2018/3/14

「子猫あげます」の貼り紙があった時代  家族

大島弓子の「グーグーだって猫である」を読み
子猫を譲渡する場面で
子供の頃に飼ってた猫を思い出した。


昭和後期
今のように猫を去勢・避妊手術させて室内飼いするという習慣はなかった。
そもそも猫を病院に連れて行くという考えも浸透してなかった。
だから動物病院も今とは比べ物にならないぐらい少なかった。


飼い猫が子供を産むと
玄関先や電柱・外壁に
「子猫あげます」といった貼り紙がされていた。


そのお宅も玄関先に「かわいい子猫あげます」と
猫の絵が描かれた貼り紙を出していた。
それを見つけた伯母に連れられて
小学生だった私は子猫をもらいに行った。


子猫が3匹連れられてきて1匹を選ぶのだが
3匹とも驚くほどの超美形で
迷ってしまって選べない。
そうしているうちに
母猫が子供を探しにやってきた。
2匹の子猫が母猫の方に寄って行ったが
1匹だけがこちらをむいたまま座っていた。
親の方へ行った子を引き離すのもかわいそうだと思い
その1匹をもらうことにした。
あちらが用意してくれたバスケットケースにご主人が子猫を入れてくれたのだが
入れる時に子猫に頬ずりをして別れを惜しんでいたのが忘れられない。


うちの家族は猫好きだったので
それぞれが自分なりのかわいがり方をしていたが
当時はとにかく何に対しても情報が少ない時代だった。
今ネットで検索すると
良かれと思ってやったことが逆効果なこともたくさんあった。


最初にも書いたけれど
あの頃、猫は自由に家の外へ出るものだったし
避妊させるということもなかった。
だが私の祖母は、猫が発情期を迎えると
「去勢手術をする」と言って、突然病院に連れて行った。
他の家族はびっくり。
この話を友達にすると
「なんてかわいそうなことをするの!」と憤慨された。
今では考えられない話だけど。


また、猫がケンカをしてケガだらけで帰ってきた日から祖母は
「外に出すとケガをするし車が危ないから、もう出さないようにする」
と言って、家じゅうの窓を閉め、猫を脱出させないようにした。
これには家族も猛反対。
「人間だって家に閉じ込められたらいやだろう!」
「猫なのに自由に出られないなんてかわいそう!」
でも実質的に猫の世話をしていたのは祖母なので
最終的には祖母の意見に従うしかなかった。


祖母も少しは妥協したのか
猫にリードをつけて散歩させたり
家の前でブラッシングしたりしていた。
リードをつけた猫なんて他にいないし
おまけに血統書付きでもなく、雑種。
好奇の目で見られることが多く
かなり恥ずかしかった。


今では常識となった飼い猫の
「室内飼い」「避妊」だけど
当時は非常識だと思われていたフシがあった。
そんな時代に、高齢だった祖母がなぜそういうことを思いついたのか謎だが
身内ながら、あの先見性はすごかったと思う。
まあ、今だから言える話。
当時は私も「猫かわいそう」と思ってたから。


猫も祖母に一番懐いていて
他の家族には見せない甘えっぷりを披露していた。
だが数年たつとあちこち具合が悪くなってきて
そのたび病院に連れて行ったのだけど
これも最初に書いたように
ペットを病院に連れて行くというのが一般的ではなかった時代なので
病院が非常に少なく
獣医の当たりはずれも今とは段違いだった。
何度連れて行っても、その場しのぎの状態で
しばくたつと再発、という感じだった。


やがてほとんど動かなくなったある日
猫が姿を消した。
家族総出で探すと
今まで行ったことのない、縁の下の奥にうずくまっていた。
引っ張り出して敷布に寝かせ
今までとは別の病院に頼んで往診に来てもらった。
私はその場にいなかったので後から聞いたのだが
獣医が注射をした瞬間、ショック死したとのことだった。
真夏の日、7歳だった。


