0.はじめに
ごぶさたしております。お元気ですか? あいかわらずマウントアイザは暑くて雨が降らず、川の水は文字通り干上がり、連日35度前後の気温が続いていますが、今年に入ってから生活がガラリとかわりました。ひとつは、職場が中学・高校から小学校へとかわりました。もうひとつは、家族が二人から三人にかわりました。つまり、私が父親になったわけですが、日本の皆様からのメールで、「子育ては親の成長にもつながる豊になる糧」「子どもができる、そしてその子育てにかかわるということは人生のあり方と世界が変わること」と指摘していただいたように、娘の成長に携わることによって様々なことを学ぶ毎日です。特に、幸せとは何かという点について深く学ぶきっかけをもらったような気がします。
1.人生が大きく変わった瞬間
人間の受精には2億数千の精子がたった一個の卵子を目指す壮大なドラマがお腹の中で展開するわけですが、そのあとの出産までの道のりにも様々なドラマが待っていました。たとえていうなら、長いトンネルをこえて、明るい野原に飛び出したような感覚でしょうか。
出産の直前までは、これでもかというくらい様々な問題が連続しておきました。出産自体がはじめての体験だったわけですが、外国で生活しているという要件も加わって、その道のりには予想外の経験が待ち受けていました。まず、日本やコロンビアでは病院から写真やビデオまでもらえるお腹の中の子のスキャンですが、ここではもし医療事故などで裁判になったら病院側に不利になるとかで、法律でスキャンの写真を親が個人的に撮ることが禁止されていました。自分たちの子どもなのにお腹の中にいるというだけで成長の様子を記録できないというのは残念でした(そのぶん、今、毎日写真を撮りまくっていますが:笑)。また、病院の設備自体にも問題があることがわかりました。それほど医療事故を恐れているにもかかわらず、マウントアイザ病院ではスキャンの部屋と母体に悪影響を与えるX線の部屋が隣り合っていました(X線は壁も突き抜けるのに!)。さらには、もし何か出産時に深刻な問題が発生した場合はマウントアイザ病院には十分な医療設備がないので、大きな都市(例:タウンズビル)に飛行機で輸送しなければならないのです(しかも両親は同伴できない)。産まれてくるわが子の命を最優先に考えた場合、多少費用がかかってもブリスベンの設備の整った大きな病院で産む決心をしました。ブリスベンに移ってからは、安い宿が見つからず結局知り合いや友人の家をヤドカリのように転々としました。そして、いよいよ出産が近づいてきたとき、まだお腹の中の子が逆子であることがわかりました。逆子体操などいろいろ試しましたがうまくいかず、結局、帝王切開をすることになりました。ずっといっしょにいたかったのですが、私は仕事のためにヌビアとわが子を残してマウントアイザに戻らなければなりませんでした。そして、その僻地で単身赴任のような日々を送り、帝王切開の当日、有給休暇をとって、また飛行機でブリスベンに戻ってきて出産に立ち会うことになりました。そこでも問題がおきました。麻酔は局所麻酔でしたが、驚くべきことにあまり効かないうちに手術がはじまりました。ヌビアは苦しそうに声を上げましたが、途中でやめるとかえって危険ということで手術は続けられました。しかし、ヌビアがあまりに苦しそうなので、医者は方針を変更して全身麻酔に切り替えました。最後の最後まで問題続きでしたが、次の瞬間すべてが変わりました。
「おぎゃああ、ふんぎゃああ、あぎいいいい」
2004年2月5日(木)午後5時48分。永遠ともいえる静寂の瞬間の中で、私は確かに産声を聞きました。それまでかすかに聞こえていた心電図のピッ、ピッという音やCDプレーヤーから聞こえていたはずの音楽もどこかに消えてしまいました。産声は不思議に何か遠くで聞こえるような気がしました。それが我が子の産声だということに気がつくのに数秒が必要でした。誕生の瞬間、私の感覚が別の次元に飛んでしまったかのようでした。次の瞬間、医者の一人が「写真をとってもいいですよ」といってきたので、感覚が現実世界に戻ってきました。そして、次に私は血まみれの我が子の姿をはじめて目にしました。ヌビアは苦しみの中でまだ我が子の姿が見えないようでした。私は無我夢中でシャッターを押しました。
「かわいい。とても美しいよ!」
私はヌビアにそういいましたが、彼女は意識が朦朧としていて聞こえないようでした。そんな中、医者がヌビアの胸の上に、私たちの子どもを静かに置きました。ヌビアは何かをしゃべろうとしましたが、はっきりした言語にはなりませんでした。しかし、ヌビアは無意識に赤ん坊にキスをしようとしていました。酸素マスクをしているので、キスは赤ちゃんに届きませんでした。そこで、私はヌビアのわきにマスクをはずしました。そして、我が子への母からの初キスが行わました(後で聞くと、ヌビアはこの間のことをまったく覚えていないといいます)。
