2017/2/27

野良猫てっちゃん  家族

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野良猫てっちゃん。
去年の秋に生まれた子猫。


親猫は人を見ると逃げるけど
てっちゃんは仕事場にトコトコ入ってきて
ストーブの前で寝転ぶ子だった。


撫でてやるとゴロゴロのどを鳴らした。
柔軟剤みたいないい匂いがした。
毎日やってきて
親猫が呼ぶと帰って行った。


10日前から突然来なくなった。
親猫は毎日見かけるけど
てっちゃんはいない。
野良猫の宿命とは言え
悲しい。


きっと誰かに飼われたんだ、と思うことにした。


いつでも待ってるからね、てっちゃん。



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2017/1/24

USJ土産のカエルチョコをリフォームしてみたのさ  家族

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息子が去年くれたUSJのお土産は
ハリーポッターのバカでかいカエルチョコ。
トンカチで粉砕しないと食べられない。
160gもあるし。
どうやって食べるじゃ〜と思ってるうちに賞味期限切れ(早くね?)。


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たまたまスーパーで見切り品の生クリームを買ったので
「I have a チョコ🎵 I have a 生クリーム🎵 ooh 生チョコ🎵」
などとビミョーに古いネタをかましながら
生チョコにリフォームしてみました。


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でかいのでチョコを刻むのに20分もかかってしまいました。
見た目はいまいちですが、味は激ウマでございます ( ̄∇ ̄*)
澤雅子さんのレシピ
「クラウドロール」にしようかなとも思ったのですが
メレンゲ作りがめんどくさいので今回はパス。
でもクラウドロールっておいしいんですよ!



このカエルチョコって1200円もするのね(汗)。
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2016/9/2

阪急ファイブの思い出(HEPじゃないよ)  大阪


大阪の梅田に、70年代から80年代にかけて存在していた
ファッションビル「阪急ファイブ」。


今は「HEP FIVE」という大きなビルに建て替えられて
屋上には観覧車もあります。
HEPができたのは私が大阪を離れてからなので
行ったことはないのですが。


もう覚えている人も少なくなってきたであろう阪急ファイブ。
オープン当時、私は小学生で
テレビCMが頻繁に流れていたのを記憶しています。
締めのフレーズは「はんっきゅう ふぁ〜いぶ♪」でした。


私はミナミの文化圏に住んでいたのて
キタにある阪急ファイブに行き始めたのは中学生になってから。
ミナミはのちに「なんばCITY」という巨大ショッピングモールが登場して
ミナミを若者商圏の中心にする立役者となりましたが
それまでは、「キタ>ミナミ」って感じでした。
キタはおしゃれ・洗練されていて、ミナミは泥臭い・もっちゃりしてるってイメージ。
なんせ、なんばCITYがオープンした時のキャッチコピーが
「CITYは南へ移る」でしたからねえ(笑)。


と、当時の文化事情をふまえた上での話。
初めて行った阪急ファイブは、そりゃもうおしゃれなショッピングビルでした。
確か5階建てだったから「ファイブ」という名前だったのかな。
あの頃、あんなおしゃれなビルはなかったですね。
さすが阪急グループ。


何階だったか覚えてないんですけど
時間によって天井の色が変わるフロアがありました。
時報の代わりだったのかな。
鐘の音とともにサアーッと色が変わるの。
きれいでしたねえ。


駸々堂書店という大きい本屋さんが入っていて
ここは結構マニアックな品揃えだったんですよ。
マンガの種類が豊富なことでも有名でした。
今はファッションビルに本屋さんが入ってもすぐ撤退してしまう傾向ですが
ここはよく利用しました。


大月楽器店というレコード屋さんもあって
年末にレコード買うとビートルズのカレンダーがもらえました。
ここでエアロスミスのペンダントももらいましたね。
まさかエアロスミスが時代を超えたビッグバンドになるとは予想だにしなかったです。


