(無題)  

パソコンが壊れてしまいまして、困っておりまする。
新しい物を買おうかと思うのですが、もう少しすればクリスマスセールとか年末のボーナス商戦で安くなったりサービス良くなったりすると思います。

未だに書類作成はワープロ使ってますからパソコンが無くても不自由さは感じません。調べ物ができないのが困る程度ですが、スマホ持ってる人に調べてもらえれば事足りてます。

俺はまだガラケイだし、現代のネット社会には完全に乗れてません。
数学の先生なのにパソコン使えないの?と何人もに言われますが、焦る事はない。

壊れたパソコンは、ウインドウズ10に書き換えてしまった事が原因かも?繋がらないし開かないし。
知識がないのが一番いけないんでしょうが、振り回されて生活する方が面倒です。

この記事も、ガラケイからうってます。
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成人祝い・・・  

平成8年9月26日、富士学院に退職願を提出し、9月30日付で退社しました。
その年のカレンダーでは月曜日でした。
富士学院での最後の授業は中学2年生の数学。退職する事は生徒には告げず、翌日の10月1日からの授業には別の先生が担当した・・・そんな20年前です。

10月に入ってから、俺の自宅には「苦情」や「問い合わせ」の電話が何件もあり、その都度退社の経緯を説明する事になったんだが、10月1日からは、新しく開校する「浅見数学教室」の準備で追われていました。

机や椅子、黒板などを搬入して、退職の挨拶状や新規開校教室の告知などの事務作業や、時間割の作成や必要な書類の作成、さらには教室の掃除など、忙しく過ごしていました。


10月14日、浅見数学教室は二十歳を迎えます。


開業して、独立して、20年をこの部屋で過ごしました。


全卒業生たちの写真が壁に貼られてます。昔の写真を見ると、教室の備品や物の配置が全然違っていて、懐かしく当時の事を思い出したりしています。



20年前に比べれば、俺も年をとった。社会の情勢も変わった。生徒の気質も変わった。入試の制度も変わった。



早いのか・・・・・、やっと辿り着いたのか・・・・・、過ぎ去れば過去は良い思い出ばかりだ。



平成8年に生まれた子供は、来年1月の成人の日には式典に出席するのでしょう。
自分の成人式を思い出しても、そしてそれまでに過ごした自分の学生時代を思い出しても、すべての時間と同じだけの時間をこの教室で過ごした事になる・・・・・って思うと、たった8坪たらずのこの部屋にはたくさんの「財産」が詰まってる・・・・って思いますね。


夏の暑さが過ぎて、秋を感じる今日この頃。

20年前にも、稲もみを焼く匂いがしてました。



良く頑張ったな・・・・・。



そんな訳で、二十歳の誕生日を迎える教室を祝って下さい〜〜〜〜〜。
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公民の教科書に・・・  

中学3年生が使っている教科書(育鵬社 新しいみんなの公民)の記載事項に疑問があり、教科書会社に問い合わせたところ、文科省に報告&手続きをして、来年度の教科書から訂正される事や、現在使用している中学校には訂正を記した書面を送るなどの対策を立てる事を、電話で報告された。

問題の記載は、「1889年に大日本帝国憲法が公布された」って一文。

大日本帝国憲法が1889年に作成された事は間違いはない。違っていると思ったのは「公布」って言葉だ。国語の意味的な事で言えば大差ない事なんだが、「公布」って言葉は正しくない。
公布って意味は、広く知らしめる・・・って意味なんで、大日本帝国憲法を1889年2月11日に公布した・・・って言っても、決して間違いではないと思います。
現在の日本国憲法は1946年11月3日に公布され、「公布」って言葉が使われているんで、
大日本帝国憲法においてだって「公布」でも良いのかも???って思います。

しかし、「公布」じゃなくて正解は「発布」です。

国語辞典に記載されている「公布」と「発布」の意味は、ほとんど同じ。どっちでも意味は通じますし使い方に制限や制約があるとも思えません。

じゃー、なぜ「公布」じゃなくて「発布」なのか?????


