エジプト旅行記Aクルーズ生活  旅行関係

ルクソールに到着後、

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クルーズ船にチェック・インしたのは、
深夜1時半を過ぎていました。

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この船はプレミアム号といって、

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就航は2008年。

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全長72m、横幅14.2m。
5階建てで、客室数62。

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出入り口は2階で、ここがフロント

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1階がレストラン

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5階はサンデッキ。プールがあります。

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プールというより、お風呂?

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4階にはラウンジバー

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操舵室

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客室は8畳ほどの広さ。

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バス・トイレ付きです。

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ウェルカム・フルーツが置いてありました。

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外に出掛けて戻った時、
バスタオルがこのような形に。

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ばらすと、こんなに。

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二度目は、猿でびっくり。

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尻尾はトイレットペーパーです。

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停泊時は、このようにいくつもの船が並び、

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下船する時は、

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隣の船を通って行きます。
↓は隣の船のロビー。

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ところで、↑の船が並んだ写真、
船のサイズが皆同じであることに気づきましたか?
その理由は、後で判明します。

下船時は、↓のようなカードが渡され、

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帰船時に戻します。
渡した数のカードが戻らない間は出航しないシステム。

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食事は基本的にバイキング。

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我々日本人グループのために朝食では和食を用意。

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ふりかけは添乗員さんが持参。

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乗客を退屈させないために
いろいろなイベントが開催されます。

↓はベリーダンスショー

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ベリーダンスはエジプト、トルコなどの伝統舞踊。

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女性の肉体の「丸さ」「ふくよかさ」を前面に押し出しているので、
ご覧のとおり、
ダンサーは太めの人が多い。
今まで3度ほど見ましたが、
いずれもおなかが出たダンサーでした。

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ガイドの説明では、
女性の肌の露出が禁止されているアラブ世界では、
ベリーダンサーの社会的地位は低いが、
稼ぎは大きい、とのことでした。

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次の登場したのが、この男性ダンサー。

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一つの方向にぐるぐる回り続けます。

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三半規管はどうなっているのか。

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イスラム神秘主義のメヴレヴィー教団(旋舞教団)
に起源を持つようだ、と推測。

メヴレヴィー教団では、
スカートをはいた信者が音楽にあわせて、
くるくると回転をし踊るという宗教行為(セマー)で知られます。
これは祈りの手段であり、
回転は宇宙の運行を表し、回転することで、
神との一体を図るというものです。

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スカートを外して回したり、

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なかなかのものでした。

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ルクソール観光を終えた後、

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夕陽の中を

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出航

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アスワンまで200qの旅。
途中、ホルス神殿とコムオンボ神殿に立ち寄ります。

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エジプトの初の夕焼け。

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サンデッキでは、ティータイム

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コーヒーも紅茶もおいしかったです。

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河岸からは、子どもたちが「ハロー」と声をかけてきます。

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東岸と西岸にかかる橋をくぐります。

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このような装飾があります。

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食事前にカクテルパーティー

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エスナの水門が見えて来ました。

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ここでは、川に段差があり、
1キロ近い川幅のナイル川を塞いで
ダムと発電所のラインが走っており、
西岸にある水門を通過しなければなりません。

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上流側水門と下流側水門に挟まれた閘室の全長は160m。
幅は17m。

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クルーズ船のサイズが同じだった理由は、ここにあります。
この船も、幅は14.2m。

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船が中に入ると、

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後ろの水門が閉じられます。

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水が注入され、

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6mの水位差を解消。

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前の水門が開き、船は出て行きます。

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パナマ運河と同じ方式。

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2隻ずつやるため、
混んでいる時は、順番待ち
4時間待たされた、という報告もあがっています。

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と、突然現れたボート。

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クルーズ船につなげて、
下からテーブルクロスなどを売ります。
商談が成立すると(しなくても)下から丸めたものを船に投げ込みます。
代金を下に投げるか、
気に入らなければ投げ返す。
すごい商売根性です。