そして原宿発祥のレディスブランド「CABIN」。
この頃、CABINのキャラクター「アンディ」がプリントされたTシャツが全国で大流行。
大阪ではCABINの店は阪急ファイブにしかなく
全大阪女子(笑)が集結してました。
私も買いましたねえ。
アンディのシャツ着てるだけで「かわいーっ!」と賞賛された時代でした。


そして80年代になった瞬間
降って湧いたようなDCブランドブーム。
ブーム以前から阪急ファイブの地下2階はDCブランドのフロアでしたが
それまで一部のオサレ人間しか行かなかったフロアが
連日大盛況となりました。
私が覚えているだけで
コム・デ・ギャルソン
BIGI
ニコル
Y's
ピンクハウス
メルローズ
イッセイミヤケ
...........
まだあったと思います。


上の方の階に
「オレンジルーム」という小ホールがあって
劇団や落語などのイベントに使用されてました。
「オレンジルーム寄席」というラジオ番組もありましたよ。


時は流れ
大人になってからのある日
阪急ファイブへ行ったら
なにやら様子がおかしい。
いつもファイブへは地下街から入ってたんですが
中の通路の両壁が
まるで工事現場のように白い布で覆われていました。


壁には貼り紙がしてあり
「ファイブから立ち退きを要求されているが
拒否している店舗だけで営業しています」
との内容が書かれていました。


目当ての店も撤退していたので
そのまま出てきましたが
ショックでしたねえ。
そうなんやー。ファイブなくなるんかー。


初めて来た日のことから
鐘の音とともに色の変わる天井
駸々堂でアメリカの洋楽雑誌を買ったこと
大月楽器でカレンダーもらったこと
ベンチでたまたま隣に座っていた3歳ぐらいの子と遊んだこと
ニコルでド派手なワンピース勧められたこと


いろんな思い出が駆けめぐり
それからファイブに行くことは永遠にありませんでした。


ファイブを出てすぐのところにあった
「キューピット」というロック喫茶。
店頭にテレビモニターが備えてあり
海外ロックミュージシャンのPVを流していました。
いつも入りたいと思いつつ
勇気がなくて結局入らずじまい。
入ってみたかったなあ。
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2016/4/10

70年代の中学英語「ニュープリンス」〜ベンとルーシー  

中学英語の教科書に登場する「エレン先生」がかわいいと話題になっていたので
ふと自分の中学時代の教科書を思い出しました。



70年代の英語の教科書は
「ニュークラウン」「ニューホライズン」「ニュープリンス」の3種類あり
学校によって(地域によって?だったかも)使用する教科書が違っていました。
私の学校は「ニュープリンス」。
なぜ3種類あるのを知ってたかっつーと
当時、購読していた旺文社の学習月刊誌「中1時代」の学習ガイドページが
この3種類別になっていたからです。
それで「クラウンとかホライズンとかあるんだ〜」と知ったわけですの。



どの教科書も、決まった登場人物がありまして
ニュープリンスの主人公は「ベン」と「ルーシー」。
Ben March と Lucy West でした。
ベンには、university student の兄トムと、college student の姉アリス
ルーシーには幼い妹メイがいました。
担任はミス・グリーン。
友達はディックとナオミ。



ナオミ。
彼女は1年生の教科書には出てこなかったのですが
この日本名を見た瞬間
「きっと着物でアナクロな登場の仕方するんだろうな」
と直感したものでした。
その直感が間違いないことがわかったのは2年生の時。
感嘆文の「What a 〜」「How 〜」の項目でした。
出たよナオミ。着物であざとく登場。
ベンやルーシーに
「What a beautiful kimono!」だの「How nice!」だの褒められて
ふふん、ってな表情。いや〜あざとさ100%。



この時に覚えたのが
「ナオミ」「キモノ」は
真ん中にアクセントを置いて発音することでした。
日本語だと平坦に発音するところを
」「」となるんですね。文字で伝わりますでしょうか。



