1.はじめに
ごぶさたしています。ずいぶん長い間通信を中断していました。別に長い間病気だったわけでもなく、落ち込んでいたわけでもありませんでしたが、何人もの方からありがたくも通信について再発行のご要望をいただきましたので、ふたたび発行することにいたしました。今後ともよろしくお願いいたします。ところで、早いもので私がオーストラリアに来てから5年目を迎えました。今回は「こういうふうに生きてみたいなあ」と思えるような人々との出会いを中心に書こうと思います。
2.また大平原のど真ん中で
昨年の11月のある朝7時40分頃、いつものように隣町のクロンカリーに向かうハイウェイを走っていたときのことです。地平線まで続くような大平原と岩山の間を一直線に走りながら、ふとエンジンの温度を示す計器に目をうつすと、普段よりも温度が高いようでした。でも、あまり気にせずそのまま車を走らせていると、とうとうエンジンの温度が最高を示し、エンジンチェックのランプが点灯しました。そして、車の前面からは水蒸気のようなものが出ていました。もう車を止めるしかなくなりました。
前も大平原のど真ん中で車を止めたことはありましたが、あのときはパンクだったので、タイヤをとりかえることで何とか自分で切り抜けることができました。しかし、今度ばかりはエンジントラブルで自分の力だけではどうすることもできませんでした。もう町(マウントアイザ)からは20キロ近く離れており、携帯電話も使えません。キーンと耳が痛くなるような静寂と肌を刺すような強い日差しと、ときどき聴こえる虫の声の中、私はひたすら車を待つばかりでした。何とかマウントアイザに引き返し、そこで、車体修理サービスセンターに連絡をしようと思ったのです。
私がやってきたマウントアイザ方向から車がやってきました。私はマウントアイザ方面に向かう車を待っていたので、反対方向に向かうその車には特にヒッチハイクのように手を上げませんでした。しかし、その車がはとまりました。見ると、家族連れのようでした。週末でも休日でもないのに、家族そろってお出かけか、と一瞬変に思いましたが、オーストラリアでは平日でも家族の予定を優先させて学校や仕事を休むことは珍しくないので、変に思うのはやめました。
「あなた、ひょっとして日本語の先生? クロンカリーの学校で日本語教えているでしょ」
と意外な言葉をかけられました。聴くと、その女性は月に何度かカウンセラーのような仕事でクロンカリーの学校で働いているとのことでした。面識はありませんでしたが、いってみれば、同僚にはちがいありませんでした。一気に私も気が緩み、事情を説明しました。「じゃあ、のっていきなさいよ。マウントアイザまでのっけていってあげる」
ありがたい申し出でしたが、彼らが行くのとは逆方向です。またマウントアイザまでユーターンしてもらうのは気が引けます。そこで、「大丈夫です。マウントアイザ方面にむかう車をひろいますから」といったのですが、「のりなさいよ。マウントアイザまでちょっとだから」といってくれたのです。見ず知らずの私のために車を止めて声をかけていただいただけでもうれしいのに、わざわざユーターンまでして20キロ近い道をもどってくれるとまでいってくれて、私は信じられない幸福感に胸がいっぱいになりました。でも、私はそこまでしてもらうわけにはいかず、再度丁重にお断りしましたが、何度も押されて結局車に乗り込むことになりました。
車の中には旦那さん、娘さん、息子さんがいました。みんな非常にフレンドリーな感じで、一人ひとり自己紹介をしてくれました。いつのまにか私も自己紹介をして、自分のこと、仕事のこと、家族のことなどを自然と話していました。車がマウントアイザに着くころには私たちは住所と電話番号を交換するくらいまでになっていました。意外と近くに住んでいることがわかり、今度また会おうということになりました。やがて、笑顔で彼らと別れ、車の修理サービスセンターに連絡をとり、レッカー車などを使って、私の車がマウントアイザにもどってきたのは、それから3時間近くたった10時近くでした。その後、私はその「事故」のことも忘れ、ふたたび日々の生活に埋没していきました。
3.私にはとてもできない
そんな「事故」から数ヵ月後、その助けていただいた家族から電話がかかってきました。私は「事故」後にもお礼らしいお礼をしなかった、己の非礼を素直にわびました。しかし、相手は全然気にしていない様子であるばかりか、「今度うちに食事にこない?」とお誘いまでしてくれるではありませんか。車の中で今度会おうという約束を本当に実行しようとしてくださっていることに対して感謝の気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
しかし、私が心底驚いたのは、次のような事実でした。私の車がエンストを起こしたあの朝、実は彼らは葬式に向かう途中だったのです。車で5時間近くもかかる町に住んでいた旦那さんのお母様が亡くなられたため、家族でその葬式に向かう途中だったのです。にもかかわらず、彼らは路上でエンストを起こして困っている見ず知らずの私のために車をとめて、私をマウントアイザまで連れて行ってくれたのでした。車の中では彼らは笑顔さえ、私に見せてくれました。お母様が亡くなられたその旦那さんは、私が日本人であることを知ると、「実は私は柔道をやってるんだ」と柔道について熱く語ってくれたのでした。私はそんなに大変な事情がその家族にあったにもかかわらず、そんなことは夢にも思わず、彼らの行為にあまったれてしまったのです。私はその事実を知って顔から火が出てくる思いでした。今回ほど、自分がちっぽけな存在に感じられたことはありませんでした。大事な家族の一人がこの世を去り、その悲しみの中でその家族は様々な思いを脳裏に浮かべながら車を走らせていたのでしょう。私だったら、そんな状態のときには夢にも人を助けようとは思わなかったでしょう。ただ、悲しみでいっぱいだっただろうと思います。でも、その家族はその悲しみを脇において、私に救いの手を伸ばしてくれたのでした。私は言葉を失ったまま受話器を置きました。
4.忍術に学ぶ
また、私は次のような人にも出会いました。彼はニュージーランド出身で今はここ豪州マウントアイザで忍術を教えています。私は彼(師範)にも、さきほどの家族と同じような思いを抱きました。私は彼のもとで昨年10月から忍術を習い始めたのですが、毎回様々なことを学ぶことができます。「えっ? ちょっ、ちょっとまって。忍術?」と思われるかもしれませんが、本当です。多くの人は、日本人を含めて、忍術や忍者はドラマや映画の中だけの架空のものというふうに思っておられるようですが、今日も実在するのです。私もひょんんなことから「忍術やってみないか」と声をかけられたときは、にわかには信じられませんでしたが、日本語教師としては、ひろく日本文化を経験することが必要だと思ってはじめてみることにしました。まあ、実際長いこと日本に帰っていなかったので、ホームシック的要素もあって忍術をはじめたのも事実ですが。
忍術は体だけではなく、心も鍛えてくれます。どんなことが起ころうとも自分をコントロールすることが求められます。たとえば、忍術のトレーニングは、雨の日も、風の日も、嵐の日も外で行われます。しかも、夜薄暗い中行われるので、日中よりも集中しなければなりません。極め付きだったのは、次のような出来事でした。
いつものようにトレーニングの合間に休憩をとっていると、師範が実はその日、姪の葬式だったとぼつりといったのです。にもかかわらず、師範は私たちのためにいつものようにトレーニングに来てくれたのです。
(To be continued)

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