その様子を撮った昼間の動画は、↓をクリック。

https://youtu.be/I7V2Aa2eP9c

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これは、クルーズ船2日目の朝日。

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朝食は再び和食。

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豆ご飯がうれしい。

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それにしても、シェフはどこで和食を学んだのでしょうか。

ホルス神殿からコムオンボ神殿までの間は、
船内でゆっくり過ごします。

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部屋から景色を眺めます。

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時間がゆったり流れます。

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船は全く揺れません。

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エンジンの音もなく、
景色を見なければ、動いていることさえ分かりません。

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エジプトでこんなのんびりした時を過ごそうとは。

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夢のようです。

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コムオンボ神殿での接岸の様子。

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やっぱりロープでつなぐのか。

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橋はこのように。

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最後の夕食は、
サンデッキでバーベキュー

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鶏肉と牛肉。もちろん豚肉は出ません。

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最後のイベントは、ガラベイヤパーティー

ガラベイヤは、エジプトの民族衣装。
ゆったりとした裾や袖口、
くるぶしまである長い丈、
くびれのない筒型のワンピースドレス。

船内で売っており、
↓のような扮装で集合。

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楽団が演奏する中、

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まずはヌビアンショー

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ヌビアは、エジプト南部アスワンあたりから
スーダンにかけての地方の名称。

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やがて観衆を巻き込んで、踊りの輪に。

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現地の言葉を復唱させるゲームで大笑い。

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最後に記念撮影。

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そうこうしている間に、

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アスワンに到着しました。

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短編連作集『敵の名は、宮本武蔵』  書籍関係

[書籍紹介]

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宮本武蔵を敗者の側から描く、連作短編集。
ちょっと今までになかった視点が新鮮だ。

「有馬喜兵衛の童打ち」

島原沖田畷の戦いで“童殺し”の悪名を背負い、
家中を追放された鹿島新当流の有馬喜兵衛
博徒に身を落とした喜兵衛の前に宮本無二斎が現れる。
無二斎には弁助(べんのすけ)と呼ばれる
十二、三歳の子どもがおり、
街角に立って、真剣勝負を挑んでいる。
それは無二斎が課した、弁助の元服の試練だった。
鹿島新当流の使者からの破門の通知を受けた喜兵衛は、
使者たちは主家への遺恨から
無二斎に挑むが、返り討ちにされる。
絶望した喜兵衛は、弁助に立ち会いを願うが・・・

弁助とは、宮本武蔵の幼少時の名前である。

「クサリ鎌のシシド」

人買いにすら見捨てられた自らの命を、
少女・千春によって救われたシシド
やがて成長して鎖鎌の達人として知られるようになり、
村人を守って収入を受けていた。
娼婦となった千春に再会したシシドは、
彼女を救うために金を用意するが、
用心棒狩りに来た武蔵たちに奪われ、
取り戻すために、武蔵に一対一の果たし合いを求めるが・・・

シシドが宍戸梅軒のことかは不明。

「吉岡憲法の色」

京八流の名門剣術流派・吉岡流の跡継ぎとなった吉岡源左衛門は、
吉岡憲法という名前を継ぎ、吉岡道場を興隆させるが、
染め物に対する情熱も消すことができなかった。
そんな時、武蔵が描いたという黒一色の絵に憲法は衝撃を受け、
憲法の染めた小袖について、
武蔵が言った「いつか、この色は褪せる」という言葉を聞く。
それは跡継ぎになる際、父親から聞かされた
「いつか、剣は廃れる」
という言葉に通じていた。
やがて吉岡一門を代表して武蔵と対決した憲法は、
敗れるが、
「武蔵との立ち会いで見えた色」
として「憲法黒」をあみだす。