この登場人物たちの舞台はマディソン。
マディソン。
マディソン。
マディソン。



マジソンバッグ作ってるとこか!
と、当時の私は連想してました。
マジソンバッグって若い方は知らないでしょう。
検索したら出てくるでしょうけど
70年代、男子中高生の御用達スポーツバッグでした。
感覚的には、そうですねえ。
今の高校生がナイキやアディダス等のエナメルのスポーツバッグ持ってる感じ?
もちろん形は全く違いますが
そういう感じで大流行してたんですよ。
マディソンっていうと、当時の私にはそのイメージしかなかったです。
「マディソン郡の橋」なんてずっとずっとずーっと後ですしね。



ベンとルーシーが中心になって教科書が進むんですが
まったく別の話が掲載されたりもしてました。
2年生か3年生の時だったか忘れましたが
小泉八雲の怪談「Mujina」。
「むじな」ね。
この「むじな」の意味がわからなくて。
話の内容は「教科書ガイド」のおかげで(笑)、わかったんですが
タイトル「むじな」がわからない。
教科書ガイドにも説明がない。
当時は当たり前ですがインターネットもない。
教師に「むじなって何ですか?」と聞いたような記憶がうっすらありますが
覚えてないってことは
おそらく疑問解決してくれるような回答ではなかったのかと。



今は小学校から英語の授業があるし
ネイティブの先生が教えてくれるし
幼児の英語教室もたくさんあるし
帰国子女や外国人居住者の数も当時とは比べものにならないし
私たち世代とは英語に対する感覚も天地ほどの差があるんでしょう。



中1の英語の教科書で
最初のページに出てくるリンゴの絵と「apple」の文字。
ほとんどの生徒は、ここから「英語の勉強」が始まったのでした。


そういえばちょうどその頃
芸人の横山プリンがラジオで話してました。
テレビで共演している子どもタレントが中学生になり
英語を習いだして楽しいらしく
「この単語知ってる?」
といろいろ聞いてくるんだよ、英語って最初は楽しいんだよね、だけど
「Which do you like better, an apple or an orange?」
のとこででたいてい挫折するんや。
...と言うのを聞いて「ほお。なるほど」と納得した覚えがあります。



ベンとルーシーに話しを戻しましょう。
ベンの名字はMarch なので
3月の話題がでてきた時はややこしかったですね。
ついでにルーシーの妹の名前がMay だったので
5月の話があるとややこしかったです。
もちっと違う名前にしてくれたらエエのに...と思いました。



友達と勉強する時に
ルーシーの名字はWest だったので「西ルーシーさん」
担任はミス・グリーンだったので「みどり先生」と
言い合ってました。
「ナオミあざといわー」
「ベンってルーシーとナオミのどっちが好きなんやろ」
と言ってた友はいまいずこ。



中学、楽しかったなあ。
中学時代は黒歴史で思い出すのもイヤ、って方が多いと思いますが
私は戻れるとしたら
小学校でも高校でも大学でもなく
中学なんですよ。
中2病、オーライ。ドンマイ。
あの頃に戻れたら
本たくさん読んで映画みまくってロック聴きまくって
たまに勉強して(笑)日々過ごしたいですね。


最後、ニュープリンス関係なかったですね。失礼。
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2016/3/11

35年前の立命館大学周辺マップ発掘  大学時代


立命館大学衣笠キャンパス近くのレストラン「ハウスヨーク」が閉店したことを知り
81年卒の夫に伝えたら非常に悲しんでおりました。
で、なにやら探し出して見せてくれたのが
ゼミの卒業文集だそうで
その中に、キャンパス周辺のお店マップが載っていました。
当時、夫が描いたとのことです。
今は無き懐かしのお店。
35年前からいまだご健在のお店もいくつかあります。
当時、衣笠キャンパスで学んだ方々へ、ノスタルジア進呈。


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タグ: 立命館 京都 衣笠

2015/7/17

波乱の芥川賞だった「限りなく透明に近いブルー」  


昨日はお笑い芸人の又吉さんが芥川賞を受賞されたニュースで持ちきりでした。
私は未読なんですけど、電子図書で発売された時
冒頭部分だけ無料で読めるサービスがあったので読みました。
面白かったですよ。
文章が読みやすいし、情景も容易に浮かんでくるので
続きが読みたくなる作品でした。


