先祖供養は適当で良い。
(別に特別大事では無い。
各自おのおのが、適切と思えるやり方で良いじゃん♪)
先祖もまた意味はいくつか取れますが、
先祖供養と言う言葉で説明されている、多くの場合は、
自分の親から上で、亡くなられた方々の事、
全部をひっくるめて言っているようです。
で、その前提で、
何で私が、こんな結論になったかと言うとですね、
例えば
「誰かを想う事」「誰かに感謝する事」
こう言う事が大事だと言うなら、何でわざわざ
先祖だけを区別化して、大事にせよとなるんでしょう?
例えば自分の親が、生きてる時にはどうでも良くて、
亡くなったら感謝して、手厚い扱いや、
接し方になるんでしょうか?
もし私が親の立場なら、たぶん、
「亡くなった後で急に、時間やエネルギーを割いてくれるなら、
生きてるうちにやってよ!」
と思います。
もちろん、死後の世界なんて無い、
霊など存在しないって方にとっては、
まったくナンセンスな考え方でしょう。
が、もし
死後や霊を、前提に考えるんだとしても
私なら、なおの事
「同じ人間」に思えます。
生きていようが、亡くなろうが、
親は親だし、おじーちゃんおばーちゃんは、
おじーちゃんおばーちゃんだし、
もっと先の先祖の方だって、同じ感覚に思えます。
違っているのは、あくまで状態、
同じ人間です。
なぜ死後の時だけを差別化して、
大事に接しなきゃいけないのかの、
理屈がわかりません。
だからもちろん、積極的にほったらかせとか、
粗末にしろとか、そう言う事を言うつもりは無いですよ。
想う方も想われる方も、それぞれであって千差万別、
こうしなくてはいけない、これは駄目だ、祟りがあると、
正しいと称する、統一見解がある事に、
私なら違和感を、覚えるわけです。
「まず先祖供養ありき」
「先祖の力や因縁、加護はすごい」
「それには正しく先祖供養しなければ幸せになれない」
「それで苦しみや病気が治る」
「ガンを克服するパワーを得た」
だから先祖供養をする?
何で同じ人間が
「先祖って状態」になっちゃった途端に、
影響力も能力も、性格も反応も、接し方も、
「正しい先祖供養とやらを主張する人の、主張通りに」
正しいと間違っているに、綺麗にわけられて、
変化しちゃうのか、わかんないんですよね〜(^-^;;
