2012/5/21
オープンカレッジin立命館 大学時代
次男の通う立命館大学から
保護者オンリーのオープンカレッジの案内が届きました。
長男の大学もこういうのあったのかな?覚えてないや(笑)。
なんせ、いい歳した子供のことでいちいち親が学校に行くことないし、と
この手の案内はいつもスルーしてたんですが (遠いしね)
今回は、次男の大学が私の母校ということもあり
久しぶりに母校訪問を兼ねて出かけることにしました。
出席は予約制で
いくつかの講演会・説明会の中から
2つを選択することができます。
私が選択したのは、「進路・就職講演会」と「スキルアップ説明会」。
「進路・就職講演会」は2−3回生の保護者向けなのですが
長男の就活でその苦労をひしひしと感じた私は
「1回生から知識を入れとかないと」と思ったわけです。
講師は、「日経ウーマン」の編集長でいらっしゃる、麓幸子さんでした。
この方の講演がとても良かった!
新幹線を使って来た甲斐があったと強く思いました。
麓さんは、日経ウーマンの採用者ではありますが
同時に、ご本人自身が就活生の母親だったという立場から
企業と学生、両方の見方を説明してくださいました。
講演後、麓さんの著書が販売されているかと探したのですが
どうも販売されていないようでしたので、帰宅してからアマゾンで購入しました。
この内容については、次のブログで紹介させて頂きたいと思います。
午後1時にオープンカレッジが終了し
久しぶりのキャンパスを散策。
なんと、構内に「サブウェイ」があるんですよ。
まあ、今はマクドナルドなどファーストフードの店が入っている大学が多いですが
「あの立命にサブウェイがねえ…」とびっくり。
私たちの時代は、立命=ダサいの代名詞でしたから。
なつかしい学舎「学而館」を撮影。

今は、「大学院施設・ボランティアセンター・障害学生支援室」となっていますが
昔は私の所属学部だった建物です。
かつては、入り口の階段を上がって中に入ると
すぐ左側に「学生談話室」がありました。
誰でも利用できる休憩所です。
私の所属していたサークルは、大学公認団体ではなかったので
BOX(部室)がありませんでした。
なので少人数でミーティングする時は
この談話室をしょっちゅう利用してました。
当時はいつも学生でいっぱいで
他の学部の談話室よりも明るく華やかでした。
今は何の部屋になってるんでしょうか。
なつかしいなあ。
学而館を通り過ぎて
昔は理工学部の建物があったエリアの方へ歩いて行くと
かっこいい建物発見。
「何学部?」と思いながら撮影。

あとから次男に聞くと
国際関係学部の建物だそうです。
知らないはずだわ。
新しい学部ですもんね。
写真の右側に写っているのは
諒友館という建物で
1階部分は食堂なんですよ。
手前のテーブルのあるところは
オープンカフェのようになっています。

こんな感じです。
なんだか普通の大学になったって感じです(笑)。
なんせ昔はダサ…(もういいってか)。

すぐ下へ降りたところにも
テーブル席があるんですよ。
もうね、昔の立命とはまったく違う大学ですわ。

1階の食堂です。
ガラス張りで明るい雰囲気です。

料理の見本が並んでいます。
メニューが減ったような感じがするのは気のせいかな。
そして時代を象徴しているのがこれ。
キャンパス内にいくつか設置されている
「喫煙シェルター」。
キャンパス内は禁煙なので
喫煙する場合は、この中でのみOKです。
ただし、来年の4月からは全面禁煙となるので
このシェルターも撤去されるらしいです。

東門から外へ出てまっすぐ西大路通りまで歩くと
おしゃれでおいしそうなパン屋さん発見。
立命の近くにこんなお店もできてるんですね。

次男の下宿に向かうため、北野白梅町まで歩きました。
下宿は白梅町から京福電鉄、通称「嵐電(らんでん)」に乗っていきます。
そして白梅町は、私が大学時代に住んでいた街でもあります。

ここが北野白梅町。
って、おい、変わりすぎやろ!
イズミヤなんてなかったわ!
何この都会っぷり。
隣の嵐電の駅舎がかわいく見えてしまいます。
変わりついでに
かつての立命大生の御用達炉端居酒屋
「串八」さんでございます。
大きくなったでしょう。
私はここの「アイスクリームの天ぷら」が
たいそうお気に入りでした。
今はもうないでしょうね。
いつかまた訪れてみたいお店です。

約30年ぶりに乗る嵐電。
白梅町の駅、全然変わってなくて逆に驚きました。

修学旅行生の団体がやってきて
「『なんとか子の辻』って駅に行く電車に乗るんだよ」と
会話していました。
なんとか子…読めないよねえ、嵐電の駅名は。
正解は「かたびらのつじ」です。

やがて次男の下宿の最寄り駅に着いて下車。
昔と変わらず無人駅です。
さて、この駅はどこでしょう。
この駅界隈に住んでた立命大生は多かったです。
でもその人たちにも、もうわからないかもしれませんね。
本日のオープンカレッジ参加者に配布された
キャンバス地のエコバッグです。

大学のロゴマーク入り。
構内では様々な立命館グッズも売られていました。
買わなかったけど(笑)。
やっぱり私の通っていた大学とは
まったく別の大学のようです。
なんといっても
「就職に強い大学」になったことが
一番の変貌ではないでしょうか。
0
保護者オンリーのオープンカレッジの案内が届きました。
長男の大学もこういうのあったのかな?覚えてないや(笑)。
なんせ、いい歳した子供のことでいちいち親が学校に行くことないし、と
この手の案内はいつもスルーしてたんですが (遠いしね)
今回は、次男の大学が私の母校ということもあり
久しぶりに母校訪問を兼ねて出かけることにしました。
出席は予約制で
いくつかの講演会・説明会の中から
2つを選択することができます。
私が選択したのは、「進路・就職講演会」と「スキルアップ説明会」。
「進路・就職講演会」は2−3回生の保護者向けなのですが
長男の就活でその苦労をひしひしと感じた私は
「1回生から知識を入れとかないと」と思ったわけです。
講師は、「日経ウーマン」の編集長でいらっしゃる、麓幸子さんでした。
この方の講演がとても良かった!
新幹線を使って来た甲斐があったと強く思いました。
麓さんは、日経ウーマンの採用者ではありますが
同時に、ご本人自身が就活生の母親だったという立場から
企業と学生、両方の見方を説明してくださいました。
講演後、麓さんの著書が販売されているかと探したのですが
どうも販売されていないようでしたので、帰宅してからアマゾンで購入しました。
この内容については、次のブログで紹介させて頂きたいと思います。
午後1時にオープンカレッジが終了し
久しぶりのキャンパスを散策。
なんと、構内に「サブウェイ」があるんですよ。
まあ、今はマクドナルドなどファーストフードの店が入っている大学が多いですが
「あの立命にサブウェイがねえ…」とびっくり。
私たちの時代は、立命=ダサいの代名詞でしたから。
なつかしい学舎「学而館」を撮影。

今は、「大学院施設・ボランティアセンター・障害学生支援室」となっていますが
昔は私の所属学部だった建物です。
かつては、入り口の階段を上がって中に入ると
すぐ左側に「学生談話室」がありました。
誰でも利用できる休憩所です。
私の所属していたサークルは、大学公認団体ではなかったので
BOX(部室)がありませんでした。
なので少人数でミーティングする時は
この談話室をしょっちゅう利用してました。
当時はいつも学生でいっぱいで
他の学部の談話室よりも明るく華やかでした。
今は何の部屋になってるんでしょうか。
なつかしいなあ。
学而館を通り過ぎて
昔は理工学部の建物があったエリアの方へ歩いて行くと
かっこいい建物発見。
「何学部?」と思いながら撮影。

あとから次男に聞くと
国際関係学部の建物だそうです。
知らないはずだわ。
新しい学部ですもんね。
写真の右側に写っているのは
諒友館という建物で
1階部分は食堂なんですよ。
手前のテーブルのあるところは
オープンカフェのようになっています。

こんな感じです。
なんだか普通の大学になったって感じです(笑)。
なんせ昔はダサ…(もういいってか)。

すぐ下へ降りたところにも
テーブル席があるんですよ。
もうね、昔の立命とはまったく違う大学ですわ。

1階の食堂です。
ガラス張りで明るい雰囲気です。

料理の見本が並んでいます。
メニューが減ったような感じがするのは気のせいかな。
そして時代を象徴しているのがこれ。
キャンパス内にいくつか設置されている
「喫煙シェルター」。
キャンパス内は禁煙なので
喫煙する場合は、この中でのみOKです。
ただし、来年の4月からは全面禁煙となるので
このシェルターも撤去されるらしいです。

東門から外へ出てまっすぐ西大路通りまで歩くと
おしゃれでおいしそうなパン屋さん発見。
立命の近くにこんなお店もできてるんですね。

次男の下宿に向かうため、北野白梅町まで歩きました。
下宿は白梅町から京福電鉄、通称「嵐電(らんでん)」に乗っていきます。
そして白梅町は、私が大学時代に住んでいた街でもあります。