又吉さんの選考はすんなり決まったらしいですが
芸人の受賞は初ということで
久々に大きなニュースになりました。
芥川賞がこれだけ騒がれたのは
「限りなく透明に近いブルー」以来かなと
ふと思い出しました。


今回の芥川賞の選考委員でもある村上龍氏が
第75回芥川賞を受賞した作品「限りなく透明に近いブルー」。
この作品は選考会でも大モメだったと報道され
発刊後も読者から賛否両論の感想が聞かれた超話題作でした。


あの頃私は高校生で、ロックファンの定番雑誌「ミュージックライフ」の読者でした。
ミュージックライフの編集後記に、当時の編集長・水上はるこ氏が
「書店で『あのー、限りなく』と言った瞬間、『あー、完売して入荷待ちです』と言われる」
との文を載せていました。
どれだけ話題作だったか想像できるでしょうか。


そんな状況でしたので
私が「限りなく透明に近いブルー」を購入したのも
発売後数ヶ月たってからでした。
当時の表紙は、主人公の恋人・リリーのモデルとなった女性の横顔だったと記憶しています。
カバーの袖部分には、美大生だった村上氏の写真。
今では日本文学界の重鎮となった村上氏の若き姿に
現代の若い方は驚くかもしれません。


私より一足先に読んでいた友人曰く
「あれが芥川賞だなんておかしい!あんな文章、私でも書けるわ!」。
へー、そんな小説なん?と、読む前から少しテンション下がった私でしたが
とりあえず話題作は読んどこう、と読み始めました。


完読してみて思いました。
「いや、この文章は書けないっしょ」。


目からウロコと言うか、ほわわんとした衝撃と言うか
とにかくそれまで読んだことのなかった文体でした。
話の内容より、文体の方が鮮明に記憶に残っています。


まず、話し言葉に「」がない。
これ衝撃でした。
話し言葉には「」をつけるものだという固定観念がありましたから。
小学校の国語の時間に習いました。
練習問題で「次の文章の中で『かぎかっこ』を使う部分を抜き出しなさい」なんてのもやりました。
そうやって、会話は必ず「」を使うものだと思いこんでいました。


しかしこの作品は、会話に「」がないのです。
全部の会話に「」がないわけじゃないですよ。
ちゃんと「」を使っている会話文もあります。
でも、「」を使わずに会話文を書いてることで
逆に会話を浮き出させる効果を生んでいます。
目の前でリアルに会話を聞いているような効果です。
こんな文体の小説はそれまで存在してなかったと思います。
単に私が知らないだけかもしれませんが。


そして流れるような文章。
登場人物たちの常軌を逸した行動を
主人公がまるでガラス越しに観察しているかのように淡々と語ります。
従来の小説なら、主人公は他者の行動に自分の意志や感情を表していましたが
この「僕」は、そんな感情を露わにすることがありません。
せいぜい「気持ち悪くなって吐いた」ぐらいのことです。


それでいて描写は細かく
冒頭での「パイナップルが腐っている」くだりなどは
腐敗臭が漂ってきそうなほど(笑)リアルでした。


リアルと言えば
ハウスの仲間たちが
ローリングストーンズの「Time Is On My Side」を
大音量で流している場面。
もう、想像できすぎてしまうほどリアルに脳内再生され
読みながら「♪ターァイム イゾンマイサァァァイド」と歌いそうになるぐらいでした。
この頃は
「ローリングストーンズは永遠に日本に来ない」
と信じられていた時代でしたのよ。
だから
長谷川和彦監督の映画「太陽を盗んだ男」でも
政府への脅迫が「ストーンズを日本に呼べ」だったんですよね。
あの映画で使われたストーンズ来日公演のポスターがほしかった!ほしかったのよ!