ここからは個人的な意見として書きますので、もしもここをご覧になって私の意見が間違っていると思われる方は、ぜひともにご意見をいただきたくお願いいたします。



歴史上の事実は尊重すべき!!!って思うんです。


公布と発布の意味は同じであっても、大日本帝国憲法が広く知らしめられたとき、「大日本帝国憲法を発布した」と当時は言われたからです。
事実、明治天皇が憲法を総理大臣に手渡す式典の絵には「発布式」と書いてある。
だから同じ意味であっても「公布」って言葉は使ってはいけないんだと。



法律用語にも合点がいかない事はよくある。そんなときは、意味的に大差ないならば、記載されている通りが正解であって、いちいち疑問を持っても今更では解決できないんだ・・・って思うようにしてます。

これは違いがあるのかも知れませんが、憲法に使われる、「日本国民」「国民」「すべて国民」の使い分けには頭を悩まします。
明確な違いがあるのだろうか????
憲法の条文ならば記載通りに覚えねばならない・・・と指導するしかないのか???




来年から使う教科書には「公布」が「発布」になってるんでしょう。
俺の指摘で変わったんだよ・・・・と得意げに話そう!!!


でもね、過去にも1度、同じように問い合わせをして記載が変わった・・・事があります。
国会議事堂の内部を紹介する写真なんだが、衆議院の本会議場と参議院の本会議場には大きな違いがあるんで明らかなる間違いだったので問い合わせたら、素直に出版社が過ちを認めた。
参議院本会議場は議長席の後ろにはカーテンが敷いてあってその後ろには天皇が座れるスペースがありますよね。昔の貴族院の本会議場だったんですからね。
衆議院は現在では参議院よりも優越的な立場にありますが、国会議事堂ができた当時は、貴族院よりも立場は下だったんで天皇が本会議場には現れないんです。
衆議院本会議場の議長席の後ろは木の壁になってますから、明らかに衆参本会議場の違いがあるのに、参議院法会議場の写真の下に衆議院本会議場と記載されていたんで問い合わせた経緯がありました。



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最近・・・  

このブログを見てくれている人の中に、きっと高校生かな???って思われる人がいるようだ。
勿論、浅数の卒業生も含まれてるんだろうけど、俺を全く知らないでたまたまこの掲示板を検索サイトから入って来ている人がいるようです。それはそれで嬉しい事ですが、ちょこっと思う事があって書いてます。

高校生かな??って思う証拠は、この掲示板をどんな言葉を検索して辿り着いたのかを調べたからです。
「命題」「逆」「裏」「対偶」などの言葉で検索して、この掲示板にたどり着いたらしい。
ところが、高校で学習するような真面目な(?)話じゃなく、どうでも良いようなくだらない話が載ってるんで、中には「具体例がおかしい」とか「頭おかしいんじゃない?」などのコメントをいただく事もあります。


命題・・・ってのは、証明するために与えられたテーマと言うか、文章みたいなものを指します。
逆・・・は、命題の仮定と結論を逆さまにしたものです。
裏・・・は、命題で与えられた仮定と結論をそれぞれ否定したものです。
対偶・・・は、命題で与えられた仮定と結論を逆さまにしてそれぞれを否定したものです。

例えば、

命題「太郎君はカレーを食べた」とします。

逆は「カレーを食べたのは太郎である」
これは必ずしも正しくありませんね。花子さんだってカレーを食べてるかもしれませんもね。

裏は「太郎君で無ければカレーを食べてない」
これも必ずしも正しくありません。太郎で無いって事は、次郎君(別に誰でもいいんですが)もカレーを食べてないかもしれませんかもね。

対偶「カレーを食べてないのは太郎君ではない」
これは正しいです。カレーを食べてない仲間には太郎君は含まれてませんからね。

このように、逆や裏は正しくなくても、対偶は正しければ命題は正しい・・・って事なんだそうです。


そこで、俺は面白くくだらない命題を提示してみたんですよ。なんか真面目に考えられちゃったみたいでね。

命題「親に叱られないと子供は勉強しない」
この命題が正しいかどうかは対偶が成り立つかどうかにかかっています。

対偶「子供は勉強すると親に叱られる」になっちゃいますね(笑)。こんな事はあり得ますか??真面目に勉強する子供を叱る親って・・・・・。



賢い方ならばこの命題と対偶の関係に気づかれましたよね???


数学的な処理をする以前の問題ですよ!!!!!

