稀勢の里  

大相撲春場所は荒れる春場所・・・なんて良く言われますが、「番狂わせ」って意味で荒れたわけでは無いけど、まさかまさか稀勢の里の優勝で終わりましたね。

怪我をして、翌日から休場するかと思ってました。もしも大関って地位だったらば休場したのかも???横綱って言う地位が強行出場を決断した理由なのかな???

兎にも角にも、来場所までにしっかり治して欲しいですね。


あれだけのテーピング姿を見ていると、痛々しくてね。
怪我の状態を明かすこと無く千秋楽まで取りましたが、対戦相手もやりづらかったと思いますね。特に昨日の照ノ富士はね。
まさか2番続けて負けるとは・・・・・・。



千秋楽の前日、琴奨菊に勝った一番で、注文相撲を取ったもんで会場からは大ブーイング。
琴奨菊が大関復帰がかかった一番だっただけに余計にでしょう。
その余韻が残っていたからか、2日続けての「悪役」にはなれなかったのでしょうね。

照ノ富士も可哀想って言ったら可哀想ですよ。気持ちは分かるような気がします。




しかしです。諦めないで出場しましたよね。稀勢の里の頑張りは、きっと後世に語り継がれると思います。

横綱昇進直後の優勝、連続優勝、怪我をおしての優勝・・・・・。
貴乃花の優勝と同じで、日本人横綱って言う見られ方もあって、今後背負わなければならない重圧はさらに大きくなったと思いますが、弟弟子の高安も頑張ってます。


来場所も期待したいのですが、期待すると裏切る稀勢の里ですから、程々ににしておきましょうかね〜〜〜。
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老婆心ながら・・・  

新学期の募集チラシが毎日のように入ってきています。「おっきな塾」と「個別指導塾」のチラシばかりです。たぶん、ご家庭には、新聞折り込み以外にポスティングでもチラシが入ってくるのでしょう。

最近では「個別指導」なら成績は伸びると「魔法のことば」として使われています。でも、よく考えてみると「個別指導」ってどんな指導なんでしょうか。少なくとも、保護者や生徒さんは「個別指導」という言葉にどんなイメージを持っているのでしょう。


「完全個別指導」をうたう塾があります。「個別指導」に「完全」までついてしまうんですね。「完全」の逆は「不完全」ですから、「個別指導」には「完全」なものと「不完全」なものがあるんですか? もう何だかまったくわかりません。

どうも「個別」という言葉だけが1人歩きしてしまい、「個別」でなければ生徒一人一人にあった指導はできないかのようにいわれてしまっているようです。「個別」の反対は「集団」ですが、本当に「集団指導」は生徒個々に対応できないのでしょうか? 絶対にそんなことはありません。私は「個別指導」を否定しているのでは決してありません。「個別指導」にケンカを売っているわけでもありません。「個別指導」という言葉が何だかフワフワとひとり歩きし、それを逆手にとって「個別指導」で生徒集めをしている塾業界に「違うんじゃないのかな」と意見を言いたいということです。


保護者の皆さんも、「個別指導」という言葉に惹かれるのではなく、塾そのものの指導をしっかりとみてから塾選びをした方がよいですよ。
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なかなかの根性ですね  

侍ジャパンは負けちゃいましたね〜〜〜。アメリカが強かったのか日本が弱かったのか、大舞台で力を出し切れなかったのは事実でしょうから、それも実力なんでしょうかね???
強いから勝てるんじゃ無くて、勝ったチームが強いのが勝負の世界では当然の話ですね。

小林捕手の成長を称えましょう。きっと菅野とのバッテリーで、ジャイアンツ勝利のために頑張ってくれるでしょう。期待します。もう「阿部がいないと・・・」とは言わせませんよね。
打撃に専念できる一塁手として阿部さんは頑張って下さい。小林に丸刈りを強制しなくても大丈夫だってきっと感じてるんでしょうね。


あべはあべでも阿部じゃない安倍さんは、寄付金渡したんでしょうかね???
籠池さんは大した人物ですね。どこまでが真実なのか??証人喚問なのにも関わらず堂々たるもんです。
刑事訴追される可能性がありますから・・・と肝心な部分では「黙秘」しましたが、あれだけ口達者なら騙されちゃう人も多いのでは???

