ポール・バナードは1965年にカナダのスカボロで生まれた。父は会計士、母は専業主婦。出産時の酸素欠乏により、彼は5歳になってもうまくしゃべれず、失語症と診断された。長じてからは人一倍饒舌で弁舌巧みになったものの、このときの劣等感は一生残っていたようである。
10歳のとき、父が幼女に対する猥褻罪で逮捕されるという事件が起きる。父親っ子だったバナードはこれにひどいショックを受けた。そして、これ以後少し経ってから、バナードは夜に家を抜け出し、公園の茂みに隠れたり、近所の家の窓を覗くなどの窃視行為に耽るようになる。
父の悪癖もまた、止むことはなかったようだ。両親はしばしば諍いを起こし、バナードは階下で喧嘩がはじまると決まって家をこっそり抜け出し、逃避するかのように覗きに励んだ。16歳のとき、父と言い争いの末、半狂乱になった母が彼の部屋に駆け込んできて、
「おまえはあの男のほんとうの子じゃないんだ! おまえなんか産まなければよかった!」
と喚いた。そしてその後数年にわたって、バナードを叱りつける際「この生まれぞこない」と呼んだ。これ以降バナードは、友人の目にも「人が変わったようになってしまった」という。彼の中に社会への敵意、女性一般への憎悪が芽生えたのはこれがきっかけだったと、のちに精神科医は指摘した。
バナードは美男だった。澄んだブルーの目をしており、白い肌は赤ん坊のように滑らかで、笑顔は輝くばかりだった。クラスメイトは彼を「ミスター・第一印象」と呼んだ。たいていの女の子は彼を一目見ただけで頬を赤らめたからだ。しかしそこには「第一印象だけだ」という言外の意味もこめられていた。バナードをもっとよく知るようになると、たいていの人間が、その魅力的な笑顔の下になにかが隠されているような気がして、落ち着かなくなるのだった。
ポール・バナードは1965年にカナダのスカボロで生まれた。父は会計士、母は専業主婦。出産時の酸素欠乏により、彼は5歳になってもうまくしゃべれず、失語症と診断された。長じてからは人一倍饒舌で弁舌巧みになったものの、このときの劣等感は一生残っていたようである。
10歳のとき、父が幼女に対する猥褻罪で逮捕されるという事件が起きる。父親っ子だったバナードはこれにひどいショックを受けた。そして、これ以後少し経ってから、バナードは夜に家を抜け出し、公園の茂みに隠れたり、近所の家の窓を覗くなどの窃視行為に耽るようになる。
父の悪癖もまた、止むことはなかったようだ。両親はしばしば諍いを起こし、バナードは階下で喧嘩がはじまると決まって家をこっそり抜け出し、逃避するかのように覗きに励んだ。16歳のとき、父と言い争いの末、半狂乱になった母が彼の部屋に駆け込んできて、
「おまえはあの男のほんとうの子じゃないんだ! おまえなんか産まなければよかった!」
と喚いた。そしてその後数年にわたって、バナードを叱りつける際「この生まれぞこない」と呼んだ。これ以降バナードは、友人の目にも「人が変わったようになってしまった」という。彼の中に社会への敵意、女性一般への憎悪が芽生えたのはこれがきっかけだったと、のちに精神科医は指摘した。
バナードは美男だった。澄んだブルーの目をしており、白い肌は赤ん坊のように滑らかで、笑顔は輝くばかりだった。クラスメイトは彼を「ミスター・第一印象」と呼んだ。たいていの女の子は彼を一目見ただけで頬を赤らめたからだ。しかしそこには「第一印象だけだ」という言外の意味もこめられていた。バナードをもっとよく知るようになると、たいていの人間が、その魅力的な笑顔の下になにかが隠されているような気がして、落ち着かなくなるのだった。
10代半ばにして、すでにバナードの性的嗜好は確立されていたといっていい。観淫症、サディズム、愛糞症、嗜尿症。そして鼻持ちならないほどの自惚れ屋であり、1日のうち3時間はたっぷり鏡の前に立っていなくては気が済まないほどのナルシストだった。
カーラ・ホモルカと彼が出会ったのは、バナードが23歳、カーラが17歳のときだった。
カーラは両親に愛されて何不自由なく育った少女だった。ブロンドで、バナードに負けず劣らずの美形であり、男の子たちには絶大な人気があった。しかしボーイフレンドをとっかえひっかえしながらも、カーラは物足りないものを感じていた。バナードに出会う前、いつでもカーラは男の子たちを振り回す側だったが、それは彼女の真に望んだことではなかった。やや神経症気味で、女系家族の中に育ったカーラは、すべてを頭から支配してかかるようなバナードに夢中になった。
この時期、カーラは何通も彼に熱烈なラブレターを送っている。
「ポール、わたしのプリンス。あなたの女の子は四六時中あなたにやられたがってるわ。ありがとう、わたしをこんなにしてくれて」
「あなたって、とんでもないアブノーマルな変態だわ。男の人はそうでなくっちゃ!」
「お願いだから、私をベッドに押し倒して、服を脱がせて、1時間かけてめちゃくちゃにするのはやめて。……1日中にして!」
当時、バナードは会計士助手をしながら夜学に通っていた。カーラは彼を家族に紹介し、家にしばしば招いた。
バナードは彼女の両親や妹に如才ない笑顔をふりまいたあと、彼女の部屋でオーラル・セックスをさせ、肛門姦し、その間ずっと「わたしは淫売です。あなたのカントです」と言い続けさせた。しかし、バナードはじきにカーラとのセックスに飽きた。