「皆伝の太刀」

吉岡憲法との戦いの後、
江戸の道場で弟子たちと剣を交す武蔵だったが、
武蔵の剣は、いままでの殺気みなぎるものでは無くなっていた。
内緒にでかけては絵の品評に情熱をそそぐ。
仲間には柳生新陰流の大戸瀬と辻風がいた。
幸坂甚太郎は武蔵のお供をするうち、
絵筆を取るようになる。
そこへ宮本無二斎が現れ、大戸瀬と辻風を撃ち負かした後、
「厳流小次郎」を名乗って去る。
町でごろつきを殺傷した甚太郎は、
武蔵と対決することになり、
敗れるが、武蔵から免許皆伝をもらう。
「剣と絵は似ている」
という武蔵の言葉が響く。

「巌流の剣」

物語は二十数年前にさかのぼる。
宮本無二の弟子・本位田外記直伝の二刀流を遣う津田小次郎
(佐々木小次郎は、江戸時代の芝居の創作の名前)は、
外記からの助太刀を求める手紙を受け取り、助けに向かう。
外記は、主君の側室と密通し、
生まれた赤子と共に逃走しているのだ。
追手は宮本無二斎で、外記を討ち果たす。
小次郎は、子を失う親の苦しみを
無二斎にも味あわせてやると決意する。
それから十数年後、
小次郎は第1話の「有馬喜兵衛の童打ち」で
弁助が喜兵衛を討つところを遠望するが、
無二斎の前で、
弁助が一人前の武芸者になった時、討つ、と告げる。
そして歳月は流れ、
舟島(巌流島)で対決する。
決闘のさ中、小次郎は武蔵の出生の秘密を悟る。

「無二の十字架」

二十年前から続く、
第1話から第5話までを貫く秘密が明かされる。
宮本無二の首にかかる十字架の意味も分かる。
それは読んでのお楽しみ。
吉川英治の「宮本武蔵」に慣れた者にとっては、驚愕の新事実

「武蔵の絵」

巌流島の戦いから二十数年。
吉岡源三郎(憲法)は、今では染師をしているが、
消息が途絶えていた武蔵の噂を聞いて、訪ねていく。
そこで源三郎が見たものは・・・


書き尽くされた感のある宮本武蔵を
討たれた者の側から描くというのが新機軸。
その意味では、新鮮な驚きがある。
しかし、いくら読んでも、
宮本武蔵像が現れてこないのはどうしたことか。
むしろ後半、無二の物語だったのではないか、とさえ思えて来る。

先の直木賞候補。
選考委員の評価は辛い。

浅田次郎
面白く読んだが、
はたして大衆文学としての普遍性があるだろうか、
との疑問を抱いた。
「武蔵を知る人のための武蔵」をあえて書いたように思える。

伊集院静
佳作であったが、武蔵について独自の解釈であるなら、
もっと思い切った武蔵の存在が読みたかった。

北方謙三
私は、ひとつひとつの争闘を、いくらか興奮しながら読んだ。
太刀筋にリアリティがある、という感じだったのだ。
それが、飛刀の間が出てくると、
不意に剣が観念的になったような気がした。
最後まで、登場人物たちの血の臭いが漂っているのが、
この作品のあるべき姿ではないか、
と私は思い続けた。

林真理子
テンポがよく一話一話読ませるし、
決闘シーンが飽きさせない。
私は佐藤さん(受賞した佐藤正午)の次にこの作品を推したが、
何かが足りなかったようだ。
こういう小説は最後に大きなうねりをつくらなくてはいけない。

桐野夏生
この作品のように、敗北者たちから語られると、
宮本武蔵という人物が大きな虚ろのようで、
何とも捉えどころがないのは面白い。
発想はユニークだ。
文章がところどころ粗いのが気になった。

宮部みゆき
(「会津執権の栄誉」と共に)一読者としての感想をまとめたら、
どちらの作品にも「序盤を読むのがしんどい」
という評が出てきてしまいました。
どれほど重厚な題材を扱っていても、
エンタテイメント小説は「楽しい川下り」であってほしいと
私は思います。

