1974年(昭和49年)1月に始めてオーストラリアに向けて出発した。
海外旅行は今回で3回目である。羽田から香港経由シドニー行きに搭乗した。
経由地の香港には夕刻前に着いた。
飛行機が空港に近づき降下しだし香港市内のビルの屋上がよく見えるくらいの低空飛行にビックリした。
何か危険な感じがした。その後に日航機が事故を起こした世界でも危険な空港の一つであった。
そして香港を後にシドニーに向けて飛び立った。
この出張はオーストラリアCBSの修理技術者に対する技術指導及び演奏のデモストレーションであった。
空港にはセールスマネージャーのピーター氏が出迎えに来てくれた。翌日からは、びっしりとしたスケジュールが一週間組まれていた。技術者とミーティングを開始して困ったのは会話であった。
彼らの使う英語が全く聞き取れない。数例を上げるとDAYの発音がダイ、GAMEの発音がガイム、例えば今日は月曜日ですはトゥダイ イズ マンダイとなる。なまりのある英語との格闘、そして難しい
技術指導は一週間続いた。その間、現地の特約店を集めて行われた電子オルガンのデモ演奏は好評であった。ピーター氏はデモが終わった日に自宅に招待して下さりオーストラリアの
美味しいビーフステーキをご馳走して下さった。
私は神戸育ちで世界一の神戸ビーフの味を知っている。
しかし、この時のステーキは印象に残る美味しさであった。
それだけでなく毎日仕事の後でCBSの社長さんや取締役等が夕食を高級レストランで接待して下さり美味しく頂いた。私はウェントワースと言うホテルに滞在していたがゴージャスで以前に故佐藤総理大臣が
宿泊したことがあると聞いていた。
夜になるとバーラウンジには素晴らしいバンドが入り毎晩退屈することなく音楽を楽しめた。
仕事の後の2日間の週末を単身でシドニーに滞在することにした。私はステーキが大好物で土曜日の昼食にステーキハウスに入った。
レストランの受付の男性が「どこのホテルにお泊まりですか?」と聞かれた。
ホテル名をいうと席に案内してくれた。そのレストランのステーキも美味しかった。
午後は家族のおみやげやショッピングに市内を歩き回った。
夕食は、魚の料理も食べたいと思いホテルで美味しいレストランを聞いてから出かけた。
しかし受付の男性には、またどこのホテルに滞在しているかと聞かれた。なぜ同じ事を聞くのか判らなかった。
その後知ったことであるが当時はまだ人種差別があり黄色人種で白色人種並の待遇を受けられたのは日本人だけであった。ウェントワースホテルに泊まれた黄色人種は日本人だけでホテル名を聞くのは
人種確認であったことが判った。
翌日、日曜日は商店街も全部店を閉めており仕方なく市内の大きな公園を散歩することにした。
公園を歩いていると向こうから一人の日本人らしき若者が歩いて来た。
しかし日本人という証拠はない。すれ違う時に「こんにちは」と話すと相手も「こんにちは」と返事があった。
日本人だ!オーストラリアへ着いてから始めて話した日本語であった。
直ぐに脇にあったベンチに座って話しをした。
彼は一年前に英語の勉強を目的に単身でオーストラリアに来たという。
大学卒業後就職せずに日本人の全くいないタスマニアへたどり着いた。
そして農家で一年間仕事に従事した。
到着当時は英語はチンプンカンプンで仕事を見つけるまでは非常に不安であった。
やっと見つけた農家のオーナーは良い人で可愛がってもらったようで3日前にオーナーの小型セスナ機でシドニーまで送り届けてもらったと話してくれた。彼にどこの大学かと聞くと「僕は甲南大学という
関西の大学です」と言う。「なにー甲南?私の後輩だ。そして学校時代の部活はと聞くと軽音楽部、楽器は何かと聞いたら答えはエレキギター、どこのギターを持っていたのかと聞くとファーストマン」という。
神様が私に引きあわせて下さったような返事であった。
それから色々甲南の話が始まり昼食を一緒にする事になった。
彼に何が食べたいかと聞くとステーキと言う。私は毎日ステーキでも大丈夫なので彼にどこが良いか案内して欲しいと頼むと彼はシドニーは知らないので繁華街のキングスクロスで適当に見つけよう
という事になった。そして洒落たステーキハウスを見つけて入った。
なんと座った席の壁に岡田真澄氏のサイン入りの写真が額縁に飾られていた。
ウェイターに聞いたら彼がお客様として来たことがあると言う。
人懐っこいウェーターで日本のどこから来たのかと聞くので神戸と答えた。
ニッコリしてあの有名な神戸ビーフの町からと聞くのでイエスと答えた。
そしてティーボーンステーキを注文した。
これは絶品であった。食べ終わったらウェーターは味はどうだったと聞いたので大変美味しかったと返事をした。すると神戸と比べてどうだと聞くので同等に美味しいと言うとちょっと待って下さいと
言って奥に入った。直ぐにオーナーシェフがニコニコして紙を持ってテーブルに来た。
彼は神戸から来たお客さんのサインが欲しいと言ったので「神戸ビーフと同じ様に美味しかった」と書いてサインをして渡した。
そうしたらサービスと言って今まで全く食べたことのない果物をデザートに出してくれた。
この果物は未だに日本で見たことはないが何ともいえない美味しさであった。
昼食後も一日彼と過ごして夕食も一緒にレストランを見つけて入った。
そこでもホテル名を聞かれた。そのころまでオーストラリアは白人優先の社会だったようである。