1987年から1991年にかけて、スカボロでは連続暴行事件が起きていた。
手口は残忍と言ってもいいもので、被害者にオーラル・セックスを強要し、性器と肛門を犯し、歯や肋骨が折れるまで殴りつけるというものである。また、行為の間中、被害者に「あなたを愛しています。あなたは王様です」と言わせることを強いた。被害者が訴え出ただけで8件。実害はその何倍になるのか想像もつかなかった。運良く犯人の顔を見た被害者は、「ブロンドでハンサム。背は180センチくらいでたくましい体つき」と証言した。
警察は躍起になってこの「スカボロ暴行魔」を追った。バナードは容疑者リストの中に名を連ねていたが、悪運強く、捜査の手が彼に及ぶことはなかった。
暴行魔として暗躍しながらも、バナードはほかの女の子にも食指を動かしていた。その筆頭がカーラの末の妹で、まだ13歳の少女であった。
「あの子の処女が欲しい。だってカーラ、おまえは俺に処女をくれなかったじゃないか、その代償だ」。
カーラは拒否したが、バナードは諦めなかった。なだめたりすかしたりしてバナードは説得をつづけ、ついにカーラに協力させることに成功する。2人は薬局でハロタン(クロロホルムの約2倍も強い薬品)を買い、その日に備えた。
1990年のクリスマス、ホモルカ家でパーティがひらかれ、バナードも長女のボーイフレンドとして招待された。末の妹はカクテルを数杯飲み、「目がへんになっちゃった」と言うくらいに酔っぱらった。
家人がみな寝室にひきはらってしまったのを確認し、2人は妹に睡眠薬入りのジュースを飲ませ、眠りに落ちたところを、さらにハロタンを染みこませた布を顔に押しつけた。昏睡した妹をバナードは性器・肛門共に凌辱し、カーラに妹を愛撫するよう命じた。カーラはいやいやながらそれに従った。
しかしすべてが終わったとき、2人は妹が息をしていないことに気づいた。妹は嘔吐物を喉につまらせ、窒息死していた。死体は検死解剖されたが、検視官はレイプの痕跡にも、胃腸内の睡眠薬にも気づかず、事故死ということで片が付いた。
すべての事件が発覚した後、精神科医はカーラを評して「知能はきわめて優秀。しかし道徳心は非常に低い」と述べた。カーラの知能指数は130と、人口の上位2%に入る数値を出している。が、なぜ彼女がバナードの犯罪に加担したかといえば、彼に虐待され、支配されていたことを差っ引いても、「保身」が大きかったようだ。カーラはたしかにバナードを失いたくなかったが、同時に刑務所へも行きたくはなかったのである。
バナードはカーラに対し「共犯者」という切り札をさらに持った。カーラは余計に彼から離れられなくなった。バナードは以前にも増して暴君と化し、彼女を殴り、蹴り、罵り、人前でもかまわず「淫売、カント」と呼ぶようになった。しかしその一方で、2人の結婚話も着々と進んでいたのだった。
1991年2月から彼らはダルヒュージに新居をかまえ、同棲をはじめた。「スカボロの暴行魔」の犯行は止み、代わりにダルヒュージに暴行事件が頻発するようになるが、この時点でその因果関係に気づいた者はいない。
結婚式は6月の予定だった。そのわずか2週間前、バナードは14歳の少女を誘拐し、カーラの待つ新居へ連れて帰った。バナードは少女を犯し、肛門姦し、口淫させ、「あなたを愛しています、王様」と言うことを強要した。カーラはその様子をビデオカメラで撮影した。少女は凌辱の限りを尽くされたのち、電気コードで絞め殺され、死体をバラバラにされ、セメント詰めにされた挙句、湖に沈められた。
2週間後、バナードとカーラは結婚した。ほぼ同時に湖から少女の死体が発見されるが、この幸福な美男美女カップルに関連があるなどと思った者はもちろんいなかった。
1992年4月、ふたたびバナードは少女を誘拐してくる。今度の被害者は15歳だった。彼女は同じく口と性器と肛門を犯され、その姿を撮影された。バナードは彼女からボーイフレンドの名を聞きだし、「もうあいつは大嫌い。わたしが愛しているのはあなただけです」と言わせた。3日にわたってバナードは少女を凌辱し、最後に絞殺した。死体は町はずれのゴミ捨て場に遺棄し、落ち葉で覆った。彼女の死体が発見されるのは2週間後のことである。
バナードのカーラへの暴行はますますひどくなった。彼女を嘲り、罵り、「もうおまえとじゃ興奮しない」と言って、いままで殺した被害者たちの物真似をさせながら犯した。カーラは全身の痣を「犬に噛まれた」とごまかしつづけたが、ついに12月、見るに見かねた親戚が虐待を通報し、彼女を保護する。
1993年1月、かんかんに腹を立てたバナードがカーラの行方を探し回っていた頃、ようやく警察は「スカボロ暴行魔」の体液が、容疑者リストの中のポール・バナードと一致するものであるとの結論に達した。バナードは逮捕された。
親戚の家でバナードの逮捕を聞かされたカーラはパニックに陥り、「もうすべてがおしまいだ」と思い、3件の殺人について叔母に告白した。
裁判の間、カーラは「なぜ彼に妹を犯させたのか?」「なぜ彼に淫らな写真やビデオを撮らせたのか?」「なぜ犯罪に加担したのか?」という全ての問いに、「彼がそう望んだからです」と答えた。
カーラは12年の懲役を宣告された。バナードは25年の懲役刑となったが、その直後、バナードを終身刑にするべく大規模な市民運動が起こった。