国語の文法の勉強をしてくださいね。
「叱らない」って、「叱る事をしない」って意味じゃないですね。
「勉強しない」って、「勉強する事をしないって意味ですよね。

つまり「ない」の使い方の問題なんですよ。



この命題を、上手に使えば親から叱られないですよ。笑
賢い親だったらごめんなさいね笑
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安心しましたよ  

MRIの検査をした結果、手術の必要はないと診断されました。

安心しました。


ここしばらくは痛みが無く生活できているんで、もしも手術だ・・・なんて言われたら、かなり落ち込んだと思う。


医者曰く、痛みが出るのは炎症があるからで、炎症さえおさまれば痛みも引くだろうと。


服用している薬の効果なのか、状態が良くなっているのか、判断はできていないんだが、手術の必要がないってわかった以上、薬の服用回数を減らしてみて痛みが出るかどうかを確かめてみようと思う。

布団で寝られる!!!!
寝不足が解消される!!!!



ただ、寝てみて痛みが出ない事を確かめないと。
今晩チャレンジしてみます。



布団で寝るっていう当たり前の事が当たり前にならない不自由さを味わった。
布団で寝るっていう怖さが克服できれば、本当の意味での「日常」が戻って来る。



6月に入って、授業も平常に戻ります。



違和感なく、日常生活が過ごせますように・・・と願うばかりです。
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検査  

MRIなるものを初体験して来ました。
知人からは「ガンガン凄い音がするよ」とは聞いていた。
ヘッドホーンして、しかも何かの音が流れているにもかかわらず、「ドンドン、ピーピー、ドドドド」凄い音だったよ。

磁場が強いから金属製の物を身に着けてはならない。「入れ歯をしたままだったらどうなりますか??」とふざけて聞いてきたら、「飛び出します」と笑いながら答えられた。
ヒートテックなどの保温性肌着を着たままで検査すると、熱を発して火傷してしまうらしい。

用意された検査着に着替えたんだが、怖かったんでパンツ一枚の上に検査着を着た。

検査時間ははっきりとした事は覚えていないけど、およそ10分位かな??
30分かかる・・・って聞いてはいたけど、そんなに長くは感じなかったな。


久々に身体を横にする姿勢をとった。未だに布団では寝てないんで、正直緊張しました。

「また痛くなっちゃうかな・・・」って思うからね。

案の定、痛みが出ました。


今現在、普通に生活できるようにはなっているけど、薬の効果だって事が判明した瞬間だった。




診察は明日。つまり、MRI画像の結果を知らされるわけだ。

さて、どんな事を告げられるんだろうか?????
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とりあえず復帰  

まだまだ本調子ではないのですが、仕事を再開しました。
右手の痺れは相変わらずで、黒板にも字が書けない状態ですが、小さなホワイトボードに書いてそれを黒板の前に並べて・・・・って感じですが、何とか授業ができています。

今月末にMRI検査の予約があるので、その結果を待っていろいろと判断しようと思ってます。

薬が効いているのか痛みは無く過ごせています。


一番つらいのは、まだ布団で寝られない事。寝返りをして右肩を下にした状態で寝ていたら、朝起きてきっと大変な事になっちゃうのかな???って思うんで、怖くて布団で寝られません。
ソファーに座って毛布を掛けて寝てますが、熟睡はできませんね。
疲れはそんなに無い状態で仕事をしているので、熟睡ができなくてもまだ大丈夫なのかもしれませんが、暑くなってきたならどうなんだろうか???
それまでに何とか良くなって欲しいです。


とりあえず復帰しました。この間、ご心配いただきコメントをいただいた方々に感謝申し上げます。
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(無題)  

私はもう2週間もの間、お休みをさせていただいております。
脛椎の椎間板ヘルニアと診断されたんです。
首から右肩と右手に痛みと痺れがあり、動けない状態です。

講師の先生方のお陰で授業はおこなえております。

いやいや、肩凝りでは誤魔化せないこんなに酷い状態は初めての体験です。


昼夜問わずソファーに座り同じ姿勢で過ごしてる毎日で、生きてる意味を忘れてきました。

なんなんだろー?


