2018/3/16

3.11とヨーガ・スートラ  

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 先週末に、広島県廿日市にある“honohono”というヨガスタジオでワークショップをしてきました。二日間のプログラムの一部として、ヨーガ・スートラの解説講義を行ないました。偶然にもそれは3月11日、「震災の日」でした。よりによって、この日にスートラを講じるという奇妙な巡り合わせについて少し考えたことがあるので、それを文章にまとめてみます。

 僕は今でもはっきり覚えています。
 原発事故の直後、首都圏の人々は飛来する放射線物質に怯えていました。僕の住む東京では、被災地でもないのにパニックが起こりました。
 「プルトニウムに汚染されて東京は壊滅!」といった恐ろしい噂が、ネットを通じて拡散していました。近所の顔なじみのコンビニ店長はその情報を信じ込んで、「みんな死にます、もう終わりです!」と目に涙を浮かべながら僕に訴えました。
 大慌てで西日本へ移動した人、海外へ脱出した人もいました。僕の知る範囲では、ヨーガ関係者にこういう人が多かったですね。彼らは自分では「正しい情報」に基づいて、他の人々よりも賢明で迅速な行動をとっていると思っていたでしょうが、その心理状態はコンビニの店長さんとあまり変わりないものでした。
 オイルショックの教訓も忘れ、食料や日用品の買い占めに走る人が続出しました。東京の物流は正常時ほどではないにしろ、まともに機能していたというのに、買い占めのせいでコンビニやスーパーの棚からは商品が消えました。節電のために昼間も薄暗い店内はいっそう荒(すさ)んだ様子になって、人々をさらに暗い気持ちにさせました。
 数日間、断続的な余震が続きました。余震が収まった後も、体の中にまだ揺れているような感覚が残りました。人々は放射能汚染に関する情報を四六時中チェックしていました。小さい子どものいる親は特にナーヴァスでした。しかし、情報の真偽を確かめるすべもなく、情報を求めるほどに混乱と不安は増してゆくのでした。放射能のリスクがなかった西の人には想像しにくいでしょう。あの頃、日本の東エリアでは、誰もが「正気」でいることが難しかったのです。

 東京で起きたあのパニックを、僕はしっかり覚えておこうと思うのです。繰り返しますが、東京は直接の被災地ではありませんでした。東京の人はいつもちょっとしたことでパニックを起こします。パニックのきっかけとなったもの(台風、大雪、害虫、ウィルス、放射能)よりも、パニックを引き起こす人々の心の方がよほど恐ろしいのです。
 それから、普段は「冷静さ」や「心の平安」を説いているヨーガ関係者たちがあの時に見せた、あられもない混乱ぶりや例外的事態に対する弱さのことも、長く記憶にとどめておきましょう……自分の鏡として。ヨーガの経験や知識は、かならずしも「生きる」ことの役には立たないようです。むしろヨーガをすることで、必要以上の神経過敏さや不安体質を作ってしまうのかもしれません。広い意味で「霊性」に関わる人、アーティストも含め、そういう人は「見えないもの」への感受性を発達させているので、目に見えない放射能に対して過剰に反応してしまうのではないでしょうか。その種の人々が共通に抱える弱点ですね。

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 3月11日にヨーガ・スートラを読む――これは一種のアイロニー(皮肉)です。ヨーガとは心の動きを鎮める修練を重ね、真我独存の境地を目指すものであると、スートラは説きます。しかし、そのような悟りの境地が災害時に何の役に立つでしょうか。周囲がパニックに陥る中で、ヨーガの修行者は冷静さを保ち、的確な行動をとることができる……などということは決してありません。震災後の混乱の中で僕が見たことから言えば、ヨーガ経験の有無には関係なく、たんに例外的事態に強いタイプの人と弱いタイプの人がいるだけです。言ってしまえば、性格でしょうか。
 3月11日は僕にとって、ヨーガ講師がしばしば口にする「冷静さ」「落ち着き」「心の平安」といった言葉の薄っぺらさを噛みしめる日です。スートラを読むには絶好の日です。もちろん、こうした皮肉な意味だけではなく、その反対側には素直にポジティブな意味もあります。
 この日は人間にとって「幸せ」とは何かを考える日でもあります。地位や名声やお金よりも大切なものがあることを、日本人は震災・原発事故の経験から学びました。みんなが一時は「正気」に戻りました。けれども、その時期は長くは続きませんでした。せめてこの日だけでも、あの時の「正気」を思い出そう。そう考える人が僕の周りには少なからずいます。スートラは人間にとって「幸せ」とは何かを説いています。無知から生じる幻想を打ち払い、「正気」に戻る方法を教えています。ですから、3月11日にスートラを読むことは、ストレートに意味深い経験であると言えるでしょう。(→詳しいスートラ解説はこちらへ)
 実際、“honohono”で行なわれた解説講義において、僕らはこの日ならではのスートラの読み方ができたと思います。廿日市では同じ時間帯に近隣で被災者支援イベントが開催されており、“honohono”はスタジオとして義援金集めに協力していました。講義に参加した人たちの心にはそれぞれ震災に関する思いがありました(原爆の記憶を継承する広島の人は、震災の死者やその遺族への思いがとても深いという印象を受けます)。こんな雰囲気の中でスートラを読むなんて、まあ滅多にない特別な経験でした。でも、僕らはすぐにそれを忘れるでしょう。そして、また何かの機会に思い出すでしょう。人の経験はそうやって少しずつ熟してゆくものです。

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