ただね、領土問題やら靖国参拝問題やら教科書の記述にまで諸外国は口を挟んでくる。それに対して「遺憾に思う」程度の反論しかできない政治家達には、弱腰過ぎないか???と正直思いますよ。もっと小さい頃から「愛国心」を育てる教育は必要だと思います。
野球やサッカーの対外試合では盛り上がっても、北朝鮮がミサイルを発射しても関心を示さない日本国民って何なんだ???って思いますよ。
「天皇万歳」とまでは思わないし「教育勅語をもう一度」とも思わないが、ある意味、籠池さんが学校教育で実現したい理念は、理解できない訳じゃ無いです。



対話の大切さ、平和の大切さ、それは「平和で過ごしている」国民ののんびりした考えであって、国境を接しなから領地を死守しながら生きていかなければならない国の人たちにしたら、何が対話だ??何が平和だ??と軽く笑い飛ばされてしまうかも知れない。




日の丸を背負うって事は凄いプレッシャーがある!!!と侍メンバーは言いました。
日の丸を背負ってプレッシャーと闘い続けたキングカズは、50歳になっても代表入りを意識してプレーを続けている。
招集された時は愛国心を背負えるけど、普段は個人プレーしかできない・・・んじゃー、世界の舞台では勝てないよね。
でも、籠池さんの理念のように、日本だけ・・・って考えでも孤立はしてしまう。



もはや「基準」を変えて考えなきゃいけない時代だ。
「ベースボール」と「野球」は違うんだ!!!じゃなくて、「野球」を評論する世代の人たちの「野球」じゃなくてさ、現役で、WBCを経験した選手達でプレーしている「野球」の考え方を変えないとな。評論家が気に入るような「野球」では世界では通用しない。



政治家の関与とか寄付とかの問題で国会は空転状態。世界はミサイルやテロでもめているのに・・・。
政治家も、「鹿を追う者 山を見ず」にならないように。基準は変わってますよ。
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聖徳太子???  

昔の一万円札や五千札には聖徳太子の肖像画が使われてましたよね。
でも今の歴史の教科書には「聖徳太子」って言葉が使われていなかったりするらしい。
「厩戸皇子」表記を付記してあったり、「厩戸皇子」だけだったりと・・・。


歴史学者によると(いろいろな学説はあるようですが)、厩戸皇子は実在したそうですが、「厩戸皇子」=「聖徳太子」ではないそうなんですよ。


都を奈良に移そうとしていた頃、天皇は「神がかった力」が必要なくらいに求心力に乏しかったそうだ。そこで、歴史をおよそ100年さかのぼった時代に、世の中を上手に治めた人物を捏造して天皇家としての威信を保とうとしたらしい・・・・んですね。
聖徳太子と呼ばれる人物が「十七条の憲法」を制定したと歴史の教科書には載ってますが、条文の中に「国司」って言葉が使われていることがおかしいらしい。
十七条の憲法が制定されたとされているのは604年。ところが「国司」って言葉が使われるようになったのは701年に制定された大宝律令からとされている。
つまりは、聖徳太子と思われる人物が政治を仕切っていた頃には存在しない言葉らしい。


710年に都は奈良に移りましたが、その頃に「聖徳太子」という架空の人物を作り上げて「十七条の憲法」なる決まり事も「聖徳太子」が制定したと、何重にも捏造した過去を作り上げてしまったらしい。
「厩戸皇子」は実在していて、その厩戸皇子=聖徳太子としたらしいんだが、厩戸皇子は政治家として歴史に残るような仕事はしてないらしい。