ここが北野白梅町。
って、おい、変わりすぎやろ!
イズミヤなんてなかったわ!
何この都会っぷり。
隣の嵐電の駅舎がかわいく見えてしまいます。
変わりついでに
かつての立命大生の御用達炉端居酒屋
「串八」さんでございます。
大きくなったでしょう。
私はここの「アイスクリームの天ぷら」が
たいそうお気に入りでした。
今はもうないでしょうね。
いつかまた訪れてみたいお店です。

約30年ぶりに乗る嵐電。
白梅町の駅、全然変わってなくて逆に驚きました。

修学旅行生の団体がやってきて
「『なんとか子の辻』って駅に行く電車に乗るんだよ」と
会話していました。
なんとか子…読めないよねえ、嵐電の駅名は。
正解は「かたびらのつじ」です。

やがて次男の下宿の最寄り駅に着いて下車。
昔と変わらず無人駅です。
さて、この駅はどこでしょう。
この駅界隈に住んでた立命大生は多かったです。
でもその人たちにも、もうわからないかもしれませんね。
本日のオープンカレッジ参加者に配布された
キャンバス地のエコバッグです。

大学のロゴマーク入り。
構内では様々な立命館グッズも売られていました。
買わなかったけど(笑)。
やっぱり私の通っていた大学とは
まったく別の大学のようです。
なんといっても
「就職に強い大学」になったことが
一番の変貌ではないでしょうか。
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2012/2/9
雪の降る日はPちゃんを 家族

冬の夜、うちの倉庫で野良の親猫に置いてきぼりにされた子猫Pちゃん。
寒くて、こわくて、お腹がすいて、3日間鳴き続けていました。
近づくと逃げて倉庫の隅を走り回るので、顔がまっくろ。その時の写真です。
家では飼えないけど、あまりにかわいそうだったので
倉庫の隅にトイレとベッドを置いてやりました。
ごはんを食べるとき以外は隠れてたPちゃんですが
2週間ほどでひざに乗ってくるようになり
それからは人なつっこくなって誰からも可愛がられていました。
外へ出ないように気をつけてたつもりが、私のあとを追ってきて車に撥ねられました。
もう1年になります。
雪が大好きだったPちゃん。
いまでも雪が降るたびに、はしゃぎまわっていたPちゃんの姿を思い出します。
享年3ヶ月でした。
「子猫Pちゃんの最期〜ごめんねPちゃん」
http://star.ap.teacup.com/applet/ladystardust/201101/archive
1
2011/12/24
あったかい毛布 家族
毛布って、もう20年ほど買ったことがなくて
1年のうち、短期間だけ使うものだから
傷むこともないし
あまり買い替えるってことないですよね。
今回、新しい毛布を買いました。
実は、今年の春に
家族分の毛布をクリーニングのチェーン店に出したんですが
なんと、まさかの「事故」。
私の毛布が、熱処理の段階で失敗して
使い物にならなくなってしまったと
店から連絡がありました。
弁償するので価格を教えてもらえますか、と聞かれたのですが
いやー、もう古すぎて覚えてないっす、と答えるしかなく(笑)。
で
今年の冬は毛布なしで過ごしてきましたが
最近になって、冬らしく冷え込んできたので
「そろそろ毛布買うかな〜」と思い始めた時です。
私は数種類のクーポンサイトに登録していまして
毎日それぞれのサイトからクーポン情報が送信されてきます。
先日、あるクーポンサイト(クマちゃんがマスコットキャラクターのとこ)からのメールに
「61%OFF 2480円 送料込☆暖房なしでもぬくぬく☆大人気!ヒートウォーム発熱あったか2合わせ毛布」
というクーポンがありました。
えー、安いやん。
その時、12月生まれの私は
そのサイトが発行している「お誕生月限定500円割引クーポン」というのも利用できたので
2480円−500円=1980円
おっ、ラッキーラッキー
そう思いながら毛布の詳細を読んでみました。
「体からの水分を吸収して熱に変えてくれる」
ここ数年流行している肌着と同じ構造なんですね。
ヒート○○○、という名前で売られてる商品。
メーカーによって、○○○のところがビミョーに違う、アレです。
「繊維と繊維の間に空気の層をつくることで、熱を外に逃がしません」
ダウンジャケットと同じです。
そして、なんと言っても私の琴線にふれたのは
「洗濯機で丸洗いOK!」
「冬場でもすぐ乾く」
これ!これよ!
今まで使ってきたウールの毛布は
自宅で洗うのがすごくすごく面倒なんです。
クリーニング表示の製品でも洗える洗剤を使わなきゃならないし
洗濯機は使っちゃだめだし
洗うだけでも時間がかかります。
その上、干す時がまた大変。
水をたっぷり吸った毛布の重いこと!
しかも一日では乾かないから
裏返したり、向きを変えたりして2−3日。
おまけに毛布は場所をとるから、1枚づつしか干せない。
これを人数分となると、考えただけでどっと疲れます。
なので面倒な時はクリーニング店にお任せしてますが
毛布、結構高いんですよ。
労をとるかお金をとるか。
毎年悩みのタネだったんですが
洗濯機で洗えてすぐに乾くなら、一気に解消されるじゃないですか。
即決してクーポン購入。早く来い来い発熱毛布。
でね、きのう来たんですよ。発熱毛布。
「薄っ!!」が第一印象。
毛布と言えば、厚くて重いものだという固定観念があった私は
こんなに薄くて暖かいんかいな?と疑いの目を向けましたが
夜、実際に使ってみると
「ぬくっ!めっちゃぬくい!」と感激しました。
もうね、毛布に入った瞬間から暖かいの。
2枚合わせだから、両面どちらも使用できるし、軽い!
うわあ、20年の間に毛布も進化してるんだなあ。
洗濯してもすぐ乾くし
これいいわ。
とまあ、宣伝みたいになってしまいましたが
私、ここの会社から1円も貰ってませんので(笑)。
とりあえず、使ってみてよかったのでおすすめします。
クーポンサイトに感謝。
0
1年のうち、短期間だけ使うものだから
傷むこともないし
あまり買い替えるってことないですよね。
今回、新しい毛布を買いました。
実は、今年の春に
家族分の毛布をクリーニングのチェーン店に出したんですが
なんと、まさかの「事故」。
私の毛布が、熱処理の段階で失敗して
使い物にならなくなってしまったと
店から連絡がありました。
弁償するので価格を教えてもらえますか、と聞かれたのですが
いやー、もう古すぎて覚えてないっす、と答えるしかなく(笑)。
で
今年の冬は毛布なしで過ごしてきましたが
最近になって、冬らしく冷え込んできたので
「そろそろ毛布買うかな〜」と思い始めた時です。
私は数種類のクーポンサイトに登録していまして
毎日それぞれのサイトからクーポン情報が送信されてきます。
先日、あるクーポンサイト(クマちゃんがマスコットキャラクターのとこ)からのメールに
「61%OFF 2480円 送料込☆暖房なしでもぬくぬく☆大人気!ヒートウォーム発熱あったか2合わせ毛布」
というクーポンがありました。
えー、安いやん。
その時、12月生まれの私は
そのサイトが発行している「お誕生月限定500円割引クーポン」というのも利用できたので
2480円−500円=1980円
おっ、ラッキーラッキー
そう思いながら毛布の詳細を読んでみました。
「体からの水分を吸収して熱に変えてくれる」
ここ数年流行している肌着と同じ構造なんですね。
ヒート○○○、という名前で売られてる商品。
メーカーによって、○○○のところがビミョーに違う、アレです。
「繊維と繊維の間に空気の層をつくることで、熱を外に逃がしません」
ダウンジャケットと同じです。
そして、なんと言っても私の琴線にふれたのは
「洗濯機で丸洗いOK!」
「冬場でもすぐ乾く」
これ!これよ!
今まで使ってきたウールの毛布は
自宅で洗うのがすごくすごく面倒なんです。
クリーニング表示の製品でも洗える洗剤を使わなきゃならないし
洗濯機は使っちゃだめだし
洗うだけでも時間がかかります。
その上、干す時がまた大変。
水をたっぷり吸った毛布の重いこと!
しかも一日では乾かないから
裏返したり、向きを変えたりして2−3日。
おまけに毛布は場所をとるから、1枚づつしか干せない。
これを人数分となると、考えただけでどっと疲れます。
なので面倒な時はクリーニング店にお任せしてますが
毛布、結構高いんですよ。
労をとるかお金をとるか。
毎年悩みのタネだったんですが
洗濯機で洗えてすぐに乾くなら、一気に解消されるじゃないですか。
即決してクーポン購入。早く来い来い発熱毛布。
でね、きのう来たんですよ。発熱毛布。
「薄っ!!」が第一印象。
毛布と言えば、厚くて重いものだという固定観念があった私は
こんなに薄くて暖かいんかいな?と疑いの目を向けましたが
夜、実際に使ってみると
「ぬくっ!めっちゃぬくい!」と感激しました。
もうね、毛布に入った瞬間から暖かいの。
2枚合わせだから、両面どちらも使用できるし、軽い!
うわあ、20年の間に毛布も進化してるんだなあ。
洗濯してもすぐ乾くし
これいいわ。
とまあ、宣伝みたいになってしまいましたが
私、ここの会社から1円も貰ってませんので(笑)。
とりあえず、使ってみてよかったのでおすすめします。
クーポンサイトに感謝。