秋になり
庭のキンモクセイが香りだした。
このキンモクセイの木は、私が生まれる前から植えられていたが
一度も花が咲いたことはなかったので
私自身、キンモクセイの木だとは知らなかった。


猫は生前、キンモクセイの下がお気に入りで
よく寝転んだり遊んだりしていた。
室内飼いの猫が土に触れられる唯一の場所だった。
そのキンモクセイの花が咲き、独特の香りが家じゅうを包んだ。
「キンモクセイが初めて咲いた!」
家族みんなが驚く中
祖母は「猫が咲かせてくれた」と泣きそうな目でキンモクセイを見つめていた。
この時ばかりは、全員が祖母のいうことに頷いた。


もう数十年が過ぎ
元号も変わり
ペットを取り巻く環境も変わっていったけど
子猫と別れる時に頬ずりしていたおじさん
みんなから反対されても去勢と室内飼いを実行した祖母
いつまでも記憶に残っている。


キンモクセイの花が咲くことは、その後二度となかった。
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タグ:  室内飼い

2017/12/4

漫才を題材にしたドラマ「シェイクハンド」  テレビ・ラジオ

映画「火花」が公開されて
観たいな〜とは思うのですが
私の住んでいるところに映画館はなく
一番近いところでも車で1時間。
数年後には地元に巨大なイオンモールができる予定です。
イオンシネマよ はよ来い来い


auの浦ちゃんと鬼ちゃんが主演ということで
この2人は大阪出身だから
まともなアクセントの大阪弁を使ってくれてると期待。

ふと思い出したドラマ。
もう30年前になるのですが
フジテレビ系で放映された
関西テレビ30周年記念製作のドラマ。
売れない漫才コンビを題材にした
「シェイクハンド」。
ギャラクシー賞を受賞した秀作です。
今ではバラエティ番組の方で活躍してる感の渡辺徹と
45歳という若さで亡くなった古尾谷雅人の二人が主演。


もううろ覚えなんですが
思い出す限りであらすじを。


順と光夫は売れない漫才コンビ。
寄席でもまったく受けない。
当然、漫才だけでは食べて行けず
ふたりともバイト生活です。
順はバイト先のバーで客に
「おまえは面白いのに、なんであんな相方と組んでるの。
おまえひとりの方が売れるんちゃう?」
と言われます。


確かに光夫は漫才が下手です。
東京から来た光夫は関西弁が下手だということもありますが
それ以前に
「お笑い」の世界にまったく向いてない感じの人間です。
それでもふたりは仲の良いコンビで
ウケない漫才を続ける日々。


ある日
地方営業に出かけたふたり。
いつものようにウケません。
しかしトリをつとめる師匠は大ウケで会場を沸かせます。
何があかんのやろな〜。
ふたりは先の見えないトンネルの中で立ち尽くします。


営業が終わったあと
ふたりは共に来ていた女性漫才コンビといっしょに海で遊びます。
師匠もやってきました。
しかし師匠は
着衣のまま海の中へ入っていき
姿が見えなくなりました。


入水自殺でした。


その後、大阪へ戻ってから
順は光夫の前から姿を消しました。
しばらくして
一緒に海で遊んだ女性コンビのひとりと結婚して
夫婦漫才をやると順から連絡がありました。
光夫は見切りをつけられたのです。


順は妻と人気漫才コンビとなり
コンクールで新人賞も獲得します。
光夫がテレビをつけると
お客にバカウケしているふたりの漫才が映ります。
光夫は生活費にも事欠き
売血までします。
「にいちゃん、こんなとこもう来たらあかんで」
光夫に注射しながら売血屋が言います。
光夫の頭には、めっきり白髪が増えました。


「光夫にいさんのこと考えてるの?(あの人と組んだら)売れへんで」。
ふと光夫のことを思いだしていた順に
妻が目ざとく言い放ちました。
それでも光夫が気になって
光夫のアパートへ行く順。
しかしそこには
順が新人賞をとった新聞記事の切り抜きが置いてあるだけで
他には何もありませんでした。


