現在、中国には約625箇所のハンセン病快復村があるという。
ハンセン病の快復村は高齢化と共に進む人口減少による村の自然消滅、山奥の僻地などの人里離れた場所で存在するためなどの様々な理由からその正確な数すら把握されていない。
中国全土で約2万人の快復者が隔離村で生活するといわれている。未だよく知られていない中国の現状。
2004年の統計では広西チワン族自治区には合計で11,470人のハンセン病快復者が登録しており、その内847人が38箇所の快復村に住んでいる。
中国の広西チワン族自治区の桂平市にある汗冲(ハンジョン)村を紹介したい。
さて、本題。村に向かう前日に南寧市から長距離バスに揺られて3時間ほどで桂平市に到着。桂平市は田舎の町だ。そこで宿に一泊する。
当日、村に向かう交通手段はない。トラックを雇い村を目指す。桂平の市内中心から1時間、車は山を登る途中で度々停車する。
前日の雨の影響により、道が悪くなっていた。狭い山道を泥が覆い、車は車輪を取られ、滑るように進んでいた。トラックを降りて道を歩く、運転手には私たちの僅かな昼食のパンと牛乳を分けて、待つように伝えた。
彼が帰ると我々の帰りの交通手段がなくなるため、彼は結局6時間も待ち続けた。
途中で村人の馬を借りて荷物を預ける。それから1時間ほど、山を登り続ける。山間に白い家屋が何棟か見えた。(写真一参照)ようやく村に到着した。
↓写真一村人の家屋
村は山の上にあり、丘に囲まれていた。村の正式名称は汗冲(ハンジョン)医院。医院とは名ばかりで、看護婦がいなければ、医者もいない。
日本の医院というイメージとはかけ離れており、我々は村と呼んでいる。つまり、村民僅か9人の無医村である。平均年齢75.25歳、それも一人54歳の村人がおり、他は80代から90歳の老婆、はたまた年齢不明の村人もいる。殺風景という言葉がぴったりと当てはまる村だった。
村に着くと早速、我々と一緒に来た中国のHANDA(ハンダ)という組織の医者が村人の傷の手当てを始める。村人は生活をする上で、気づかずに傷を作ることが多い。
その上、手足に不具があり、自分で治療ができない村人が多い上、地方政府の僅かな生活補助からは薬を買えない現状がある。彼らは毎月153元(約2300円)の支給金で生活の全てを賄わなければならない。この支給金では食事でさえも十分でない。
村は二区に分かれており、長屋の建物の地区から山道を歩いて15分ぐらい離れた場所に小さな煉瓦でできた小屋があった。(写真二参照、左側の人物は案内をしてくれた同村人)
↓写真二、第二区の小屋
中には一人の老齢の男性が横になっていた。この男性足に生傷があり、歩けない状態だった。他の村人の助けを借りて、食事を摂っているものの、薬を買う余裕がなく、治る見込みは殆んどない。(写真三参照)
↓写真三、小屋に住む村人
彼のような境遇に晒された人を多く見てきたが、行き場のない怒りを覚え、我々の無力さを痛感する。一時の手当てはできても、村に医者や看護婦がいない。せめて薬があれば、自分たちで手当てをし合うこともできようが。
約625あるハンセン病の快復村、このような村人が放置されて言う村も多いだろう。
最後に、村人にとって我々の訪問は突然であったが快く迎えてくれた。そして、この村を訪れる人は一年を通して殆んどいないこともわかった。
中国の地方ではハンセン病快復村だけでなく、HIV/AIDSの蔓延や農村部の貧困の問題を抱えている。
しかし、行政が主体となって隔離を行った以上、偏見や後遺症等の理由より村に残された者の医療や生活上の最低限の保障をすべきである。そして行政は市民を守る上でその責任を果たさなければならない。
同時にハンセン病快復村の高齢化は進む。中国のハンセン病問題の大部分はこのまま埋もれてしまう可能性も含んでいる。

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