1973年にストーンズの初来日が中止となったのも
メンバーのドラッグ歴が原因だったんですが
あの不健康なミック・ジャガーが
40年後には「健康じいさん」として現役ロッカーになるなんて
当時誰が想像できたでしょうか。


ああ、ストーンズじゃなくて「限りなく透明に近いブルー」の話に戻します。
ロックコンサートの警備員をリンチする描写もエグかったですね。
ミッキーマウスのシャツに黄色い液体がポタポタとかね。


この作品が出た次の年だったか
数学の授業で「これを『限りなくaに近づく』と言います」ってのを習った時
教室中が「ほぉーーーっ」と言う声で埋めつくされました。
数列だったかな。数U?数V?
そこで初めて「数学用語だったのか」と知りました。


賛否両論の議論を呼んだ「限りなく透明に近いブルー」。
第2作は「海の向こうで戦争が始まる」。
これは高校で同じクラスだった友達が「めちゃ感動した!」と興奮していて
第3作の「コインロッカーベイビーズ」は
大学の後輩が「これすごいわ〜」と大絶賛していて
村上龍氏は一発屋ではないことが証明されたわけですが


私は読んでないんです。
リアルタイムで読んでおくべきだったと絶賛後悔中。


「限りなく透明に近いブルー」も
今は手元にありません。
結婚するとき、親戚に
「あんたは自営業に嫁に行くんだから、のんびり本なんて読んでるヒマないよ!本なんてジャマになるよ!」
などと言いくるめられて
「パタリロ」以外のほとんどの本を天牛書店に売ってしまったからです。
あ、人のせいにしちゃいけませんね。


なぜか嫁入り道具に持ってきた「パタリロ」は
その後、息子達のお気に入りとなって重宝しました。


ちなみに、私が一番好きな芥川賞作品は
安部公房の「壁」です。
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2015/4/20

雨宿り  つぶやき



雨が続く春の日

雨宿りしている野良猫を発見


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子猫が産まれるこの時期

この猫も何匹か子猫を産んだけれど

生きられた子はいなかったらしい

本来なら子供を肌身離さず抱いて世話をしている時期なのに

いつまでも いつまでも

こうやって雨宿りしている

母になれなかった猫

雨音を聞きながら 何を思うのか
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タグ:  野良猫 

2015/2/18

シーナ&ザ・ロケッツ シーナR.I.P  ロック

2月14日にシーナ&ザ・ロケッツのシーナが亡くなったというニュースが流れ
本当に驚きました。
つい数ヶ月前、日本テレビ「秘密のケンミンショー」に
夫婦揃って出演されていたのに。


部屋の隅に放られて〜♪…って、「夢見るラグドール」の歌詞じゃないですけど
隅に置いてあるカセットテープのラックから
取り出してみました。シナロケのテープ。


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当時、大学生だった私がレコードから録音したテープ。
この頃は、レコードに傷がついたり汚れたりするのがいやで
すべてカセットテープに録音していたのです。


まだパソコンはおろかワープロもなかった時代
タイトル面は「レタリング用転写シート」を使用していました。


一番下のテープに入っているのは
伝説の名盤、と言われたデビューアルバム「#1」と
大ヒット曲「ユー・メイ・ドリーム」がフィーチャーされたセカンドアルバム「真空パック」
真ん中のは、サードアルバム「Channel Good」。「d」が抜けてるのは見逃してちょ。
一番上は、9枚目の「#9」と10枚目の「Happy House」が入ってます。


そしてこちらは
テープ版として販売されたもの。


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4枚目のアルバム「ピンナップ・ベイビー・ブルース」です。
当時、超売れっ子コピーライターだった糸井重里氏が作詞に参加
そしてミッキー・カーチスがプロデュースと
非常に話題を呼んだアルバムでした。


私はこのアルバムが大好きで
特にストーンズの「サティスファクション」のカバーは絶品でした。
この曲はいろんな人がカバーしてますが
シナロケのアレンジといったら、もうね、ぶっ飛びました。


この頃、音楽雑誌だった「宝島」誌で
「おまえらの日本のロックアルバムベスト3を教えろ」という企画があり
読者から投稿(ネットのない時代だから郵送ですよ)を募っていたので
私も投稿しました。

