2014/12/4

「DESIRE WALKS ON」発表時のナンシー・ウィルソン  HEART

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「DESIRE WALKS ON」発表時のHEART ナンシー・ウィルソン、ハワード・リースのインタビュー。
恒例のギター紹介もある。

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2014/12/2

「DESIRE WALKS ON」発表時のナンシー&ハワード・リース  HEART

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ヤングギターでの「DESIRE WALKS ON」発表時インタビュー。
ツアーのリハーサル中のナンシーをシアトルでキャッチ。

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2014/12/1

「DESIRE WALKS ON」発表時のアン&ナンシー  HEART

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ミュージックライフでのインタビュー。
アメリカツアー中の2人に訊いている。

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2014/11/28

「DESIRE WALKS ON」来日公演時のアン&ナンシー  HEART

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「DESIRE WALKS ON」での来日公演時のアン、ナンシー。
ミュージック・ライフの記事。
アコースティック色の強いコンサートの内容について。

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2014/11/26

HEART インタビュー by 伊藤政則  HEART

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いつのインタビューかは不明。おそらく「BAD ANIMALS」の頃。

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2014/11/25

PLAYER誌 ナンシー・ウィルソン  HEART

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PLAYER誌でのギターコレクション紹介。
アルバム「HEART」発表の頃か。

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2014/11/24

「DESIRE WALKS ON」発表時のナンシー・ウィルソン  HEART

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「DESIRE WALKS ON」のツアーで来日した際のヤングギター誌インタビュー。
記事要約

・アコースティックセットを組んでいるため、ホール中心のツアーになっている。

・レコーディング時のサウンドの作り方。使用ギター、アンプについて。

・ツアーに持っていくギターやエフェクターの紹介。

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2014/11/24

「BRIGADE」発表時のナンシー・ウィルソン  HEART

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ヤングギターのインタビュー。アルバム「BRIGADE」発表後。
ナンシーのヤングギター初インタビューとある。

・最初に買ったギターは30ドルで、すごく太いネックでまともにコードが押さえられなかった。

・エレクトリックギターを始めたのは14歳のとき。当時アンはホフナーのベースを所有。

・最初にギターを手に入れたのはアンのほう。いないときを見計らっていじっていた。

・ギターを弾くのがつらいと思ったことはなく、ウマくなりたかった。ビートルズみたいになりたかった。

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2013/7/16

エリック・カルメン 1979 インタビューA  エリック・カルメン


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<エリック・カルメン 1979 インタビュー2>

 最初の夢に破れたエリックは,この時の経験が身にしみたのか,ソロ・シンガーとして再スタートを切っている。レコード会社もそれまでのキャピトル・レコードから新興レーベルだったアリスタ・レコードに移籍。そして,“オール・バイ・マイセルフ”というロック史に残る名曲をシングル第一弾として発表,大ヒットを記録している。 その曲を含むファースト・アルバムもゴールド・ディスクを獲得し’76年度の最優秀新人歌手にも選ぱれたのだ。今までにない成功を納めることができたのである。

 ソロとしてスタートを切ったエリックの音楽は,ラズベリーズ時代の延長で,ポップ性の強いメロディックなバラードとロックン・ロールが中心である。しかし,ソングライターとしての自分に目をむけ,ゴールド・ディスクをとったミュージシャンとしての自覚に目ざめた時エリックの中にはそれまではっきりしなかったひとりのアーティストとしての自分が少しずつ形をとりはじめていた。「自分が何であるかを発見したい」と。するとそれまで一緒に仕事をし,多くのものをわけあっていたジミー・イエナーとの意見が食い違い、彼をサポートしていたミュージシャンとも気まずくなってしまった。そこで,エリックは自分でプロデュースをすることを決心する。再び,彼はプロデューサーとしていちからスタートを切るのだ。                  
  
文字どおり血みどろの闘いだったと言う。その頃を思い出すのも辛いのか,エリックは多くを語ろうとしない。だから,2枚目のアルバム,「雄々しき翼」は彼にとってミュージシャンの生命をかけるほどの大きな意味をもっていた。「僕のミュージシャンとしての過去10年をすべて話っている自叙伝」と,今でもエリックは語る。

しかし「雄々しき翼」はゴールド・ディスクを獲得したものの,芳しい結果は示さなかった。ラジオのAMステーションは,ヒット・シングルがないことでそっぽを向き,ポップ・ミュージシャンというイメージでFMステーションは最初から無視し続けたのだ。結局,エリック自身が満足しただけで終わってしまったのである。

エリック・カルメンを聴いた人ならば誰でも感じると思うが,彼の才能,特にソングライターとしての力量に目を見張ると思う。実際、'70年代のロック・シーンにおいて彼は最も優秀なコンポーザーのひとりに数えられるはずだ。だから,今までに遭遇した危機もすべて,彼のによって切り開いてきたように思われる。今回のアルバム,「チェンジ・オブ・ハート」もそうした才能があるゆえに,前作のコンセプト・アルバムといったスタイルから,再びヒット曲を盛り込んだようなアルバムヘと見事な転換をしている。ショーン・キャシディに提供しだヘイ・ディニー”やすでに録音ずみだっだサムデイ”,4年前に書いた“チェンジ・オブ・ハート”などと新作を含め,それぞれがシングル・ヒットしそうなものばかり。勿論,シングル・ヒットがあるのはブラスなのだが,今のエリックはあまり興味がないような顔をする。
 
「僕にとって最高の喜びは歌詞と曲が書きあがった時さ。朝早くアパートにあるピアノに坐って,灰でいっぱいになった灰皿とそこら中にちらばった紙に囲まれて,宵闇がせまってゆくのを感じながら,これから何年間も人に口ずさまれるかもしれない歌をつくったと感じるのはなんともいえず満足感のあるものさ。この満足感さえ味わえれば他に何もいらないよ。今の僕にとって,条件のそろった所で自分の思うように演奏できるなら別だけど,妥協しながらはプレイしたくないね」