古事記にすら聖徳太子って名前の登場は無く、どうやら聖徳太子は実在した人物では無い・・・って学説は、正しいようになって来ました。




なのに、「混乱を招く」という単純な理由から、聖徳太子は教科書に復活するそうです。




存在しなかった人を尊敬しなきゃいけないのかな???
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石原元都知事の喚問  

築地市場の豊洲移転に関しての「百条委員会」が開かれて、当時の副知事だった浜渦さん、都知事だった石原さんの証人喚問がおこなわれました。


自分の立場を守ろうとする人たちはどの世界にも多くいて、追い詰められれば「記憶が無い」で逃げるし、責任の擦り合いが始まる訳です。



国会では、森友学園問題で、総理大臣や防衛大臣がやり玉に上がっていますね。

質問に立つ野党の議員は、この時ぞとばかりにあたかも「犯人扱い」しているように、警察での取り調べでさえ「人権」が求められている中、喧嘩腰での質問が飛び交う。
それに比べて都の百条委員会では、立場が全く逆になったかのような光景が印象的でした。
石原さんや浜渦さんに質問する都議の弱々しさ、さもかしや「元上司」に対してはキツい事は言えません・・・みたいな、「問い質す」ってよりも「お伺い致します、宜しければお答え下されば幸いです」的な弱腰態度。声が震えている質問者もいました。
石原さんや浜渦さんの態度のデカい事、言葉遣いも口調も完全に質問者を圧倒してましたね。

真実はどこにあるのか???その確信に迫ろうとすると恫喝する事で相手を近づけない・・・そんな喚問でしたね。


国会中継を見ていていつも思うんですが、小学校の学級会でもありえないような野次の応酬があったり、立場関係なくズケズケと発言する議員の態度に、こんな放送は子供には見せられないよな〜〜って思う程です。
国会内での発言により罰せられることは無いとの決まりからなのか、もう少し「国権の最高機関」としての品格というか、代表者としての自覚を持って論戦をおこなって欲しいと願いたい。

百条委員会の弱腰にも呆れたけど、国会の運営も考えもんじゃないのかな???
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春の彼岸の墓参り  

昨日と今日は暖かいですね。春・・・って感じがします。まだ朝晩は寒いですが、昼間の日差しは、完全に春ですね。

桜は・・・・と、気持ちは急いてしまいますが、まだまだのようです。
早い年ならばもう咲いてますよね。開花予想は来週のようで、もうしばらくの辛抱ですかね。
火曜日は朝から雨で気温も上がらず、感覚的には冬に逆戻り・・・ですかね???



年老いた父親を連れて、墓参りに行って来ました。


小さい頃は親に連れられて行ったものですが、親を連れて行く・・・って事になるとは、その頃には思いもしませんでした。
これも親孝行なんでしょうかね???



少し前までは「先祖の墓参り」だったのが「母親の墓参り」になったのも、当然と言ったらそうなのかも知れませんが、子供として受け止めなければならない事なんですね。


家は仏壇があって毎日先祖様には手を合せることができるので、墓参りって事は特別なことではありませんが、年に何回か行く墓参りは、行く度にそして頃から先は尚更のこと、少しずつ意味が変わっていくんだろうな???なんて思いながら、でも同じようにみんなで墓参りの来れるよう、複雑な気持ちで線香を立ててきました。
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箱根山って??  

一昨年前あたりに火山噴火の危険があるために箱根一帯に規制がかかったのを覚えてますか?

『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』なんて言われた事がありますよね。箱根は天下の剣ですからね。

でもです。『箱根山』って山は無いってご存じですか?