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2011/11/19
さよなら・にゃんこ 家族
きのうの朝
店を開けてすぐに
1本の電話が入りました。
「お酒屋さんですか?」
はい、酒屋ですが…。
電話の主は
隣の県にある
某施設の職員さんでした。
「実はうちの職員がけさ9時前頃
車でそちらの前を通りがかった時に
猫をひっかけたらしいんです」
一瞬、心臓が凍りついたように感じました。
「お宅様の猫でしょうか。大変申し訳ないことをいたしました」
…いえ、うちは猫を飼っておりません…。
すぐ近くの○○というお店が猫を飼ってらっしゃるようなので
そちらの猫だと思います…。
「そうですか。では○○さんの方へ電話いたします。ありがとうございました」
電話を切った私は
「○○シスターズが死んだ…」
といたたまれない気持ちになりました。
私の店のすぐ近くに
「○○」というお店があります。
そのお店の裏手に
野良の子猫が2匹住みついていました。
最初は5匹いたのですが
ここ最近はいつも2匹だけ姿を見せていました。
2匹は見た目がそっくりでした。
キジ白のきょうだい。
「キジ白」というのは、白い部分が多いトラ猫のことです。

こういう毛色の猫を「キジ白」と言います。
ちなみにこの写真の猫は
大昔、私の実家で飼っていた猫です。
2匹はとても目が大きい美形でした。
オスかメスかもわかりませんが
私は勝手に女の子だと決めつけて
お店の名前をもじり
「○○シスターズ」と呼んでいました。
1匹はとても警戒心が強くて
人が近づくと逃げていましたが
もう1匹はとても人懐こく
「チッチッチッ」と呼べば
足もとに走り寄ってきて
体をすりつけ、のどをゴロゴロ鳴らす
本当にかわいい子猫でした。
夜、店を閉めてから
時々、子猫たちを見に行きました。
○○さんのお店の横に座っていることもあれば
別のお店の駐車場の隅で重なって暖をとっていることも。
姿を見つけると、しばらく遊んでもらう私でした。
だんだん寒くなってきて
特に夜は冷え込むようになりました。
毛布や段ボールでも与えてやりたいけれど
勝手によその敷地に置くわけにいかず
うちでは飼うことはできないし…。
さて
ここ数日は
なかなか猫たちに会いに行くこともできませんでした。
シスターズ、元気かなあ。
車にひかれなきゃいいけどなあ。
冒頭の電話がかかってくる前日
車で近くを走っていたら
シスターズがいつもの場所に
たたずんでいました。
かわいい子猫が2匹
ちょこんと置物のように並んでいる姿は
かわいらしくもあり、悲しくもありました。
そして翌日。
まだ店を開ける前
なぜかセンサーチャイムが鳴りました。
お客さんが店に入ってくると鳴るチャイムです。
まだ鍵は閉まっているから誰も入られないのに
なんで鳴ったんだろう?
光線がどうかなったのかな。
そして電話。
「9時前にそちらの前を…」。
まさにその時間でした。
チャイムが鳴ったのは。
不思議な偶然でした。
私は電話を切ってから
○○さんのところへ行って猫のことを聞きました。
猫
お店の前で車にひかれていたそうです。
私、お寺に連れて行きますから
どうか遺体をひきとらせてください。
そう頼むと、○○さんは
悪いね、とおっしゃいながら
猫が入った段ボール箱をくださいました。
家に帰って
段ボールをあけると
変わり果てた姿のシスター。
顔の判別がつきませんでした。
なんでやの。
なんでひかれちゃったの。
にゃんこ。
なんで。
なんで。
手を合わせました。
動物のお寺に連絡してから連れて行き
供養をお願いしました。
帰宅してしばらくすると
電話をくださった職員さんたちが
お詫びに来てくださいました。
いえ、私の飼い猫じゃないですからお詫びなんて…と言ったのですが
「○○さんのところへ行ったら、あなたが可愛がってたからあなたのところへ行ってください、と言われまして」
とおっしゃいました。
遠いところから丁寧にお詫びに来られた職員さん。
猫をひいても知らん顔して行ってしまう人がほとんどなのに
ましてや、野良猫だと聞いてらっしゃったのに
わざわざお越しくださった方。
すばらしい方です。
私はお詫びされるような立場ではないので
恐縮しながらも
「来てくださってありがとうございます」
心の中でつぶやきました。
シスターの生前の写真が1枚だけあります。
でも、カメラを向けると警戒して逃げるかもしれないので
離れたところから望遠
フラッシュも焚けなかったので全然顔がわかりませんが
生きていた証です。

さよなら にゃんこ。
0
店を開けてすぐに
1本の電話が入りました。
「お酒屋さんですか?」
はい、酒屋ですが…。
電話の主は
隣の県にある
某施設の職員さんでした。
「実はうちの職員がけさ9時前頃
車でそちらの前を通りがかった時に
猫をひっかけたらしいんです」
一瞬、心臓が凍りついたように感じました。
「お宅様の猫でしょうか。大変申し訳ないことをいたしました」
…いえ、うちは猫を飼っておりません…。
すぐ近くの○○というお店が猫を飼ってらっしゃるようなので
そちらの猫だと思います…。
「そうですか。では○○さんの方へ電話いたします。ありがとうございました」
電話を切った私は
「○○シスターズが死んだ…」
といたたまれない気持ちになりました。
私の店のすぐ近くに
「○○」というお店があります。
そのお店の裏手に
野良の子猫が2匹住みついていました。
最初は5匹いたのですが
ここ最近はいつも2匹だけ姿を見せていました。
2匹は見た目がそっくりでした。
キジ白のきょうだい。
「キジ白」というのは、白い部分が多いトラ猫のことです。

こういう毛色の猫を「キジ白」と言います。
ちなみにこの写真の猫は
大昔、私の実家で飼っていた猫です。
2匹はとても目が大きい美形でした。
オスかメスかもわかりませんが
私は勝手に女の子だと決めつけて
お店の名前をもじり
「○○シスターズ」と呼んでいました。
1匹はとても警戒心が強くて
人が近づくと逃げていましたが
もう1匹はとても人懐こく
「チッチッチッ」と呼べば
足もとに走り寄ってきて
体をすりつけ、のどをゴロゴロ鳴らす
本当にかわいい子猫でした。
夜、店を閉めてから
時々、子猫たちを見に行きました。
○○さんのお店の横に座っていることもあれば
別のお店の駐車場の隅で重なって暖をとっていることも。
姿を見つけると、しばらく遊んでもらう私でした。
だんだん寒くなってきて
特に夜は冷え込むようになりました。
毛布や段ボールでも与えてやりたいけれど
勝手によその敷地に置くわけにいかず
うちでは飼うことはできないし…。
さて
ここ数日は
なかなか猫たちに会いに行くこともできませんでした。
シスターズ、元気かなあ。
車にひかれなきゃいいけどなあ。
冒頭の電話がかかってくる前日
車で近くを走っていたら
シスターズがいつもの場所に
たたずんでいました。
かわいい子猫が2匹
ちょこんと置物のように並んでいる姿は
かわいらしくもあり、悲しくもありました。
そして翌日。
まだ店を開ける前
なぜかセンサーチャイムが鳴りました。
お客さんが店に入ってくると鳴るチャイムです。
まだ鍵は閉まっているから誰も入られないのに
なんで鳴ったんだろう?
光線がどうかなったのかな。
そして電話。
「9時前にそちらの前を…」。
まさにその時間でした。
チャイムが鳴ったのは。
不思議な偶然でした。
私は電話を切ってから
○○さんのところへ行って猫のことを聞きました。
猫
お店の前で車にひかれていたそうです。
私、お寺に連れて行きますから
どうか遺体をひきとらせてください。
そう頼むと、○○さんは
悪いね、とおっしゃいながら
猫が入った段ボール箱をくださいました。
家に帰って
段ボールをあけると
変わり果てた姿のシスター。
顔の判別がつきませんでした。
なんでやの。
なんでひかれちゃったの。
にゃんこ。
なんで。
なんで。
手を合わせました。
動物のお寺に連絡してから連れて行き
供養をお願いしました。
帰宅してしばらくすると
電話をくださった職員さんたちが
お詫びに来てくださいました。
いえ、私の飼い猫じゃないですからお詫びなんて…と言ったのですが
「○○さんのところへ行ったら、あなたが可愛がってたからあなたのところへ行ってください、と言われまして」
とおっしゃいました。
遠いところから丁寧にお詫びに来られた職員さん。
猫をひいても知らん顔して行ってしまう人がほとんどなのに
ましてや、野良猫だと聞いてらっしゃったのに
わざわざお越しくださった方。
すばらしい方です。
私はお詫びされるような立場ではないので
恐縮しながらも
「来てくださってありがとうございます」
心の中でつぶやきました。
シスターの生前の写真が1枚だけあります。
でも、カメラを向けると警戒して逃げるかもしれないので
離れたところから望遠
フラッシュも焚けなかったので全然顔がわかりませんが
生きていた証です。