 そんなソングライター、エリック・カルメンの才能を実証するかのように,数多くのシンガーが彼の作品を取り上げている。ショーン・キャシディを始め,フランク・シナトラやオリビア・ニュートン・ジョンなど十指にあまるほどだ。また,最近ニューヨークで封切られたイタリア映画,「viva ltalia」では全編に“オール・パイ・マイセルフ”が流れているそうだ。

「ソング・ライティングのカテゴリーにはメロディストとアンチ・メロディストという2種類があるのさ。ポール・マッカートニーや僕のような人間は前者で,ジョン・レノンやミック・ジャガーは後者なのさ。だから,僕など逆立ちしてもジョンのような曲は書けないよ。どちらも素晴しいと思うけど,モの両方を書ける人がひとりだけいるんだ。ビー・ジーズのバリー・ギブさ」

と,そのコツを何とか身につけようと努力しているらしい。まだまだ,上を目がしているのだ。ところで,二番目の自分をプロデューサーとしてとらえているエリックは,現在,ユークリッド・ビーチ・バンドという新人バンドをプロデュースしている。スタジオでのエリックは本当に人が変わったようにエネルギッシュだ。飛んだり,はねたり,見る見る間に大きな灰皿がダンヒルのすいがらでいっぱいになる。

「3枚目のアルバムでは余裕もできて,色々なことをやっているんだ。遊びをやったり,奇妙なことをやっているんだけど,わかるかなあ」

と楽しそうだ。忙しいスケジュールをさいて,快くインタビューに応じてくれたエリック。最後には日本のファンヘのメッセージも忘れずに話してくれた。

「いつも暖かな声援ありがとう。心をこめてありがとうって言いたいな。それから,日本には音楽をまじめに聴き本物の音楽を評価できる聴衆がいるという印象をうけるので,是非一度行ってみたいな」






















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2013/7/11

エリック・カルメン1979年インタビュー@  


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<エリック・カルメン1979年インタビュー@>

エリック・カルメンには、有名なクリーヴランド・オーケストラのヴァイオリニストだった叔母がいたため、早くからピアノを習い、作曲などを勉強したという。しかし幼かった彼にはクラシックが持つ様々なニュアンスや理論が理解できずに閉口していたらしい。そんなエリックにとって、ビートルズの出現に端を発したロック旋風は殊さら魅力的に映ったのである。ただ、彼の場合はビートルズではなく、ローリングストーンズがお気に入りだった。1967年に初めて観たローリング・ストーンズ、それが初めて経験したロック・コンサートであった。
ところでエリックがビートルズを発見したのはもうすこし後になってからのことである。

「美術のクラスにとても可愛い女の子がいて、彼女がポール・マッカートニーにお熱をあげていたんだ。それでポールのいるビートルズってどんなのかなと思って聴いてみたのがキッカケなんだ。」

 その日を境にして彼はビートルズに傾倒していく。さらにビーチ・ボーイズやビージーズと徐々にその世界を広げていった。そして、大学生になってからロックンローラーになろうと真剣に考えるようになる。
その頃クリーヴランドにもビートルズに似たサウンドを出すグループがいた。クアイアという名のグループである。ここにはラズベリーズのオリジナルメンバーでもあり、現在フォトメイカーで活躍しているウォーリー・ブライソンらが在籍していた。そして当時の彼はそこに参加することが夢であった。ところがオーディションを受けさせてくれないクアイアに対抗して、自分でグループを結成。そうこうするうちにクアイアが解散しウォーリーたちを自分のグループに加え、ここにラズベリーズが誕生するわけである。

ラズベリーズは、1972年にプロヂューサーのジミー・イエナーの協力を得て、無難なスタートを切った。以後解散するまで数々のヒットを放つ。“ゴー・オール・ザ・ウェイ”“明日に生きよう”“レッツ・プリテンド”“トゥナイト”“オーバナイト・センセーション”などである。現在アメリカン・ロックのファンにとっては当時のレコードが貴重盤として高い人気を呼んでいるという話だ。しかし、デビュー当初、彼らに与えられた評価は惨憺たるものであった。オリジナリティーのない物真似バンドだ、と。

「ジェフ・ベックという偉大なギタリストだって、前にあったブルースを取り入れたのに誰も批判せずにオリジナルと呼んでいるんだ。それはあまりにも古いものであったから、誰も名前も知らなかったからさ。ところが僕らはビートルズやビージーズがその時まだプレイしていたからね。誰でもそれまで聴いた中で心に残るものを借りるのさ。だから、僕らは僕らなりに持っているものを出し、オリジナルだと思うものを作っていたんだけどね。それが物真似と言われるんだったら仕方ないね。」

と、甘酸っぱい青春時代を振り返るような面持ちで彼は言う。
 そのラズベリーズの解散についてはいろいろ言われているが、一番の原因は作詞・作曲がすべてエリックの肩にかかったことらしい。もともと彼は、ウォリー・ブライソンの才能を高く評価し、グループの作品は2人で書くつもりでいたのだ。ところがエリックがピアノに向かっている間も、ウォリーは遊びまわり、約束の日になってもエリックだけが完成したにすぎなかった。当然のことながら、アルバムにはエリックの作品が大半を占めてしまったのだ。こうしてラズベリーズはグループとしてのバランスを欠き、解散してしまうわけである。

「僕はまず何よりもソングライターさ。バンドの他のメンバーとの意見の調整とか妥協でわずらわされたくない。書きたいように書き、演奏したいように演奏する。それがソングライターのすべてさ。」





















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