・サンハウス「有頂天」
・サディスティックミカバンド「黒船」
・シーナ&ザ・ロケッツ「ピンナップ・ベイビー・ブルース」

で、シナロケのとこのコメントには「サティスファクションには参るぞ!」と書いた覚えが(笑)。


もともと私はサンハウスが大好きだったんですよ。
サンハウスについての日記も書いてますので、よろしければこちら→http://star.ap.teacup.com/ladystardust/25.htmlをどうぞ。


デビューアルバム「#1」は、ロックの名盤とされていますが
長いこと廃盤になっていて
「幻の名盤」と言われていました。
今はアマゾンで買えるんですね。


サンハウス時代のブルース色が残っていて
シーナのボーカルはまだ荒削りだけど
ロックンロールの原石って感じのアルバムでした。
宝島誌でも「日本の女性ロックボーカリストの原点がここにある」って評価されてましたね。


シナロケは突然CMに出てくるイメージがあって(笑)、
ぼーっとテレビを観ていて「あれ?今のシナロケ??」ってことが多々起こりました。
何のCMだったか忘れたけど
「海は広いな大きいな〜♪」の「海」を歌い踊りながらメンバーが出てきて
「!!!!!」と目玉飛び出しそうになったり(笑)、
「職業選択の自由、アハハン♪」のCMの時は
声だけで「これシーナやん!」とわかったり


ジャノメミシンのCMでは
小学生だった双子の娘さんたちと鮎川誠が出ていて
かっこいいパパとかわいいお嬢ちゃん、という
ほんわかしたイメージでした。


このCM、あんまり流れなくて
スポンサー番組だった「3時のあなた」ぐらいでしか観られなかったんですよ。
いまはYouTubeで観られます。
いい時代になったもんだ。


そういえば80年代
中島らもがメインの大阪ローカル番組「なげやり倶楽部」で
第1回目のゲストがシナロケでした。
いやもう、この番組は…(詳細はウィキペディアでよろしく)。
中島らもと鮎川誠の会話が進まないことといったら(苦笑)。


中島「…………えー、鮎川さんは最近どういう音楽を聴いてるんですか」
鮎川「…………あー、最近ですか…レゲエなんかいいですね」
中島「………そうですか……僕レゲエ嫌いなんですよね……」


しつこいようですが、番組の詳細はウィキペディアで。
終始、鮎川誠の隣でシーナが笑顔をキープしてたのが印象的でした。
「シーナ偉いなあ」と感心してました(笑)。



シーナの訃報を聞いて、いろんな思い出が蘇りました。
私自身の結婚式の時
披露宴でのキャンドルサービスのBGMがこちらでした。


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もちろん自分で持ち込み。
当時、披露宴でのBGMは式場で用意された曲を使用するのが普通だったので
BGMすべて自分で持ち込んだ私は
さぞかしめんどくさい客だったと思います。


キャンドルサービスの時は、この曲だけでは尺が足りなかったので
ジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミー」を継ぎ足しました。
ちなみに新郎新婦入場の時は
映画「ロッキー・ホラー・ショー」のオープニング曲
「Science Fiction Double Feature」でした。
やりたい放題だったよ(笑)。