さよなら にゃんこ。
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2011/11/1
加賀まりこが超ドーリィな映画「月曜日のユカ」 映画
楽天レンタルが無料サービスを実施してくれるおかげで
ここしばらく映画を観ることのなかった私が
立て続けにDVD鑑賞しています。
今回借りたのは
加賀まりこが「和製ブリジッド・バルドー」と呼ばれた時代の作品
「月曜日のユカ」です。
私より上の世代の方々は、加賀まりこといえば
「小悪魔」「コケティッシュ」のイメージでしょうか。
私より少し下の世代だと
「夜のヒットスタジオ」で、ゲストにも言いたい放題言って激怒させていたおばさん、かな。
私の世代だと、どうだろう。
「未婚の母」かしら。
彼女が独身でありながら妊娠を発表、出産宣言した時は
女性週刊誌の記事がしばらく加賀まりこで占められてたような記憶があります。
彼女によって「未婚の母」という言葉が流行語になったんですよ。
当時私は小学生(!)。
でもクラスの女子の間でも話題になってました。
男子はどうだったんだろう?
この時期の男の子と女の子は、精神年齢がかなり開いてますもんね。
今も昔も、女の子はおませです。
そんなお騒がせ女優だった加賀まりこ。
彼女を見たい人にはうってつけの映画です。
ストーリーはあってないようなもん(笑)。
でも監督は「狂った果実」で有名な中平康で
脚本はなんと倉本聡なんですよ!
これには驚きました。
フランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を受けたような
退廃的でありながら洗練さも感じさせる、洒落た映像。
そして、ただただ加賀まりこが可愛らしい。
観てるうちに、石野真子や十朱幸代が被ってきてしかたなかったですが(笑)。
この映画以外では似てないんですけどね。
スチール写真を見たら小泉今日子の影もちらほら。
いろんな顔を持つ女?
さすがは小悪魔ちゃん。
この頃の加賀まりこはお人形のようにかわいかったですが
30代では超美人でした。
小栗康平監督作品「泥の河」に出演していた彼女の美しかったこと!
初めて彼女が登場するシーンでは
映画館内の観客が、文字通り「息をのむ」状態でしたよ。
その当時、日清食品のインスタントラーメン「棒棒鶏(バンバンジィ)」のCMに
「建てもの探訪」でおなじみの渡辺篤志と出演していました。
なんで私が覚えているかと言うと
このインスタントラーメン「棒棒鶏」で
「ボーボードリ」という置き時計が当たるというキャンペーンをやってたからです。
2人がセットの林の中でボーボードリを探している。
渡辺「ボーボードリなんているのかなあ」
加賀「人を信じなさい」
木の枝にボーボードリがとまっていて、「バンバンジィ!」と鳴く。
2人同時に「いたぁ!」
こういうCMでした。
うわ、なんて記憶力なの私(笑)。
その「ボーボードリ」がこちらです。

現在、うちの店に飾っているのだっ。
右目が時針、左目が分針になってます。
毎時0分になると「バンバンジィ」と鳴っていたのですが
もう30年もたっているので、時間は狂いっぱなしだし
関係ない時に「バンバンジィ」と鳴き出すし(何度か連続する時も!)。
さすがにうるさいので電池は抜いてあります。
「月曜日のユカ」に話を戻しましょう。
相手役は中尾彬。
若い人たちには「ネジネジおじさん」として有名ですが
実は2枚目だったんですよ!
この映画でも野生的なイケメンとして登場しています。
私はやはり小学生の時
日本テレビで放映されていたドラマ「大いなる旅路」を観て
中尾彬のかっこよさに一目惚れしましたよ。
今では「かっこよかった」と言っても信じてもらえないことが多いですが
この映画を観ていただいたら納得してもらえると信じておりやす。
どうでもいいことですが
私の名前も「ユカ」なので
映画の中で「ユカ」「ユカ」と呼ばれていると
自分が呼ばれてるみたいで照れますね。
はい、どうでもいいです。
それでは加賀まりこと中尾彬の
ツーショット「過去&現在」をどうぞ。


0
ここしばらく映画を観ることのなかった私が
立て続けにDVD鑑賞しています。
今回借りたのは
加賀まりこが「和製ブリジッド・バルドー」と呼ばれた時代の作品
「月曜日のユカ」です。
私より上の世代の方々は、加賀まりこといえば
「小悪魔」「コケティッシュ」のイメージでしょうか。
私より少し下の世代だと
「夜のヒットスタジオ」で、ゲストにも言いたい放題言って激怒させていたおばさん、かな。
私の世代だと、どうだろう。
「未婚の母」かしら。
彼女が独身でありながら妊娠を発表、出産宣言した時は
女性週刊誌の記事がしばらく加賀まりこで占められてたような記憶があります。
彼女によって「未婚の母」という言葉が流行語になったんですよ。
当時私は小学生(!)。
でもクラスの女子の間でも話題になってました。
男子はどうだったんだろう?
この時期の男の子と女の子は、精神年齢がかなり開いてますもんね。
今も昔も、女の子はおませです。
そんなお騒がせ女優だった加賀まりこ。
彼女を見たい人にはうってつけの映画です。
ストーリーはあってないようなもん(笑)。
でも監督は「狂った果実」で有名な中平康で
脚本はなんと倉本聡なんですよ!
これには驚きました。
フランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を受けたような
退廃的でありながら洗練さも感じさせる、洒落た映像。
そして、ただただ加賀まりこが可愛らしい。
観てるうちに、石野真子や十朱幸代が被ってきてしかたなかったですが(笑)。
この映画以外では似てないんですけどね。
スチール写真を見たら小泉今日子の影もちらほら。
いろんな顔を持つ女?
さすがは小悪魔ちゃん。
この頃の加賀まりこはお人形のようにかわいかったですが
30代では超美人でした。
小栗康平監督作品「泥の河」に出演していた彼女の美しかったこと!
初めて彼女が登場するシーンでは
映画館内の観客が、文字通り「息をのむ」状態でしたよ。
その当時、日清食品のインスタントラーメン「棒棒鶏(バンバンジィ)」のCMに
「建てもの探訪」でおなじみの渡辺篤志と出演していました。
なんで私が覚えているかと言うと
このインスタントラーメン「棒棒鶏」で
「ボーボードリ」という置き時計が当たるというキャンペーンをやってたからです。
2人がセットの林の中でボーボードリを探している。
渡辺「ボーボードリなんているのかなあ」
加賀「人を信じなさい」
木の枝にボーボードリがとまっていて、「バンバンジィ!」と鳴く。
2人同時に「いたぁ!」
こういうCMでした。
うわ、なんて記憶力なの私(笑)。
その「ボーボードリ」がこちらです。

現在、うちの店に飾っているのだっ。
右目が時針、左目が分針になってます。
毎時0分になると「バンバンジィ」と鳴っていたのですが
もう30年もたっているので、時間は狂いっぱなしだし
関係ない時に「バンバンジィ」と鳴き出すし(何度か連続する時も!)。
さすがにうるさいので電池は抜いてあります。
「月曜日のユカ」に話を戻しましょう。
相手役は中尾彬。
若い人たちには「ネジネジおじさん」として有名ですが
実は2枚目だったんですよ!
この映画でも野生的なイケメンとして登場しています。
私はやはり小学生の時
日本テレビで放映されていたドラマ「大いなる旅路」を観て
中尾彬のかっこよさに一目惚れしましたよ。
今では「かっこよかった」と言っても信じてもらえないことが多いですが
この映画を観ていただいたら納得してもらえると信じておりやす。
どうでもいいことですが
私の名前も「ユカ」なので
映画の中で「ユカ」「ユカ」と呼ばれていると
自分が呼ばれてるみたいで照れますね。
はい、どうでもいいです。
それでは加賀まりこと中尾彬の
ツーショット「過去&現在」をどうぞ。


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テーマ: 映画鑑賞
2011/10/25
今さらながら「カッコーの巣の上で」を観た 映画