順は新大阪駅へ走り
東京行の新幹線に乗ろうとした光夫をひきとめて
ホームのベンチに座らせました。
ふたりがベンチに座り会話をしますが
その会話の内容は聞こえません。


ふたりの前を何度も列車が通ります。
列車が通り過ぎるたびに
ふたりの距離が近くなります。


列車が通りすぎます。
ふたりが握手しています。


列車が通りすぎます。
ふたりが缶ビールで乾杯しています。


列車が通りすぎます。
ふたりは缶ビールを飲みながら空を見上げています。


そして
最後の列車が通りすぎます。
ベンチには順ひとりが座っています。


新幹線の運行がすべて終了したアナウンスが流れる中
順はいつまでもベンチに座っています。


......と
こういう話だったと記憶しています。
細部は違ってるかもしれません。


この最後の列車の演出が
なんとも素晴らしく
観ている側はふたりの会話がまったく聞こえないのですが
列車が通りすぎるたびに見える表情と仕草で
言葉がなくても会話がわかるような
なんとも粋なラストシーンでした。


このころ
ベテラン漫才トリオ「フラワーショウ」のリーダーが
入水?だったか自殺されたこともありました。
メンバーのひとりはその後
「勉強しまっせ引っ越しのサカイ〜」とメガネにチョビ髭の男性が歌う横で
「ほんま〜かいなそうかいな」と合いの手をいれるCMに出てたので
ご存じの方も多いでしょう。


渡辺徹と古尾谷雅人主演の素敵なドラマの話でした。
覚えてる方いらっしゃるかな。

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タグ: 漫才 ドラマ

2017/5/21

企業メールだけど、素敵だった話  パソコン

古いPCを処分することになり
必要なデータがあるかどうかチェックしていました。
おととし新しいPCに買い替え
古いほうは夫がサブとして使用してたのですが
いよいよ寿命がきたようで
サブPCも新たに購入した次第。
さよならVistaよ。


買い替えた時にデータを移動させてはいましたが
漏れがあってはいけないので念のため。
そうだ、メールをそのままにしてあった〜と
思い切り動きが遅くなったPCでメールチェック。
懐かしいメールを読んでいると
某ポイントサイトからのメールを見つけました。


ほら、誕生日になると
登録サイトからおめでとうメールが届きますよね。
まあ、自動的に送られてくるテンプレ文面のメールばかりですけど
あるポイントサイトからのおめでとうメールがとても印象的で
削除せずに残してあったのです。


一般的なテンプレメールではなく
「おめでとう」の気持ちが伝わってくる内容でした。
4年前のメールです。
記名入りでした。
この方が今もこの会社にいらっしゃるのかどうかはわかりませんが
こういう人材を採用している企業は
風通しの良い会社じゃないかな、と
感じさせてくれました。


いまさらですが「ありがとう。考えさせられました」と
お礼を言いたい気分です。


↓ 以下、メールの文章です。



こんにちは。××××××事務局の〇〇〇〇〇です。


お誕生日おめでとうございます。
新しい年齢を迎えた、今日のご気分はいかですか? 
ご縁あって ××××××からお祝いのメッセージをお届けできることを
スタッフ一同とても嬉しく思っています。


年に一度のあなたの日ですね。
まわりのお友達やご家族からお祝いの言葉をもらってウキウキしている方も
パーティや旅行を計画されている方もいらっしゃることでしょう。
でももしかしたら「もう誕生日なんていいよ〜」って、思っていらっしゃる方も?
照れくさいし、もしかしたらちょっとだけ憂鬱な時もあるし?
人それぞれ、いろんな思いを抱えて、今日の日を迎えられたことでしょう。


楽しいことや悲しいこと
辛いことがいくつも待ち受けている人生という名の長い道のり。
今日はそんな「道」について、ちょっと考えてみませんか。


「道在爾、而求諸遠 (道は近きに在り、しかるにこれを遠くに求む)」
という言葉があるそうです。昔の中国の儒学者、孟子の言葉です。
え? よくそんな難しい言葉を知っているなって?
いつのことだったか、初詣に行ったお寺で教えて頂きました。


