私は、偶にPHP研究所から出版されている「歴史街道」という雑誌を購入することがあるが、その2004年5月号に、
黒鉄ヒロシ氏が「ロストサムライ」という題で、こう書いている。
「サムライの精神」、すなわち「武士道」とは何か。
「何か」を考えるとき「尻取り的思考法」は便利である。
「精神」と「道」とをヒントに出発する。
そこに「カタチ」があるのなら「形作る要素」が必要となる。
それは規則であり、つまりは約束である。
さらにそれは義務であり、責任となる。
自省なくして確認は出来ない。
結果、選択が行なわれ決断へと導かれる。
次に行動となるが、当然に勇気が必要となり、内なる精神は無私を要求する。
弁解は許されない。
尻取りの全貌を眺め直してまとめて篩(ふるい)にかけると
残るエレメントは「美しいか否か」の一点に落ち着く。
自らが認めても、他者に否定されたのでは資格を失う。
判定は自他の二つの基準をクリアしなくてはならない。
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思想性などとは無関係に、日本名物「サムライ」は品切れ寸前のようである。
身分制度などとも無縁で、その精神の正体は
「犀(さい)の角のようにあれ」と説くお釈迦様の言葉にも重なる。
「人間の条件」の上にあると思われる「サムライの条件」。
髷(まげ)を乗せずとも、裃(かみしも)をつけずとも、刀を差さずとも、
ココロのサムライは何時の時代にも存在できるはずだ。
「武士道」とは人間修行であると見つけたり。
黒鉄ヒロシ氏の文章は「歴史街道」の毎回1ページ目を飾っていて、私は興味深く読ませてもらっている。
その中でも、この文章は特別な輝きを放っていると感じていたが・・・
今の自分には、胸に突き刺さる一文である。
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