あ、その頃、式場でよく用意されてたのは
ヴァンゲリスの「炎のランナー」とか
ロッドスチュアートの「セイリング」とかだったですね。
だいたい時代がわかりますね。


シーナ、かっこいいまま逝っちゃって。
ロックなまま逝っちゃった。
夢見るロックンドール。


うち、酒屋なんですけど
訃報を聞いてこのポスターを作り
入口に貼りました。
5分で作ったんで雑だけど許してちょ。



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2014/11/30

クイーンが登場した頃の思い出  ロック

フェイスブックでクイーンの話題が出たので

「そういや私もクイーンのレコード持ってるわ。デビューアルバムとデビューシングル」

と思い出し、ガサゴソとひっぱりだしてみました。


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はい、歴史的デビューのシングル盤です。

「Keep Yourself Alive」。邦題「炎のロックンロール」(笑)。

タイトルの上についてるキャッチコピーが

「ブリティッシュロック界最高の新人・ニューヘヴィロックグループ・クイーン登場!」ですよ。

クイーンも新人だったのね。当たり前ですが。

B面は「Son & Daughter」。

これもへヴィなかっこいいナンバーです。





当時、大阪の心斎橋に「ミヤコ」という大きなレコード屋さんがありまして

シングル盤を買うと、希望すれば店内に流してもらえたんです。

私もこのレコードを店員に渡し、流してもらいました。

イントロの「ドゥンドゥンドゥコドゥコドゥコドゥンドコドコ」が流れた瞬間

店内にいた女性客数人が直立不動になったり、「キャッ!」と叫んだり

クイーン人気がよくわかる現象がおこりました。



とはいえ

この頃はまだクイーンはメジャーではなく

あくまでロックが好きな女の子たちに大人気だった、というだけでした。

このシングルを含むデビューアルパムがこちら。


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「Queen」。邦題「戦慄の王女」。

このアルバムはとにかく衝撃的でした。

ハードロックなんだけど、プログレの要素があり

だけどプログレじゃない。

何なんだこの音は!

もうね、1曲目の

「ドゥンドゥンドゥコドゥコドゥコドゥンドコドコ」で

圧倒されましたね。

かと思うと2曲目はがらっと替わって静かな曲。

そして3曲目は再び激しい曲。

B面はいきなり「Liar!」ですしね。




ところでクイーンを日本で最初に紹介したテレビ番組は

おそらく近畿放送(現・KBS京都)の

「ポップス・イン・ピクチャー」(通称PIP)ではなかったかと思います。

PIPは、当時としては画期的な、海外ミュージシャンのPVを流す番組でした。

まだMTVがなかった時代ですよ。

今でこそ日本のミュージシャンもPVつくるのが当たり前ですが

あの頃は欧米のミュージシャンのPVしかなく

それも日本ではなかなか見られませんでした。

「11PM」の水曜日にダイジェストを見ることができましたが

まるまる流してくれたのはPIPだけでした。

大阪の私の実家では近畿放送が見られませんでしたが、神戸の「サンテレビ」は見られたので

サンテレビ経由で見ていました。




PIPにレコード会社の人がクイーンの宣伝で出演し

この「戦慄の王女」のジャケットを見せたのですが

DJの川村龍一さん(当時は川村ひさし)が

「なんでクイーンなのにタイトルが王女なんですか?」とつっこんで

レコード会社の人は答えられなかったのが印象に残ってます(笑)。

で、オンエアされたPVが「Liar」でした。

Liar、かなりインパクトありましたね。




このデビューアルパムのジャケット

裏はこんなふうでした。


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これだとあんまメンバーの顔わかんないですね。

だからか?あまりミーハーなファンはまだいなかったですが

この次のアルバム「QueenU」では

宣伝ポスターがモロ「貴公子4人組!どや!」って感じのベルばら風だったんで
 

女子が食いつきましたね〜。

おまけにメンバーのプロフィールがだんだん明かされていくと

もう女子は「美形で頭いいってサイコー!」

とばかりにキャーキャーとなりました。



フレディ以外のメンバーが大学卒で

ブライアンにいたっては大学院を出て博士号をとってます。

当時のイギリスでは、大学に進学するのは相当頭がいいってことだったんです。

日本と違い、誰でも入れるわけではなかったんですね。

イギリスのロックミュージシャンで大学卒はミック・ジャガーぐらいでしたから

史上最強のインテリバンド出現!と言われました。



3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」からシングルカットされた

「キラー・クイーン」が日本で大ヒットして初来日。

私の友人がライブに行きまして

フレディが客席に投げた花に向かって突進。

苦闘の末、葉っぱ1枚ゲットして(笑)、大事に生徒手帳に挟んでました。



てか、なんで私クイーンのライブ行かなかったのかなあ?