人生の壁につきあたった時、あるいは生活にマンネリや行き詰まりを感じた時
人はこう思い悩みます。
『あの時、別の選択をしていたら、私は今ごろもっと幸せになれたのではないか?』
『○○さんは私と違って成功しているし、幸せそう。私の人生は間違っているのかな? 
それとも私が駄目なのかな..』


でも、それは違うのです。
あなたが歩いている人生の道はあなたの個性で伸びていく道。
今まで歩んできた証しの道。
隣の道は他人の個性でできている道で、あなたの道ではありません。
だから、あなたのこれからの生き方のヒントは、遠くに見える他人の道ではなく
案外あなたの足下にあるものなのですよ。


孟子はそう説いています。
リセットするとか、新規一転やり直すとか
つい何もかもゼロに戻してしまいたくなる時がありますが
ここまで歩いてきた自分を信じて、もう少し歩き続けてみましょう
見落としていたものがあるかもしれませんよ
ということかもしれませんね。


今日、あなたはおいくつになりましたか?
1つ年齢を重ねた明日からの一年、どんな出来事があなたを待っているのでしょうね?
これからまた歩いていく人生の道が彩りに満ちたものでありますことを
心からお祈り申し上げます。
たくさんの「愛」に包まれて、今日が幸せな1日になりますように!


@@@、
  @@@@
  ~@@@| ∧_∧
  ξ\love|(^(00)^) あらためて、お誕生日おめでとうございます!
  \ | \ ▲ω  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   \| UU
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2017/2/27

野良猫てっちゃん  家族

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野良猫てっちゃん。
去年の秋に生まれた子猫。


親猫は人を見ると逃げるけど
てっちゃんは仕事場にトコトコ入ってきて
ストーブの前で寝転ぶ子だった。


撫でてやるとゴロゴロのどを鳴らした。
柔軟剤みたいないい匂いがした。
毎日やってきて
親猫が呼ぶと帰って行った。


10日前から突然来なくなった。
親猫は毎日見かけるけど
てっちゃんはいない。
野良猫の宿命とは言え
悲しい。


きっと誰かに飼われたんだ、と思うことにした。


いつでも待ってるからね、てっちゃん。



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2017/1/24

USJ土産のカエルチョコをリフォームしてみたのさ  家族

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息子が去年くれたUSJのお土産は
ハリーポッターのバカでかいカエルチョコ。
トンカチで粉砕しないと食べられない。
160gもあるし。
どうやって食べるじゃ〜と思ってるうちに賞味期限切れ(早くね?)。


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たまたまスーパーで見切り品の生クリームを買ったので
「I have a チョコ🎵 I have a 生クリーム🎵 ooh 生チョコ🎵」
などとビミョーに古いネタをかましながら
生チョコにリフォームしてみました。


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でかいのでチョコを刻むのに20分もかかってしまいました。
見た目はいまいちですが、味は激ウマでございます ( ̄∇ ̄*)
澤雅子さんのレシピ
「クラウドロール」にしようかなとも思ったのですが
メレンゲ作りがめんどくさいので今回はパス。
でもクラウドロールっておいしいんですよ!



このカエルチョコって1200円もするのね(汗)。
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2016/9/2

阪急ファイブの思い出(HEPじゃないよ)  大阪


大阪の梅田に、70年代から80年代にかけて存在していた
ファッションビル「阪急ファイブ」。


今は「HEP FIVE」という大きなビルに建て替えられて
屋上には観覧車もあります。
HEPができたのは私が大阪を離れてからなので
行ったことはないのですが。


もう覚えている人も少なくなってきたであろう阪急ファイブ。
オープン当時、私は小学生で
テレビCMが頻繁に流れていたのを記憶しています。
締めのフレーズは「はんっきゅう ふぁ〜いぶ♪」でした。


