河合楽器に目出度く入社し出勤日を楽しみにして自宅待機していたところ管理職は全員一ヶ月の研修という通達が舞い込んで来た。卒業したての若造に管理職など出来っこないと心配になったが、会社命令で
あれば仕方がない。結局河合楽器浜松本社寮に同時に採用された10人と共同生活が始まった。
30代後半のおじ様ばかりの中でいろいろな大人の世間話を聞いた。
その中の1人が「自分は河合の経理課勤務になりそうだ」と言うSと名乗る恰幅の良い人物がいた。
この人物が将来河合楽器の経理部長に昇進、その後河合が倒産寸前のテスコを吸収する。森岡がテスコを退職後ファーストマン楽器製造株式会社を設立したためテスコの売上が激減し大赤字を出した。
そのことを隠滅させるため、大粉飾事件を起こした張本人になるとは思いもよらなかった。
当時、彼は寮から毎晩のように飲み屋に通い遊び歩いているプレーボーイに見えた。毎日の研修は工場見学だのセールストークの指導から経理の記帳、バランスシートの作成まで全く楽器に関係ない出先支店の
管理職の研修ばかりだった。技術開発か演奏関係の仕事をさせてもらえると思っていたのに、どうも養父と河合社長の間で話が出来ていたようだ。養父が他人の飯を食って来いと言った件に関係があり経営者教育を
受けて他の同輩と同じ様に、どこかの支店の管理職勤務にされてしまうのかなと不安になり出した。
研修中全員が、どこの勤務に着かされるかは判らず不安な状況であった。
ある日最初に就職面接を受けた和泉課長が東京から浜松本社に出張してきたので本社の電子オルガン技術部の部長中谷氏を紹介しようと言われ開発室に連れて行かれた。開発室には完成間際と思われる
電子オルガンが置いてあった。
中谷氏は、いかにも自信たっぷりで開発している事を発言したが試奏したら全く製品化できる代物ではなかった。それを和泉課長は知っていて森岡に見せたようだ。その後に判ったことであるが和泉課長は既に社長に
対して本社での開発を断念するように説得工作を開始していたようである。
その後、開発室を時々訪問すると中谷課長は到底製品化出来ない電子オルガンを前で自分の開発技術力の自慢をし、話し合える相手でないことに気がついた。
いよいよ研修が終わる直前、研修者各人の勤務先の辞令が発表された。
ほとんどが新販売店出張所の設立に携わる事が決まったが、S氏は本社経理部、森岡は東京支店勤務であった。初めて河合楽器東京支店に出勤した日、既に森岡の机が平社員の中に備えられていた。
しかし、どのような仕事に従事するのかはっきりしない。
1階のショールームにあるピアノを弾いて時間つぶしをしている状況が数日続いた。ショールームには若い女性が数名いたが最初に面接時に会った女性は河合のデモストレーターで河合のカタログやポスターなどにも
演奏者やモデルとして活用されていることを知った。来客があるとクラシック音楽を華麗に演奏していた。
手持ちぶさたの1ヶ月が過ぎた頃、和泉課長がこのたび全く新しい事業部が出来るので自分も君もそこに所属するからもう少し待っているようにと言われた。
そして、その事業部で本社と別に電子オルガンを商品化するので一役買って欲しいと言われ、いよいよチャンスがやって来たと思った。それに前後して時々河合のピアノデモストレーション演奏をする機会も出てきた。
森岡の机の隣に如何にも古顔の女性がいて色々と話し掛けてくるが、ある日同僚が誘ってくれて彼女を除く5人で当時流行していたシネラマを観賞に行った。その中に現在の妻がいた。翌日、その女性は「夕べ皆と映画を
見に行ったでしょう」と不機嫌になり、それ以来隣にいるのがいずらい気分になった。