前回のブログに書いた「ヒポクラテスたち」と同じく
楽天レンタルの期間限定無料で借りました。
この映画は私が高校生の時に公開され
その年のアカデミー賞を総ナメにした
あまりにも有名な作品です。
なのに今まで一度も観たことがありませんでした。
生きているうちに一度は観とかなあかんやろ〜と
常々思っていたので、いい機会でした。
観る前の予備知識といえば
精神病院が舞台であり
精神病を装ったジャック・ニコルソン扮する主人公が入院、
婦長とことごとく対立する…ぐらいでした。
展開もラストもあえて知らないようにしてたわけです。
なんとなく重い内容だろうとは予想してましたが。
ああ、やはり重い映画でした。
でも
どどどっーっと疲れる重さではありません。
「映画を観たぞっ!」という重厚感と表現すればいいでしょうか。
非常によくできた作品だと思いました。
アカデミー賞総ナメも納得、っつーか
「これが賞をとらなオカシイやろ」
的な映画でした。
観る前は
「患者を管理されたシステムに押し込む婦長 vs 患者に自由を勝ち取らせようとする主人公」
の構図を想像してたんですが
見事に裏切られました。
このふたりをどう思うかは
観客ひとりひとりに委ねられているんですね。
決して「わるもん」と「ええもん」の二分割ではないんです。
水戸黄門じゃないんですよ。
婦長はあくまでクールですが
それは婦長としての任務をまっとうしているからだと受け取れます。
ただ、そのベクトルが少しずれていたんでしょう。
患者の意志や自由をコントロールして
平穏な病棟を保つことが善だと信じる彼女にとって
マクマーフィは「悪」以外の何者でもありません。
マクマーフィは刑務所での労働からエスケープしたいがために
精神病を装って入院してきた、「おっさんの不良」です。
労働しなくてラッキー、と思ったのもつかの間
退屈な空間の中で生活している患者たちや
何の薬か尋ねても「そんなこと聞かずに飲んでりゃいいんだ」的な病院の態度に耐えきれず
「ルールは破るためにある」と言わんばかりに
ことごとく婦長に反抗するようになります。
その反抗たるや
まるで中学2年生のようです。
しかし
彼が掟破りの遊びを実行したおかげで
患者たちは生き生きとしていきます。
船に乗り込んで釣りをする場面
職員たちとバスケットボールをする場面
見られないワールドシリーズをマクマーフィが実況する場面
そしてあのクリスマスパーティ。
婦長主催の何の治療にもなってないグループセラピーより
どれだけ患者の回復に功を奏したことでしょう。
私が疑問に感じているのは
病院側がマクマーフィを仮病だと判断し
刑務所へ送還しようと話し合った時
婦長が「刑務所へ責任転嫁することになる。彼をここで矯正するのが私たちの役目だ」と反対したことです。
彼女の意図は何だったのか?
発言通り、婦長としての使命感からマクマーフィを入院させておこうとしたのか
あるいは、個人的な憎しみから彼を痛めつけるつもりだったのか
そこのところは
「観客のご想像にお任せします」
なんでしょうか。
冷静な彼女が取り乱し、人間らしい言動をとったのは
皮肉にもビリーを自殺へ追い込むシーンでした。
ビリーは自殺しましたが、彼女が殺したも同然です。
あれはひどい。あんまりだ。
母親が原因で発症したビリーに、母親のことを持ち出すとは。
おまえ死ぬしかないよ、と言ってるようなもんですね。
ラストは何というか、切ないですね。
そ、それでええんかい!と語りかけてしまうような。
観てない方にオチを言ってしまってはいけないので多くは書きませんが
それってアリかいな…と考え込んでしまいました。
とまあ、内容もさることながら
出演者たちの演技力の凄いこと!
ジャック・ニコルソンはもちろん
婦長役のルイーズ・フレッチャーが圧巻です。
特にマクマーフィに首を絞められている時の表情は
鳥肌が立つほど凄かったです。
患者を演じた脇の俳優たちも素晴らしかった。
「金ピカでまぶしい映画」とでも表現しましょうか。
で、結局
チーフが主役ってことでOK?
0
テーマ: 映画鑑賞
2011/10/22
映画「ヒポクラテスたち」を30年ぶりに観た 映画
医大生の青春と葛藤を描いた日本映画の名作「ヒポクラテスたち」。
楽天レンタルが期間限定で旧作無料だったので借りてみました。
この映画が公開された1980年は
私もリアルに大学生だったので
映画館で観ることができました。
この年の日本映画は元気でした。
「ヒポクラテスたち」にも出演していた、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」。
いまやソフトバンクのお母さん、樋口可南子が若く美しい「戒厳令の夜」。
伝説の俳優・松田優作と小林麻美が出演「野獣死すべし」。
松坂慶子の美人度最高潮「わるいやつら」「五番町夕霧楼」。
カドカワのお金の掛け方がハンパなかった「復活の日」。
海は死〜にま〜すか〜の「二百三高地」。
そして忘れちゃいけない
世界のクロサワの「影武者」もこの年公開でした。
30年の時を経て観てみた「ヒポクラテスたち」。
当然ですが、まずキャストの若さに驚かされます。
一緒に観ていた次男(19歳)は
内藤剛志・阿藤快・斉藤洋介があまりにも若すぎてまったくわからなかったそうです。
確かに!
内藤剛志なんかロン毛のカーリーヘアだし
阿藤快は役柄のせいもあって、松岡修造のように見えます。
でも柄本明は見た瞬間わかったそうですよ(笑)。変わらない人なのよね。
最終学年の医大生たちが
大学病院で実習を通して医療の現実を体験していきます。
正義感に燃える学生もいれば
自信喪失していく学生もいます。
大学の寮では
国家権力と医療について、激論する学生たちがいます。
医大では、二浪三浪は当たり前。四浪五浪も珍しくないので
学生と言えど年齢は様々です。
そんな中で現役合格した1年生などは、「少年」の言葉がぴったりくる幼さです。
主人公もかつては
様々な医療問題について抗議運動に加わった過去があります。
でも最終学年の今は
ただ実習をこなして試験を受け、卒業に向かう普通の学生です。
しかし自分自身について、漠然とした疑問と不安を持ち続けています。
その不安感は、恋人が悪徳病院の堕胎手術で不妊になってしまったことにより頂点に達し
やがて精神に異常をきたしていきます。
ストーリーだけだと重く深刻な映画のようですが
軽いタッチで描いているので
笑いあり、ホロっとくるところありの楽しい作品です。
なんと手塚治虫が医師役で出演していたり
原田芳雄も説教の多い執刀医役で登場します。
北山修がCT技師役でフォーク・クルセダースについて熱弁を振るうシーンは
今見ても笑えます。
端々に織り込んでいる実験映画的な手法は
当時の若手監督や学生の自主制作映画で流行していたやり方です。
30年たった今あらためて観てみると
なつかしいと同時に新鮮な感じを受けます。
このころ、学生の自主制作と言えば8ミリでした。
ビデオカメラなんてとても買える代物じゃなかったし。
価格が現代とは2ケタぐらい違ってたと思います。
素人でもきれいな映像が撮れるようになった今
8ミリの粗い映像は却って印象的です。
この映画が公開当時話題になったのは
解散・引退したキャンディーズのランちゃんの
復帰第一作だったということもあります。
ランちゃんの役どころは重要でした。
主人公と同じグループで実習する女子学生。
ずっと優等生で過ごしてきて
勉強ができたから、成績がよかったからという理由だけで医大を受験して合格。
だけど医者になりたかったわけじゃない。
単位もとれて、実習が終われば国家試験。
でも自分は医者になる資格があるのか?
実習していくうちに、彼女は自問自答を繰り返し
すべてを放棄してしまいます。
次男は映画を観ながら
「喫煙者多すぎじゃね?」と言いました。
あ、ほんとだ。
登場人物全員たばこ吸ってます。
そうだね。今じゃほとんど見ない光景だわ。
30年前の京都の学生たち。
寮の様子も飲み屋の雰囲気も
私がリアルに思い出せることばかりです。
そういえば
大学で同級生だった男子が
この映画の撮影現場を見に行ったそうで
出演していた新人女優(妊娠中絶したいと来院した女子高生役)と
一緒に写真を撮らせてもらったと言ってました。
その彼も
今では大手新聞社でコラムを執筆する論説委員です。
時の流れを感じます。