東野圭吾
お馴染みの登場人物たちを自分なりにアレンジし、
既存の作品とは多少の距離を置きつつ、
リスペクトも忘れない着地点に落とし込んだというところか。
終盤になり、無二の人格が変わっているのは気になった。

宮城谷昌光
以前、その作風に多少なりとも言及したことがある。

高村薫
日本人がいまほど多弁でなかった江戸時代の、
現代人には理解が及ばない斬ったり斬られたりの死生観に、
剣法を通して迫ろうとする作者の意欲が感じられた。


エジプト旅行記@ピラミッド  旅行関係

それでは、エジプト旅行記を始めましょう。

今回の旅行は、いつものトラピックスではなく、
クラブツーリズム
「古代文明が色濃く残る 感動のエジプト周遊8日間」

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飛行機会社はターキッシュ・エアライン(トルコ航空)。
6月に行ったバルカン半島の旅もこれでした。

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ここのチェック・インは、いつも長蛇の列。

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エジプト・ポンドは成田でも両替できるようになりましたが、
現地の方がはるかに安い。
3円は違います。
1200ポンド両替すると、3600円も高くなります。

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イスタンブール行きは、
第1ターミナル南ウィングの最後から2番目。

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座席配置は2・4・2。

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映画のプログラムは豊富。
日本語で観られる映画は30本余り。

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中でも、↓の「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」は、
日本を舞台にしたアニメで、素晴らしい出来。

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アカデミー賞のアニメ部門にノミネートされたのも当然。
11月18日公開予定。

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機内食は2度出て、

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11時間52分でイスタンブールに到着。

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夜中の4時だというのに、
イスタンブール空港は、こんなににぎやか。

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大のトイレでオシッコをしてはいけないらしい。

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3時間待ちでカイロ行きに乗り継ぎ。
トルコ語で「カイロ」はこのように書きます。

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バスで搭乗。

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このパンが意外においしかった。

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地中海をひとッ飛びで、1時間45分。

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朝7時33分、カイロに着きました。

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エジプトの正式名称はエジプト・アラブ共和国
漢字では、埃及。

1882年〜1922年はイギリス領エジプト
1822年〜1953年 エジプト王国
1953年〜1958年 エジプト共和国
1958年〜1971年 アラブ連合共和国
1971年〜現在 エジプト・アラブ共和国

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途端に、アラビア語表記になります。

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道路は、すぐそばに砂地が。

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左右に建てかけのビルが並びます。

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生活臭がぷんぷん漂います。

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カイロの道路は、車線が消えていて、
ご覧のような有り様になります。

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ナイル川を渡ります。

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ナイル川は、アマゾン川と並ぶ世界最長級の河川。
長さは6650km、流域面積は287万平方キロにのぼります。
10カ国を通過。
ヴィクトリア湖の更に上流、
ブルンジ南部のルヴィロンザ川が最上流の白ナイル川が
エチオピアのタナ湖から流れてくる青ナイル川と
スーダンのハルツームで合流。
特に青ナイル川は、
エチオピア高原で雨季に降った雨により、
流量は大きく増大、
ナイル川は定期的に氾濫し、
大量の堆積物を下流にもたらします。
この土は肥沃で、
水が引けた後、
エジプトにおいて豊かな農産物を生み出しました。
ナイル川が「母なるナイル」と呼ばれるゆえんです。
アスワン・ハイ・ダム建設後は、
ダム下流のエジプトにおいて一年間の流量変化はほとんどなく、
年間通じて同じ水量が流れるようになりました。

↓のとおり、
エジプトはたった1本の川で成り立っており、
それ以外は全て砂漠、という特殊な地形をしています。

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このように、豊かな畑があります。

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ナツメ椰子が実っています。

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ピラミッドが見えてきました。

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造営時期は4500年前の紀元前2500年頃。
古王朝時代の建造物。
クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三代の王墓とされています。

ギザの三大ピラミッドを見るには、
入場料が必要です。
↓が入場券。80エジプトポンド(640円。以下、1ポンド=8円で換算)

