みみっく(mimikku)の活動記録

 「みみっく」は「スフインクス」の反対の存在です。「スフインクス」は旅人になぞなぞを問いかけ、答えられないとその旅人を食べてしまったと言われております。「みみっく」は旅人(求道者)の出すなぞなぞに答える存在です。もし旅人の問いに応えられない時には、存在意義(知恵袋)を失って消滅してしまうのです。 みみっくの後見人北野英明より

 
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投稿者:みみっく
>3手先 ではなく 終局まで読んで大丈夫という確信の元での1手ですね。

>つまり本当の勝負がつくのは遥か未来で 私たちはその未来に向かって己の信じる方向へ 下手上手にかまわずに指していけばいい その決着は今の我々には分からない。

>救いと言う言葉に限って言えば どちら顔と言うと当の本人が納得出来たかどうかが大きいと思います

 お二人とも、「救われる」という点についての話ですね。特に異論はありませんけど、「救い」の本質は「必要としている」ということだと考えています。

 つまり、救いがあるかないかじゃなくて、「どうしたら救われるのか」ということですね。救いを求めているとはどのような状態なのか。

「救いとは何か」についてブログに書きましたので感想をお聞かせ下さいませ。では。
投稿者:みみっく
>書かなければわからなかったでしょう?
>だめだよ。たまには確認しましょうね。
 たまには確認してますよ(笑)。
 2月8日に返事してます。まあずいぶん遅かったけどね(笑)。


投稿者:Syu
ええ〜 ゆにこさんここでも書くの?
やめてくださいよ〜(笑)

みみっくさんへ
書かなければわからなかったでしょう?
だめだよ。たまには確認しましょうね。

救いというのはある意味で確信があると言う事
どんな状態になってもまた 新しくなるという事
3手先 ではなく 終局まで読んで大丈夫という確信の元での1手ですね。
投稿者:ゆにこ
僕も将棋も囲碁もどんぐりの背比べですが 成る程面白い喩えだと思います これは人生においても同じで 人間の出来ることには限界があるし 学問に王道はないわけですが どう生きたか 何を考え 何をしたかは人それぞれに違うと思います 何が出来るかと言う問題の中で 実際に何をしたか それが未来の(次の瞬間でも)どういうものにどういう影響を与えたか。つまり平凡でも微力でも未来に 未来の存在にプラスになればその人は上手く指したと言えるし 足を引っ張ったとすれば(マイナスになれば)将棋は負けたと言えるでしょう。勝負と言う世界の中ではルールに則っていれば問題はありませんが 人間の生き方としたら 一瞬一瞬が勝負であって 一見勝ってる様に見える人も人間の未来にはマイナスだったり 一見負けてるような人も人間の未来にとってはプラスかもしれない。
つまり本当の勝負がつくのは遥か未来で 私たちはその未来に向かって己の信じる方向へ 下手上手にかまわずに指していけばいい その決着は今の我々には分からない。勿論ここにあるように 同じ可能性を持っていてもどのような指し方をするかで 未来は大きく違っていくだろう。すみません 長々と。  

http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuniko37/
投稿者:ゆにこ
救いと言うのは誰でもが終える人生の最後に
自分の人生は意味があった 目的にかなっていた
無駄ではなかったと納得できることではないでしょうか
たとえそれば病気の為数年の人生でも 親の思いに答えて一生懸命生きれれば救いはあると思うし
逆にどんな立派な人生でも 地位や名誉やお金があっても
人生の最後に自分の人生が無意味だったと思ったり 何か大きな罪を犯してしまったままなら 救いはないのかもしれない
救いと言う言葉に限って言えば どちら顔と言うと当の本人が納得出来たかどうかが大きいと思います

http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuniko37/
投稿者:みみっく
たまにしか見に来なかったのできづきませんでした。失礼。
>本当の信仰からくる救いはどんな状態であっても
>心が落ち着いている状態を指すものだと思います
 平常心というのはそういうことでしょうね。
 常に心が安定している人は状態も安定させる力があるんじゃないかな。
 
投稿者:syu
救いというのは主観的なもの
それによって救われたと感じたらそれが救いというもの
だから色々な方法があります。またその救われたという具体的なものを見ればキリがない
心の問題が中心で 物質的なものではありません

だから現実にホームレスの人であって、現状ががホームレスのままでも救われているという事です。
要は心平安があるのか?それが継続しているのかの問題、物質的な救いというのはそれがなくなると
また元に戻りますが(心が不安になりますが)
本当の信仰からくる救いはどんな状態であっても
心が落ち着いている状態を指すものだと思います
投稿者:みみっく
syuさんへ

 「救い」について何か書こうと思ってずっと考えていたのですけれども、時間がなくて放置になってしまいました。すみません。何か考えついたら書いてみますね。
投稿者:syu
ある面から見た真理というのはあるよ。
絶対という価値尺度がどこにあるのか?誰が決めるのか?

本質的には仏教もキリスト教も同じだと思う。
救うという教えだからね
投稿者:みみっく
>「絶対の真理」あるのかな?
 そもそも「絶対」があるのかどうかを考えないといけないですね。
 「真理は不変ではない」という言葉もありましたね。

>まったく違う事を話している奴、思い込みという事かな? 
 何に刺激されて話を始めたのかわからないことありますね。当人の中ではつじつまが合っているらしいんですけどね。

>人間グループがあり、そこへ突然割り込んでくる
という事が学生時代ありましたが、そんな経験ないですか?
 ありますね。でもなじむのがうまい人もいますよね。会話の流れにうまく入り込める人と全然駄目な人がいて面白いです。
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