5.プロアクティブな生き方
私が出会ったその家族と忍術の師範から共通に学んだことはプロアクティブな生き方でした(日本語ではプロアクティブは「主体的」とか「能動的」と訳されますが、どうもしっくりこないので「プロアクティブ」で通したいと思います)。つまり、何が起ころうと、自分の感情や周囲の状況に押し流されずに、自分をコントロールして、やるべきことをやる生き方とでもいいましょうか。つまり、常に言動の規範や価値基準を内面にもち、それをもとに外に向かって出していく姿勢をつらぬくことです(インサイドアウト)。対照的なのは、「リアクティブ」(受動的、反応的)な生き方で、周囲や外で起こったことや自分の感情に大きく影響され、やるべきことができなくなる生き方です。常に原因を外に求め、いつも外に善悪、幸不幸の原因を求める姿勢です(アウトサイドイン)。前者を自分が主人公の生き方、とすれば、後者は自分が犠牲者の生き方といえると思います。たとえば、私のように日本人という理由だけで石を投げつけられたり、きたない言葉をあびせられて、感情的に反応してしまうのは、リアクティブであり、プロアクティブではないということになります。逆に、身内の葬式があっても、人間としてすべきことをきっちり果たしたさきほどの家族や師範はプロアクティブであります。
こうした考え方は何も私の発明ではなく、日本でもベストセラーになった、スティーブンRコビー氏の「7つの習慣」で紹介されたものです。コビー氏は、このプロアクティブな生き方を人生で成功するための「第一の習慣」と位置づけています。これなしには、いかなる成功も収められないとしています。考えてみれば、それはその通りで、日常生活の中では、自分にとってマイナスな出来事が起こることは珍しいことではなく、いつもそれにふりまわされていては、自分の精神状態、人間関係、仕事などがうまくいかなくなってしまうことはわかりきったことです。にもかかわらず、私も含めて、何と多くの人がリアクティブに毎日を生きていることか。コビー氏によれば、リアクティブな生き方の最たるものは、世界各地で起きている紛争や戦争だといいます。つまり、彼らは問題の所在を常に外に求め、自分たちはつねにその被害者だという姿勢を固持し、自分たちを変えようとしないと指摘しています。つまり、氏は「他者をかえるためには、まず自分がかわらなければならない」という視点も強調しているのです。
ここで誤解を避けるために、以下のことを指摘しておかなければなりません。つまり、プロアクティブな生き方というのは、何があっても自分のやりたいことを好き勝手にやることではないということです。もし、周りが何といおうと自分のやりたいことをただやって無理やり相手を変えようとすることを、すなわちプロアクティブな生き方というのなら、窃盗や殺人、ひいては戦争も肯定されてしまうでしょう。プロアクティブな生き方は、わがまま・好き勝手な生き方とちがって、何かをしたいと感じたり、周囲から何かいわれたときに、一度頭の中でなぜ自分がそれをしたいのか、なぜ周囲はそんなことをいうのかということについて客観的に認識し(Self awareness)、もし自分の感情や周囲の赴くままに行動したらどうなるのか、あるいはそうしなかったらどうなるかを想像してみる(Imagination)。そして、自分の良心に耳をかたむけ (Consience)、意志の力で正しい行動にうつす (Indepent will)というところにあると思います。まあ実際の場面ではそんなにきれいに4段階を一直線に思考することはできないかもしれませんが、すくなくとも一度立ち止まって客観的に考えたり見通しをもったりすることはプロアクティブに生きるためには欠かせない部分でしょう。
6.学校でプロアクティブな生き方を学ぶ
私の勤務校で、子どもたちがプロアクティブな生き方を学ぶ機会がありました。学校にはカリキュラムの一つに社会に出てからも必要なスキルを学ぶ時間があります。2週間ごとにテーマを決めて、そのテーマにそって、議論したり、ワークシートをやったり、ロールプレイをしたりするのです。先日、私は会議で、テーマとしてアンガーマネージメント(怒りをコントロールすること)を提案しました。私のオーストラリアでの教師経験からこれは一つ重要なテーマだと思ったからです。自分の怒りをコントロールできずに、物を壊したり、暴力をふるったり、人間関係をまずくしたり、数多くのアンガーマネージメントの問題を見てきたからです。まあ、もっとも私自身もその面を成長させなければいけないと思ったからというのが正直なところ大きな理由ですが。さらに、私は会議の中で、プロアクティブ、あるいはリアクティブな選択肢が子どもたちに与えられており、子どもたちがプロアクティブな方を選択するように指導することが大切であることを指摘しました。また、手製ですが、そのためのワークシートも提示しました。他の先生方も共通した認識をもたれているようで、すぐに多くの賛同が得られました。
先生方で話し合って、まず火曜日の朝礼で子どもたちに寸劇を見せることになりました。寸劇は三つのパートにわかれていました。最初のパートは二人の先生が風船をそれぞれふくらますというものです。一人はひたすらふくらまし続け、もう一人はときどき息を抜いて風船を小さくして、また膨らませます。当然最初の方の風船は破裂してしまいました。これによって、比ゆ的に怒りの爆発を表現したのです。次の寸劇は、からかってくるやつらにいかに対応するかというものでした。3,4人の生徒になりすました先生が前を通る生徒(これも先生)をからかいます。前を通る生徒は泣いたり、切れてけんかをしかけたりします。私の役回りは、そいつらの方向をチラッと見るのですが、気にとめずに、それこそプロアクティブに通りすぎるというものでした。最後の寸劇は、怒りにかられた友人をいかに救うかというものでした。ここでの私の役は怒りにかられている生徒でした。私は「いじめっ子」(やはり先生たち)の前で全身の筋肉を硬直させ、髪をかきむしり、歯茎を見せて、眉毛をつりあがらせて怒りを表現しました。すると、数人の仲間が登場し、私をその「いじめっ子」たちから引き離してくれました。3つの寸劇が終わると、子どもたち、職員、父母から大きな拍手が起こりました。その後も、子どもたちは議論や私の作ったワークシート(リアクティブ、あるいはプロアクティブに対応した場合の予想される結果を書き込むもの)などを使い、アンガーマネージメントを学んでいきました。
7.おわりに
自分の感情や周囲の流れのままに生きることは簡単ですが、その行き着く先にはあまり明るい光は期待できないと思います。私も反応的に生きてきたため、人生の暗い部分を歩いていたときもありました。プロアクティブな生き方はいってみれば筋肉といっしょで日頃から意識して使わないとすぐにしぼんでしまうのだと思います。朝起きた瞬間から眠い自分を乗り越えるところからはじめたいと思います。
外は大雨でも心の中は雲ひとつない日本晴れでもいいんだ、心の中まで雨を降らせることはないんだ、と思いました。
それでは、また。
遠くオーストラリアの空より
モナカ寅次郎

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