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乱暴に手でちぎるので、↑のようになります。

これが一番右側(北東側)にある最大規模のクフ王のピラミッド

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大きすぎて、左右に収まりません。

元の高さは146.59m、
底辺230.37m、
勾配51度50分40、
容積232.2万立方メートルで、
平均2.5tの石灰岩を
約270万〜280万個積み上げたと計算されています。

最頂部が欠けたため、
現在の高さは138.8mですが、
元の高さの分、避雷針が立っています。

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建築当時は、すべすべした化粧板で覆われていましたが、
その後、民家の建設用に奪われ、
今は↓底部にしか残っていません。
当時は、さぞきれいだったでしょうね。

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これが正規の入り口。

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今、使われているのは、盗掘の際、開けられたもの。

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正規の入り口は隠されており、
盗掘者が掘ったところ、
偶然、正規の通路に辿り着いたといいます。

いざ中へ。

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入場料は200ポンド(1600円)。
秋のシーズンになると、
400ポンド(3200円)に跳ね上がるそうです。

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中は撮影禁止。
カメラの持ち込みはできません。

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そこで、拝借した写真を。

入るとすぐ、腰をかがめてでないと通れない通路を通り、

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やがて「大回廊」へ。
こんな空間が作られていたのです。

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その上にあるのが玄室

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棺のように見えますが、
蓋はどうしたのでしょう。

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これがクフ王のピラミッドの横断図

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普通、玄室は地下に作られますので、ちょっと特殊。

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実は、私はエジプトは2度目。
しかし、前回はクフ王のピラミッドに入れなかったので、
ようやく念願が果たせました。

クフ王のピラミッドからギザの町を見たところ。

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らくだ使いが客を待っています。

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真ん中にあるカフラー王のピラミッド

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クフ王のピラミッドに次ぎ2番目の大きさですが、
クフ王のピラミッドより高い台地に建てられているため、
一見、一番高く見えます。

建築時の高さ143.87m(現在の高さ136m)、
底辺215.29m、勾配53度10分。

頂上部分には石灰石の化粧石が残っています。

メンカウラー王のピラミッド

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建築時の高さ65.5m(現在の高さ62m)、
底辺105m、勾配51度20分と
三大ピラミッドのうち最も小さく、
他の2つのピラミッドと比較して長さで半分、
体積で8分の1。

その理由には諸説ありますが、
何らかの事情で財政が逼迫していたため建設費用を節約したとの説が一般的です。

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北面には大きな傷跡↑がありますが、
ピラミッドを破壊しようとしたものが
破壊できずに終わったものの名残であるといいます。

ビューポイントから見た三大ピラミッド。

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↓の写真が有名。

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手前にあるのは、
王妃の墓。

↓位置関係。

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上から見た図。
3つのピラミッドは、オリオン座を模したもの、
という説がありましたが、
現在は否定されているようです。

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位置関係から見て、
↓のようにしたかったのではないか。

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3つ同じ大きさだったら、さぞ壮観でしょうね。

二大ピラミッド。

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ピューポイントは砂漠につながります。

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団の人が沢山らくだに乗りました。

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エジプトには2008年確認で138基のピラミッドがあります。
語源は、ギリシア語で三角形のパンを指す
ピューラミス(ピラミス、ピラムスとも)に由来するという説が最も有力です。

ピラミッドの建設は多数の奴隷を用いた強制労働によるという説が主流でしたが、
今ではナイル川の氾濫時に
仕事のない農民に仕事を与えた
公共事業であった、という説が有力です。

ギザから南に下ったところには、

階段ピラミッド、

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角度が急すぎて崩れたピラミッド、

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角度を途中で変更した屈折ピラミッド、

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赤のピラミッドなどがあります。

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これらは、
どの勾配が一番安定するかなどの実験で作られたようです。
その結果、三大ピラミッドのように、
4500年たっても崩壊しない堅固な建築物が出来ました。

