「What's The Frequency, Kenneth?」
Monster
1994年という年は、
大なり小なり、洋楽好きの十代に衝撃を与えた年に違いない。
カートの自殺とか、ブリットポップとか、メロコアとか
強く印象に残っているものは、人それぞれだろうが、
当時、15歳だった小生にとって、
『What's The Frequency, Kenneth?』のヴィデオクリップのハゲは
大変、鮮烈だった。
それだけのことで、この曲を最初の一曲に挙げたい。
正直、94年という時代の所為なのか
その時、小生が右も左も分からんガキだったということが、
未だ自身にノスタルジックな影響を与えているのか、はっきりしないが、
当時、世の中はある種の期待に溢れていたように思える。
なにシャラクセエことを、と思わないで頂きたい。
今になってはっきり確信できるが、
90年代も中頃のあの辺りから、
間違いなく世の中は、世紀末、20世紀の終焉に
なにかしら妙な期待を抱き始めていた。
それは、発展的な成果に対する興味ではなく
ある時代の終わり、ひとつの区切りを消化することへの
楽しみのようなものだった。
初夏の夕闇のように
「まだ暗くない」ということだけで
そわそわしてしまう感覚。
刹那的な楽しみでしか埋められぬ
わずかな余剰。
恥ずかしながら、
古臭い田舎で育ったやぼったい小生は
そうした安っぽいものを求める感覚に
大いに憧れた。
20世紀も終わるというのに、
どいつもこいつも湿気た面しやがって、
カラッと生きられねえのか、と。
今となっては、
そんな感じで大いに空回っていた十代が懐かしい。
それはともかく。
この曲は
こうした潮流に対する優しい皮肉によって成り立っている。
「You wore our expectation like an armored suit.」
――君は武装するみたいに期待を纏って。
ストロボライトに明滅するスキンヘッド。
カート・コバーンのジャグスタングをかき鳴らすおっさん。
クソダサいジーンズとジャケットを着たメガネのベース。
あとタンクトップのマユゲ。
彼らの姿はおそろしくキッチュで滑稽に見える。
それは1994年の時流の象徴。
彼らはそうしたものを演じることで、優しく諭してくれる。
当時、イタイ十代を送っていた人ほど
目からうろこが落ちたかのように
この上なく、彼らが恰好良く見えたのではないか?
――何も斜に構える必要はないのである。
躍起になって時の流れに敏感になることはないのだ。
(ピーターのギターソロを見つめるマイケル・スタイプのように)
ただ、優しく横目に時代を眺めるだけのことが
死ぬほどかっこいいのだから。
だから小生は
共感と憧れ以外の感動を教えてくれたこの曲が一等大好きだ。
ちなみに、
ヴィデオクリップを中心に話をしたが、
このクリップと
『roadmovie』のライブ映像は必見。
グラサンの正しい取り外し方が学べます。
P.S.
長くなった上に
ロッキンオンのどうでもいいレヴューみたいになってしまった。
次回は、もう少しライトタッチにしてみようかと思う。

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