これは公開当時のパンフレットです。
映画のパンフレットというか、ATGの機関誌なんですけど
パンフとして売られていました。
中には映画の台本がまるまる載っています。
表紙の真ん中に載っているのがランちゃん。
その右下が手塚治虫
左下が斉藤洋介
一番下の右端が内藤剛志です。
夫は試写会でこの映画を観たそうです。
「京一会館」という、当時の映画マニアの聖地で。
舞台挨拶に来ていた内藤剛志が
背が高く、存在感があって
すごくかっこよかったそうですよ。
ところでその夫ですが
私が観ているうしろから覗き込んで
「おっ、『ヒポクラテスたち』かぁ。なつかしい。ランちゃんかわいかったなあ」としゃべり出しました。
そこまではいいのですが
「そういや古尾谷雅人って最近映画に出ないなあ」
・・・・・・・・・・・il||li 〇| ̄|_ il||li・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マジで言ってんだよねこれが…
5
楽天レンタルが期間限定で旧作無料だったので借りてみました。
この映画が公開された1980年は
私もリアルに大学生だったので
映画館で観ることができました。
この年の日本映画は元気でした。
「ヒポクラテスたち」にも出演していた、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」。
いまやソフトバンクのお母さん、樋口可南子が若く美しい「戒厳令の夜」。
伝説の俳優・松田優作と小林麻美が出演「野獣死すべし」。
松坂慶子の美人度最高潮「わるいやつら」「五番町夕霧楼」。
カドカワのお金の掛け方がハンパなかった「復活の日」。
海は死〜にま〜すか〜の「二百三高地」。
そして忘れちゃいけない
世界のクロサワの「影武者」もこの年公開でした。
30年の時を経て観てみた「ヒポクラテスたち」。
当然ですが、まずキャストの若さに驚かされます。
一緒に観ていた次男(19歳)は
内藤剛志・阿藤快・斉藤洋介があまりにも若すぎてまったくわからなかったそうです。
確かに!
内藤剛志なんかロン毛のカーリーヘアだし
阿藤快は役柄のせいもあって、松岡修造のように見えます。
でも柄本明は見た瞬間わかったそうですよ(笑)。変わらない人なのよね。
最終学年の医大生たちが
大学病院で実習を通して医療の現実を体験していきます。
正義感に燃える学生もいれば
自信喪失していく学生もいます。
大学の寮では
国家権力と医療について、激論する学生たちがいます。
医大では、二浪三浪は当たり前。四浪五浪も珍しくないので
学生と言えど年齢は様々です。
そんな中で現役合格した1年生などは、「少年」の言葉がぴったりくる幼さです。
主人公もかつては
様々な医療問題について抗議運動に加わった過去があります。
でも最終学年の今は
ただ実習をこなして試験を受け、卒業に向かう普通の学生です。
しかし自分自身について、漠然とした疑問と不安を持ち続けています。
その不安感は、恋人が悪徳病院の堕胎手術で不妊になってしまったことにより頂点に達し
やがて精神に異常をきたしていきます。
ストーリーだけだと重く深刻な映画のようですが
軽いタッチで描いているので
笑いあり、ホロっとくるところありの楽しい作品です。
なんと手塚治虫が医師役で出演していたり
原田芳雄も説教の多い執刀医役で登場します。
北山修がCT技師役でフォーク・クルセダースについて熱弁を振るうシーンは
今見ても笑えます。
端々に織り込んでいる実験映画的な手法は
当時の若手監督や学生の自主制作映画で流行していたやり方です。
30年たった今あらためて観てみると
なつかしいと同時に新鮮な感じを受けます。
このころ、学生の自主制作と言えば8ミリでした。
ビデオカメラなんてとても買える代物じゃなかったし。
価格が現代とは2ケタぐらい違ってたと思います。
素人でもきれいな映像が撮れるようになった今
8ミリの粗い映像は却って印象的です。
この映画が公開当時話題になったのは
解散・引退したキャンディーズのランちゃんの
復帰第一作だったということもあります。
ランちゃんの役どころは重要でした。
主人公と同じグループで実習する女子学生。
ずっと優等生で過ごしてきて
勉強ができたから、成績がよかったからという理由だけで医大を受験して合格。
だけど医者になりたかったわけじゃない。
単位もとれて、実習が終われば国家試験。
でも自分は医者になる資格があるのか?
実習していくうちに、彼女は自問自答を繰り返し
すべてを放棄してしまいます。
次男は映画を観ながら
「喫煙者多すぎじゃね?」と言いました。
あ、ほんとだ。
登場人物全員たばこ吸ってます。
そうだね。今じゃほとんど見ない光景だわ。
30年前の京都の学生たち。
寮の様子も飲み屋の雰囲気も
私がリアルに思い出せることばかりです。
そういえば
大学で同級生だった男子が
この映画の撮影現場を見に行ったそうで
出演していた新人女優(妊娠中絶したいと来院した女子高生役)と
一緒に写真を撮らせてもらったと言ってました。
その彼も
今では大手新聞社でコラムを執筆する論説委員です。
時の流れを感じます。

これは公開当時のパンフレットです。
映画のパンフレットというか、ATGの機関誌なんですけど
パンフとして売られていました。
中には映画の台本がまるまる載っています。
表紙の真ん中に載っているのがランちゃん。
その右下が手塚治虫
左下が斉藤洋介
一番下の右端が内藤剛志です。
夫は試写会でこの映画を観たそうです。
「京一会館」という、当時の映画マニアの聖地で。
舞台挨拶に来ていた内藤剛志が
背が高く、存在感があって
すごくかっこよかったそうですよ。
ところでその夫ですが
私が観ているうしろから覗き込んで
「おっ、『ヒポクラテスたち』かぁ。なつかしい。ランちゃんかわいかったなあ」としゃべり出しました。
そこまではいいのですが
「そういや古尾谷雅人って最近映画に出ないなあ」
・・・・・・・・・・・il||li 〇| ̄|_ il||li・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マジで言ってんだよねこれが…
5
テーマ: 映画鑑賞
2011/9/27
それでも営業中 仕事
前回のブログでお話した台風15号による床上浸水からちょうど1週間たちました。
被害の翌日から、商品と棚などの什器類の撤去にかかりました。
商品の移動も大変でしたが、什器類がとてつもなく大仕事でした。
店の壁面に取り付けてある棚をすべて撤去。
女の力では無理なので、夫と受験生の次男が取り外して移動させました。
この棚板がめっちゃ重いんです!
幅も大きいので、いつもビール大瓶ケースを運んでいる私でも無理。
そしてやっかいなのが
量り売り焼酎の木樽・カメ・タンクの移動。

特に木樽。
樽だけでも重いのに、中には100リットル近く焼酎が貯蔵してあります。
もちろんそのままでは運べないので、大量の焼酎を抜きましたが
全部抜いてしまうと、お客さんに販売できる量がなくなってしまうので
当面販売できる量を残したまま移動です。
これも男2人の仕事。
キャスターがついてますが、このままだと大きすぎて店から出せないので、樽を2人で抱えて運びます。
おとといまで大騒動して撤去しました。
きのうから工事です。
大工さんに床板を全部外して撤去してもらいました。
夜になって、夫が床に水をまきながら泥をこすりとり
吸水機で泥水を吸い取って掃除。
きょう一日は
床を乾燥させるため工事はありません。
明日から床板の取り付けです。

水で洗い流した床を早く乾燥させたいので
ストーブを設置。
季節的には暑い感じがしますが
実際はちょうどいいぐらいの温度です。
台風のあと、急激に涼しくなったので
特にこんなコンクリート打ちっ放しのところでは
ストーブがついていても朝晩は寒いほど。

樽やタンクが置いてあった場所です。
正面に見えるブロック壁のところは
流し台が備え付けてありました。
それも撤去。

何もないのだ〜。
冷蔵庫だけは生き残った。

それでも営業中。
こんな状態でもお越しいただくお客様。
ありがとうございます。
ご不便をおかけしてすみません。
貼り紙を見て
みなさん心配してくださり
お声をかけて頂きます。
どうもありがとうございます。
保険屋さん
なんとかお願いしますよ…。
0
被害の翌日から、商品と棚などの什器類の撤去にかかりました。
商品の移動も大変でしたが、什器類がとてつもなく大仕事でした。
店の壁面に取り付けてある棚をすべて撤去。
女の力では無理なので、夫と受験生の次男が取り外して移動させました。
この棚板がめっちゃ重いんです!
幅も大きいので、いつもビール大瓶ケースを運んでいる私でも無理。
そしてやっかいなのが
量り売り焼酎の木樽・カメ・タンクの移動。

特に木樽。
樽だけでも重いのに、中には100リットル近く焼酎が貯蔵してあります。
もちろんそのままでは運べないので、大量の焼酎を抜きましたが
全部抜いてしまうと、お客さんに販売できる量がなくなってしまうので
当面販売できる量を残したまま移動です。
これも男2人の仕事。
キャスターがついてますが、このままだと大きすぎて店から出せないので、樽を2人で抱えて運びます。
おとといまで大騒動して撤去しました。
きのうから工事です。
大工さんに床板を全部外して撤去してもらいました。
夜になって、夫が床に水をまきながら泥をこすりとり
吸水機で泥水を吸い取って掃除。
きょう一日は
床を乾燥させるため工事はありません。
明日から床板の取り付けです。

水で洗い流した床を早く乾燥させたいので
ストーブを設置。
季節的には暑い感じがしますが
実際はちょうどいいぐらいの温度です。
台風のあと、急激に涼しくなったので
特にこんなコンクリート打ちっ放しのところでは
ストーブがついていても朝晩は寒いほど。

樽やタンクが置いてあった場所です。
正面に見えるブロック壁のところは
流し台が備え付けてありました。
それも撤去。

何もないのだ〜。
冷蔵庫だけは生き残った。

それでも営業中。
こんな状態でもお越しいただくお客様。
ありがとうございます。
ご不便をおかけしてすみません。
貼り紙を見て
みなさん心配してくださり
お声をかけて頂きます。
どうもありがとうございます。
保険屋さん
なんとかお願いしますよ…。
0
2011/9/23
台風こわっ! 岐阜県
9月20日、台風15号が名古屋圏に大打撃を与えてくれました。
私のところは守山区や多治見に比べれば被害が小さかったのですが
床上浸水で店の床がやられてしまいました。
総貼り替えです。