私はミナミの文化圏に住んでいたのて
キタにある阪急ファイブに行き始めたのは中学生になってから。
ミナミはのちに「なんばCITY」という巨大ショッピングモールが登場して
ミナミを若者商圏の中心にする立役者となりましたが
それまでは、「キタ>ミナミ」って感じでした。
キタはおしゃれ・洗練されていて、ミナミは泥臭い・もっちゃりしてるってイメージ。
なんせ、なんばCITYがオープンした時のキャッチコピーが
「CITYは南へ移る」でしたからねえ(笑)。


と、当時の文化事情をふまえた上での話。
初めて行った阪急ファイブは、そりゃもうおしゃれなショッピングビルでした。
確か5階建てだったから「ファイブ」という名前だったのかな。
あの頃、あんなおしゃれなビルはなかったですね。
さすが阪急グループ。


何階だったか覚えてないんですけど
時間によって天井の色が変わるフロアがありました。
時報の代わりだったのかな。
鐘の音とともにサアーッと色が変わるの。
きれいでしたねえ。


駸々堂書店という大きい本屋さんが入っていて
ここは結構マニアックな品揃えだったんですよ。
マンガの種類が豊富なことでも有名でした。
今はファッションビルに本屋さんが入ってもすぐ撤退してしまう傾向ですが
ここはよく利用しました。


大月楽器店というレコード屋さんもあって
年末にレコード買うとビートルズのカレンダーがもらえました。
ここでエアロスミスのペンダントももらいましたね。
まさかエアロスミスが時代を超えたビッグバンドになるとは予想だにしなかったです。


そして原宿発祥のレディスブランド「CABIN」。
この頃、CABINのキャラクター「アンディ」がプリントされたTシャツが全国で大流行。
大阪ではCABINの店は阪急ファイブにしかなく
全大阪女子(笑)が集結してました。
私も買いましたねえ。
アンディのシャツ着てるだけで「かわいーっ!」と賞賛された時代でした。


そして80年代になった瞬間
降って湧いたようなDCブランドブーム。
ブーム以前から阪急ファイブの地下2階はDCブランドのフロアでしたが
それまで一部のオサレ人間しか行かなかったフロアが
連日大盛況となりました。
私が覚えているだけで
コム・デ・ギャルソン
BIGI
ニコル
Y's
ピンクハウス
メルローズ
イッセイミヤケ
...........
まだあったと思います。


上の方の階に
「オレンジルーム」という小ホールがあって
劇団や落語などのイベントに使用されてました。
「オレンジルーム寄席」というラジオ番組もありましたよ。


時は流れ
大人になってからのある日
阪急ファイブへ行ったら
なにやら様子がおかしい。
いつもファイブへは地下街から入ってたんですが
中の通路の両壁が
まるで工事現場のように白い布で覆われていました。


壁には貼り紙がしてあり
「ファイブから立ち退きを要求されているが
拒否している店舗だけで営業しています」
との内容が書かれていました。


目当ての店も撤退していたので
そのまま出てきましたが
ショックでしたねえ。
そうなんやー。ファイブなくなるんかー。


初めて来た日のことから
鐘の音とともに色の変わる天井
駸々堂でアメリカの洋楽雑誌を買ったこと
大月楽器でカレンダーもらったこと
ベンチでたまたま隣に座っていた3歳ぐらいの子と遊んだこと
ニコルでド派手なワンピース勧められたこと


いろんな思い出が駆けめぐり
それからファイブに行くことは永遠にありませんでした。


ファイブを出てすぐのところにあった
「キューピット」というロック喫茶。
店頭にテレビモニターが備えてあり
海外ロックミュージシャンのPVを流していました。
いつも入りたいと思いつつ
勇気がなくて結局入らずじまい。
入ってみたかったなあ。
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2016/4/10

