談合とは何か。辞書を引くと話し合いのことだと書いてある。しかしなぜ話し合いがいけないのだろうか。実際やっている人がなぜいけないのかわからないと言っているらしい。これに答えた文章を見たことがないので、私見を書く。
談合と話し合いは同じ意味である。話し合いに文句を言うのは、仲間外れにされた人間に決まっている。では「談合」で仲間外れにされたのは誰か。納税者である。談合に文句を言うべき人間はこの納税者以外にはいない。納税者には税金の使い方について報告を受ける権利があるのである。ところが、日本では税金を「お上」に払うという感覚があるので、事態が複雑になっている。実際税金をどう使おうが役人の勝手じゃないかという人がいるのである。
役人が税金を勝手に使うのはけしからんという声にそれは妬んでいるだけだと言い出す人が現実に存在する。こういう人は税金は「お上」に払っていると思っているのだろう。ならば受け取った役人が何に使おうと勝手だと言うのは理解できる。しかし、だとしたら談合に反対するのはおかしい。談合が問題なのは、納税者を無視して利益を分配してしまうことだからだ。本来は納税者に利益を還元しなければならないのにである。
談合について語るものは「税金は誰のものか」という質問に答えなければならない。納税者だとするならば、談合は「横領」以外の何者でもない。役人だと答えるならば、談合を非難することはできない。それこそ役人の勝手だということになるだろう。しかし最終的には納税者が税金がどのように使われているのかについて関心を持つかどうかに掛かっているのではないだろうか。税金がどのように使われているのか関心がないのに談合を非難しても始まらない。
納税者の権利を行使し、役人を監督せよ。それが役人の上司たる納税者の責任である。もし上司がその監督責任を果たさないなら、部下の不始末は上司の責任である。それさえできないなら、もはや上司ではなく、権利も放棄したとみなされるだろう。これが私の見解である。