1967年(昭和42年)の仕事始めにテスコ本社に電話を入れた。
既に河合楽器製作所の傘下に入り河合本社でテスコの幹部を召集して会議を近日中に開く予定が、何故か森岡だけがそのメンバーに加えられていない事を知った。当時、エレキブームに乗って河合もエレキギターの生産を開始していたが猛烈な販売戦略で河合が販売に相当苦戦していた事と以前河合に在籍していた人間なので敵視し敬遠する役員がいたのである。
その会議が終わった直後に当時のテスコ幹部の一人が緊急電話をして来た。会議の席で河合のナンバー2であるMr K.E営業本部長が森岡だけは絶対に許せない。あいつを叩き潰して「やつの家の屋根にペンペン草を生やしてやる」と発言したとのこと、これは浜松地方の方言で強い威嚇の言葉である。
森岡は即座に自分の株式の持ち分が50パーセントを越していたミナト楽器のみを独立させ新会社設立を計画した。半月ほど掛けて新会社の名称を下記のようなものを考えた。ギブトーン、モナーク、フィンガー、ヒルウッド、ファーストマン等々最初の3ブランドは、いずれもロゴをデザイン
するときに当時の舶来高級品ギブソン、フェンダー、モズライトのブランドロゴに類似したデザインが作れる。
しかし、ブランドの類似ロゴを作ってもイミテーションはイミテーション、自分は世界の技術レベルに達するエレキギターを開発生産しよう。
そして自分の名前をつけよう。ヤマハもカワイも創立者の名前が商標になっていると思い名前の一夫をもじって Firstmanにした。ところが、この文字は筆記体にするとフェンダーによく似たブランドロゴになる。
世界レベルの高品質ギターを目標にすれば他社のブランドのロゴを模倣するデザインはタブーである。
フェンダーのロゴは流れるような筆記体、楷書にするとあまりデザインは良くない。当時、国内他社が生産していたグレコはギブソンのG、グヤトーンはG、有名ブランドのロゴに類似した頭文字の形状を出来るだけ避けようとした。
その為Firstmanの頭文字Fはフェンダーのロゴの流れるような行書ではない。
そしてFirstとmanの間に一旦小さな区切りをつけた。とくに最後の小文字nは尻尾を長くするとフェンダーの最終小文字rに似てしまうので短くした。世界レベルを目指す以上は同一世界レベルのロゴと類似するのは困る。また一番最初のFだけフェンダーのFより多少角度を緩めた。
そして神戸のミナト楽器を母体に新会社を設立することになった。
設立と同時にテスコの別法人でテスコ弦楽器という会社が長野県にあった。この会社がテスコの経営不振で大量の半完成を在庫していることを知っていたので、直ぐに出向いてその会社の丸山社長に面会した。
丸山氏は良きテスコ時代の名残で大邸宅に住み当時では珍しいベンツを運転手付きで乗り回していた。
丸山氏は元テスコの社員が、ここに買い付けに来ている連中がいると言った。そして関東は彼らに任せて関西は森岡に任せようと言ってくれた。一社独占を主張したが彼は聞き入れなかった。
但し、ファーストマンが企画設計した機種は絶対に他社に出荷しない確約だけは文章で取り付けた。
その後大ヒットするブルーコメッツシリーズやモズライトの事は丸山氏は想像もしていなかったと思う。
そして関西はファーストマン、関東はハニーが営業を開始した。
まずはテスコが倒産した後の在庫品をこの両社で処分することになった。それは相当の苦戦を強いられた。
自分の開発したものでないのでセールストークが出来ない。ただの値引き合戦でプライドは傷つけられた。
しかし、その直後に親しくしていた神戸新聞会館興行部長の畠山氏が、今度神戸でブルーコメッツと言う新人グループがコンサートを開催するので会ってみないかと話し掛けて下さった。
彼の興行師としての手腕は関西で有名であった。もちろん直ぐに了承した。
その同時期に東京の輸入業者である飛鳥貿易の賀来社長がわざわざ神戸まで訪ねてきた。
当時この会社は米国の有名ブランドを輸入している最大手であった。彼は開口一番「森岡さんモズライトを日本で販売しませんか?東京にモズライトのセールスマネージャーのフィル・ブレナー氏が来ていて取引先を模索している」と言った。一度に大きなチャンスがやって来たと思った。
直ぐに上京してモズライトの日本総代理店の契約をファーストマン、飛鳥貿易、モズライトの三社で締結の合意が得られる段階になった。それは年間購入最低数量が、わずか240本程度だった。
森岡が欲しかったのは、モズライトの高出力のギターピックアップ、スムーズな細いネックの製作方法であった。この契約の同時期にブルーコメッツ神戸公演で彼らと初めて出合った。
その瞬間、彼らの楽器を世界のハイグレードレベルで完成させようと考えた。当時日本のギターメーカーは海外に安物ばかりを生産して輸出をしていた。一部の製品は国内でも販売していた。
当然国内外のスタープレーヤーは使用しないレベルのものである。直ぐに飛鳥貿易に対し240本の最低仕入れは確約するがモズライトの日本での生産の権利と技術提供を自社のみに直接供与することを契約内容に盛り込むことを要求した。それは意外にも簡単に了承された。
飛鳥貿易の社長と森岡とフィル・ブレナー氏との会話時に直接モズレー氏にコンタクトを取り了承を得た。