デビューアルバムに衝撃受けたって書いてるくせに

ライブ行くほど好きじゃなかったのかな。

今となってはわかりません。

「クイーン・キッス・エアロスミス」がロック御三家と呼ばれてましたが

キッスとエアロスミスは初来日のライブに行ったんですけどねえ。

キッス初来日の話はこちら

エアロスミス初来日の話はこちら




4枚目「オペラ座の夜」の世界的大ヒットで

日本だけでなく世界のクイーンになりました。

実は私、このアルバム以降クイーン聴かなくなったんで

ヒット曲ぐらいしか知らないんですよね。

だけどなぜかこのレコードは持ってます。


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クイーンが日本語で歌ってる有名なナンバー。

この曲、大阪の報道番組「MBSナウ」のCM曲として

使用されてました。

以前、うちの店でしばらく飾ってたことあるんですが

お客さんのリアクションがまったくなくて

ショックでした(笑)。



あーなつかしいわクイーン。

クイーンがブレイクしてすぐにベイ・シティ・ローラーズが一世風靡したり

パンク到来で、イギリスからはセックス・ピストルズが

アメリカからはラモーンズが登場したり

エキサイティングな時代に中高生でラッキーでした。

そーいやランナウェイズも当初はパンクのくくりに入ってたよなあ。

ジョーン・ジェットかっこよかったなあ…



と、いろいろ思い出されて中高年の夜は更ける。
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2014/9/18

たまにはノスタルジアな話でも  家族

定休日なしの自営業をしていて

年に1度か2度ほど、「きょうは休んでいいよ」と言われる時があります。

それもたいていは前日か当日に言われるので

「どこへ行こうかワクワク」と予定を立てられることもなく

「さて、どうしよう」と悩んでしまいます。



田舎なので、電車で移動するとなると不便だし

とりあえずは車で遠出でもしようかとなります。

ひとりで気ままにドライブ。どこへでも行けばいいのに

なぜか行き着くのは、息子たちが幼い頃に連れて行った場所。



定休日のないわが家では

家族そろって外出、ということがなかなかできませんでした。

その頃は義父母も家業を担っていたので

もっぱら私が息子たちを外出させていました。



まだカーナビもネットも普及してなかった時代

ファミリー向け情報誌や単行本を片手に

道に迷いながら知らない場所へ向かう日々でした。

森の中にある広大な公園。

巨大な児童館。

一般開放されている牧場。

フロア全部がウルトラマングッズであふれている建物。

世界のいろんな国の文化が体験できる施設。



いまも存在している場所もあれば

取り壊されてしまったところもあります。

そのひとつひとつが私の中で

息子たちの笑顔・泣き顔・怒り顔とともに刻み込まれています。


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巨大な児童館の中にあった空中トンネル。

この児童館は体を使った遊びができるしくみになっていて

子供たちが大喜びで遊べた施設です。

のちに愛知万博開催地と重なったため

数年間閉館していました。


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児童館に行ったらそのあと足をのばして

一般開放されている牧場へ行くのがパターンでした。

動物が好きな息子たちのお気に入りスポット。

ポニーに乗って馬場をゆっくり歩けます。

売店のソフトクリームはおいしくて有名です。



いつでも両手が使えるように

着替えやお弁当を詰め込んだリュックを背負い

いつでも抱っこできたり走れたりするように

ぺたんこのスニーカーを履いて

2歳半違いの息子たちを引率。

すぐにケンカし始める息子たちに怒鳴ってばかり。

2人いっしょに泣き始め

「泣きたいのはこっちだよ」とトホホ状態の時も。



もう20年近くたったのに

もう息子たちは家にいないのに

なぜか私が出かけるのは

あの時3人で行った場所。

せっかくの貴重な休みだから、行ったことない所へ行けばいいのにね。

心の貧乏性(笑)。



育児でヘトヘトなお母さんたちへ。

その頃が幸せだったと思える日が必ず来ますよ。

子供と過ごす時間は宝物です。

ガンバレ。


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