痛みのツラさよりも精神的な落ち込みが……。


早く復帰できるよう頑張ります。
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不謹慎狩り  

九州の熊本・大分を中心に、今も引き続き起きている地震。
「本震」とされている地震の震度が、とうとう「7」に変わりました。
定義上、震度の最高数値は7なんで、どれだけ強く揺れても「7」を超える数字はない。
東日本大震災の時もそうだったけど、きっと「7」表示のレベルを超えている揺れもあるはずですよ。

阪神淡路大震災(1995年1月17日)で、その当時まで「震度5」「震度6」だったものが「震度5弱」「震度5強」「震度6弱」「震度6強」に改められた。同じ震度であっても家屋などの被害が全然違う・・・との見解からだ。


今回の熊本地震でも、本震発生時には「震度6強」だったものが「震度7」に改まった。これは益城地区が「前震」によって停電状態になっていて「本震」が起きた時に震度計が作動していなかった・・・からみたいですが、専門家さえも予測ができない、過去に経験した事が無い程の災害みたいです。




この未曽有の災害において、芸能界からも数多くの支援・義援金・応援が寄せられている。もしくは現地で被災して避難生活をしている芸能人やその家族・親類も数多くいます。
現地から、「芸能人」と言う知名度を活かして「現状報告」をしている芸能人に対して、「苦しんでるのはお前だけじゃない」みたいな、ネットを使った書き込みが急増中だそうです。

義援金を贈ったり応援のメッセージを自らのブログに書いたら炎上してしまった・・・そんな芸能人が多くいるそうだ。



「頑張って下さい」「応援してます」「少しですが義援金を贈ります」などなど、熊本・大分で被災された方々を思い、心の底からの励ましを送っているにもかかわらず、その「善意」が上手には伝わらず、「偽善者」扱いされていたり、震災を口実に自らを売り込んでいる・・・と思われてしまうような表現で書き込みをしてしまう芸能人がいるという。



本当に悩み苦しんでいる人に、「頑張って下さい」って言葉は、励ましどころかナイフのように突き刺さる言葉になってしまう事もある。



俺もケースは違うけど経験したことがある。
うつ病を患っている人に、「頑張れ!!」って言葉をかけたら、怒鳴られてしまったんだ。
「頑張れるならこんなに苦しまない。頑張れないから苦しんでるんだ。これ以上、どう頑張ればいいんだって言うんだ!!!」とね。

それ以来、生徒に対しても、気軽に「頑張れ」って言葉はかけられなくなった。




きっと、被災された方々は、頑張れる事があるのなら真っ先に頑張ってるんだと思うし、何をすれば良いのか、どうすれば良いのか、身体を動かず限界まで追い込まれている状態なんだと思うんですよ。
激励の意味で我々は「頑張って下さい」って言っちゃうけど、ちゃんとその真意は伝わらない状態にあると思います。




昨年、母親が死んだ時にも、「仏壇やお墓に線香をあげて手を合わせるだけが弔いを表す事ではない。毎日、ちゃんと心の中で手を合わせて故人を偲んでいるから、自分の思いを誰かに見せる必要はないんだ。」って言ってた人がいた。



黒柳徹子も、アフリカ難民の子供たちを取材した際に、「どんなに子供からねだられても食べ物を与えないでくださいね。与えてしまったらこの子たちはここでは生きて行けなくなるから」と。




熊本の事を考えると、大変な思いをされてるんだろうな〜〜〜って誰だって思うはず。
でもいくら心配されても励まされても、元には戻らない我が家がある・・・・って思いは、現地の人の思いなんじゃないかな???
一時の安らぎの後には先の見えない終わりが見えない不安が襲ってくる。

見て見ぬ振りをする訳じゃない。
でも形のある行為をしたならば叩かれる時代に、心無い言葉を励ましだと思ってしまう今の時代に、なすすべなく佇んでる俺です。




ただ言えるのは、俺は俺として一生懸命に考えて一生懸命に生きて行くしかない・・・・。
そう思います。
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九州の地震  

被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。
亡くなられた方もたくさんいらっしゃるようで・・・・。言葉がありません。


お悔み申し上げます・・・としか言えません。




震度7の地震が前震だったとは・・・。誰も考えもしないですよね。

気象庁だって想像もしてなかったと思います。



結果論にはなりますが、金曜日の夜、岩手の人とメールしたんだけど、「東日本大震災の時も2日前に大きな地震があって、その地震を本震かと思いましたよね。きっと九州も明日あたりもっと凄いのがあるかもよ???」みたいな、今から言えば不吉な予感みたいなものがあったんですよ。


本震は震度6強ですが、前震で震度7を観測した地区は停電していて震度計が作動してなかったそうですから、場合によれば、前震を超えるような揺れを観測してたのかもしれませんね。