これは水が引いてから夫が撮ったものです。
床下もぐちゃぐちゃズタボロのはずです。
まず床板を全部はずして
丸一日乾燥させてから
新しい床板を取り付ける工事に入ります。
そのため、店の商品はもちろん
すべての棚やラックなどをどかさねばなりません。
量り売りのタンクや樽、カメなども移動させます。
なかなかの大仕事です。
もちろん工事中も営業しますよ。
ご来店の方々にはご不便をおかけすることになり申し訳ございませんが
なにとぞお許しください。
で、実はこの浸水の時
私はここにいなかったのですよ。
なぜかと言いますと
2日前に用があって京都から帰省していた長男が
この日、また京都に戻る予定でした。
名古屋の予備校に通う次男は、朝早くにJRに乗って登校していきました。
その時も土砂降りで、次男は
「またJR運休しそうな予感」と言っておりましたが…。
次男が出かけたあと、長男は帰り支度をしておりました。
「雨すげーなー。名古屋から高速バス乗ろうと思ってるけど、新幹線の方がいいかなあ」
などと言っているうちに、私のケータイにYahoo!からの路線情報が入りました。
「JR中央線 大雨の影響で、多治見〜土岐市間の運行を見合わせています」
ここは土岐市なので。
「おーい、JR止まってるよ。多治見からしか名古屋方面行けんよ」
長男に伝えました。
「えっ、今日は絶対京都に戻らなあかんのに。多治見まで送ってって!」
そう頼まれ、まあ多治見なら隣の駅だからいいか…と。
なんせJR1本しか通っていない地区なので
運休されると車しかないのですよ。
するとまたケータイに路線情報。
「大雨の影響で、高蔵寺〜土岐市間の運行を見合わせています」
高蔵寺駅は、多治見より2つ向こうの駅。
愛知県になります。
「ちょっ、高蔵寺まで行かんと電車乗れんよっ!」
「えー!ヤバイ!頼む!お願い!乗せてって!」
っっったくもう…とブツブツ言いながら
仕事用のライトバン(MT車・カーナビなし)に長男を乗せて高蔵寺駅へ。
国道で多治見へ出て、そこから県道に入れば高蔵寺駅に行ける…んです。
通常なら。
ものすごい豪雨です。
この調子だと、山の中を走る県道は通行止めかも…と危惧したら
案の定、県道の入り口で「通行止め」の表示が。
オーマイガッ!
方向変換して、別の国道へ。
国道を走っていると、後ろから消防車がサイレンを鳴らしながら追い抜いていきました。
「火事?」と長男が言うので
「こんな豪雨で火事はないやろー。土砂崩れとか氾濫を防ぐために出動してはるんやよ」
と答えて走っていると、
え
こ…交差点が…。
川になってる。
信号のある交差点が、冠水していました。
「ええっ!マジかい!こんなん通れんやん!」
でも前の車は次々とわたっていきます。
消防の方も、わたる車を見守っています。
と言うことは、通れるっちゅーことかいな…。
ビビリながら、川のような水の中を通過。
その後も、道路で何度も冠水箇所を走行。
そのうち、前を走っている車が次々と右折して行くので
「おかしいな。ここはみんな直進するはずなのに」
と前方を見たら
冠水の中を、ハザードつけた車が3台 浮いていました。
!!!!!!!!!
えええええええ!
テレビでは見たことあるけど
リアルに目撃したのは初めてです。
この時、やっと
「とんでもない状況になっている」と確信できました。
迂回したものの
その道路も冠水だらけ。
走り抜いても「通行止」の表示に阻まれ、また迂回。
やっとの思いで高蔵寺駅に到着。
「着いたよ!行ってらっしゃい!」。
「あれ?」長男が首をかしげました。
「ホームに電車が止まってるけど、誰も乗ってない。
駅の前には人がいっぱいいるし、電車動いてないっぽい。
ちょっと確かめてくるから待ってて」。
駅に入っていった長男が、走って戻ってきました。
「中央線全部止まってる…!」
なに〜!ここまで来て乗れないってか〜!
「もう地下鉄しかないから、地下鉄の駅まで連れて行って」。
長男に頼まれ、地下鉄の駅へ行くことに。
でも地下鉄って、名古屋市内まで行かないとないんですよ。
しかたないので名古屋方面へ。
途中で庄内川が見えました。
「何あの水位!やばいやん!絶対あふれるやん!」
長男が叫びました。
なんとか名古屋市内の地下鉄の駅で長男を降ろし
私はそのままUターン。
来た道を戻っていきましたが…。
私が走ってきた道は
次々と土砂崩れや川の水が氾濫、
のきなみ通行止めになっていました。
多治見市内は浸水
庄内川は氾濫
高蔵寺駅は水没
雨は豪雨のまま。
どこを走っても「通行止」。
迂回路は大渋滞。
鳴り響くサイレンと広報。
豪雨と雷。
春日井市に入り
土岐市へ通じる大動脈の国道で
約2時間立ち往生。
やっと動いたと思ったら
目の前に出現したのは
「通行止」の表示。
えっ?
この国道を通らないと土岐市へ帰れないんですけど?
ナビもないのに知らない土地をどう走れば帰れるのか?
頭の中はクエスチョンマークでいっぱい。
真っ暗になってきて
豪雨はやまず
標識もほとんど見えない中
あちこち走って
行く先々で「通行止」にぶち当たり
大渋滞に巻き込まれ
それでもなんとか帰宅できました!
名古屋を出て8時間後でしたが…(通常は2時間弱)。
<
ほんとはこの赤いルートで帰る予定だったんですが

実際に走ったのはこの黒いルート。
迂回迂回迂回迂回で。
春日井で立ち往生している時に
長男から電話がありました。
「今ついたよ」。
「あっそう。私まだ春日井なんだけど」。
「うそ!マジ?」
京都の方が早く着くって…。
しかも私より3時間も早いって…。
0
私のところは守山区や多治見に比べれば被害が小さかったのですが
床上浸水で店の床がやられてしまいました。
総貼り替えです。


これは水が引いてから夫が撮ったものです。
床下もぐちゃぐちゃズタボロのはずです。
まず床板を全部はずして
丸一日乾燥させてから
新しい床板を取り付ける工事に入ります。
そのため、店の商品はもちろん
すべての棚やラックなどをどかさねばなりません。
量り売りのタンクや樽、カメなども移動させます。
なかなかの大仕事です。
もちろん工事中も営業しますよ。
ご来店の方々にはご不便をおかけすることになり申し訳ございませんが
なにとぞお許しください。
で、実はこの浸水の時
私はここにいなかったのですよ。
なぜかと言いますと
2日前に用があって京都から帰省していた長男が
この日、また京都に戻る予定でした。
名古屋の予備校に通う次男は、朝早くにJRに乗って登校していきました。
その時も土砂降りで、次男は
「またJR運休しそうな予感」と言っておりましたが…。
次男が出かけたあと、長男は帰り支度をしておりました。
「雨すげーなー。名古屋から高速バス乗ろうと思ってるけど、新幹線の方がいいかなあ」
などと言っているうちに、私のケータイにYahoo!からの路線情報が入りました。
「JR中央線 大雨の影響で、多治見〜土岐市間の運行を見合わせています」
ここは土岐市なので。
「おーい、JR止まってるよ。多治見からしか名古屋方面行けんよ」
長男に伝えました。
「えっ、今日は絶対京都に戻らなあかんのに。多治見まで送ってって!」
そう頼まれ、まあ多治見なら隣の駅だからいいか…と。
なんせJR1本しか通っていない地区なので
運休されると車しかないのですよ。
するとまたケータイに路線情報。
「大雨の影響で、高蔵寺〜土岐市間の運行を見合わせています」
高蔵寺駅は、多治見より2つ向こうの駅。
愛知県になります。
「ちょっ、高蔵寺まで行かんと電車乗れんよっ!」
「えー!ヤバイ!頼む!お願い!乗せてって!」
っっったくもう…とブツブツ言いながら
仕事用のライトバン(MT車・カーナビなし)に長男を乗せて高蔵寺駅へ。
国道で多治見へ出て、そこから県道に入れば高蔵寺駅に行ける…んです。
通常なら。
ものすごい豪雨です。
この調子だと、山の中を走る県道は通行止めかも…と危惧したら
案の定、県道の入り口で「通行止め」の表示が。
オーマイガッ!
方向変換して、別の国道へ。
国道を走っていると、後ろから消防車がサイレンを鳴らしながら追い抜いていきました。
「火事?」と長男が言うので
「こんな豪雨で火事はないやろー。土砂崩れとか氾濫を防ぐために出動してはるんやよ」
と答えて走っていると、
え
こ…交差点が…。
川になってる。
信号のある交差点が、冠水していました。
「ええっ!マジかい!こんなん通れんやん!」
でも前の車は次々とわたっていきます。
消防の方も、わたる車を見守っています。
と言うことは、通れるっちゅーことかいな…。
ビビリながら、川のような水の中を通過。
その後も、道路で何度も冠水箇所を走行。
そのうち、前を走っている車が次々と右折して行くので
「おかしいな。ここはみんな直進するはずなのに」
と前方を見たら
冠水の中を、ハザードつけた車が3台 浮いていました。
!!!!!!!!!
えええええええ!
テレビでは見たことあるけど
リアルに目撃したのは初めてです。
この時、やっと
「とんでもない状況になっている」と確信できました。
迂回したものの
その道路も冠水だらけ。
走り抜いても「通行止」の表示に阻まれ、また迂回。
やっとの思いで高蔵寺駅に到着。
「着いたよ!行ってらっしゃい!」。
「あれ?」長男が首をかしげました。
「ホームに電車が止まってるけど、誰も乗ってない。
駅の前には人がいっぱいいるし、電車動いてないっぽい。
ちょっと確かめてくるから待ってて」。
駅に入っていった長男が、走って戻ってきました。
「中央線全部止まってる…!」
なに〜!ここまで来て乗れないってか〜!
「もう地下鉄しかないから、地下鉄の駅まで連れて行って」。
長男に頼まれ、地下鉄の駅へ行くことに。
でも地下鉄って、名古屋市内まで行かないとないんですよ。
しかたないので名古屋方面へ。
途中で庄内川が見えました。
「何あの水位!やばいやん!絶対あふれるやん!」
長男が叫びました。
なんとか名古屋市内の地下鉄の駅で長男を降ろし
私はそのままUターン。
来た道を戻っていきましたが…。
私が走ってきた道は
次々と土砂崩れや川の水が氾濫、
のきなみ通行止めになっていました。
多治見市内は浸水
庄内川は氾濫
高蔵寺駅は水没
雨は豪雨のまま。
どこを走っても「通行止」。
迂回路は大渋滞。
鳴り響くサイレンと広報。
豪雨と雷。
春日井市に入り
土岐市へ通じる大動脈の国道で
約2時間立ち往生。
やっと動いたと思ったら
目の前に出現したのは
「通行止」の表示。
えっ?
この国道を通らないと土岐市へ帰れないんですけど?
ナビもないのに知らない土地をどう走れば帰れるのか?
頭の中はクエスチョンマークでいっぱい。
真っ暗になってきて
豪雨はやまず
標識もほとんど見えない中
あちこち走って
行く先々で「通行止」にぶち当たり
大渋滞に巻き込まれ
それでもなんとか帰宅できました!
名古屋を出て8時間後でしたが…(通常は2時間弱)。
<ほんとはこの赤いルートで帰る予定だったんですが