駒ヶ岳や明神ヶ岳などの山々の連なりを『箱根連山』と言いますが、その中の単品として『箱根山』って名のつく山はないんです。
芦ノ湖などで観光地として有名で、大涌谷や強羅周辺を『箱根』と言うだけなんです。

イメージって怖いですよね。


同じく、『紅葉狩り』とは言うけど『もみじ』って植物は無い。『ドングリ拾い』とは言うけど『ドングリの木』なんて無い。

『もみじ』って、イチョウやカエデの葉の総称で、『ドングリ』もカシの実やナラの実の総称ですよね。


何となく………みたいな、アバウトな感覚で覚えている事って、たくさんありますよね。
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年度内最後の授業  

3月17日(金)で、平成28年度の授業を終了し、来週20日(祝)〜始まる春期講習が新年度の授業開始となります。

卒業した中学3年生とも、高校準備講座(英語と数学)をおこなって来ましたが、17日がいよいよ最後となります。

中学の卒業式が10日(金)で、今週は高校ごとにガイダンスが実施され、教科書を購入したり体操服を注文したりと、いよいよ高校入学に向けての実質的な準備が始まりました。
きっと学力検査が終わってからの1ヶ月は、受験勉強から解放された勢いで、勉強らしい勉強をしないで過ごしてきたと思います。一旦リセットしてスイッチを入れ直す必要はありますから、ガイダンスを機会として気持ちも切り替えて欲しいところです。
高校生の教科書を見てどんな感想を持っただろうか??
ある高校では「義務教育ではない、希望して入って来た高校なんだから進んで学習するのは当たり前」とか「英語と数学はスタートダッシュに乗り遅れるな!!」「入学後数日して実力テストがおこなわれる!!」などと、気合いを入れられたそうだ。
課題も出されており、遊びほうけて過ごした1ヶ月に終止符を打つ時期が来たぞ。


新しい学年に進級する事を、不安な気持ちで迎えている人もいることでしょう。
いつまでも「懐かしいね」と振り返ってばかりいないで、前を向いて歩き出しましょう。

ちょうど17日は春の彼岸の入りです。20日を過ぎれば日中の時間の方が長くなる、本格的な春がやってくる時期です。


気持ちよくスタートを切りましょう。
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「松林」理論  

茅ヶ崎海岸から江ノ島にかけての海岸線には、防砂林として松の木が植えてあります。そのすぐそばを国道134号線が通っていて、俺もこの国道を毎日利用しておりますが、風が強い日やその翌日には松葉が道路一面を埋め尽くしています。掃除も大変だと思いますね。

松は針葉樹で葉と葉の間隔が狭くしかも常緑樹ですから、冬でも葉が落ちないので防砂の働きはバッチリでしょうね。
事実、防砂林が途切れる横断歩道のあたりには大量の砂が飛んできているんで、松の働きは大切なんだと思いますよ。


そんな松ですが、まー松に限りませんが、常緑樹ってのは「なかなか子木が育たない」という問題もあって、人工的に植えるときは間隔をしっかりと空けないといけません。
それは、親木がしっかりと成長してしまうと根元まで光が当たらなくなってしまいいつも薄暗く湿気の強い林になってしまうんですね。松の木と木の間隔が空いていれば問題なく光は当たることになりますから、植えるときは間を空けるんです。

しかし天然林となれば話は別です。
親木はしっかりと日を浴びて成長しますが、子木を育てることができない・・・って問題が生じてしまい、子木が育つためには親木が枯れなければならない・・・と、もしも人間社会の置き換えたなら皮肉な問題となります。


実は、今の人間の親子関係において、特に小さい子に対する「しつけ」に関しては、松の世界と同じような事が起きています。

一生懸命に親は働いて、一生懸命に美味しいご飯を作って、一生懸命に考えて新しい技術を生み出し、一生懸命になって新製品を売り込んで・・・・。おとなが一生懸命に作り出した「素晴らしい」社会は、果たして子供にとっても「素晴らしい」社会なんでしょうかね??
昭和の終戦時代と今とを比べるわけではありませんが、物資が無くて食べるにも困っていた時代で育った子供と、豊かさを極めている今の時代で育った子供と、まったく違いますよね。