70年代の中学英語「ニュープリンス」〜ベンとルーシー  

中学英語の教科書に登場する「エレン先生」がかわいいと話題になっていたので
ふと自分の中学時代の教科書を思い出しました。



70年代の英語の教科書は
「ニュークラウン」「ニューホライズン」「ニュープリンス」の3種類あり
学校によって(地域によって?だったかも)使用する教科書が違っていました。
私の学校は「ニュープリンス」。
なぜ3種類あるのを知ってたかっつーと
当時、購読していた旺文社の学習月刊誌「中1時代」の学習ガイドページが
この3種類別になっていたからです。
それで「クラウンとかホライズンとかあるんだ〜」と知ったわけですの。



どの教科書も、決まった登場人物がありまして
ニュープリンスの主人公は「ベン」と「ルーシー」。
Ben March と Lucy West でした。
ベンには、university student の兄トムと、college student の姉アリス
ルーシーには幼い妹メイがいました。
担任はミス・グリーン。
友達はディックとナオミ。



ナオミ。
彼女は1年生の教科書には出てこなかったのですが
この日本名を見た瞬間
「きっと着物でアナクロな登場の仕方するんだろうな」
と直感したものでした。
その直感が間違いないことがわかったのは2年生の時。
感嘆文の「What a 〜」「How 〜」の項目でした。
出たよナオミ。着物であざとく登場。
ベンやルーシーに
「What a beautiful kimono!」だの「How nice!」だの褒められて
ふふん、ってな表情。いや〜あざとさ100%。



この時に覚えたのが
「ナオミ」「キモノ」は
真ん中にアクセントを置いて発音することでした。
日本語だと平坦に発音するところを
」「」となるんですね。文字で伝わりますでしょうか。



この登場人物たちの舞台はマディソン。
マディソン。
マディソン。
マディソン。



マジソンバッグ作ってるとこか!
と、当時の私は連想してました。
マジソンバッグって若い方は知らないでしょう。
検索したら出てくるでしょうけど
70年代、男子中高生の御用達スポーツバッグでした。
感覚的には、そうですねえ。
今の高校生がナイキやアディダス等のエナメルのスポーツバッグ持ってる感じ?
もちろん形は全く違いますが
そういう感じで大流行してたんですよ。
マディソンっていうと、当時の私にはそのイメージしかなかったです。
「マディソン郡の橋」なんてずっとずっとずーっと後ですしね。



ベンとルーシーが中心になって教科書が進むんですが
まったく別の話が掲載されたりもしてました。
2年生か3年生の時だったか忘れましたが
小泉八雲の怪談「Mujina」。
「むじな」ね。
この「むじな」の意味がわからなくて。
話の内容は「教科書ガイド」のおかげで(笑)、わかったんですが
タイトル「むじな」がわからない。
教科書ガイドにも説明がない。
当時は当たり前ですがインターネットもない。
教師に「むじなって何ですか?」と聞いたような記憶がうっすらありますが
覚えてないってことは
おそらく疑問解決してくれるような回答ではなかったのかと。



今は小学校から英語の授業があるし
ネイティブの先生が教えてくれるし
幼児の英語教室もたくさんあるし
帰国子女や外国人居住者の数も当時とは比べものにならないし
私たち世代とは英語に対する感覚も天地ほどの差があるんでしょう。



中1の英語の教科書で
最初のページに出てくるリンゴの絵と「apple」の文字。
ほとんどの生徒は、ここから「英語の勉強」が始まったのでした。


そういえばちょうどその頃
芸人の横山プリンがラジオで話してました。
テレビで共演している子どもタレントが中学生になり
英語を習いだして楽しいらしく
「この単語知ってる?」
といろいろ聞いてくるんだよ、英語って最初は楽しいんだよね、だけど
「Which do you like better, an apple or an orange?」
のとこででたいてい挫折するんや。
...と言うのを聞いて「ほお。なるほど」と納得した覚えがあります。



ベンとルーシーに話しを戻しましょう。
ベンの名字はMarch なので
3月の話題がでてきた時はややこしかったですね。
ついでにルーシーの妹の名前がMay だったので
5月の話があるとややこしかったです。
もちっと違う名前にしてくれたらエエのに...と思いました。