大分でも揺れが凄いそうです。

ボーリングのピンが倒れている映像がありましたが、なんと教え子が住んでる近所なんだそうですよ。
大学生で、アパートで独り暮らししながら大学に通ってる奴です。

前震からその余震のおかげで寝られなかったそうで、本震が発生した時は疲れで熟睡中だったそうです。目が覚めてテレビをつけて大慌て・・・・・。
メールしたら「寝てる場合じゃなかったですね・・・」との返信。

「いつでも逃げられるように、服を着て寝ます」とその夜にメールが来ました。



心配で仕方がないのですが、俺が心配してるより本人は怖いんだろうし、何度も何度も安否確認のメールを入れるのも失礼かと思い、被害が無い事を祈りつつ報道を見守るしかない・・・今日です。



天災を前にすると、ただただ手を拱いているしかないのが、無力を感じますね。
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富山の旅は・・・  

いやいや、ノドグロって最高に美味い!!!!感激でした。

行って見てみたかった、電鉄富山の「寺田」って言う駅。

俺は全国で見てみたい駅が2つあった。1つは四国予讃線にある「上灘駅」。
少し前までは、海に一番近い駅とか夕日がきれいに見える駅とか映画の撮影に数多く利用されたとか青春18切符のポスターに使われた駅だとか、そんな理由があってね。

もう1つが「寺田」でした。
宇奈月温泉方面に行く線路と立山方面に行く線路が分岐する駅で、線路と線路の間に駅があって、西を観れば立山が雪を被って綺麗に見えるんだな。
趣があって、時の流れが止まってしまうような気持でした。



立山に着いたらケーブルカーで美女平に上がり、立山連峰を眺める予定でしたが、黒部立山アルペンルートがちょうど開通した日であったらしく、中国人だか台湾人だたわからぬ人たちが立山駅にたくさんいて、電車から降りるのもやっと。マナーを知らない人たちだから、駅構内でも好き勝手やってるんだよね。「ぼけ〜〜!!邪魔なんだよ!!!」と叫んでしまいましたが、奴らにはまったく意味が分かってなかったようで、変な目で見られて終わった・・・・・。
ケーブルカーにも乗れなかった。下ってくる人たちが美女平駅でたくさんいるようで、上っても帰って来られない・・・との事で断念。
その空白になった時間を繰り上げて、「寺田」でゆっくり過ごしました。


夜は、Jリーガー進藤誠司と食事をしました。細かい事はここでは書かない事にします。
美味しい店に連れて行ってくれました。富山を堪能して来ました。



問題なのは宿泊したホテル。駅前のビジネスホテルだから贅沢は期待してませんでしたが、しかしね〜〜〜って感じで、トイレもベッドもテレビもみんな、いやいや参りました・・・。



17日の日曜日は神奈川も風が強かったですよね。
富山も暴風でした。


結論から言えば、観戦予定だったサッカーの試合は中止になるし、新幹線は止まっちゃうし・・・。


朝、誠司からの連絡で「試合ができないかもしれない」と。

俺は急いで富山駅に向かった。試合が中止になったなら新幹線の予約をキャンセルして、一番早い時間に出発する新幹線に予約し直した。
すでに富山を発着する新幹線や在来線はすべて運休中。駅は入れないほどに大混雑していた。
前記の通り、アルペンルートが開通したならその発着起点になるのが富山駅だから仕方がない。
混雑の中をすり抜けてなんとか新幹線の予約し直しに成功した。誠司に「こんな天気だから試合ができたとしても観には行かれない」と連絡し、時間を見たら午前9時50分。
しかし予約し直した新幹線の富山発の時刻は9時5分。とっくに出発の時刻は過ぎているのに暴風で運転見合わせになっているために予約を取る事ができたのだった。

「10時30分頃に列車が来る」とのアナウンスがあったのでホームへ上がった。
ところが次に「風がおさまらないのと、架線に飛来物が引っかかってるために運転再開にはまだ時間がかかる」と言うじゃないか!!!
駅のホームにあるベンチが空いていたので座って待っていたんだが、結果的にはこのベンチに座って4時間電車を待ったんだ。
新幹線が富山駅に入選して来たのは午後2時でした。

乗り込んで出発を待っていたら今度は「停電発生」とのアナウンス。そのまま1時間待つ事に。

ようやく新幹線が動き出したのは午後3時過ぎ。徐行運転をするし、止まるはずのない途中の駅にも停車してお客さんを乗せて、なんとか東京駅に到着したのが、予定よりも6時間以上遅かった。