「物質的に豊か」になれば「心も豊か」にはなるとは限りませんよね。
確かに今のおとな達の頑張りで社会は豊かになった。GDPも高い国になりました。
一生懸命に働いて家族を幸せにしたい・・・。確かに金銭的には幸せかも知れませんが、その一生懸命さが子供の「本来の豊かさ」を失わせる要因を作ってるんじゃ無いかな???
一生懸命に働くな!!!なんて言いません。親が頑張り過ぎちゃうと、子供のために・・・って頑張ることが、すべて子供が豊かになるわけでは無いって事を、松林から学ぶべきだと思います。

日の当たる場所に子供を置けば、すくすくと子供は育ちます。「私がいなければ子供は育たない」なんて考えている親が、考え方をかえるべきではないか??って思うんですよ。

俺が考える「教育」「しつけ」とは、親がいついなくなっても一人で生きて行かれる力を身につけさせる事を意味するんだと思ってます。
「先生のおかげで点数が取れるようになった」って言われても、あんまり喜べません。塾依存の子供を作りたくはありません。いつまでも、この先ずっと数学を教え続けることはできません。
自分一人で勉強できる、「塾が無くても大丈夫」って子供を育てたい。


徳川家康は関ヶ原の戦いを、「戦の無い世界にするための戦なんだ」と定義づけた。

親が無くても子は育つ・・・じゃないですが、塾が無くても生徒は頑張れる・・・・。
そんな指導をしたいと思っています。


おとうさんおかあさんも、肩に力を入れ過ぎずに、子供に任せるべきは任せ、仮に失敗したって温かく見守ってあげて欲しい。



日当たりのよい場所・・・それは、親の温かい愛情なんですから・・・・。



見守ることは難しいです。どうしても口出しをしてしまいます。注意をしてしまいます。
失敗も成功も、経験しないことには分からないことだし、人生の先輩として大きな心で受け止める・・・そんな環境で育った子は幸せなんだと、本当の意味で「素晴らしい」環境なんだと思います。
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(無題)  

昼間、ハッピーターンを食べたら歯が折れてしまいました。
アメを舐めていても噛まずに舐め切るのは、歯がアメに負けてしまいそうで怖かったからです。

ハッピーターンはそんなに硬くない煎餅です。

ハッピーターンに負けた俺の歯・・・・・。




お粥しか食べられない・・・・そんな時が近づいてるのかな???
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現実と精神論  

少し語弊があるかとは思いますが、俺は「やればできる」という言葉が好きではありません。もう少し説明すると、根拠のない「かならずできる」といった根性論を根っこにおいた言葉が嫌いだ、ということです。
入試を含めた勉強は根性でどうにかできるものではありませんし、指導者としては「根性論」を持ち出した瞬間に失格です。どこまでも客観的に、データをもとにした指導でなければなりません。生徒が熱くなればなるほど、こちらは醒めた目で対応すべきです。
ですから、受験前に生徒や保護者と面談するときに、俺が伝えなければならない言葉は、子どもたちにとっては「厳しい」ものになると思います。もうちょっと「頑張ればなんとかなるぞ」といった言葉をかけて欲しい、と子どもも親も思うことでしょう。俺はあえてそうした言葉は使いません。どこまでも冷静に、楽観論を排除して話しを進めます。

自分がこだわってきた第一志望校があったとします。でも、どうしてその学校なのか??と問いかけ直すことは絶対に必要です。その結果「やっぱり△△高校だ」となるのであればそれで良いでしょう。いやいやそこまでこだわる理由はないな、となるのであれば志願変更すれば良いのです。

生徒自身がそれまでに積み重ねた数字には自信を持つべきですが、根拠もなく「まだ伸びる」などという「根拠の乏しい希望的観測」は絶対に現実から目を背けている。あくまでも「今の自分」を客観視すべきです。それで足りないのであれば、高校に進学してからの「次の機会」でやり直すのです。

受験生の親とは、子どもの挑戦を応援したい半面、やっぱり合格するという成功体験も得て欲しい、といった相反する思いが交錯するのは当然です。最後は、わが子が「どの高校へ進学してもいかに前を向いていけるか??」だという事に気付いて欲しい。そして、しっかりとわが子と向き合って話をして下さい。それが最も大切です。
受験は親も試されています。