友達と勉強する時に
ルーシーの名字はWest だったので「西ルーシーさん」
担任はミス・グリーンだったので「みどり先生」と
言い合ってました。
「ナオミあざといわー」
「ベンってルーシーとナオミのどっちが好きなんやろ」
と言ってた友はいまいずこ。



中学、楽しかったなあ。
中学時代は黒歴史で思い出すのもイヤ、って方が多いと思いますが
私は戻れるとしたら
小学校でも高校でも大学でもなく
中学なんですよ。
中2病、オーライ。ドンマイ。
あの頃に戻れたら
本たくさん読んで映画みまくってロック聴きまくって
たまに勉強して(笑)日々過ごしたいですね。


最後、ニュープリンス関係なかったですね。失礼。
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2016/3/11

35年前の立命館大学周辺マップ発掘  大学時代


立命館大学衣笠キャンパス近くのレストラン「ハウスヨーク」が閉店したことを知り
81年卒の夫に伝えたら非常に悲しんでおりました。
で、なにやら探し出して見せてくれたのが
ゼミの卒業文集だそうで
その中に、キャンパス周辺のお店マップが載っていました。
当時、夫が描いたとのことです。
今は無き懐かしのお店。
35年前からいまだご健在のお店もいくつかあります。
当時、衣笠キャンパスで学んだ方々へ、ノスタルジア進呈。


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タグ: 立命館 京都 衣笠

2015/7/17

波乱の芥川賞だった「限りなく透明に近いブルー」  


昨日はお笑い芸人の又吉さんが芥川賞を受賞されたニュースで持ちきりでした。
私は未読なんですけど、電子図書で発売された時
冒頭部分だけ無料で読めるサービスがあったので読みました。
面白かったですよ。
文章が読みやすいし、情景も容易に浮かんでくるので
続きが読みたくなる作品でした。


又吉さんの選考はすんなり決まったらしいですが
芸人の受賞は初ということで
久々に大きなニュースになりました。
芥川賞がこれだけ騒がれたのは
「限りなく透明に近いブルー」以来かなと
ふと思い出しました。


今回の芥川賞の選考委員でもある村上龍氏が
第75回芥川賞を受賞した作品「限りなく透明に近いブルー」。
この作品は選考会でも大モメだったと報道され
発刊後も読者から賛否両論の感想が聞かれた超話題作でした。


あの頃私は高校生で、ロックファンの定番雑誌「ミュージックライフ」の読者でした。
ミュージックライフの編集後記に、当時の編集長・水上はるこ氏が
「書店で『あのー、限りなく』と言った瞬間、『あー、完売して入荷待ちです』と言われる」
との文を載せていました。
どれだけ話題作だったか想像できるでしょうか。


そんな状況でしたので
私が「限りなく透明に近いブルー」を購入したのも
発売後数ヶ月たってからでした。
当時の表紙は、主人公の恋人・リリーのモデルとなった女性の横顔だったと記憶しています。
カバーの袖部分には、美大生だった村上氏の写真。
今では日本文学界の重鎮となった村上氏の若き姿に
現代の若い方は驚くかもしれません。


私より一足先に読んでいた友人曰く
「あれが芥川賞だなんておかしい!あんな文章、私でも書けるわ!」。
へー、そんな小説なん?と、読む前から少しテンション下がった私でしたが
とりあえず話題作は読んどこう、と読み始めました。


完読してみて思いました。
「いや、この文章は書けないっしょ」。


目からウロコと言うか、ほわわんとした衝撃と言うか
とにかくそれまで読んだことのなかった文体でした。
話の内容より、文体の方が鮮明に記憶に残っています。


まず、話し言葉に「」がない。
これ衝撃でした。
話し言葉には「」をつけるものだという固定観念がありましたから。
小学校の国語の時間に習いました。
練習問題で「次の文章の中で『かぎかっこ』を使う部分を抜き出しなさい」なんてのもやりました。
そうやって、会話は必ず「」を使うものだと思いこんでいました。


