2012/3/11

3.11  

1年前,大きな地震がありました。職場の3階の階段を登りきろうとしていたときに,地震が起こりました。あの日,職場が解散となって家に向かえたのは,18時過ぎ。市の中心部についたのは,おそらく19時頃だったと思います。市内の大きな交差点は,発電機により信号がついていましたが,街中の信号は真っ暗です。雪も降っています。でも,その交差点で,一生懸命交通整理をしてくれている地域の方がいました。通り過ぎる車からは「ありがとう!」「がんばれ!」の声。そのうち,反射シートのついたたすきを持ったおじいさんがやってきて,その方に手渡していました。悲しく沈んでいた気持ちが,少し明るくなりました。
家に帰ってみると,冷蔵庫や本棚が移動してしまっていて,すぐには部屋の中に入れませんでした。職場の同僚の家の中もめちゃくちゃになっていたので,うちに誘って一緒に一晩過ごすことにしました。その晩,ラジオで聞いた津波のニュースに愕然としました。職場は,県内でも被害の少ない地域だったので,ラジオで聞くまでこれほど被害があるとは思ってもみなかったのです。
12日の夕方にはガスが復旧しました。12日の夜には,公衆電話で実家に無事を伝え,14日にはPHSが使えるようになったので,たまっていたメールに返事しました。たくさんの友達が心配してくれていました。16日には電気と水道が復旧しました。職場の同僚とは,それまでの約1週間の共同生活となりました。
17日には,私の祖母が震災前に出したという葉書が届きました。こんな震災の中でも,ちゃんと届くんだと感動しました。時々,スーパーなどに買い出しに行きました。皆,きちんと並び物の取り合いもなく,並んでいる間は情報交換などをして,案外楽しく過ごせたことが幸いです。そして28日から6月上旬までは,やはり家の中がめちゃくちゃになったため職場の人の家に居候していたという元同僚が,同居人になりました。
長いような短いような1年でした。夏頃からは,今までと変わらない生活になりました。今では,仕事中に地震のことを思い出すことはほとんどありません。家に帰ってテレビを付けると,地震のことを思い出すといった感じです。でも,未だに宮城県だけで12万人以上の方が仮設住宅などで避難生活をしていること,将来に不安を抱えている人がたくさんいること,手つかずの被災地があるのが現状です。苦しんでいる人がいることを忘れず,できる支援を考えていきたいと思います。



2012/3/13  21:50

投稿者:カマンベール

リアルタイムで映像を見ていた方は,
相当な衝撃を受けたことでしょうね。
私は,気持ちの整理がつくまで,
新聞の写真などをあえて見ないようにしていました。
(停電で,テレビは見れませんでした。)

まだ何も解決していないし,悲しみは消えないけど,
1年経ったということで,
気持ちが少し落ち着いたという方々もいるようです。
がれき対策も,1年の区切りを経て本格始動しそうです。

これからできることが,まだまだありますね。
私も,できることを探していきたいと思います。
無理せず,頑張りましょうね!

2012/3/13  20:23

投稿者:みはる

その日、その時間
一年たった今でもあの衝撃的な映像は忘れられません。

カマンしゃんが その日の事を思い返し
語れる・・・それだけ時間が経ったんですね。
今 こうしてやり取りできる事が嬉しいです。

何かできたはずなのに、何もしてこなかった
一年だったような・・・。
今からでもできる事を探していきたいと思った
2012年3月11日でした。

お互いに頑張りましょうね。

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