看護士が私に娘を抱かせてくれました。2893グラムの感触とともに、新生児特有の甘いクリームのようなにおい、マシュマロのような肌の感触、無邪気でいて自分の存在を確かに主張する泣き声、ヌビア似の大きな瞳、あまりの可愛らしさに食べてしまいたいような感覚を一瞬のうちに味わいました。身長約50センチの小さな体ではありましたが、私にはそれ以上に大きな存在に感じられました。私という存在が目に見える形で、未来の次世代に「グンッ」と拡張された感覚といったらいいのかもしれません。
手術が終わって、日本とコロンビアの家族に電話をして、私はヌビアの病室で仮眠をとろうとしましたが、興奮しているようで眠れませんでした。私は夜中のうすぐらい病院の廊下を歩いて私の娘のいる部屋に行きました。家族の絆を確認したかったのです。ヌビアに対して、私の想像もつかない痛みを乗り越えたその偉大さに尊敬の念を感じました。我が子にはその愛らしさに感動しました。実際、我が子を見つめているだけで、涙が出てきてとまりませんでした。そのかわいさに涙し、その純粋無垢さに涙し、私とヌビアが全面的に頼られている(こんな俺でも父親として頼ってくれる娘ができた)、そして、私たちの庇護なしには生きられない、私たちを父と母として選んでくれたのだ、という事実に涙しました。そして、次の瞬間、不思議にもはじめてブリスベンでヌビアに出会ったころのことを思い出しました。寒い冬の夜のベンチにすわって、コーヒーを半分ずつわけて飲んだことなどを思い出したのです。当時ヌビアは花屋で働いており、毎回のように店から花をもってきてくれたのです。ベンチの上で、ヌビアが「日本語でフラワーってなんていうの?」と聞いてきたことがあります。私が「ハナさ」というと、ヌビアは「ハナっていうんだ。へえ」と興味深そうにしていました。そのとき以来、ヌビアは子どもができたら「花」という名前にしようと決めていたそうです。私はまちがいなく幸せでした。
私たちの幸せは日本、コロンビア、オーストラリアにいる大勢の人々と様々な形で分かち合うことができました。あらためて、様々な形でのお祝いや友情をありがとうございました。
2.痛みを恐れず行動すること
以前この通信でも登場したアンソニーロビンス(Anthony Robbins)は人間の行動原理を喜び(pleasure)と痛み(pain)から解釈しています(Robbins, 2001)。つまり、人間は痛みを避け、嬉しいことに向かって行動する生き物であると。さらに、多くの人は新たに行動を起こすことを痛みと結びつけて避ける傾向にあると指摘しています。しかし、実際は行動を起こさないことによってさらに大きな「痛み」がもたらされることが人生では多く、本当の幸せや喜びや成功に到達するためには、痛みや苦しさや怖さを通り抜けて行動する必要があるというのです。
出産から今日までをふりかえると、この「痛み・喜び」原則(PPP: Pain-Pleasure Principle)はかなり的を射ているなあと思いました。ブリスベンでの出産をめぐってかかった出費は安月給の私には痛かったし、ヌビアの帝王切開も文字通り激痛でしたし、出産直後の予防接種も花にはまさしく産まれてはじめての痛さでしたし、その後の母乳をあげる最初のプロセスもヌビアにとっては文字通り血が出るほどの痛さでした。しかし、こうした痛みが予想されていたからといって、これら痛みを全て避けていたらどうなっていたでしょうか。ブリスベンに行かなかったから、マウントアイザ病院では対処できない深刻な事態になっていたかもしれませんし、予防接種を受けたなかったら花はとりかえしのつかない事態を迎えていたかもしれませんし、母乳をあげるのを最初からギブアップしていたら、親子の絆を深める大切な機会のひとつを失っていたでしょうし、栄養バランスの点で劣る粉ミルクによって花の健康に問題が生じていたかもしれません。
逆に痛みを覚悟で行動したおかげで、私たちは痛みの向こうにある喜びを経験することができました。たとえば、母子ともに健康ですし、今でも母乳は貴重なコミュニケーションの機会になっていますし、何よりもブリスベンに行ったおかげで、家族が母国にいる私たちに友人たちが多大な友情を行動として示してくれました。これは貴重な経験でした。日本、オーストラリア、コロンビア、チェコの友人のそれこそ「国際協力」がなかったら、どうなっていたかと想像するだけで怖くなります。
ここで注意しなければいけないことは、私は、何が何でも痛みを経験することがいいことだとはいっていないことです。本当に人間らしく生きていく上で必要な痛みかどうかを見極める必要があると思います。そうでないと、「国家のために」ということで徴兵制や増税などの形で強いられる「痛み」と、自由や平和や主主義のために闘う過程で感じる痛みと区別がつかなくなってしまうからです。政治家が「国家のために国民には痛みを感じてもらう」ということを平気でいう昨今、私たちはこれまで以上に痛みの中身を見極める必要があるでしょう。わが娘、花は今後成長するにしたがって、さまざまな痛みを経験するでしょう。しかし、それが人間として成長するために、あるいは幸せになるために必要な痛みであるかぎり、私はヌビアとともにその痛みを共有しようと思っています。さらなる将来の喜びのために。
(つづく)

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