しかしこの作品は、会話に「」がないのです。
全部の会話に「」がないわけじゃないですよ。
ちゃんと「」を使っている会話文もあります。
でも、「」を使わずに会話文を書いてることで
逆に会話を浮き出させる効果を生んでいます。
目の前でリアルに会話を聞いているような効果です。
こんな文体の小説はそれまで存在してなかったと思います。
単に私が知らないだけかもしれませんが。


そして流れるような文章。
登場人物たちの常軌を逸した行動を
主人公がまるでガラス越しに観察しているかのように淡々と語ります。
従来の小説なら、主人公は他者の行動に自分の意志や感情を表していましたが
この「僕」は、そんな感情を露わにすることがありません。
せいぜい「気持ち悪くなって吐いた」ぐらいのことです。


それでいて描写は細かく
冒頭での「パイナップルが腐っている」くだりなどは
腐敗臭が漂ってきそうなほど(笑)リアルでした。


リアルと言えば
ハウスの仲間たちが
ローリングストーンズの「Time Is On My Side」を
大音量で流している場面。
もう、想像できすぎてしまうほどリアルに脳内再生され
読みながら「♪ターァイム イゾンマイサァァァイド」と歌いそうになるぐらいでした。
この頃は
「ローリングストーンズは永遠に日本に来ない」
と信じられていた時代でしたのよ。
だから
長谷川和彦監督の映画「太陽を盗んだ男」でも
政府への脅迫が「ストーンズを日本に呼べ」だったんですよね。
あの映画で使われたストーンズ来日公演のポスターがほしかった!ほしかったのよ!


1973年にストーンズの初来日が中止となったのも
メンバーのドラッグ歴が原因だったんですが
あの不健康なミック・ジャガーが
40年後には「健康じいさん」として現役ロッカーになるなんて
当時誰が想像できたでしょうか。


ああ、ストーンズじゃなくて「限りなく透明に近いブルー」の話に戻します。
ロックコンサートの警備員をリンチする描写もエグかったですね。
ミッキーマウスのシャツに黄色い液体がポタポタとかね。


この作品が出た次の年だったか
数学の授業で「これを『限りなくaに近づく』と言います」ってのを習った時
教室中が「ほぉーーーっ」と言う声で埋めつくされました。
数列だったかな。数U?数V?
そこで初めて「数学用語だったのか」と知りました。


賛否両論の議論を呼んだ「限りなく透明に近いブルー」。
第2作は「海の向こうで戦争が始まる」。
これは高校で同じクラスだった友達が「めちゃ感動した!」と興奮していて
第3作の「コインロッカーベイビーズ」は
大学の後輩が「これすごいわ〜」と大絶賛していて
村上龍氏は一発屋ではないことが証明されたわけですが


私は読んでないんです。
リアルタイムで読んでおくべきだったと絶賛後悔中。


「限りなく透明に近いブルー」も
今は手元にありません。
結婚するとき、親戚に
「あんたは自営業に嫁に行くんだから、のんびり本なんて読んでるヒマないよ!本なんてジャマになるよ!」
などと言いくるめられて
「パタリロ」以外のほとんどの本を天牛書店に売ってしまったからです。
あ、人のせいにしちゃいけませんね。


なぜか嫁入り道具に持ってきた「パタリロ」は
その後、息子達のお気に入りとなって重宝しました。


ちなみに、私が一番好きな芥川賞作品は
安部公房の「壁」です。
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2015/4/20

雨宿り  つぶやき



雨が続く春の日

雨宿りしている野良猫を発見


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子猫が産まれるこの時期

この猫も何匹か子猫を産んだけれど

生きられた子はいなかったらしい

本来なら子供を肌身離さず抱いて世話をしている時期なのに

いつまでも いつまでも

こうやって雨宿りしている

母になれなかった猫

雨音を聞きながら 何を思うのか
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タグ:  野良猫 



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