2009/11/1

ふと思ってしまったこと  つぶやき

「心を開く」「閉ざす」といった言葉をよく使う人がいるけど、わたしはいまだにその感覚がよくわからない。

自分とつながりがある人に対して失礼のないようにしようと思ったら自然と自分の素が出るはずだし(「素」っていうのがみそ。愛想だけだったら八方美人と同じ)、もちろん心だってばんばん開ける。
むしろそんなときに「心」のありかやオープン度なんて意識できない。
そんなに器用じゃないし。

人は自分に対して他人の「心が開かれてる」証拠がほしくてあれやこれやと思考をめぐらしたりそれを実行に移したりするのかもしれないけど、その前に自分が心を開かなきゃ何も得られない。
それも人とのつながりなんてたいていはあいまいでギブ&テイクのように完璧にシステム化されているものではないのだから自分が心を開いたからといって相手も心を開いてくれるとは限らない。
そんなやりとりなんて疲れるだけなのでまっぴらだ。

そもそも「開く」とか「閉ざす」とか両極端なものなの?「心」って。
そして「心」ってそんなに特別で奥のほうにあるもの?
大事にしまっておかなきゃいけないほど希少だなんて、その「心」って案外貧相なものなんだな。

はっきり言って「心を開く」「閉ざす」っていう感覚は「『心』というものは重要なもので、自分にはそれを開いたり閉じたりする権利がある、だから大切に特別扱いして」っていう尊大で甘ったれた考えから生まれたようにしか見えないんだけど。

「心」がどんなものであれ、別に根拠なんてなくていいし徐々にでいいから開いた状態に持っていければわたしはそれでいい。
最初なんて「今つながっている」ということに対して敬意を持って(決して慇懃無礼に、という意味ではなく)接してくれればそれでいい。
自分にだってそれぐらいしかできないから。

※よーく考えてみたらちょっとひっかかったのでメモ程度に残しておく。
 今改めて読み返してみたら毒かもしれない。
 まぁたまにはいいやね。


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