(本来ブログは個人的な日記なのだけれど、今日の話は本当にとても個人的な弔意を表したものです。
気が進まない方はどうか飛ばしてしまって下さい。)
学生時代からの大親友でミュージシャンとしても尊敬していた
三宅健夫君の訃報を聞いたのは月曜ゴスペルレッスン帰りの大井町駅でした。
今日も楽しいレッスンだったな…皆喜んでくれたかな…
とメンバーの笑顔を思い出しながら上機嫌で帰るコールをしました。
「あのね…たけちゃん…しんじやったんだって…」
「…うそだろ…」
長い闘病生活をしていたのでまさか…自分で…
という耐え難い思いが最初に浮かんでしまったがそうではなかった。
原因は不慮の事故で誤って用水路に落下してなくなったそうだ。
それでも誰にもみとられず一人寂しく…
「そんな…ことってあるかよ…」
半ば呆然としたまま電車に。
帰宅後、救急車で病院に運ばれてから息を引き取ったということを聞いて
誰かに看取られることは出来たんだと思い少しだけほっとしました。
facebookの学生時代の軽音部グループタイムラインには彼を惜しむ
愛情ある言葉が次々によせられました。
社会に出てからは自然と疎遠になってしまっていたけど
みんな、ちゃんと健夫のことを覚えていた。
タケちゃんは得意の毒舌トークを連発してもとても皆に愛されていた。
その愛すべきユーモアーセンス
その優しい人柄
天才的なブルースギターも全て
18歳の時。新入生歓迎コンサートで初めて健夫のギターを聞いた時
稲妻に打たれた。
健夫がリフを引き出した途端に
その音がそこにあるすべてを支配した。
そんな音を聞いたのは生まれて初めてだった。
「すっげえ…」
すぐに意気投合して親友になった。
岡山出身の彼はめちゃくちゃテンションが高くて
いつも周りを笑わせてくれた。
同時にとてもおおらかなエネルギーも持っていて
一緒にいると不思議と穏やかな気持になれた。
お世辞ではなくて、本当にいつも人気者だった。
そして、コンテストに出ればいつも最優秀ギタリスト。
神さまが彼に後ひとつ、健康だけを与えつつけてくれさえすれば
絶対、世界的なプレーヤーになれる男だった。
思い出せば健夫はいつも僕を応援してくれた。
病院からもよく電話をくれて
「サブローはさ、上手く歌おうとしてない?」
「もっとさ、自分を捨てて歌わな…おえんよ」
「サブローは人になんて言われたい?」
「あいつの歌 うめ〜!! でええの?」
「あいつの歌、すっげ〜!! って言われる方がもっとかっこええんじゃない?」
「サブロ-,すっげ〜!!だよ。客に"すっげ〜っ"て言われる歌手になろうぜ!!」
「サブロ〜なんでいつまで先生なんかやってるんだよ…なんでもっと、歌わないん? もったいねえぜ…」
「わいもな最近体調がよくなってきたから、今度、東京にいったらセッションしようや!」
もろ岡山弁なのに無理して東京弁を使う独特の話しっぷりがまた愛嬌があった。
突然のさよならで
最後の約束は果たせなかった。
月並みなセリフだけれど、
健夫、俺がそっちに行ったら真っ先に音をだそうぜ。
健夫と初めてやった曲、覚えてるか?
"ハイタイド・ハリス"の"EVERY DAY I HAVE THE BLUSE"
だよ。懐かしいね。
あれやろうか?
その時お互い姿は18の時に戻してもらえたら最高だね。
神様よろしく!
…個人的な思いをだらだらと書いてしまいました。
最後まで読んで頂いた方には感謝致します。
三宅健夫くんのご冥福をお祈りします。