富山駅のホームで座ったいたベンチを離れれば、もう座れなくなる・・・と思い、弁当も買えず、トイレの事もあるんでお茶も飲めず。
ほとんど飲まず食わずで帰宅しましたよ。


ただラッキーだったのが、特急が2時間以上遅延したので特急料金が全額払い戻された。



こんな旅は、なかなかできないと思いますよ。疲れたけど印象に残る旅になりました。


NHKのニュースでも「北陸は暴風が吹き荒れてます。北陸新幹線も運転を取りやめています・・・」みたいな報道があったそうです。そん時俺はまさにその場にいたんですよ。
九州での地震騒ぎが無かったら、東京駅で報道関係者がたくさんいたに違いないでしょうね。



新幹線の切符を予約し直した俺の判断が正しかった・・・事は、富山駅のベンチで知る事になる。
俺が予約し直した新幹線の後はすべて運休となったのだ。
つまり、富山から東京へ帰る唯一の手段だった・・・・ってわけです。



白海老丼を食べられなかったのが心残り・・・・・・。



誠司のサッカーの試合は、また別の機会に行く事にします。関東近辺で行われる試合に・・ね。
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誠司の応援に、いざ出陣!!  

教え子が、サッカーJリーグで活躍してます。
大学卒業して2年目を迎え、開幕戦はスタメン出場を果たしています。

J3の、カターレ富山っていうチームに所属している、進藤誠司です。


4月17日(日)にホームで開催される試合を観戦に行って来ます。



北陸新幹線が開業していて交通の便も良くなってますから、富山観光兼ねて行って来ます。
東京から2時間10分くらいで富山に着いちゃうんですね〜〜〜。


旅のメインはもちろん試合を観戦する事ですが、富山といえば美味い魚料理や立山観光など、絶対に1泊2日じゃ満喫出来やしないのは分かってますが、そうそう仕事を休んでもいられないので、限られた時間の中で多くの事を堪能して来ようと綿密な計画をたてました。


2泊できたなら、富山から高山本線を使って高山・下呂温泉・岐阜などを通って名古屋に出て、新幹線で帰って来る・・・・みたいな経路も考えてたんですがね。


16日(土)に出発して、富山観光して、夜は誠司と食事して・・・・・。




富山へは初めて行きます。北陸新幹線にも初めて乗ります。サッカー観戦も初めてです。

天気は大丈夫みたいなんで、楽しんで帰って来ます!!!!
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良い高校って?  

新学期が始まって新しい学年の授業がスタートしました。
早く生活のリズムがつかめるよう頑張って欲しいです。

特に中学3年生にとっては「受験」という難題を背負っての1年となる。希望が叶う事を心から願っています。一生懸命に応援しようと心に決めました。

あらためて・・・・って事かも知れないけど、「良い学校」って何なんだろうか??


俺は自分自身に「高い学歴」が無いから、何かこの類の話をすると、「負け惜しみ」と言われてしまうかも知れないけどね。


俺も自分の将来をはっきり決めたのは高校を過ぎてからだった。進学した高校には感謝の気持ちはあるけれど「良い学校」だったとは胸を張って言う事は出来ない。後輩に対して「良い学校だから頑張って勉強して合格して!!」なんて、口が裂けても言えない。
きっと俺の母校を、ある人は「最高の高校だった」って言う人も勿論いるだろうし、俺みたいな奴の方が少数派なんでしょうけど、地域のトップ校だから良い学校だ・・・って方程式は成り立たないのは事実だ。

俺が母校に対して感謝するのは、今の自分が存在するその途中で所属した・・・って事だけ。
所属を認めてくれた・・・って事だけだ。

大学に関しては、自分の可能性というか能力っていうか、最大限に広げる事ができたし、その素晴らしい環境に感謝している。大学時代が無かったらきっと違う人生を歩んでいた事でしょう。


東大や慶応や、名だたる大学から見れば俺の大学なんて足元にも及ばないようなレベルだったけど、学会発表でステージの上から見下ろした席に憧れの先生たちが座っていて、俺の発表に対して質問されて、それに上から目線で答えられた・・・・あの快感は今でも忘れられない。

学ぶのは、「場所」じゃない。「何を」「どこまで」学ぶかにかかっているわけで、学ぶ気持ちさえあればどこででも可能だ。


自分の母校を誇れる・・・・・。そんな学校が「良い学校」なんじゃないかと俺は思ってるから、偏差値や評判で流されたくはない。



どんな生活をしてたって、どんな仕事をしてたって、「胸張って生きている」事ができるなら、俺は最高だって思います。
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年度終わり  

3月31日。2015年度が終わります。明日から新年度。気持ちを切り替えて行きましょう!!