実際に走ったのはこの黒いルート。
迂回迂回迂回迂回で。
春日井で立ち往生している時に
長男から電話がありました。
「今ついたよ」。
「あっそう。私まだ春日井なんだけど」。
「うそ!マジ?」
京都の方が早く着くって…。
しかも私より3時間も早いって…。
0
2011/8/14
暑いので少し冷やっとする話など 家族
全国的にうだるような暑さが続いていますので
ちょっとゾッとするようなお話をば。
私の伯母の実体験です。
伯母は4人きょうだいの一番上。
2番目・3番目は女の子だったので妹。
4番目の末っ子が私の父。つまり弟。
歳の順に嫁に行きました。
3番目の女の子、つまり下の妹は
アメリカの方と結婚。
「日本で暮らす」と言う約束だったので
伯母や祖母の近くに家を買って住んでいました。
しかし数年後
妹の夫がどうしてもアメリカに帰らねばならなくなったので
妹夫婦は幼い息子と3人で日本を離れました。
今の時代からは考えられないことですが
その当時は、日本人は自由に外国へ行くことができなかったのです。
くわしいことはこちらに載っています。
なので
日本に帰国したり
逆にこちらから訪ねていくということはなかったそうです。
1ドル=360円の時代でしたから
おいそれと行ける金額ではありませんでしたしね。
貨幣の価値も今とは全然違いますし。
その妹は
渡米して数年後
病気でなくなりました。
ちょうどその亡くなった時間に
祖母や伯母の住む家に不思議な現象が起こったんですが
それを書くと長くなってしまうので
またの機会に…。
妹の死からほどなくして
伯母は2人目の子供を出産しました。
しかし当時はまだ病院の衛生管理も杜撰だったのか
出産後、すぐに産褥熱を出してしまいました。
40度を超える高熱でした。
伯母はベッドで苦しみ、意識も朦朧としていきました。
突然、体が楽になりました。
???
意識がはっきりしてきた伯母が起きあがってみると
そこは一面の花畑でした。
少し先には小川が流れていて
とても気持ちの良い場所でした。
すると
小川の方へ向かって
真っ白な着物を着た人たちが
列をなして歩いて行くのが見えました。
なぜか音楽も流れていたそうです。
「♪ふけゆく/秋の夜/旅の空の/わびしき想いに/ひとり悩む/恋しやふるさと/なつかし父母…」
有名な「旅愁」という歌です。
ぼんやりとその人たちを見ていた伯母は
「あっ!」と声をあげました。
なんと、列の中に、病気で亡くなった妹がいるではありませんか。
伯母は列に向かって走っていき
妹の手を掴もうとしました。
その瞬間、妹は伯母の顔をじっと睨んで
「お姉ちゃん!来たらあかん!まだ来たらあかん!!」
そう怒鳴りつけたそうです。
驚いた伯母は呆然と立ちつくし
白い着物の列を見送っていました。
次の瞬間
伯母は病院のベッドの上にいたそうです。
夢?
それにしてはリアルすぎる…。
伯母はとても戸惑いました。
そして伯母の体は回復し
生まれた子供とともに退院することができました。
伯母は後に語っていました。
あの白い着物を着た人たちは
故郷を遠く離れて亡くなった人たちなんだろう。
だから「…恋しやふるさと なつかし父母…」という歌が流れてたんだろう。
妹も見知らぬ外国で生活して病気になり
どんなにか日本に帰りたかっただろうに。
親に会いたかっただろうに。
そう思うと切なくてね。
その伯母も3年前、84歳でこの世を去りました。
ちょっと涼しくなりましたか?
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ちょっとゾッとするようなお話をば。
私の伯母の実体験です。
伯母は4人きょうだいの一番上。
2番目・3番目は女の子だったので妹。
4番目の末っ子が私の父。つまり弟。
歳の順に嫁に行きました。
3番目の女の子、つまり下の妹は
アメリカの方と結婚。
「日本で暮らす」と言う約束だったので
伯母や祖母の近くに家を買って住んでいました。
しかし数年後
妹の夫がどうしてもアメリカに帰らねばならなくなったので
妹夫婦は幼い息子と3人で日本を離れました。
今の時代からは考えられないことですが
その当時は、日本人は自由に外国へ行くことができなかったのです。
くわしいことはこちらに載っています。
なので
日本に帰国したり
逆にこちらから訪ねていくということはなかったそうです。
1ドル=360円の時代でしたから
おいそれと行ける金額ではありませんでしたしね。
貨幣の価値も今とは全然違いますし。
その妹は
渡米して数年後
病気でなくなりました。
ちょうどその亡くなった時間に
祖母や伯母の住む家に不思議な現象が起こったんですが
それを書くと長くなってしまうので
またの機会に…。
妹の死からほどなくして
伯母は2人目の子供を出産しました。
しかし当時はまだ病院の衛生管理も杜撰だったのか
出産後、すぐに産褥熱を出してしまいました。
40度を超える高熱でした。
伯母はベッドで苦しみ、意識も朦朧としていきました。
突然、体が楽になりました。
???
意識がはっきりしてきた伯母が起きあがってみると
そこは一面の花畑でした。
少し先には小川が流れていて
とても気持ちの良い場所でした。
すると
小川の方へ向かって
真っ白な着物を着た人たちが
列をなして歩いて行くのが見えました。
なぜか音楽も流れていたそうです。
「♪ふけゆく/秋の夜/旅の空の/わびしき想いに/ひとり悩む/恋しやふるさと/なつかし父母…」
有名な「旅愁」という歌です。
ぼんやりとその人たちを見ていた伯母は
「あっ!」と声をあげました。
なんと、列の中に、病気で亡くなった妹がいるではありませんか。
伯母は列に向かって走っていき
妹の手を掴もうとしました。
その瞬間、妹は伯母の顔をじっと睨んで
「お姉ちゃん!来たらあかん!まだ来たらあかん!!」
そう怒鳴りつけたそうです。
驚いた伯母は呆然と立ちつくし
白い着物の列を見送っていました。
次の瞬間
伯母は病院のベッドの上にいたそうです。
夢?
それにしてはリアルすぎる…。
伯母はとても戸惑いました。
そして伯母の体は回復し
生まれた子供とともに退院することができました。
伯母は後に語っていました。
あの白い着物を着た人たちは
故郷を遠く離れて亡くなった人たちなんだろう。
だから「…恋しやふるさと なつかし父母…」という歌が流れてたんだろう。
妹も見知らぬ外国で生活して病気になり
どんなにか日本に帰りたかっただろうに。
親に会いたかっただろうに。
そう思うと切なくてね。
その伯母も3年前、84歳でこの世を去りました。
ちょっと涼しくなりましたか?
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