高校は、何かを与えるために生徒を待っているのではありません。生徒が自ら求めない限り何も起こりませんから、「学校名」が生徒を育てるのではないって事を分かって欲しい。

自分の居場所をしっかりと見つけた生徒が輝けるのが高校って場所です。
頑張って結果を出して経験がある生徒から発せられる「頑張る」って言葉と、無い物ねだりをしたいがために「頑張る」と言い張る生徒の言葉には、大きく重みが異なります。
言うは易し行うは難し・・・。

どんなに成績が良くたって不合格になってしまった生徒よりも、自分を理解しきちんと合格通知を手にした生徒ととは、同じ「受験」を経験したと言っても、その深さはまったく異なるんです。


背伸びせずに「等身大」の生き方をすれば良い。まだ見栄を張る時期じゃない。
体裁を繕うよりも、高校名の鎧で守られてないで、堂々と自分をさらしだし恥じない生き方を選んで欲しい。
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新しい基準  

週刊誌を見ていると「高校ごとの○○大学合格者数ランキング」みたいな記事が多く出る時期になりました。普通に考えて、日本で一番上のランクされるのは東京大学ですよね。学部ごとの偏差値で考えたら東京大学よりも上の大学はあるけれど、一般論としては「東大○○名合格」って数字は見出しにはなる。

でも今の時代において「東大はブランドか?」って思いますよ。「井の中の蛙大海を知らず」って諺がピッタリするように、国内に目を向けている事自体が時代遅れのように思います。
もっともっと海外を視野に入れて、広く活躍できる場所を求めないと・・・・。

全国にはレベルの高い高校は数多くあるけれど、受験目標は「東大合格」になってないか???
古いタイプの考え方から脱しないと、ますます世界基準から遅れてしまう。



もちろん、東京大学への進学者数が多い高校が優秀なのは間違いありません。ただ、それはひとつの「側面」でしかないということです。まぁ、わかりやすい比較なので週刊誌などでは大きく取り上げますが、もっと違う指標による比較をそろそろ作り出すときなのではないでしょうか。
新中3が大学入試をむかえる2020年の「高大接続改革」ですが、「大学入試」を変えることが目的なのではなく、そこを変えることで「日本の教育の基準」を変えることが目的です。その「基準」は「ひとつ」ではなく「多様」だということです。東京大学を頂点とした偏差値による輪切りの基準ではないことは間違いありません。



時代が大きく動こうとしています。子どもたちはその動きに翻弄されつつあります。保護者の方をふくめたオトナが、そうした子どもたちの「良き水先案内人」になってあげなければなりません。同時に、私たちオトナも柔軟に世の中の動きを見ていく必要があるのではないでしょうか。



従来からの基準、わかりやすい基準、というのは頭から疑ってかかる必要があります。
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ステップのチラシに疑問  

受験指導は結果責任です。悔し涙を流している生徒がいるにも関わらず、トップ校○○名合格!!を謳い文句にしている塾の考えが理解できません。

先日のハイステップのチラシに大きな疑問を持ちました。「ハイステップ」のチラシでありながら、合格実績はステップ全体の数字が載っている。小さな文字で注釈はありましたが、誇大広告と受け止められても仕方がないかも知れない。
湘南ゼミナールが1人の生徒を複数の教場で指導しそれぞれの教場で合格実績の人数に含めたと、ステップは「規定違反」と裁判沙汰にまで発展させた経緯があります。
ハイステップのチラシならばなぜハイステップだけの実績を載せないのか??
実数を公表したらハイステップ以外の一般ステップの実績が明らかになるからでしょうか?