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これらのピラミッドは、
「メンフィスとその墓地遺跡−
 ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯」
として、世界遺産に登録されています。

次はスフィンクスへ。

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夜は音と光のショーが行われ、その座席がベスト・ポジション。

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昔はここまでナイル川が流れており、
ここは河岸神殿と呼ばれ、
王のミイラ作りが行われたといいます。

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ここから参道がピラミッドまで続きます。

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これらを総合して、
ピラミッド・コンプレックス(複合体)と呼びます。

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スフィンクス。

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ここにあった岩山を削って作られたそうです。
顔はメンカフラー王に似せて作られたといいます。
全長57m、高さ20m。

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ピラミッドを背負っているように見えます。

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↓は、
1864年の幕末期、
ヨーロッパを訪問した外交奉行の池田筑後守長発ら一行が
途中エジプトを経由し、ギザのピラミッドを訪れた時の写真。

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この時にも、
「わいは物見遊山に来たのではない」
と行くのを拒否した、お固い人物がいたそうです。

さて、ホテルで一時休憩。

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ホテルの前からもピラミッドが見えます。

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エジプト初の食事はバイキング。

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この地にしかないコーラの缶。

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ホテル内。

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部屋。

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プールもあります。

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実は地下鉄に乗ってオールド・カイロまで行きたかったのですが、
「今から行っても閉まってます」
とガイドに言われて調べてみると、
コプト博物館など、4時閉館。
それで断念して、プールで泳ぎました。

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プールからもピラミッドが見えます。

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長旅をいやすための休憩だったようですが、
私としては、屈折ピラミッドや赤のピラミッドにも行ってほしかったなあ。

深夜の便でルクソールへ。

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後日、カイロに戻ります。

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帰国しました  旅行関係

本日夕刻、
エジプトから無事帰国しました。

カイロではギザの三大ピラミッドを訪ね、

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ルクソールでは、西岸観光

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東岸観光をし、

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このクルーズ船で

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ナイル川をさかのぼり、

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ホルス神殿、コムオンボ神殿、イシス神殿を訪れ、

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サハラ砂漠を280q走破して、

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旅のハイライト、アブシンベル神殿

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カイロに戻って、エジプト考古学博物館を見学。

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充実した5泊8日の旅でした。

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旅行記は、順次掲載します。


短編連作集『信長嫌い』  書籍関係

[書籍紹介]

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天野純希(あまの・すみき)による、
連作短編集。
「小説新潮」誌に2年間にわたり不定期掲載された7篇を
一冊にまとめた。
「信長嫌い」とくくっているが、
身近にいて信長を嫌悪したわけではなく、
信長と敵対して滅ぼされた者たちのレクイエムである。

各短編の題名が「○○の○○」という形で統一されている。

第一話 義元の呪縛
第二話 直隆の武辺
第三話 承禎の妄執
第四話 義継の矜持
第五話 信栄の誤算
第六話 丹波の悔恨
最終話 秀信の憧憬

第一話は、今川義元が桶狭間の戦いで
信長に討ちとられるまでの経緯と心情。
その中核にあるのは、
父のように指導されていた
軍師の太原雪斎の影響下から逃れようとする義元の足掻き。
雪斎を超えようとして超えることのできなかった
義元の心理が面白い。

第二話は、朝倉家家臣の真柄十郎左衛門直隆が主人公。
尊敬する軍師・朝倉宗滴から後を任されたと自負する直隆は、
信長を警戒し、備えを進言するが聞き入れられない。
その鬱憤を息子の隆基にぶつけたりする。
そして、好機を得て信長軍と対峙して功名を挙げようとするが、
孤立する。
その時になって直隆は
宗滴から後継者として認められたという自負心が
思い上がりだったことに気づき、
息子と共に死ぬために信長に挑んでいく。

