りに
何かキリスト教に由来する理由をつける必要があった。
そこで兵士の結婚のために殉教したとされる
バレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられる。
こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、
バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、
祭りはその後も続いた。

ただし、カトリック教会においては、
第2バチカン公会議後の典礼改革で、
史実の上で実在が明らかでない聖人たちが
典礼暦から整理された際に、
2月14日のウァレンティヌスの記念日は取り除かれた。
このため現在、カトリック教会では
公式には祝日として祝われていない。
つまり、ウァレンティヌスは実在の人ではない可能性が高い。

史実はともあれ、
2月14日は、
バレンタインデーとして、
世界各地でカップルの愛の誓いの日とされる。

西ヨーロッパなどでは、
男性も女性も、花やケーキ、カードなど様々な贈り物を、
恋人や親しい人に贈る日である。
イギリスではカードには、「From Your Valentine 」と書いたり、
「Be My Valentine.」と書いたりもする。

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バレンタインデーにチョコレートを贈る、
というのは日本独特の習慣で、
その起源は、
神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)が
英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー」
1936年2月12日付けに
「あなたのバレンタイン(= 愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」
というコピーの広告を掲載したというのが、最も古いものである。
しかし、戦前にそういう習慣が確立した記録はなく、
戦後、普及したのは、
1958年2月、
メリーチョコレートカムパニー伊勢丹新宿本店
「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったのが
普及の始まりだとされている。
1960年には森永製菓が
「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出した。

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しかし、普及するには、もう少し時間がかかり、
日本社会に定着したのは、1970年代後半で、
「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈る」という
「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこの頃であった。

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「日本型バレンタインデー」の特徴を整理すると、以下の3点となる。
@贈答品にチョコレートが重視されている
A女性から男性への一方通行的贈答である
B(女性の)愛情表明の機会だと認識されている
更に、職場における贈答習慣が強い点や、
キリスト教との直接的関連はほとんど意識されていない点
も日本型バレンタインデーの特徴である。

日本のチョコレートの年間消費量の2割程度がこの日に消費される(ホントかね)
と言われるほどの国民的行事となっており、
「チョコレート業界の陰謀」とも言われている。

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現在では、範囲が広がり、
愛情はないが、職場の上司や同僚に贈る「義理チョコ」
同性(主に女性)間で贈り合ったりする「友チョコ」
男性が女性に渡す「逆チョコ」
自分で買って食べる「自己チョコ」
男性が男友達に送り合ったりする「強敵(とも)チョコ」
というものも見られる。

派生してホワイトデーもかなり普及している。
バレンタインデーの1か月後である3月14日を、
主に男性から女性へ返礼のプレゼントをする日、とするもので、
チョコレートに対してクッキー・マシュマロ・飴などを贈る。

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韓国では、ブラックデーというのがあり、
バレンタインデー及びホワイトデーで贈り物をもらえなかった
(恋愛とは無縁に終わった)男女が集まって
黒い炸醤麺やブラックコーヒーを口にする日だという。
バレンタインデー、ホワイトデーが過ぎた1カ月後、
4月14日に行われる。

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2006年にアイブリッジ社が実施した
「バレンタインデーに関する独身男女に対するアンケート」によれば、
回答した300人のうち
「チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい」という回答が
OLで70%、男性社員は50%あった。


その贈答に使われるチョコレート。

その原料はカカオ
アオイ科の常緑樹。
カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。

樹高は4.5〜10m程度。
標高約300mの丘陵地に自生する。
中央アメリカから南アメリカの熱帯地域を原産とする。
樹齢4年程度で開花し、
直径3センチメートル程度の白い
(品種によって赤〜黄色味を帯びる)
幹生花を房状に着ける。

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そのうち、花が実となる結実率は1%未満

果実は約6か月で熟し、
長さ15〜30p、
直径8〜10p、
幹から直接ぶら下がる幹生果で、
カカオポッドと呼ばれる。

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形は卵型が多いが、
品種によって長楕円形、偏卵型、三角形などで、
外皮の色も赤・黄・緑など多様である。

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中に20から60個ほどの種子を持ち、
これがカカオ豆 (cacao beans)となる。

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収穫されたカカオ豆は
豆を包むパルプとともにバナナの葉でくるむか
木箱に入れて数日かけて発酵させ、
その後天日で乾燥させたのち工場へと運ばれる。

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工場に運ばれたカカオは、
まず磁石で鉄を除き、
風で埃を飛ばして、
篩によって石を取り除き選別される。
選別されたカカオは砕かれ、
篩によって外皮と胚芽を取り除かれる。
こうしてできたものはカカオニブと呼ばれる。

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カカオ豆をここで砕くのは、
不ぞろいのカカオ豆を均一の大きさにし、
後のロースト時に火がむらなく均一に通るようにするためである。

カカオニブはこの後焙煎され、
火が通ることによって酢酸が除かれてまろやかになると
同時にメイラード反応によって香りや風味が現れてくる。
この後、風味をよくするために
数種類のカカオニブをブレンドした後、
磨砕機によって細かくすりつぶす。
カカオ豆には55%の油脂分(カカオバター)が含まれているために
ここでペースト状となる。
こうしてできたペーストがカカオマスである。

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カカオマスにココアバター、砂糖、ミルクなどを混合し、
チョコレートドゥと呼ばれる
チョコレートの元を作る。

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このドゥを5段のローラーにかけて
数十ミクロン単位にまで細かく砕く。
ここで非常に細かくすることで、
チョコレートの舌触りが滑らかなものとなる。
しかし細かくしすぎるとかえって口どけが悪くなるため、
細かな調整が必要である。
磨砕が終わると、コンチェ(コンチングマシン)と呼ばれる
攪拌機にて長時間かけて精錬する。
精錬が終わると、テンパリング(予備結晶化)と呼ばれる
温度調整を行ってチョコレートを安定させ、
型に充填した後冷却して固め、
包装した後エージング(熟成)を行って
完全に安定させた後、チョコレートの完成となる。

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という、大変手間ヒマかけて作られる食品です。

1502年、コロンブスは第四次航海で
現在のホンジュラス付近でカカオの種子を入手し、
スペインへ持ち帰っているが、
利用法が不明で、
その価値に気付いた者はなかったという。

原料のカカオ豆が現在高騰中。
アフリカの砂漠化で
生産が減っている上に、
中国、インドなど人口の多い地域で
チョコレートが食べられるようになり、
需給バランスが崩れており、
知らないうちに板チョコの分量などが減っている。

何年か後には、
バレンタインデーのチョコが品薄になったりして。





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