長男でひとりっ子の少年Aは両親と祖母に甘やかされて育ち、幼稚園になってもボタンを自分でとめられなかったし、運動は苦手で、天気の悪い日には母親にしばしば車で送り迎えをされて学校に通った。
しかし成績はいつも学年を通してトップであった。これについては母親は、
「わたしもずっと一番でしたから」
と、当然のことのように語っているが、ともかく「勉強ができること」がこの家庭と、A少年の唯一のモノサシであったのはたしかなようだ。少年はあたりまえのように、名門開成中学へ、同高校へと進学する。
中学時代のAの成績は上位であったが、高校になるとずるずると落ちだして、クラス50人中、40番という有様になった。少年が恐慌状態に陥ったのは、おもにこの頃からであると見られている。
最初は母親や祖母に対して乱暴な態度をとったり、口ごたえをする程度だった。だがある日「勉強したら?」という何気ないつもりの(母親にしてみれば)言葉に激昂した彼は、「殺してやる」と言いながら母親を家中追いまわした。そしてこの日以来、タブーの糸は切れた。
飲食店経営の父親は夜遅く帰ることが多かったため、被害はおもに母親と祖母に集中した。(祖父はすでに他界していた)
洗面器で10杯ほどの水を頭からかけてぐしょ濡れにしたり、寝ているときに布団をはいで外へ放り投げ、部屋中を水びたしにして眠れなくしたり、毎日の殴打、食事をひっくりかえす、ものに火をつけて戸外へ投げるなども日常茶飯事となった。襖や障子、ガラスのたぐいはすべて割られた。
またこの頃になると「醜形恐怖」の症状もAはみせており、
「鼻が低いから外を歩けない。整形手術したい」などとも言い出している。このことについてはよほどこだわっていたようで、事あるごとに両親に
「おまえらみたいなのがくっついて結婚したから俺みたいな鼻の低い子供が生まれたんだ」とぶつぶつ言い、気分が激してくると
「おまえら夫婦は教養も社会的地位もないクズだ。そんなやつらが一人前の顔して俺に説教するな。低脳夫婦」などとののしった。
手あたり次第にものを投げつけ、怒鳴りちらし、かと思えば1日中泣きじゃくっていたりした。
両親は彼を精神病院へ連れていった。病院では彼に「電気ショック療法」をおこなった。(これは現在ではほとんどおこなわれていない療法である) 初回には一時期赤ん坊のようにおとなしくなったが、効き目がきれると以前以上に凶暴になったようだったので、両親は何度も「電気ショック」を医師にお願いしてやってもらった。また、多量の精神安定剤、睡眠薬の投与、自宅での注射も許可されていた。
暴力はエスカレートする一方で、生命の危機を感じた家族は一時アパートを借りて避難したりもした。
Aは「俺の人生はもうおしまいだ。どうしてくれる。俺は夏休みもなしに勉強してきたんだ。なのに人生は破滅しちまった。俺の青春をかえせ、元の体をかえせ」とわめき、泣いた。
事件の数日前には父親に包丁で切りかかり、重い皿で頭部を殴って怪我をさせたため、パトカーを呼んで精神病院へ収容しなければならなかった。
Aは鍵についた独房に2日間入れられたが、母親がかわいそうだと言うので医師に頼んですぐに退院させてもらった。しかし戻ればまた暴力の日々だった。
両親は「話しあおう」と言ったが、彼は、
「もう遅い。俺は薬漬けの半病人だ。もとの体に戻せ、青春を返せ、人生を返せ、全部おまえらのせいだ」
と殴りかかってきた。
暴れるだけ暴れると、Aは睡眠薬を飲んで寝てしまった。その夜、下帯を手にした父親は息子の枕元に正座してその寝顔を見つめた。こどもの頃はすべてがうまくいっていた。「また一番だよ」と満点の答案を持って家に駆け込んできたものだった。しかしそんな思い出は、すぐに現在の恐怖によって打ち消された。
彼は帯を息子の首にまわし、無我夢中で絞めあげた。
そのあと妻と相談の上、自殺を決意して浜名湖へ行くが死にきれず、自首した。
世間の同情は両親に集まった。情状酌量の余地ありとして、裁判官も懲役3年、執行猶予4年という温情的な判決をくだした。が、それを聞いたのは父親ひとりだった。母親はすでに自責の念に耐えきれず、自殺していた。