新聞に「教師の異動」が掲載されていました。教室に通って来ている生徒がお世話になっている中学校の教師がどうなるのかは気になります。特に技能科目を担当する先生の異動は。定期試験の問題はその先生によって癖があり、過去問が使えると対策もしやすいし生徒も勉強しやすくなるからね。

単純にどの先生がどこへ移動したのか???だけじゃなく、今年の場合は興味ある教師が2人ありました。
実名は避けますが、現場教師と校長です。

新聞報道があった後での「辞職」はあるのかも知れませんが、問題の校長先生が古巣である地元の中学校に戻って来ます。現場教師の異動は無いみたいです。

少し前にニュースやワイドショーを賑わせた「暴言教師」と「その管理者」です。


野次馬騒ぎをするわけじゃないですが、対岸の火事・・・じゃないみたいな感じですね。
俺自身にはまったく関係の無い事ですが・・・・・。




しかししかししかししかし・・・・・、何なんだこの花粉の多さは・・・。
昨日からグチャグチャじゃ〜〜〜〜。GWくらいまで続きそうな・・・・・。


桜はまだですね。今週末、きっと花見の人出は多いんだろうけど、満開にはちょっと早いみたいだ。

4月5日の入学式には、まだまだ咲いてそうな感じですね。



明日はエイプリルフール。
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5年経ちましたね  

東日本大震災から5年が経ちました。短かったような長かったような・・・。
未だに行方が分からない方々がいらっしゃいます。私の知人もそうです。
被害にあわれて今でも不自由な生活を余儀なくされている方もたくさんいらっしゃると思います。
今こうして私がパソコンに向かってキーを打てているのも、たくさんの方々のご尽力によるものだと感謝の言葉しかありません。


5年前・・・・・・・。


大きな揺れに驚きました。外に出ても目眩なのかな??と思うような体の揺れ。気持ちが悪くなりそうな感じで、そばにあった電柱につかまっていた記憶があります。
普段ならば40分で帰れる自宅までの道のりを6時間かけて車で帰りました。
私の母親はこの日、部落の集いで千葉まで日帰りのバス旅行に出かけていました。年寄りが多くいたため帰りの高速に乗る前にコンビニに寄ってトイレ休憩をしていた最中の地震だったそうで、その日は千葉県庁の2階で皆さんと一緒に一泊したそうです。
その翌日に無事に帰宅でき、家で待っていた者としてはどれだけ安堵した事か。
きっとこの日を今頃高い空の上から見ていると思います。

今年のカレンダーは5年前と同じなんですね。地震発生も金曜日。土日が挟まったために計画停電って言葉はすぐには出なくて、本当にそんな事態になるなんて想像もしないまま月曜日を迎え、大きく変わった日常に驚きました。
幸いにも、辻堂地区は予定されていた計画停電は「未遂」で終わりましたが、緊張した日々を過ごした記憶があります。

余震も怖いし、津波も怖いし、何よりも授業中に大きな地震が起きたならばどうやって生徒を守ればいいのか??どうやって家庭と連絡を取ったらいいのか??さらには自宅にいる両親に万が一のことがあったなら生徒を置いて帰宅できるか??などなど、不安と恐怖で仕事を続けられるか真剣に悩みました。
細々でも今も仕事ができているのは、ある保護者からいただいた1通のメールでした。

「もしも不安ならば家から子供を出しません。もしも塾で被災したとしてもそれは覚悟の上で家を出しているので、先生一人で抱え込まないで下さい」というものでした。
どれだけ救われた事か・・・・・。忘れる事はありません。


放射能の影響や地権の問題で思うような工事がなされてはおりませんが、福島や岩手の一日も早い復興を願うばかりです。

5年も経てば、震災を知らない子供たちも増えてきます。私たちも記憶が風化してしまいます。
他人事ではなく、しっかりと後世に伝えていけるよう、3月11日は祈りの日とします。
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