5.最近のオーストラリアのニュースをみてみると
誤解を受けないように確認しておきますが、私は今を生きるということは刹那的になれ、何でも衝動的にやれということではないと思います。最近のオーストラリアのニュースをピックアップすると、残念ながら刹那的、衝動的に生きている人々の悲しいニュースが目につきます。たとえば、家庭内暴力のために親権を奪われた父親が発作的に生後まもない子どもを殺したり(5月18日)、ブリスベンのあるホテルで客が生きているねずみを口にいれたり食べたりする競争を売り物にしていることが発覚したり(6月10日)、家庭内暴力はいっこうに減少せず、学校ではいじめが減らずピストルまで使う犯罪が起きたり(5月24日)、子どもたちの怠惰な食生活による肥満や糖尿病が深刻な問題として表面化しています(5月29日)。
こうしたニュースをみていると、私は「今を生きる」と「刹那的に生きる」の決定的な違いは、今現在自分が置かれている状況に深く向かい合っているか、逃げているかにあると思います。たとえば、生後間もない子どもを殺したさきほどの父親は親権を奪われた「不幸な過去」の中にだけ生き、「今」目の前で生きている我が子の生の意味が見えなくなってしまっていたのであろうし、ねずみを口にいれて競争していたホテルの客はコンテストに勝つことによって得られる賞(未来)ほしさに現実逃避して「今」本当に何をなすべきかを見失っていたのであろうし、子どもをもつ親は考えて食べ物を選ぶ時間を節約して自分の時間(未来)を手に入れるために、あるいは過去に起こったことにイライラして「今」目の前にいる子どもに安易に手軽な見た目のいい不健康な食べ物ばかりをあたえてしまった面があると思います。いいかえれば、彼ら彼女らは、一歩立ち止まって、過去や未来をいったん断ち切り「現実の問題について、今できることはなにか」を考え、そして行動すべきだったのでしょう。彼らは「今を生きる」ことをせず、刹那的に今を生きることから逃げていたといえると思います。いいかえれば、本当の自分から目をそむけていたのではないかと思います。
6.今、ここで学ぶ授業
私の5年間の教員経験をふりかえると、授業に関してはおせじにもうまくいったとはいえないと思います。私も生徒も退屈していたし、そうした授業があたりまえだと思っていました。それはなぜか、それは私の教え方も教科書の中身もすべて過去に誰かがやったことをなぞっていただけで、「今」「ここで」何かを新しく学び変わる喜びや発見がなかったのだと思います。確かに、ノートを色分けしたりして板書よりもうまく書いていた生徒はいましたが、そういう生徒が教えた内容をよく理解していたかというと必ずしもそうではなく、あとでテスト前に見直すときに便利だろうからということで内容理解そっちのけで「きれいなノートづくり」をしていた生徒も少なくなかったのではないかと思います。
オーストラリアで教壇に立ってからも、自分の授業の進め方で今でも悪戦苦闘していますが、学び、経験をつんでいくうちに、「今、ここで」というのが外国語学習、ひいてはコミュニケーションには欠かせない原則であることに気がついていきました(例Krashen)。たとえば、授業の中でロールプレイをやるときは、生徒にアレンジしやすいようにしてやると、生徒たちは様々な予想もしなかった形で自分たちのロールプレイを披露してくれましたし、また、ゲーム的要素(例:けんだま)も授業の中に取り入れ、生徒に日本語で勝敗を予想させたりしたところ、生徒たちは予想以上の盛り上がりをみせ、複雑な構文や数字を日本語でいえるようになっていき、休み時間まで日本語を私に使ってくれるようにまでなりました。今振り返ると、そうした成功要因は「今」「ここで」何が起きるか予想がつかないおもしろさ、コミュニケーションし学ぶことの楽しさが共有できたことにあったのだと思われます。過去のえらい学者先生がまとめた文法を教科書を使ってたとえ丁寧に説明したとしても、あるいは、「将来、日本人相手の仕事ができる」「将来、日本で働けるかもしれないよ」というようなことをいっても、決してこのような「日本語大好き現象」は起きなかったと思います。日本のように、大学受験と外国語学習が結びついていないここオーストラリアでは、外国語を学ぶ動機付けのひとつは「今」「ここで」コミュニケーションを楽しむことにあるのだと思います。
7.言語に過去形も未来形も必要ない!?
先日、お隣のニューサウスウェルズからあるご夫妻が私たちに会いにきてくれました。お隣といっても、車で片道5日はかかる道のりです。二人はオーストラリア大陸縦断の旅の途中に、ここマウントアイザによってくれたのです。二人はニューサウスウェルズで農牧業を営んでいるですが、ここ数年は歴史的な雨不足でほとんど収穫や収入がないのです。オーストラリア政府は人工衛星を使って、それぞれの農家が何頭羊を飼っており、何本の木が敷地内にはえているかまで正確に把握しているにも関わらず、したがって、それぞれの農家がどれだけ雨不足で被害にあっているか知っているにも関わらず、全体の約6パーセントの農家にしか財政的援助をせず、後は「自助努力を」という典型的な新自由主義路線を展開しているのです。にも関わらず、二人は非常に楽天的にエネルギッシュに自分たちの旅の一瞬一瞬を楽しんでいました。過去に雨が降らなかったから、収入が激減したからということに落ち込んで自分たちの村に閉じこもるでもなく、また将来の収穫・収入に何の保証もないにも関わらず、二人はまさしく「今」を楽しんでいました。
二人のうちの一人はタイ出身で30年ちかく前にオーストラリアに移民として来たのですが、その彼女から面白い話を聞きました。タイ語(といっても様々な方言やバリエーションがあるそうなのですが)には、現在形しかないそうなのです。そういえば、彼女の使う英語には過去形や未来形の動詞がほとんど登場しません。しかし、すべて現在形であってもその場の文脈や流れでなんらコミュニケーションに支障はなかったのです。動詞には必ず現在、過去、未来形があると思い込んでいた私にはちょっと驚きでしたが、現在形だけでもコミュニケーションができてしまうことのほうがもっと驚きでした。彼女は幼少のころからつらい家庭環境に育ってきました。そこらの映画やドラマでは描ききれないような悲しいエピソードをいくつも経験しています。にも関わらず、彼女は非常にエネルギッシュで、会った人全てが幸せな気持ちになるような人です。そうした彼女の「今」「ここで」生きるエネルギーは、彼女の持ち前の性格もあるでしょうが、未来形や過去形がないタイの言語とも深い関係があるのかもしれません。ひょっとしたら、私たちは未来形や過去形は必要と思い込んでいるだけで、本当は必要ないのかもしれません。われわれが意識的に現在形だけを毎日使ったら、この世の中はちょっとかわるかもしれない、とひそかに思いました。
8.おわりに
24世紀の世界を描いた、アメリカのSFドラマ「新スタートレック」(STAR TREK: The next generation)の中に印象的なエピソードがあります。恒星の肥大化で滅亡の危機にある惑星で、父親が娘に「今この瞬間をしっかりつかむんだ。今を生きるんだ。いつも今を一番貴重な時間にするんだ。今は二度と戻ってこない」と語るシーンが私は好きです。飢餓、貧困、戦争、紛争、差別、汚職、暴力、公害、心身の病、そしてテロリズムで危機に瀕しているこの21世紀の惑星地球に生きる私たちにとっても、意味のあるメッセージではないかと思います。
それでは、また
遠くオーストラリアの空より
モナカ寅次郎

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