ちょっと疑問を持ちました。
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保護者会  

12日(日)は、新中学1年生と新中学2年生の保護者会を開きました。

教室を移転させる事を承知していただき、物件は探している最中である事を報告致しました。

今年の公立高校受験は、マークシートの導入により出題の傾向がかなり変わった事があり、まずはその報告と具体例を提示し、予想される平均点アップの根拠を説明しました。
また県教委が公開している、今年度の受験者数を説明し、横浜翠嵐高校や湘南高校での「当日欠席数」「受験後の取り消し」の数が多い理由なども説明しました。

来年受験する現中学2年生の代から、大学受験制度がガラリと変わります。従いまして高校での授業のあり方だって変わってくるはずで、そうなれば高校が求める生徒像にも変があって必然のこと。であれば高校入試の問題レベルばって変化があるでしょう。
神奈川県の公立入試の傾向で顕著なのは、制度が変わる年の問題は易化もしくは維持なんですが、その翌年には極端に難化するって傾向があります。
来年の入試問題は絶対に難しくなる。今年の入試の大命題は「採点ミスを減らす」事にあり、解答用紙がマークシートになったりし、記述問題が激減しました。数学においては答えが選択肢の中にあるんで偶然正解した生徒も多くいて、しかも問題そのものが易しくなったことが平均点が上がってしまう原因です。
問題のレベルを上げるには、記述を増やす、数学は選択肢から選ぶのでは無く大学入試センター試験のように答えの数字をマークするように変更すれば、直接的に問題の内容を難しくしなくたって平均点は下がるはず。

いずれにしても、今年のように簡単であるはずが無いので、「今年の受験は例外」として考えるべきだと訴えました。


例年の受験対策においてもそうですが、入試の問題が難しかろうが易しかろうが、生徒に求める学力到達度に変わることは無い。易しいからと言っていい加減な指導で終わることはないし、難しくなるからと言って特別なことをするつもりもない。
大切なのは「準備」です。慌てなくても済むように日頃の学習をいかに充実させるかが大切。

どの高校を受けるかは生徒の問題。そのために何をすべきかを考えるのが俺の仕事。
不合格者を出さずに100%合格を維持するためには、日頃の生徒観察・保護者との情報交換が大切であり、模試の点数などのデーターだけでは分からないアナログな部分はロボットではできません。経験とそこから得られた知恵を駆使して生徒と向き合える人間にしかできない「技」なんですよ。

何をすべきか、何をさせるべきか、どう考えるか、どう考えさせるか、いつ決めるか、いつ決めさせるか、言葉では表せないマニュアルには載っていない、「第六感」がないとこの仕事は勤まりません。その「カン」が鈍ったら「生徒を観る目」が狂って来たならば、さっさと塾を閉めます。

年は取りましたがまだまだ元気ですから、もうしばらくは受験指導の世界に身を置こうかと思っています。
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6年経ちました  

東日本大震災から丸6年が経ちました。被災地の復興を心から願うばかりです。

岩手に住んでいたときに知り合いになった3名とは、未だに連絡が取れない状態にあります。
2年前に岩手に新幹線で行きましたが、車窓から「黒いビニール」が積まれている所を何カ所も見えました。福島原発も中途半端な状態だし、「復興」を目標に頑張っている地域も、昔に戻るにはまだまだ時間がかかりそうだし、風化しつつある出来事をしっかりと記憶にとどめて良い方向に進んでいく様子を見ていたいと思います。

今年小学校を卒業する生徒達は、計画停電で不自由な生活をしていた6年前の4月に入学式を迎えた訳です。辻堂地区はすぐ前が海で、小学校に通わせる保護者の方にしてみたら子供を学校に通わせることは結構怖かったんじゃないのかな??って思います。
今度の金曜日が卒業式です。震災からの復興と共に過ごした小学校生活。
こじつけた言い方をするわけではありませんが、逞しく育った生徒達が何よりもの幸せだと思います。自然災害と戦争とは全く違うけど、でも平和で、普通に想像している明日が来るって当たり前のことがいかに恵まれているのかを、あらためて感じますね。


6年経ってもまだ余震は続いています。
「地震の怖さを忘れるなよ!!」と我々に告げているのか、この先も不安を抱えながらも、良い意味で「経験」を活かして賢く生きていきたいって思います。
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