第三話は、南近江の戦国大名・六角承禎
一時京都を治め、天下人となることを夢想したこともあったが、
信長に追い詰められ、逃れ、衰退する。
一時期、キリスト教に帰依したこともあった。
余生の中、錯乱し、既に本能寺の変で死亡した
信長軍との戦いに挑む幻想にとらわれる。

第四話は、
足利十三代将軍義輝を弑した三好左京大夫義継
信長によって、義輝の弟・現将軍の
足利義昭の妹・寧子(やすこ)と婚姻させられる。
寧子にとっては、兄の仇である。
いつ寝首をかかれるかもしれない恐怖にとらわれるが、
寧子との間には愛情も芽生える。
そんな中、信長に反旗を翻した義昭を預かることになり、
義昭を亡き者にするようにとの信長の命令を伝えに来た
羽柴秀吉の要請を拒んだ義継は、
ついに信長軍に攻められるようになる。
城外に逃す寧子とは、
「できることなら、
殿とは違う形でお会いしとうございました」
という言葉を交わす。
義継の中には、将軍義輝の、
最後まで戦った姿が記憶に残っており、
最後、追い詰められた時、その姿を再現する。

第五話は、織田家宿老・佐久間信盛の嫡男の信栄
繊細な神経を持ち、
信長の敵を殲滅し尽くす方針にはついていけない。
そんな時、
父に連れられて訪れた千宗易(千利休)の茶の接待を受け、
激しい衝撃を受ける。
やがて信長に疎んじられるようになり、
所領を全て返上し、
父と共に、戦いの世界から退いていく。

第六話は、伊賀忍者の百地丹波
信長の命を付け狙うが、ことごとく失敗し、
最後は本能寺の変に立ち会う。
切腹する信長の首を撃ち、
その首を持って逃走する。
丹波の妻のお梅、弟子の文吾との関わりも楽しい。

こうして、第一話から順に遠景であった信長の像が
次第に近くなり、
ついに第六話で、
本能寺の死の場面に至るのは、
この連作短編集の巧みな構成の妙だ。

そして、最終章には、
信長の死後を舞台にし、織田秀信を持って来る。
秀信は信長の孫に当たり、
信長の後継者を決める清洲会議で、
秀吉により推戴された「三法師」である。
その場面は、このように描写する。

最初の記憶は、どことも知れない屋敷の大広間だった。
秀信は誰かの膝に抱かれ、
広間に居並ぶ何十人もの大人たちを
上座から見下ろしている。
秀信を抱いた男が何か声を発すると、
大人たちは一斉に平伏した。
秀信はまだ三歳か四歳で、
場所もはっきりしない。
だが、自分を抱いていたのが
秀吉であることだけは
間違いなかった。


そして、今の現状を秀信は、こうとらえる。

織田家の最盛期はとうに過ぎ去り、
今は顧みる者もいない。
岐阜の家臣たちは
祖父の偉業を誇らしげに語るが、
秀信には
過去の栄光に縋る愚か者としか思えなかった。


老いた秀吉に会いに行き、
秀吉が信長そっくりの秀信の姿に錯乱する様も興味深い。
そして、秀信は織田の血をもってすれば、
何事かが成せるのではないかと思い込む。

秀吉が自分の目の前にひれ伏した刹那、
自分の中で何かが解き放たれた。
自分の体を流れる血には、
これほどの力がある。
そのことに気づいた瞬間、
目の前が開けるような思いがしたのだ。


そして、その誇りから家康側につくことを潔しとしないため、
西軍につき、敗退する。
最後は岐阜城で降伏し、
助命されて出家し、
織田家嫡流最後の時を迎える。
その時、秀信は夢の中で
微笑む信長の姿を見るのだった・・・

一人の人物を
それを取り巻く様々な人物から照射していく描き方は、
「わが敵、宮本武蔵」と似た構造だが、
織田信長という人物が大きいだけに、
多彩で重厚な印象を与える。

ちなみに、
私は信長は嫌いである。
しかし、秀吉は、もっと嫌いだ。





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