前回の日記から、明日で一週間になります。
あっという間の一週間でした。
11月12日夜、母がこの世を去りました。
前日に具合が悪いので、医者に連れて行ってほしいと頼まれ、良く知っている町医者へ行きました。
レントゲン撮影の結果、肺に影があるので大きな病院に行ってほしいとのこと。
その日は、点滴を受けて帰宅しました。
あいにく翌日は、僕が早朝から仕事で、朝一番に病院へ連れて行ってあげられなかったんです。
気になっていたので、出勤前に実家へ寄った時は、まだそれほど悪くはなかったんです。
そのまま出勤し、1乗務終わったところで携帯を確認すると、今から入院できないかとメールが入っていました。
しかし、次発車までの時間がなく、交代ができなかったので、母には一往復したら交代してもらう旨を伝え出発しました。
そんなに悪くなっているとは思わずに…。
一往復して、交代を待ち、営業所に戻ってすぐに帰宅しました。
母はかなり弱っており、喋ることもままなりませんでした。
ひとまず着替えをさせ、貴重品を持って車に乗せました。
午後からの受付を済ませ、処置室に入るまで約20分程だったでしょうか。
処置室に入って、ベッドに寝かせ点滴や酸素吸入の処置をしようとしたその時、母が目を見開き、左腕が自然に上へ上がりだしました。
慌てて顔を見ると、目の焦点が定まっていませんでした。
医師が「ショック症状を起こしているようで、心肺が停止しました。すぐに蘇生に入りますから、外に出てお待ちください。」とのこと。
僕は、待合に出ました。
家族に連絡を入れ、ただただ回復を祈るばかり。
約30分の後、部屋を移すことになりました。
と言うことは、回復の見込みがない…。
しばらくして、弟から新幹線に乗ったと連絡が。
医長から、14:30を目途に、蘇生処置をやめる旨が。
僕も覚悟を決めた時、再び心臓が動き始めたんです。
再度部屋を移し、今度はHCUへ。
それからは、呼吸器は着けているものの、心臓は自発的に動いていました。
こちらの呼び掛けに対しても、目を開けたり、首を動かしたりして反応はしていました。
それから約3時間後、弟夫妻が到着。
その時も、呼び掛けには反応していました。
その後、より高度な医療を受けられる病院への転院を決め、準備を始めた頃でした。
主治医から心臓の動きが弱まって来たと呼ばれました。
再度、蘇生処置を始めましたが、心臓はかなり弱っていました。
これ以上続けても、身体にダメージを与えるだけと判断し、蘇生処置をやめていただきました。
19:43、心臓は動きを止めました。
母は永い眠りに着きました。
僕がもっと早く病院へ連れていけば…。
悔やまれることがたくさんあります。
でも、妻を始め、母のことを知る周りの人は、自分を責めてはいけない、こうなるまで、僕たちの忠告に耳を傾けず、ぎりぎりまで病院に行かなかった母にも原因があると言ってくれました。
死因は、肺炎が起因する敗血症による、多臓器不全でした。
ずいぶん前から、肺炎を患っていたようです。
でも、しんどいことをぎりぎりまで黙っていたんです。
僕は、何度も何度も無理をするな、早めに医者に行けと言っていたのに…。
無理矢理でも連れて行けば良かった。
悔やんでも、悔やみきれません。
でも、幸いだったのは、妹が間に合わなかったものの、それ以外の家族全員に見守られてこの世を去ったこと。
68年という短い人生でしたが、きっと幸せだったに違いありません。

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